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事業概要


事業概要

綿花






























会社名

河南菜農園
(かなんな)

 事業目的

 ・無農薬の作物栽培。
・園芸用土のリサイクル、販売、宅配。
・花壇のレンタル。

所在地

大阪市東住吉区山坂1

電話

090-3941-7360

メールアドレス

info@kankyojigyo.com

代表者

川﨑 康裕

従業員数

2名

事業開始年月

2008年12月

事業内容

無農薬の野菜の栽培と販売。

事業理念 ●第一に地球環境を良くすること。
●第二に利益を創り出す事業であること。
環境事業を考えるうえでいつも念頭にあることがこの二つの理念です。

○第一の地球環境を良くすることとは、サステナブルやSDGSなどの流行にのることではありません。きれいな水、きれいな空気をつくることです。
○第二の利益を創り出す事業であることとは、非営利活動ではないということです。ビジネスの力を利用してきれいな川、海、土をとりもどします。


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農家のブログ

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2024年11月1日(金)
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ぼくに言わせれば、クリスマスにつぐゴミ量産イベントが日本にやってきた。だ。

人間が笑って、豊かになればなるほど、ゴミは増え、水は空気は汚れていく。

ぼくが総理大臣になったあかつきには、ハロウィンで使うコスチュームや道具などはすべて自然由来の有機物でつくること、みたいな法律をかましてやろうと思います。

▼竹ひご
▼いねわら
▼綿花

ものすごい素朴なハロウィンができあがるだろう。ハロウィンの時期は京都に来るインバウンドが落ち着くかもしれない。笑

ハロウィンのなかでも、あのカボチャだけはなんといっても有機物だ、巨大な有機物の塊だ。

あいつを堆肥にするだけでもどれだけのゴミが減るだろうか。

石油製品で作られたものではないため、それほど地球環境にたいしていいことをしたとはいいにくいが、あのカボチャを堆肥にリサイクルすることが浸透したら、少しは意味があるかもしれない。

以前からそういう問題意識を持っていたところ、インスタでつながっていた外国人の人から、やってみませんか、とお声がけいただいた。

そこでこのカボチャを堆肥として使いたい人を募ったり、自分の畑で腐らせてみようと思う。

カボチャ欲しい人いませんか?

ハロウィンの翌日にはカボチャだけが、かなんな農園に集まるという流れができたらいいな。

こんなでかいのは炭にはならないだろうしな。

もし、炭にできそうなら、ハロウィンが炭素固定イベントになるやん!とかいって盛り上がれるのはおれくらいか。

がんばろ。

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2024年10月28日(月)
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今年のはじめあたりに勃発した、WEBからの注文ゼロになる事件は収束し、注文数は以前よりも回復して落ち着いていた僕ですが、もう「やらなければいけないこと」をあとまわしにはしないことを決めています。

注文が回復し、お金がすこしずつたまってきたこともあり、ぼくはchatGPT先生と契約しました。やっとこさ。

GPT先生に教えてもらいながら自分のウェブサイトの手を加えなければいけないところをすこしずつ変更していってます。

htmlプログラミングをご存知のかたであれば、いまそんなことやってんの案件ですが、

冒頭の>を

に変更しました。

何年前にやっとかなあかんねん、と言われそうな内容ですが、素人がやるとこんなもんです。

そして、GPT先生に教えてもらいながらやったところ。

グーグルのサーチコンソールではこんな表示が(写真)

表示数もクリック数もゼロになり、顔面冷や汗状態です。

さてどうやって解決するのか、GPT先生に聞いてみよっと。汗

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2024年10月27日(日)
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ほんとうにほんとうに作文を毎日続けるというのはめちゃくちゃ難しい。

若かったころ書いたみたな日記のように、今日は書きたくない気分なんだ、とか書いて1行で終わり、みたいなのなら続けられることはできる。

でも、ひとつの事業として、その広報や広告のために毎日作文を書くのはほんとうに難しい。

西野さんや鴨頭さんにはほんとうに頭がさがる。

こうやって、なんどもトライしてはちょっと間があいて、が繰り返されるがぼくはほんとうに続けたいと願っている。これはまじなのだ。

ネタが尽きるとかはまったくない。

農薬なし、化学肥料なし、耕やしもせず、水やりもしない農業を軌道にのせるまであともう少し、勉強なしではそこまでたどりつけない。日々、なにかしらの本を片手に仕事しているからこそ、ネタなんてつきることはない。

日々、なにかしらの問題を抱えていて、それを解決するためにも本を読んでいる。

そして最近ではCHATGPT先生も加わり、毎日勉強できる量は格段に増えた。

書け、川崎、書け。

勝つにはそれしかない。西野さんや鴨頭さんがやっているように発信し続けるしかない。

とりあえず、今週一週間続けよう。

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2024年9月29日(日)
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負債論という名前のついた分厚い本、というか書物を読んでいます。笑

どれくらい分厚いかというと700ページくらいある。

なぜこの本がこんなに分厚いかというと、人間の歴史を5000年くらい前から負債というものを絡めて書いてあって、それを読んでいて楽しくなる様々な実例をひきあいに出して書かれてあるから、自然と700ページにもなっちゃったんだろうなという感じがします。

負債論
貨幣と暴力の5000年
David Graeber著

経済学の書物ということになるんだろうけど、これがなぜか読みやすい。

ただ、ものすごい分厚いので鞄のなかにいれづらい。
そのため読む速度が遅くなり、図書館の期限である2週間には到底まに合わない。

2章まで読めたので、また次回予約して読んでみようと思う。

第二章は物々交換の神話。

この章でデイビッドさんが言いたいことをギュギュッとまとめてしまって、それを大阪弁にするとこんな感じだろうか。

みんな、むかしは物々交換がほんまに行われてたと思ってるやろ、ちゃうでそれ。

ぎょえー、まじか。みたいな感覚になる。
しかも、お金のなりたちや、硬貨の歴史などは、アダムスミスさんの語ったことをそのまま現代人がなんの調査もせず鵜呑みにしているだけで、負債という側面から見つめ直さなければ、その勘違いはずっと続いていくことになるよ、みたいなことをささやいてくれる。

心の底から、ギョエーとでてくる良い本だ。

もうそろそろ図書館の期限がくるので、この本はこれくらいにしておいて、来週から始まる10月は、狩猟免許のための勉強と、竜馬がゆく最終巻に時間を費やそうと思う。

狩猟免許にうかるための勉強をするだけではなくて、狩猟というものの本質を学んでいくために必要な知識をこの時期につめこんでおこうと思う。

あまりに多くなりすぎた人口を賄うための、不健康な畜産。お肉は食べるのに、ライオンがガゼルを狩るところを、座り心地のいい椅子のうえでインスタ の画面で眺める。残酷だと思う。そんな矛盾がいやでぼくは肉の塊を食べるのをやめたのですが、自分で仕留めた鹿の体を解体しているとき、ぼくは吐き、涙を流し、休み、また吐きながら解体を始めるだろう。そこまで苦労して、真剣に命と向き合ったのなら食べてもいいと思う。そこまでしてもまだ食べたいという欲深さとも向き合い、なにしてるんだ俺はとか考え、悩み、そこまでしたのならお肉を食べる資格があるって思う。

一方で、司馬遼太郎さんが描く坂本竜馬の最終巻では、大政奉還という奇跡を成し遂げた竜馬さんが、寺田屋で新撰組に殺害される。あの時代、この国で、一番殺されてはいけない人が殺害されるこの事件を読むとき、ぼくの心は鷲掴みにされてブンブン振り回されるにちがいない。

10月は一年のなかで一番好きな月かもしれない。

明治維新を生きた志士が一人、令和の世の中を生きているような違和感を感じる10月になりそうだ。

鬱屈とした心を溶かせるために当時の志士は酒を飲んだという。

でもぼくには必要ない。明らかに自分が目指している道があるからだ。稼げば稼ぐほど地球がきれいになる農業をみつける。この指針があるからぼくはぶれずに生きられる。鹿と命のやりとりをするときも。大好きな竜馬さんが殺されるシーンを読んでも。道に迷うことはない。

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2024年9月13日(金)
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「普段ベジタリアンの猟師誕生か」
というタイトルで今日は書いていこうかと思います。

ベジタリアンといっても、お肉の塊を自分からは食べないだけで、卵も食べるし、魚も食べるし、チーズなんて大好きだし、いわゆるビーガンではありません。

お肉が嫌いで食べなくなったわけでもないので、スープやシチューに紛れ込んでいたお肉が口の中に入ったりすると、じんわりおいしさが広がります。

お肉の塊を食べないようにしようと決めたのは何年前だったか、コロナの数年前だったと思います。

そのころ関西空港のテナントでバイトしていた川崎は、いつものように仕事を終えて、JR関西空港駅に向かいました。改札を抜けようとしたときに、さっき日本に初めてつきました興奮してます、と言わんばかりのアジア系外国人の若者が切符らしきものを改札機に入れてはピンポーンと跳ね返されていました。

気さくな川崎はその青年に声をかけます。

「通れませんねん。。」
「なるほど、そら通れへんわ、いまいれようとしてんのは領収書やで、こっちの小さいのが切符やで」
「ほんまかいな、大きいほうが切符やと思ってたわ。」

というわけで一緒に改札を通り、無論、大阪市内へ向かうその青年とおよそ50分間を隣の席で話しながら電車に揺られることになったのが、お肉を食べなくなったひとつの大きなきっかけでした。

その青年の名前は
シド
インド人
カナダ在住
ビーガン
ハーバード大学卒
世界中の誰もが知ってるような企業に勤務

シドの笑顔が本当に愛嬌抜群なのもあいまって、たくさんの自己紹介をしているうちに仲良くなり、翌日京都で会ってお酒を飲むことに。

京都の居酒屋に到着し、ぼくは初めてビーガンの人が動物を食べない現場を目の当たりにした。微塵も入っていてはいけないのだ。

日本酒にはお米が使われてはいるけど、そのほかの調味料は使われていないかどうか、綿密な業務の打ち合わせのように、彼は動物を避けようとする。だから、日本酒を飲むときは必ず純米酒だけを飲むし、醤油を使うときはカツオ出汁などが入っていないかどうかを綿密に打ち合わせしなければならない。

ぼくはそれを見て大変だなという印象しか受けなかった。

でも少し興味はでてきた、とかその夜はその程度のものだった。

フェイスブックの交換をして、その日は楽しく飲んで、握手をしてバイバイしました。本当に楽しくて気の合うスーパー賢い友達ができた。

その日から一週間とたたないうちに、ぼくはビーガンの人にたてつづけに出会ったのです。

ああ、そういうことなのかな、という軽い気持ちでその日からお肉を食べなくなりました。

妻には手間をとらせてしまい、申し訳ないなという気持ちはあるものの、彼女は彼女でそんなぼくを楽しんでいるようなのでよかった。

お肉を食べなくなるまえから、ひとつの違和感はずっとあったのです。

お肉は食べるくせに、ガゼルがライオンに食べられる映像なんかを見ると残酷だと思ったりなんかする。なにが残酷なもんか、おまえなんか、ほぼ虐待に近い育てられ方をした牛や豚や鳥のお肉をうまいうまいと言ってたべてるくせに。

という違和感です。

もしお肉を食べたいのなら、泣いて喚いてゲロ吐いて、自分で捌いてみろ。

若い頃は心の中から外に出たことのなかった言葉が、お肉を食べなくなってから自然と自分に問いかけられるようになった。

ぼくが取得しようとしている狩猟免許の種類は2種類。
▼わな猟
▼第一種銃猟

自分の畑に入ってきた獣を捕獲して収益につなげられたらという思いで取得します。

ただ、わなにかかったとしてもその先の息の根を止める作業や、解体の作業に慣れていないと話にならないと思い、それに慣れるためには銃猟の免許も必要だろうなということで、この二種類を取得するつもりです。

試験日は11月。

死ぬほど真剣に講習をうけてこようと思います。

おそらくはじめて息の根をとめるとき、涙とゲロでぐちゃぐちゃになってそうだけど、そこから逃げたくはないのです。

以上、
次女の眼科での、軽い手術で気絶しそうになった男、川崎でした。

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2024年7月29日(土)
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今日はこの作文でなにを伝えたいのかまだはっきりしていない。

その時になにを感じたのか、自分の心のどこに矛盾を感じるのかまだはっきりしていないけど、自分の人生の1ページに残る出来事だったので作文開始しようと思う。

散文になるにちがいない。

それではまいります。

ぼくら家族は土曜日に和歌山県のビーチに遊びにいった。

磯ノ浦ビーチという、サーファーの多いビーチだ。

お昼ご飯を自宅で済ませて、自宅をでたのが14時頃。

車にボディボードを積んで、ビーチに向かう道すがら、家族は全員車のなかで気持ちよさそうに寝ていた。

高速道路から降りてビーチもほど近い距離になったころ、コンビニに入っていつもは禁止されているジャンクフードを食べて小腹を満たした。

さあこれでいまから3時間ぶっつづけで遊んでもお腹は大丈夫、もつはずだ。

ビーチのそばの駐車場に車をとめて、アイドリングしながら車内で手早く着替える。

この時点では、ほんとうになんの違和感もなかったし、いつも通りだった。

水着に着替えて、防波堤をこえて砂浜におりる。

磯ノ浦ビーチはほんとうに感じのいいビーチだ。

砂浜や海岸はもちろん自然のものだから、岩があったり、草が生い茂っていたりするビーチもある。そういうビーチは海水のところへいくまでに自然の怖さを身近に感じるものだが、ここ磯ノ浦ビーチはそういうところがほとんどない。

駐車場から防波堤を超えて砂浜にでるとなんの障害物もなく、海水まで到達できる。

土曜日の磯ノ浦はなかなかいい波がたっていて、いわゆる膝腰の高さの波がたっていた。

それでもかなり遠浅の砂浜なので6歳の次女も安心して水遊びができる。

いまから思えば少し違和感があったかなと思い返すのが、多少の波があったとはいえ、長女が波をこわがっていたことだ。

長女はいま12歳で、ぼくとボディボードで遊びはじめて6年くらいはたっている。その間にはもう少し大きめの波のときもあったし、波に飲まれることもあった、波に飲み込まれるのも楽しんでいた印象だったが、土曜日はなぜかすこし水につかったくらいのときから長女は「ちょっとこわい」と話していた。

もうこのときには近くに死に神がいたのかもしれない。

ぼくにはまったく死に神なんて感じられないが、やはり子供はなにか感受性がちがうのかなといまとなれば思う。

異変が起こったのは5時をすぎて、おそらく6時に近い頃だったのではないかと思う。時計がないので何時かは確認できなかったが、太陽の傾きかたから察するに6時か6時すこし前といった時間だったのではないかと思う。

ぼくの目に映った異変とは、海のなかのそれほど深くない場所でサーフボードが異様にたくさん集まってるのが目に入った。

サーフボードはそれ自体が凶器になるため、海のなかでサーフボードが密集している状況はほとんどない。

それなのにそのときはサーフボードが誰の手からも離れている状態で4枚から5枚くらいプカプカ浮いているようだった。

その場所までぼくは50mくらいの距離にいたと思うが、サーフボードに体重がかかっていないと、波に煽られて傾いたりひっくり返ったりするので、すこし遠目でもなにか異常なことを察知できた。

長女に海からあがって次女とお母さんを待つように指示し、異常なほうへ近づいていった。

近づいているときに、陸のほうに駆けていく男性がいたので、救急車を呼ぶのかどうかを確認した。救急車を呼びにいくとの返答だったのでぼくは再び異常なほうへ歩み寄る。

60歳くらいの男性が意識を失っている状態で他の男性にかつがれている。

かついでいる男性の必死な形相から「当事者」なのが感じられる。

そのそばには二人の女性。女性のうちの一人は看護師であることをもう一人の女性が教えてくれた。

その場にいる全員が意識のない男性を砂浜に運ぼうとしている。

海水はふともものあたり。

その全員のサーフボードがそれぞれの腕や足にリーシュコードでつながれていて、ずっとそばを漂っている。

漂うだけでなく、波であおられて救助活動を妨げる。

そのときにはすでに60歳男性の右脇に入り、当事者の男性と両脇からかつぐ態勢ができあがっていた。

看護師ではないほうの女性に、ぼくのリーシュコードをはずしてボードを砂浜に運んで欲しい旨を伝える。

その後の彼女の行動は確認していないが、全員分のボードが砂浜に並べらているのに気づいたのはもっとあとだ。

歩みは遅いが着々と意識のない男性を砂浜のほうへ運んでいく。

この瞬間も、この瞬間から30分後も、ぼくはこの男性の意識が戻るとずっと考えていた。

ぼくが加勢してからは、格段にスピードアップし、もうすでに波が届かない場所まで到達している。

看護師の女性の意見で、砂が乾いている場所よりも多少濡れているこの場所のほうがいいということになり、ぼくらはそこに男性をおろす。

おろすと同時に看護師の女性が心臓マッサージの態勢に入る。

濡れた砂のうえに膝をつく。
片手を水月に添えて、その上からもう片方の手を置き、一回、二回と心臓マッサージ。

その二回で看護師はウェットスーツが邪魔なことを確認。

脱がす、という彼女の短い命令で、ぼくらはそれぞれの持ち場につく、一人は左手、一人は右手、ぼくは左手の腕時計をはずす。

意識のない人間の両腕をウェットスーツから引き抜くのにこんなに時間がかかるのか。

信じられないような長い時間が過ぎていく。

看護師は脈を確認していたが、なんど測っても脈はないような表情をしていた。

やっとの思いで両腕をウェットスーツから引き抜き、引き抜くと同時にまた看護師の心臓マッサージがはじまる。

心臓マッサージはものすごい体力を消耗するのだとぼくはここで痛感する。

看護師の心臓マッサージがすこし精彩を欠きはじめたからだ。

その瞬間、近づいてきた男性がかわるための意思表示をした。

ぼくが彼女は看護師なんだと伝えると。

彼は自分は医師ですと伝えた。

医師の心臓マッサージが始まる。ときどき人工呼吸も織り交ぜる。

この日のぼくのなかでの一番の後悔は、この人工呼吸をぼくが担当しなかったことだ。

救助活動というものが人生で初めてだったぼくは、それをぼくがやるべきなのかどうかも判断できなかった。

でもつぎはやる。やってだめなら叱られて終わればいいのだから。

この頃には1台目のAEDが到着し、心臓マッサージをする医師の横で準備をし始めたが、AEDは作動しなかった。

だれからともなく、AEDをさがしてきてくれという声があがり、数人が駐車場のほうへ走っていく。

医師の心臓マッサージも消耗してきたころ、消防士だという二人組の男性が交替して男性の横に膝をついた。もう一人は男性の頭のほうへしゃがみ、男性のあごの骨のあたりに指をいれるような感じで、なかば固定するような、なかば脈をはかるような態勢をとった。

まさにプロの仕事だ。

消防士が心臓マッサージをし始めた頃、急激にまわりの雰囲気が冷えていく。

日没。

ぼくはこの時点でも救命を疑わなかったが、医師や看護師、消防隊員にはもうすでに救命には至らない何かが見えていて、その雰囲気が急激に空気を冷やしていたのかもしれない。

その冷えた空気は磯ノ浦ビーチ全体を覆っていた。

救命活動に携わった者、近くで見ていた者、遠巻きに見ていた者、そのことに気づかずサーフィンを楽しんでいた者、磯ノ浦ビーチにいた全員がその冷えた空気に覆われていた。

喜怒哀楽ではなく。

生と死の間の静けさとでも言えるだろうか。

ぼくの場合はその空気のなかに無力感を介して入った。

これほど浅い知識で生きてきたのかと痛感し、ゆるやかな風に体を冷やされて、ぼくはその冷えた空気の中に入っていった。

ある程度の時間が経過した今でも、その空気はぼくのまわりにあるように感じる。

ぼくらは全員いつか死ぬ。という空気がぼくのまわりにいまもある。

とくに不快とは感じない。

むしろこの空気が身近にあることのほうがいいとさえ思う。

でも死ぬのはこわい。

死ぬときに痛いから怖いのか?

死ぬ時は痛いのか?

愛しているものに会えなくなるのが怖い。

いい経験だったなんて口が裂けても言えないが、このことをいつも胸のあたりに携えて生きていこうと思う。

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2024年7月17日(水)
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今朝は午前7時から大阪府立高校に仕事にいってきた。

いまから書くことは、その高校にいた一時間程度の感想文のようなものだ。

午前7時ちょうどから始まったその仕事というのは、園芸用の土を納入する仕事だった。

家庭科の女性教諭と数人の生徒が、校舎裏の余った敷地を利用して、菌ちゃん農法をするための土を納入してきた。

はじめにその女性教諭と校門のところであいさつを交わし、どこにおろすのか、トラックの位置は、ウネをつくる場所は、など簡単に説明をうけた。コミュニケーションはどれもスムーズだった。

途中、校長先生もあいさつに来ていただき、笑顔であいさつをすることができた。校長先生のブログに載せるということで、女性教諭とそのとき隣にいた生徒一人の三人で記念撮影もした。

そのやりとりはどれもさわやかだった。

自分のことしか考えない人間とのやりとりに関して百戦錬磨の川崎はそういう人と話していたらすぐに気づく。

彼らはそういう人じゃなかった。

家庭科の女性教諭もそうだが、この校長先生もしっかりと矢印は他人向きになっていると感じた。

その矢印はおそらく学校の生徒へ向けられているのだろうと思う。

そういうふうにぼくが感じたのは、生徒たちがけっして楽ではない土おろしの作業を手伝ってくれていたときだ、これから授業を受けなければいけないというのに、汗だくになりながらぼくの作業を手伝ってくれたのだ。

彼らはなんだかんだと話しながら、楽しそうに慣れないショベルを使って働いていた。

そのなかの一人は毎日アルバイトをしていて、自分がいくであろう専門学校の授業料をためているのだそうだ、コンビニでアルバイトをしていて、夜22時以降は高校生は働くことができないこと、うれしいこともあれば、嫌なお客に辟易することもあることなどを教えてくれた。

もう一人の生徒は控えめの性格なのかなと感じたが、とるべきコミュニケーションは普通に的確にとることができた。けっして派手な性格ではないにもかかわらず、ボクシングをしているのだと教えてくれた。好きでやっているのか誰かにやらされているのかは聞くことができなかったが、かれの大胸筋はたしかにアスリートのものだった。

手伝ってくれている男子生徒二人との共同作業の30分間で、ぼくは心から彼らのことをかわいいなと感じた。ぼくが高校生だった頃、いろいろな人からかわいいねと言われたけど、当時はその気持ちがまったく理解できなかった。

でもいまはその気持ちがよくわかる。

容姿がかわいいとかそんなことではなくて、いろいろな話をしたり聞いたりするあいだに素直さが垣間見えて、その素直さがかわいくてしかたなくなるんじゃないかと思う。

そうやって大人は話しすぎたり、説教じみたことを言ってしまったりするのかもしれないなと感じた。

そう、ここでやってはいけないのが、多くを話しすぎること。コミュニケーションの大半を聞くことにまわさなければいけない。

そこでぼくは今日、彼らに伝えることをふたつに絞った。

▼重いものを持つときどうすれば腰を痛めずに済むか。
▼汗をかいたとき、塩がどれくらい役にたつか。

この二点に絞って、これを説明するときは300文字以上を話すこともあったが、それ以外のときは50文字以内の質問になるように心がけた。

それがうまく伝わったかどうかを確認する方法はもうないが、それを伝えているときの、彼らの笑顔や態度、言葉、その素直さに、ぼくの愛情だけは伝わったんじゃないだろうかと思う。笑

彼らがそんなふうに育っているのは、ひとえに今朝出会った女性教諭や校長先生のように、縁の下で支えてくれている人たちのおかげなのだろうと思う。

社会はこういう人たちで成り立っている。

ぼくは彼らとはまったくちがう場所でまったくちがう仕事をしているが、100年後を生きる子供たちが立つ場所を、下で支える人間でいたいと、改めて考えることができた快晴の1日。杉の木と校舎の間から差し込む太陽はめちゃくちゃ暑いのに、なぜか今日はさわやかに感じた。

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2024年7月15日(月)
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感動詞メインおっさんの食レポシリーズ。
今年第二弾はブラックベリーでございます。
野菜でも果樹でもやはりとれたてを食べるのが一番おいしいと思います。

かなんな農園の畑では農薬や肥料など、化学的なものを使わないので、土や葉っぱを触ったその手で収穫してパクッといくわけなのですが、その感じを知ってほしいなと思い、こんな自撮り動画を撮影するに至っております。

え、土を触った手でそのまま収穫してるの?えー、気持ち悪いと思った人には別に買ってほしいと思わないです。それを暗にアピールするためにもこの動画は欠かせません。

このブラックベリーを食べたときもそうですが、多少の虫くいがある果実もぼくは普通に食べます。

もちろん虫食いがあると認めたものは、たくさん噛んで寄生虫的なものが胃の向こう側にいくのだけは防いでいます。

ぼくはこれが自然なことだと思うから、水で洗ったりもしません。

むしろ、目に見えない土壌微生物を胃で消化して、その死骸を腸に送り込むことで、腸内細菌が多様化していくのではないかと考えています。(土と内臓、デイビットモンゴメリ著、参照)

花粉症にかかる気配がまったくないことを考えると、おそらくその考えであってるんでしょう。

そんな考えを理解していただける人だけに野菜が届けばいいなと思うので、こんな自撮りを始めました。

若干おちゃらけてはいるものの、心のなかでは実は嬉しくてたまりません。

ほんの数年前まではこんな動画を収録できるほどの収穫もできなかったからです。

▼無農薬
▼無肥料
▼耕やしもせず
▼水やりもしない
というやり方で行う農業っていうのはやはり難しいし、やろうと思えば一旦すべての農業知識を全否定しなければいけないという側面もあります。

それでいながら、近所の農家のあいさつもろくにできないおじさんに愛想をふりまいたり、自然のことをろくに理解しようともしない農協の人や自治体の人にもおべっかを使わなければいけません。

不毛にも感じる15年間を経て、やっと作物ができるようになってきました。

過去の思い出に安穏とするのは好きではありませんが、あの15年間を耐えた自分に一瞬だけ賛辞を送りたいです。調子に乗るから一瞬だけです。

それはそれは嬉しいのです。

でも嬉しいという気持ちに浸っているとスピードが遅くなるし、安心してしまうのが一番怖い。

だから涙がでるほど嬉しい感情をおチャラケに変えて食レポをお届けします。

甘いとか、

フルーティだとか、

そんなことを伝えたいわけではありません。

ぼくが伝えたいことは山ほどありますが、その中から一つだけ選べと言われればぼくはこう答えます。

おそらくこれが自然と人間が共存していくための唯一の方法です。17年くらいずっと自問自答してきたけど、おそらく間違えてないと思います。

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2024年7月11日(木)
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今年の野菜セットにはオクラを入れることができそうです。

昨年はオクラと連作の関係があまりよくわかっておらず、自分の家で消費するくらいの量がとれるだけで、販売するには至りませんでした。

無農薬無肥料で栽培するにしても、連作のことは常に念頭に置いておかなければいけないことがわかりました。

また一歩前進です。

連作が農業にとってよくないことなんて百も承知なのですが、実際にそれを畑で実現するにはどういうふうに準備していかなければいけないかといったことがわかっていませんでした。

同じ農業でも無農薬無肥料というだれもやっていないようなことを進めていくには、進んではぶつかるを繰り返すのが一番成長が早いです。

そうやってぶつかりながら進んでいると、なんでこういうふうにやるのがいいんだろう?という疑問が浮かんできます。

最近、ぼくの頭の片隅にずっといつづけている言葉それは、
「土はどうやってバランスをとってるの?」
です。

これは連作についての話なのですが、

オクラなどの野菜ができて収穫します。

ぼくらが教わってきた科学では、大地からオクラがとれて、その分だけ栄養が失われる。その大地をほったらかしにしておいて、数年後またぼくらはオクラを栽培することができる。

なんで?

大地からオクラの栄養を引き算したあと、大地はどうやってそのオクラの栄養分を足し算してるの?

これにたいして現代の科学は明確な答えを持っていません。

でもぼくが畑で見て感じることは、
「小さな生き物が足し算してくれている」
です。

というよりも「足したり引いたりしてくれている」がより近い答えかもしれません。

小さな虫というのはアリとかミミズとか目に見えるものはもとより、センチュウとかカビとか目に見えない生き物も含みます。

アリやミミズはぼくの畑にたくさんいますが、彼らはどこからくるのでしょうか?これに答えられる科学者もいないと思います。

なぜ彼らはその場所に巣をつくるのか。

なぜ彼らはその場所を選んで、その場所を穴だらけにしていくのでしょうか。

翌年、彼らはなぜその場所を去るのでしょうか。

ただ一介の農夫が見て感じたことですが、それは植物たちとコミュニケーション(のようなもの)をとりあってその場所に決めて、巣の形を決めて、穴を掘り、卵を生み、冬にはたくさんの死骸(栄養満点)を置いていってくれる。

これが当たらずとも遠からずな土のバランスなのではないでしょうか。

そういうふうに考えると、土のなかでは栄養価がたかければいいんじゃなくて、
たとえば、
7・9・8・9・5
みたいな感じではなくて、
3・3・3・2・3
みたいにバランスが整っていることが良い土の条件なのではないかなと考えます。

以上、一介の農夫が考えていること。でした。

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2024年7月8日(月)
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なんでトマトができただけで泣いちゃうのか、というところを今日は作文していこうと思います。

それを話そうとすると、だいぶ遠回りの話になってしまうので、どこから話すべきなのかいつも迷うのですが、一番始めからいってみたいと思います。よろしくお付き合いください。

ユニクロ、たこ焼き屋さん、トヨタ、保育園、幻冬舎、テスラ、インスタグラム、
現代社会ではたくさんの企業が活躍していますね。

その現代社会がかかえる問題の根っこの一番深いところを言語化してみると、「企業が稼げば稼ぐほど地球は汚くなる」ということになるとぼくは感じています。

高品質の衣服を安く提供するという企業活動。

外側はカリっ、内側はとろっとろのたこ焼きを提供するという企業活動。

人を満足させるという号令のもとに、企業活動に励んでいるけど、どんな企業活動でも地球環境に負荷をかけながら利益をだしています。

ぼくはそこを変えたいのです。

そこを変えるにはそういうビジネスをつくらなければいけないと若い頃考えていました。

稼げば稼ぐほど地球の水が空気が土がきれいになっていく、そんなビジネスをつくらなければと考えていました。

社会人になるまえは、社会というのはそういう問題があるのをわかっていて、どうにかその問題を解決するために全員が必死になって取り組んでいるところだと、淡く考えていました。

しかし社会人一年目の川崎青年が目にしたのは、そんな理想とは無縁の世界でした。

その頃からでしょうか、「稼げば稼ぐほど地球がきれいになるビジネス」という言葉がぼくの心のなかに幅を利かせ始めました。社会人といっても20代なんてほんとに何も知らない若造でしたので、ここまで言語化できていたとは到底思えません。

ただただなにかが間違ってると、思春期の延長のように悶々と考えは、上司に叱られていただけのようにも思います。

まさに見た目は大人、頭脳はお花畑、名探偵のような推理力なんてもちろんゼロな呆れた大人川崎青年でしたが、いろいろな本を読み勉強していくなかで、どうやら農業の形を変えたらいいんじゃね?という心もとない動機から週末に農業を始めてしまいます。あちゃー。

▼お花畑の頭脳からくりだされた農業というアイデア。

5年が経ち、10年が経ち、15年が経ち、その間このアイデアのままでいいのかとずっと自問しつづけるのですが、自答すればするほど、この道しかないんじゃないかという気になってくる。

そんな流れでぼくは
▼「稼げば稼ぐほど地球がきれいになる農業」▼
を探究しています。

探究しているとは言いつつも、この難解な答えが自分が生きている間にでるなんて考えもしませんでした。なにかその答えにつながるヒントのようなものが見つかり、次世代に伝えられたらいいか、くらいの気持ちでした。

そういうふうに考えることで精神的なバランスをとっていたのかもしれません。

地球環境問題になにもアプローチしていない自分に耐えられないので、とにかくめちゃくちゃ難しい問題にトライして、その難しさを理由にスピードの遅さをごまかしていましたのかもしれません。

▼農薬を使わず
▼肥料も使わない
▼耕しもせず
▼水やりもしない

この超絶難解な問題が一部とけようとしています。

だからたかだかミニトマトができたくらいでぼくは泣きそうになっているのです。

お花畑川崎は現在43歳、まだまだ勉強できるし働ける。でももう精神的なバランスなんて気にしない。あとはこれで稼ぎまくって地球をピカピカにしてやるわよ。

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2024年7月6日(土)
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今日はあの駐車場の近くにあるお菓子屋さんのご紹介です。

いつも花の苗一つ50円にお越しいただきありがとうございます。

花の苗一つ50円の駐車場にお越しいただいても、お目当ての花や植木鉢がなかったりすることがあると思います。

申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが、入荷先をたくさん増やしても需要が追いつかないし、供給過多になるとそもそもあの駐車場だけではスペースがたりなくなる。

そんなこともあり、流れに身をまかせながら無理なく大きくしていこうと思っているので、「行ったけどなにもなかった」というお客さんを量産してしまっております。すみません。

そんな人たちへ、おすすめのソフトクリームのご紹介です。

そのお店の名は

▼菓匠FUKUROU▼
花の苗一つ50円の駐車場から南へ徒歩1分くらい。

地下鉄谷町線田辺駅のとなり。

▼大阪市東住吉区田辺2−1−2
▼営業時間10時〜売り切れまで。水曜日定休

ソフトクリームというのはどういうふうにして、世にでてくるのでしょうか、そんなことまで考えさせられてしまうソフトクリームです。

ソフトクリームについて、ひとつぼくがいいたいことそれは。

「全部いっしょやん」

日世と書いてニッセイと読むのでしょうか、おそらくソフトクリームの元締めみたいな会社があって、その会社がソフトクリームを手軽に美味しく安く供給できる機械を売りつける。そしてその機械でしか使えないソフトクリームの原液みたいなものを抱き合わせで売る。

機械の料金は初めは無料で、原液にその機械代金がのっかってくる、三年以内に原液購入をやめると・・・

あー、もういい、もういい、やだやだやだyやだ。

簡単に想像できるくらいあほな資本主義像。

もうええ。

資本主義がいきすぎると格差が広がる?

はっきりいってそんなんどうでもええ。

もっと大切なんは、

資本主義がいきすぎると、ソフトクリームが全部同じになる。だ。

そんな社会をだれが求めた?

ちょっと甘すぎるソフトクリームがあってもええやん。

ときにはアイスクリンみたいな水っぽさもええやん!!

このチョコレートつぶつぶ入ってるやん!!みたいなんもよくない?

田舎にいったら、この牛からできたソフトクリームです!!みたいなんどうでっか?

なんかあつなってきたな。

とにかく整理整頓されて前にならえしてるソフトクリームなんていらんねん。



家族でこのお菓子屋さん、菓匠FUKUROUに向かっているあいだ、ぼくの心は煮えたぎっていた。

長女も次女も機嫌良さそうにぼくの前を歩いている、ぼくは口を開けられないでいた。

口をあければソフトクリームへの想いが叫びになって、近所にご迷惑をかけるのは火を見るより明らかだったからだ。

阿鼻叫喚

がんばれおれ、もう田辺駅の改札だ、FUKUROUまではあと数秒でつく、大人なのだ、どんな状況にも我慢できる、だされるソフトクリームがいつもと同じだって、なんだって我慢してやるさ、はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー、っていう練習しとこ。

はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー。
はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー。
はー暑いなか食べるソフトクリームはおいしいなー。

横断歩道を渡り、FUKUROUの自動扉が開く、

いらっしゃいませー。

水無月の試食いかがですかー。


いま思えば、この瞬間に勝負は決まっていたのだ。

いま思えば、ぼくはこの瞬間に無意識のなかで違いに気付いていたのかもしれない、無意識の目はソフトクリームディスペンサーの機械の光沢と、見たこともないハンドルを確認していたにちがいない。無意識のなかで感じていたはずだ、「前にならえしてへんやん」。

それなのにぼくはまだ、傷つきたくないばかりに瞑目していたも同然だった。

目がひらいたのは、
ソフトクリームを手渡されたときだ。

あのいつもの五角形のソフトやない。

心を解き放ってええんか。
同じじゃないと思ってええんか。
期待してもええんか。

そう、ぼくは期待してもよかったのです。

味のこととか、濃淡のこととか、いろいろ書きたいことはありますがどれを書いても野暮になってしまうので、すべて消しました。でも最後に一言だけ言わせてください。

FUKUROUは前にならえしとらへん。
一つ500円税込です。

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2024年7月3日(水)
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今日は城東区にある、日々(ニチニチと読む)というお菓子屋さんを訪問してきました。

お客さんとしてではなく、業者として仕事を依頼されていきました。

お店は補修工事のため中を見ることはできなかったのですが、きっとこのオーナー夫妻のようにあたたかい内装になんだろうなと想像しました。

お店のまえに置いてある特大プランターの中の土を処分するために訪問したのですが、作業しているよりもそのお店のオーナー夫妻と話をしている時間のほうが長かったように思います。笑

お菓子を制作するのは奥さんの役目です。若い頃からお菓子を作るのが好きで、ただ作るだけではなく、教室に通って研究していたのだそうです。50歳をすぎて時間も緩やかになったころ、「いっちょやったるか」ということでここ新喜多東でオープンしたそうです。

誕生日ケーキの受注制作もしているとのこと。洋菓子店なのかなと思いながら話を聞いていくと、和菓子をつくるのも得意なようで、だから「洋菓子店」とか「パティセリー」とか銘打たずに菓子店としている、とのことでした。

梅雨のこの時期だと水無月なんかを注文したらつくってくれるかもしれませんね。

ニチニチと読むこの、日々という言葉にはご夫婦で特別に思い入れのある言葉なのだそうです。

ハレの日
ケの日
という言葉があるように、誕生日やお正月などのハレの日にはめでたいお菓子を、同じようなことの繰り返しに思えてくるケの日にも彩りを添えられるようなお菓子を、というぼくの解釈があってるのかあってないのかを確認するために、お店で店主に話しかけてみてください、きっとあの笑顔で答えてくれるはずです。

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2024年6月29日(土)
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10日間も書くことをさぼってしまった、ある程度以上の文字数を書く習慣というのは本当に難しい。

先週はトラックのラジエーターから水が漏れたため、土の回収の仕事も延期にしたうえ、花の苗も入荷することができなかった。

おかげで、今週のアウトレット花の苗一つ50円は6トレーの大量入荷となりました。

ただ、今回はLINEで入荷日時を告知しませんでした。

というのも、今回はある女性に出会って、その人にはある恩返しがしたかったので、その女性にだけ入荷日時を知らせて、きれいなアジサイをもらっていただこうと考えたからなのです。

LINEオープンチャットでの告知を待っていた人たち、ごめんなさい。

ぼくは女性に今週の木曜日あたりに偶然出会いました。

時間があったからと駐車場に花を見に来ていたその女性。

ラジエーターから水が漏れたためトラックを動かせない川崎は、駐車場にしつこく置いていたナンテンをしぶしぶ処分しにいきます。

ナンテンの根っこと格闘して、プランターから根っこを引き剥がすのに成功した頃、その女性は駐車場にやってきました。

はじめは、そうとも知らず、あーこんにちはーと失礼なあいさつをする川崎。

おもむろにその女性が話し始めて30秒も経ったころ、川崎の態度は豹変し平身低頭、さっきのあいさつを帳消しにしろといわんばかりのありがとうを連発し、そこから20分くらい話したでしょうか。

その女性が、
▼割れた植木鉢を購入してくれた人だったこと。
▼SNSなんかよくわからないし、連絡の仕方もわからなかったこと。
▼いつかまた会ったときに話せばいいと思っていたこと。
▼ごく近所に住んでいること。
▼家のまわりに置いてある花はここの花ばかりであること。
要点だけをざっとまとめるとこんな感じの話を和気あいあいと楽しみました。

ぼくのほうは、
▼ぼくの時間を節約してくださったこと。
▼いつかそのお礼をしたかったこと。
▼金曜日の18時頃に駐車場に置きにくること。
などを伝えました。

ぼくよりも年長のその女性は笑顔が素晴らしかったです。
ここからは想像ですが、
多くを望まぬ、慎み深い性格なのだろうと思いました。

たくさんいただきました、というといえいえと謙遜する。

ありがとうございます、というとこちらこそと言う。

ぼくはこういう人が大好きです。

ぼくはときどき「がめつい奴もうくんな」的なことを言いますよね。

ぼくは「がめつい奴撲滅宣言」をしているわけではありません。もちろんがめつい人間はいてもいいと思っています。ましてやここは大阪です。

ぼくが我慢できないのは、がめつい人間が結果的にこの女性のような性格の人よりも大きな実利を得ていくのを黙って見ている自分に我慢がならないのです。

すなわち「ここではつつしんでくれ」です。

兄ちゃんもう一個まけてーやーと言われて、サービスすると、実際の金額で購入してくれたうえに、いつも本当にありがとう、楽しみにしてるねんでと言ってくれるその他大多数の人たちに、筋を通すことができなくなってしまう自分が嫌でいやで仕方がない43歳川崎康裕と申します。

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2024年6月17日(月)
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ミニトマトの地方発送ご予約うけつけ中です。よろしくお願いします。
▼ミニトマト|クロネコ宅急便コンパクトに詰めて¥3,000―▼

今晩からの豪雨に働いていただくため、最後の夏野菜の植え付け@富田林1号地をしてきた。

このタイミング(まとまった雨量の24時間以内)に植え付けができると、完全に活着する。

今日の昼間に植え付けてきた
▼イタリアンミニトマトボルゲーゼ(固定種)22株
▼シュガーランプ(F1種)22株
の2種類も活着してくれることと思う。

その植え付けをする前に、5月中に植え付けをしておいた
▼アイコ
▼シュガーランプ
▼ししとう
▼ナス
たちがすくすくと大きくなってきているのも確認できた。

それがこの動画です。

ただ、野菜ができたのだね。と思うなかれ。

ぼくは、
農薬を使わず、
肥料も使わず、
耕しもせず、
水やりもしない、
農業をしているのですが、15年間ほどはほぼ無収穫で勉強や研究ばかりをしていた。

野菜を収穫できるようになったのはほんの二年前。

▼排水性を確保すること。(溝を掘る)
▼透水性を確保すること。(竹炭をいれる)
の2点さえしっかりしていれば、無農薬無肥料でも野菜はできることがわかってきた。

そして
昨年はいままでとは桁違いの量の野菜を収穫することができた。とはいえ、
自分の家族が食べる1年分の野菜くらいの量がとれたかなという程度だった。

ぼくを応援してくれている人たちに少しずつ販売すると、すぐに野菜は底をついた。

そういうことなので、今年の目標は
「余るほど大量に作る」
です。

しかも、新しく契約した農地で、一年目から収穫までできるのかどうかという、これからの農業を占うといっても過言ではない挑戦をしている。

その一年目の農地がこの動画に写っている農地なのです。

ここまでトマトの苗が大きく、しかも健康に生長していることが確認できたので、ほぼ「1年目農地の挑戦」は成功したと思う。

ぼくがどれだけ喜んでいるかは視聴者には伝わらないとおもうけど、この挑戦が成功するかどうかによって、ぼくが耕作放棄地を契約していくスピードが2倍から3倍早くなる。これくらいの効果があることなのです。

なにか言い残したことがあるなーと思い、初めから読み直してみました。

ぼくがやっている農業は、やればやるほど地球の水が空気が土がきれいになる農法なのです。

野菜をつくりまくり、たくさんのお金を稼ぎ、従業員を増やし、のれん分けをして、かなんな農園の野菜がブランドになったとする。

その頃には大阪湾の透明度は増し、淀川や大和川には鮭が遡上しているかもしれないし、その支流には蛍が棲んでいるかもしれない。

ぼくがやろうとしている農業はこういう農業だ。

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2024年6月10日(月)
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先週末は仕事のために一人で伊勢にいっていた、詣ってはおらず。

帰る道すがら、ぼくは温泉に入って車の多い時間に休憩し、すこしの仮眠をとった。

そんなことをしながらのんびりと大阪のほうへ向かっていた。

夕方に車で走行するよりも、暗くなってから夜に走行するほうが眠気さえなければ効率がいいのだ。

温泉にまだ入っておらず、伊勢市街地を大阪に向かっていた頃、あるコンビニに入った。トイレにいきたかったのと、なにか飲み物を買っておきたかったからだ。

トイレを借りて、飲み物を購入して、さあでようかとドアに近づいたとき、一足さきにお店からでた親子連れのお母さんと少年がいた。少年といっても中学生くらいだろうか。背が低いと言う感じではなく、お母さんと同じくらいの背丈になろうかというような親子連れだ。

お母さんがさきに手動のドアを開けて外にでて、外にでると自分の息子がドアの外にでるまでドアをもっていた。

その息子さんから離れること2メートル程度か、ぼくはドアに向かっていた。

するとそのお母さんはぼくがドアのところにいくまでのおよそ1秒くらいのあいだ、ドアをもったまま待っていてくれた。

連続してでていくならまだしも、すこし間をおいてでていこうとするぼくのためにドアをもっていてくれたのはとても嬉しかった。

ありがとうと伝えたうえで、ぼくはそのドアを受け取り、ぼくのあとからでる人のためにドアをもった。

こんなふつうの出来事に感激するようになったのは、大阪に住んでるからじゃないだろうかと考えることがよくある。

大阪、とくに大阪市内では、ドアを持ってくれる人は皆無だ、いるんだろうけどほとんど見ない。

ぼくは意地でもやっているが、大阪市内ではドアをもってくれる人に出会ったことがない。これは本当の話なんです。

ドアを持っていたとしても、ありがとうの一言もないし、会釈すらされない。

いま日本人はまわりの人間への気遣いを忘れていると思うが、大阪はダントツトップ独走中だ。

ビジネス界隈で一時、大阪だけ景気から取り残されているという話を聞いたことがあったが、あたりまえだろうと思った。

全員矢印自分向きなんだから、そんながめつい奴らを相手にしてもビジネスではなんの旨味もない。

大阪は商人の町?ふざけんな。ただがめついだけです。

新渡戸稲造さんの本にこんなことが書かれていたのを読んだことがある。 「日本人は商売が下手、なぜなら契約というものをないがしろにするから。」

これにはおおいに賛同できる。

契約からはずれたことをしようとして、なあなあで済ませようすることがたくさんある。個人のレベルでも、法人のレベルでもそうだ。

商売が下手な日本人のなかでも、突出して商売下手な大阪人と一緒に仕事をしているとき、自分はこうなってはいけないと戒めるとき四面楚歌を感じることがある。

都会だからか?と考えてもみるが、東京へいったり、関東のほうをまわったりしているとき、(とくに横浜!!)人情味はあるし、会釈もするし、言葉はやわらかいなと感じる。

大阪からすこしはずれて、今回の伊勢、京都、神戸あたりにいってみてもやはり、大阪とは決定的にちがうと感じる。

これはなんなんだろうと疑問に思うと同時に、これを治すにはどうしてらいいのかと考えてしまう。

教育か、
政治か、
宗教か、
そのほかには?
どうやってこの大阪に人情を取り戻すことができるのだろう。

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2024年6月9日(日)
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土回収の仕事のために三重県は伊勢市まで足を運んできました。

家族で旅行とはいかなくても、一人でトラックで遠出となると、朝からテンションがあがる。

奈良県から三重県伊勢市までを結ぶ国道166号線は、よく整備された道路で、トラックの荷台が空っぽの往路はとても快適に走行することができた。

おそらくは大型トラックの通行を地元民が嫌がるためか、それを避けるためかのように、道幅の狭い道路がごくたまに出現する以外はとても快適に走行できる。

ましてやバイクともなれば、紀伊山地の急勾配なんかも逆に楽しめるのでしょう、ツーリングを楽しむ男たちに幾度となく道を譲る川崎でした。

じつはぼくはツーリングを楽しむバイカーたちに道をゆずるのが大好きだ、なぜなら彼らは譲られた道を通過するとき、ほとんど全員が手をあげるなどの会釈をしてくれるからだ。

ぼくの乗る2tトラックはハイスペックでもなんでもない、平成時代のトラックなので紀伊山地の急勾配を登るときには、はっきり言って抜かされまくる。

そんな情けないトラックがせめてもと思い、路肩いっぱいに寄せてハザードランプを点滅させながらエンジンを唸らせているときでさえ、彼らは手をあげて「ありがとう」を伝えてくれる。

それだけで世界はうまくまわるような気がする。

ところで、国道1号線といえば江戸時代から続く東海道が前身だ。

国道25号線といえば大阪難波から名古屋を結ぶ古い街道が前身なのだろう、もとはなに街道だったのだろう、調べたことがない。(いま調べました、奈良街道とか大和街道と呼ばれていたそうな。)

国道にはランク付けがされているって知ってましたか?

ぼくはさっき知りました。

▼直轄国道(1桁と2桁の国道)
▼補助国道(通称3ケタ国道)

▼直轄国道 国土交通省がたくさんのお金をだして新設や管理、修繕を行う国道
▼補助国道 国土交通省がほぼお金をだしてくれない国道

こういうことを考えるとぼくがこの週末に通ってきた国道166号線は三重県と奈良県がお金をだしあって完成させた道なのだろうと思う。

このときの出来事がノンフィクションで記載されている本などないものかと気になったニワカ国道ファンのおっさんより。

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2024年6月3日(月)
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サッカーを子供たちに教えていたときは、いやおうなく朝にジョギング(子供たちとミニゲーム)をしていたのですが、最近では朝のジョギングの時間がとれず、もっぱら仕事のあいまにウォーキングをしております。

ウォーキングをしているときに、最近ではビニール袋と火バサミを持ってゴミ拾いをしている。

最近では、小学校の児童たちの登校時に街角にたつ見守り隊をほぼやめてしまったので、ゴミ拾いをする時間がなくなったなーと思っていたのですが、ああそうだこのウォーキングのときにやってやれ、ということで始めました。

話はかわりますが、

ぼくは瞑想というものをたまにやります。

本当のほんとうにその数分間でなにも考えなかったことは一度もない。

なにも考えないというのはこんなにも難しいのか、と思いつつもなにかの本に、なにも考えない状況にしようと努力することが大切だと書いていたので、それを実践するようにがんばっています。

ゴミを拾うときのその感覚は瞑想に似ているものがあります。

▼ゴミの角度と火バサミの角度を考えて、歩く速度をおとさずにとろうとすると、それ以外のことは考えなくなる、からだろうか。

それとも、

▼ゴミ拾いをしていると、人からの視線を感じることがたくさんある。その視線を気にせずに、無心になろうとするからだろうか。

今日感じたのはこのどちらでもない。

人から感じる視線以外に今日は、おじさんが自転車ですれちがいざま、ごくろうさーん、と言ってくれた。

人から感謝の目で見られることなんてあまりないと思うが、人から感謝の目で見られること自体、なにか瞑想にちかい作用を持っているんじゃないだろうかと感じた。

人の世で生きる限り、人から感謝の目で見られることが悪く作用するわけがない。

ゴミ拾いがどういうふうに作用して、ぼくらの人生をよくしてくれるのかはまだよくわからないが、明らかにいいと感じる。

しかも誰もやろうとしない。

これこそビジネスの基本なんじゃないだろうか。

明日も拾いまくります。

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2024年5月31日(金)
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禍福あざなえる縄のごとし。

とか言っちゃうとかっこよくなりますが、いやな人に出会えば、素晴らしい人に出会うという波は、人を人生の虜にするのに一役買っていると思われる。

40歳をすぎて、嫌な出来事があると(それは死ぬほど辛い出来事じゃないから言えるのだが)、かえって次に必ずやってくる福が楽しみになる。

嫌なことがあるとそんなわけでニヤニヤしている大人も少ないかもしれない。

一生かかってもおよそ到達できないであろうゴールをずいぶん前に設定し、それに向かって邁進してきた。

その中では必ずといっていいほど、禍のあとには福がきた。

波が小さくなって、もうだめかもと感じるときでも必ず大きな波がきてくれた。

▼熱のあるものはすべて電磁波というものをだすのだそうだ。

光はすべて電磁波なのだそうな。

そういうわけで、ぼくたちのからだも電磁波を発しているのだそうな。

太陽が光という電磁波を発しているように、光っているように見えないこの地球も電磁波を発している。それがよく聞く放射冷却という現象のもとになっている。

ぼくらの住む世界は波に満ち溢れている。

だから海で波をながめていると、心うばわれてずっと見てしまうのかもしれない。

先日出会った、尊敬に値する66歳のおじさんでさえ、良いときと悪いときの波があり、そんななかでも人は仏教やキリスト教、イスラム教などの宗教にすがりついてでも気分よく生きていこうとする。

気分よくなれば気分がわるくなるときがあるのを人はよく知っているはずだ。

いい人になろうという波は、もしかするとわるい人になろうとする波につながっているのかもしれない。

幸せになろうとする波が、もしかするとウクライナやイスラエルの戦争につながっているのかもしれない。

でも、そんなことは全部すっ飛ばして、

ぼくは地球の水や空気が汚れていくのに我慢がならない、そのために明日も畑にいって、無農薬無肥料の野菜を栽培してこようと思う。

ぼくは波をたてているが、その波が地球環境改善の波につながっていないのなら、一瞬でやめようと思う。そのために一人でここまでやってきた。一人でやめたとしても誰にも迷惑はかからない。そういう目で自分がやっていることを注視してきて10年以上が経ったが、いまのところこの波は目標にむかって進んでいるように思う。

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2024年5月29日(水)
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たまーにあほなお客さんに出会うことがある。
2年に一回か3年に一回くらいのペースなので、なんとも思わない。

そんなときには必ず、お代金をもらわずに帰ってくる。

お代金をもらわずといっても、そんなお客さんがあほになっちゃうのは少額のときだからなんのことはない。

なかなかビジネスに百戦錬磨の川崎は、土回収の仕事をするとき、
▼まずは見積もりする
▼金額を伝える
▼この金額でいいかどうかめっちゃ確認する

この確認作業の間に、挙動がおかしい人には即座に「それじゃこの金額でご検討くださいね〜」と言って立ち去る。

なぜなら、けっして高くないぼくの見積もり金額で納得できないのは、自分の財布事情しか考えてないことの裏返しであることがほとんどだからだ。

そんなところで仕事をしたとしても、満足なんかしてもらえるはずはない。

満足してもらえる方法は、自腹を切るくらいしかない。

そんなのはビジネスじゃない。

今日はそんなことを考えられる現場でした。

なにかの会社か公務員の寮に呼ばれたぼくは、トラックをその寮の前につけた、幅の広い道路で、近隣の迷惑にもならなさそうだ。

ベビーカーに赤ちゃんをのせたお母さんが一階におりてきた。

ここにありますと通された共同駐車場の一角で、プランターを見せてもらい、園芸用土の回収の見積もりを済ませた。全部で4,500円です。

OKですか?(ここでもうひと押し確認しておくべきだった)

OKです、とのことなのでそのまま作業をしていた。

作業自体は20分程度で終わっただろうか、業務を終わらせて、片付けをして、ゴミをまとめて、精算をしにいきました。

すると、日陰でベビーカーとともに待っていたお母さんは暗い表情、主人とメールしていて4,500円は高すぎるといわれた、2年前に見積もりしてもらったときは2,200円だったから2,200円にしてほしい、と主人が言ってる、とのこと。

この時点で、あ、あほやなと判断。

見積、受注、発注の関係から攻めようかとよぎったが、やめ。

代金をもらわないことを判断した。

これからおまえがいろいろと痛い目に遭って学んでいかなければいけないのに、なぜぼくがその手助けをしなければいけない、もっともっと大きな状況で痛い目に遭ってください。

ていうか、もうすでにご主人ともども痛い目に遭ってるからこの寮に住んでるんでしょ。

とか、このほかに百行くらい書ける文句をすっ飛ばして、まず初めに言わなければいけないのは、

「おまえOK言うたやん。。。」

その舌の根も乾かんうちに、ようその表情でそれ言えたな。

あほすぎる。

無料でお願いしますと言ったとき、え、いいんですか、とかなんとか言ってたけどもうそこからは顔すら見ずに伝えたのでラッキーと思ってるのかどうかもわからないが、ベビーカーの音を聞くとその赤ちゃんが不憫でならなかった。

お金の流れなど一切教わらず、その子も将来、見積、受注、発注の流れすら知らずに大人になるのじゃないだろうか。

同じ大阪市内での移動とはいえ、2tトラックに乗った大人の男がやってきて、2,200円。。。

回収する土の量は置いておいて、おまえなら2、200円でこれをやりたいと思うのか?

そう、たぶんそういう人は自分の財布事情以外の事情は全部無視なんだと思う。

だから、もう二度と電話してこられないように、かなり辛辣な言い方で、無料を伝えるのです。

知ってるか、この事業を合法的にやってるのたぶん日本でおれ一人だけやで。どんだけ困っても二度と電話してこんといてや。

わかるか、ぼくは地球環境を改善するために、戦争がない世界を実現するために農業に取り組んでいる。農業でやっていけないのは周知の事実だから、ぼくは畑を使って稼ぐ方法を探し、この土回収の事業をすすめてきた。

矢印全部自分向きのおまえには一生かかっても理解できないやろけどな。

敬称略、笑

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2024年5月26日(日)
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昨日の花の苗一つ50円アウトレットセールの入荷は楽しかった。

ラインオープンチャットでぼくが、「ガメつい奴もおええ編」を配信したからか、買いにこられるみなさんは和やかで、笑顔であいさつを交わしていた。

ぼくが「あいさつせえへんやつもおええ」とか「会釈すらできへんやつ買わんでええ」とかわめいたからだとは思うが、そうやって無理矢理実現させた挨拶を交わす世界、一見すると理想の世界のように見えた。

そうやって無理矢理実現させた世界っていうのはどんな状況でもあまり長続きしないのは世の理だろうと思う。

でもいまの日本にはこの世界が必要だと感じてしまう。

とくに関西では礼が死んでいる。

それを改善するにはどうしたらいいのかと考えながら、この花の苗一つ50円無人アウトレットセールを盛り上げていこうと思う。

昨日、花の苗を駐車場に置きにいった際、女性のお客さんが7人くらいすでにお待ちでした。

その人たちと和やかに談笑していたときに、一人だけ男性がいらした。

「川崎さんと話してみたかったんですよ」と言ってくれたその男性は家電製品のデザイナーをなさっている、(おそらく)30代のなかなか男前でした。

女性のなかに自然と入っていけるような柔らかな雰囲気を持つその男性はとても魅力的で、そのまま立ち話で20分くらい話したでしょうか。

またあの駐車場で会って話したいと思う人でした。

ぼくのやっていることに興味を持ってくれる人はこの男性のほかにたくさんいるが、スタンドFMでひとりしゃべりをしたり、こうやって作文することによって、興味を持ってくれる人に対して伝え方が明確になっていっているように思える。

いままでは「こんなこと話したところで伝わるわけない」と考えていたので、せっかく興味を持ってくれる人がいてもあまりうまく伝えることができなくて、みなさんぽかーんとした顔をしていたように思う。

でもそれは言葉が理解できないのではなくて、ぼくが伝えようという気がなかったからなんじゃないかと思い始めている。

こういうときに最近よく使う言葉はこうだ。

▼いまの世の中の問題は、稼げば稼ぐほど地球が汚くなっていくのが問題だ。
▼ぼくがやっている農業のやり方なら、稼げば稼ぐほど地球はきれいになる。
▼あとはぼくが稼げば稼ぐほど才能が集まってきて、自然と地球がきれいになる。
▼ぼくがやろうとしているのはこんな感じです。

伝わったのか伝わらなかったのかは永遠にわからないが、少なくとも話は続いた。

その男性との会話はぼくが切り上げなければいけない時間まで盛り上がっていたと思う。

これまでの16年間は野菜すらほとんど収穫できず、収穫もできていないのに夢を語るのもどうかと考えていた。

それはそれでよかったのかもしれない、ただもくもくと研究する時間だったのだから。

でもこれからはもっと話さなければいけないと思う。

もっともっと話してたくさんの人と一緒にいかなければ到達できないゴールだと思う。

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2024年5月25日(土)
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静岡県沼沼津市にお住まいの女性からある日電話をいただきました。

いろいろと探しまわって『もうほかにはない』という感じの声はなぜだか聞き分けることができます。声が明るいとか暗いとかではなく、説明するのは難しいのですが、聞き分けることができます。

いろいろ調べたこと、
お住まいの自治体では引き取ってもらえないこと、
一か八かで電話してみたこと、

説明してくれる言葉にはどこにも曇りはなく、『ザ、正々堂々』のような感じを受けました。

ぼくは滅法そういう声に弱くて、それほど量も多くないし、静岡県から大阪まで運賃もばかにならない。

ましてや、本人は真っ当に処分できる方法を求めている。

そういったことからぼくは無料で回収することを決めました。

無料で回収する際に気をつけていることは
・土が完全に根っこや鉢底石と分別されていること。(めちゃくちゃ質問する)
・土の量が少ないこと。
・運賃がかさむこと。
・いい奴

以上の要件を電話している間に確認しまくり、最後に
・Googleマップのクチコミを書いてくれること
を了承していただいてから無料で園芸用の土を回収できることを伝えます。

土が自宅に届いて、段ボールをあけると沼津市指定袋が入っていました。

観葉植物に使われていたというその土は、大切に使われていたんだなと感じさせる佇まいで段ボールの中におさまっていました。

園芸用土の処分にお困りの人はDMください。

とにかく早くっていう人はお電話ください。

かなんな農園 川崎康裕
090-3941-7360

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2024年5月20日(月)
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この週末も畑作業にあけくれてきた。

といっても、朝から晩まで作業していたわけではなく、午前中だけ畑にいていろいろやっていた、という感じです。

この15年間、手をかけずに自然のなかで作物を栽培する方法を研究し、失敗しまくってきたけど、野菜ができはじめて、さて作物を増やしていこうかとなってきたこの段で、多くの失敗が活きている。

どういうふうに苗を植え付ければ、雑草ボーボーのなかでも野菜を土に活着させることができるのか。

この週末に活きた経験とテクニックだ。

要約してみるとこんな感じだ。

▼刈っておいた雑草を土の上に被せて、土が乾かないようにする。(土に直接日光があたらないようにする。)
▼苗を水のなかに浸けて最後の水やりをする。(できれば水道水ではなく、桶などにためておいた雨水を使う。)
▼たおれている雑草を鎌や手でグリグリしながら、苗を植えるための隙間をあける。

▼その隙間から見えた土の部分にある、まだ生きている雑草の根っこを鎌で傷つけていく。(鎌を土のなかにもぐらせながら。)
▼このとき、ムカデの出現に気をつけましょう。
▼鎌でほぐした土にスコップをさしこみ、苗が植えられるような壁を土のなかにつくる(穴ではなく壁っていう感じ)

▼スコップの形に湾曲した壁に、育苗ポットからとりだした苗を押し付ける。(苗の根っこと壁が密着するように)
▼壁と反対側の苗の根っこにも土をかぶせてやる。(このときもすこし押し付ける感じで根っこと土を密着させる。)
▼さきほど隙間をあけるためによけた(枯れた)雑草を苗の根元に寄せる。

▼苗の根元に寄せた雑草が、苗の葉っぱの下になるように寄せる。
▼苗の根元に寄せた雑草のおかげで、雨が直接土にあたらないように寄せる。
▼苗の根元に寄せた雑草のおかげで、雨が土にあたったときの、土の跳ねっ返りが苗の葉っぱにつかないように枯れた雑草を寄せる。
▼このとき寄せた枯れ草の隙間から、土が見えている状態だとよくない。


さきほど作文を始めたあと、自分のなかにあるコツのようなものを文章にしてみようと考えて書いてみたのですが、まさかこんなにもあるとは、、、だてに15年間ミスしまくってないな。笑

たとえば数年後、入社してくる従業員がいたとして、こんなたくさんのことを1日で教えても絶対に伝わらないなと感じることができたのは、ものすごい大きな収穫でした。

ありがとう、作文。

しかも、いままで何人かの興味のある人たちが畑にきて、作業を教えたりしたのだけど、その人たちがぼくの説明を飲み込めなかったのもそのせいかと、やっと気づくことができました。

そして、
最後に一番むずかしいコツで、一番大切なコツをひとつ。

▼上記の苗植え付け作業を、雨が50mm以上降る直前(24時間以内)に行う。

この一番難しいコツは、自分が住む地域の空模様と、気象庁の天気図を少なくとも5年以上観察しなければいけないと思う。

昨日5月19日(日)の朝7時頃から植え付けたミニトマト50株は、同日朝11時頃から半日以上降り続いた雨のおかげで、すべての苗が活着したと思う。やるやんけ川崎。この調子で6月上旬くらいまで植え付けをしまくろうと思う。

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2024年5月13日(月)
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夏野菜を植えたいと考えている農家はこの5月の天候が狂おしい。

この5月には必ずといっていいほど、寒の戻りがある。

5月に入ってまで「寒の戻り」という言葉が使えるのかどうかはわからないが、今週の雨のように冷たい雨が必ず降る。

低気圧からのびる寒冷前線が日本列島をなめるように横断していく。

おそらくは季節風の影響でこんな前線の形になるのだろう、ここはもっともっと勉強しなければいけない。

この寒い前線が去ったあと、すこしのあいだ五月晴れが続いて、そのあとすこしジメっとした雨が降る。

このジメっとした雨の直前に、夏野菜の苗を植えて、びしょびしょに濡れた土の中に根っこが活着する、というのが最善の筋書きなのだが、これがなかなか難しい。

じめっとした雨のあとには、初夏を感じる湿り気とその匂いが空気を覆う。いくつになってもワクワクさせられるあの夏の匂いを伴った空気は、それが来る前に予告してくれないからだ。

天気の勉強を欠かさず、天気図と空の観察を欠かさないぼくでも、読めない。

でも、今年の5月は初めて読み切れたかもしれない。

今日5月13日の大阪は15時頃に雨があがった。

その空気のなかにわずかながら、あの夏の匂いを感じることができた。

気象が荒れている昨今、このまままた寒い日が帰ってくるのかもしれないが、今年はあの夏の匂いに賭けてみようと思う。

次の低気圧が大阪を通過する前日に夏野菜の苗を植えまくる!!

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2024年5月11日(土)
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今日は朝からぐたーっとしました。

ジョギングもせず、朝ごはんは味噌汁だけ。

お昼ご飯を食べたら、めっちゃ昼寝をし、ちょっと目覚めたら本を読み、また目をつむったりしました。

そして15時頃になってようやく家族四人で市民プールに泳ぎにいきました。長女はすでにぼくよりも泳ぎが達者なので、二人で5往復してクタクタに疲れてきました。長女はけろっとしているが。

プールに併設されたジャグジーに入って、シャワーを浴びて、アイスクリームを食べて外に出ると、五月晴れの青空、もうすこし湿気が増えてくると、初夏の感じになるんだろうなーと考えながら、自転車で帰って来ました。

明日はこの春何回目かのヤギ放牧。
毎回生えている草がかわるので、どんな種類の草をヤギが好むのかを観察するのが楽しくて仕方がない。

観察を楽しくしてくれる要因のひとつに『音』がある。

それはヤギが草を食むときの音なのですが、ボリなのかゴリなのかよくわからない低い音がヤギの口から聞こえてきます。

あの音の癒し効果ったら半端なくて。

もしかすると口から聞こえる音なのではなく、ヤギの第一胃が反芻するときの音なのかもしれません。明日もいろいろなことを観察してこようと思います。

ヤギでは役不足のため、やはり牛か馬を放牧できないかと考えている川﨑でした。

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2024年5月9日(木)
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土を覆い隠さなければ!!というあほみたいな基本に立ち返り、今日は時間がないなか、朝10時30分からお昼すぎまで畑作業をしてきました。

草刈機をトラックに積んで、ガソリンの携行缶をのせて、さて畑にむけて出発!!と、その前にぼくは今日、道具屋さんに向かいました。

いつも利用している堺市の丸武道具堂、ここにくると道具を見るのが好きな人なら一時間は軽くいられんじゃないでしょうか。

それほど道具に興味のひかれないぼくでさえ、お目当ての道具にたどり着くまでに、あれ、これってどういう風に使うんだろうとか言って立ち止まったりしてしまう。

あれこのアシックスの作業靴、爪先に鉄はいってんねや、耐電とかもあるのかな、とか立ち止まってしまう。

そしてなんとか目当ての道具のところまでたどりついた。

今日のお目当ては、
レーキ
RAKE
馬鍬とか熊手とか呼ばれるあれだ。

じつは1年前くらいから、欲しいなとは思っていた。
必要かもと思い始めたのは2年くらい前だったかもしれない。

草刈りをしたあとの草を畝に効率的に乗せていくためにはあったら便利なのはわかっていた。

でも究極の貧乏性のせいなのか、ギリギリまで買わずにいることが多い。

ギリギリまで買わずにいると、道具の神様(大黒さんと呼ぼうか)が見かねて偶然を装ってそれをぼくにまわしてくれる。

話はそれるが、ぼくのかばんには楽天の端末がある、ケータイよりすこし小さいかなというくらいの大きさの端末で、これでお客さんのクレジットカードからお金をいただいたりする。

いままではこの端末を、すこしぶかぶかのジップロックに入れていた、そうするとやっぱりブカブカなため、きれいに折り曲げたとしても袋の端っこがかばんのジッパーに噛まれたりする。

ぴったりのジップロックほしいなーという呪文を唱え続けて半年ほどもたったある日(つい先週)、大黒さんがぼくのお客さんと打ち合わせをしてくれたらしく、お客さんのお支払いのときにそのジップロックはお金をいれてぼくの前に現れた。

おーきにお客さん
おーきに大黒さん

そうこうしてぼくはこのレーキを買おうと決めるまで1年以上がかかりました。

大黒さんにも電話してみましたが、いやそんなんいうたかてレーキなんか持ってるやつおれへんやないか、とか言ってました。

大黒さんも円安で大変なんやなと勝手に納得して、電話を切ったときにぼくは決心しました。

よし買おう。

あの道具屋さんへ行こうと。

そして今日行ってまいりまして、無事に購入することができました。ものすごい大切に使っていこうと思います。

畑に到着して、あらかた草刈りを済ませた。レーキの出番だ。

刈った草をまとめるために買ったレーキでしたが、それはもう役にたつことたつこと。

草ってレーキを使うとこんなにもローリングするんだ!と感動し、のせるわのせるわ、土が露出していた畝にのせまくってきてやりました。

明日の昼間にもすこしやれば完璧に土を覆い隠すことができると思います。

明日の朝の朝露で濡れた地面は、太陽があがっても草で遮られて太陽光線があたらず、水分は蒸発しません、それどころかずっと湿っているので、地面の中からあがってくる水分により、もっと湿り気を帯びることになります。

こうやって四六時中濡れていて、しかも水捌けがいい土に土壌微生物はたくさん棲息します。

こんな基本を忘れてたー、1ヶ月間もったいなかった。

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2024年5月7日(火)
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畑で感じたり、本で読んだりして、

無農薬農業にとって土壌微生物がなくてはならないものだということは知っている。

知っているし、実践もできている。

と思ってました、ミスするまでは。

ぼくがやっている無農薬農業でミスがわかるときは、ゆっくりとあらわれる。

ゆっくりすぎてそれがミスなのだと気づくまでに、普通の社会人では比べ物にならないくらい時間がかかる。笑

むかしテレビでやっていた、絵が映し出されて、その絵は時間をかけてゆっくりとなにかが変化する、たとえば色とか形とか数とか。なんかそんなクイズをだす番組ありましたよね?

まさにあれと同じで、ぼくの畑でのミスはゆっくりと時間をかけて目に見えてくる。

今回のミスの現場は通称、富田林1号地だ。

新しく契約した農地で、新しいからこそ一年目から竹炭を利用して作物を栽培できるかどうかを試していた。

ショベルで畑を掘り返し(ほんとうはこんなことしたくないけど)、掘り返したときにできる穴にたくさんの竹炭を埋め込み、その上に土をのせる。そのまた上から竹炭をたくさん投入した。

これでおそらく無農薬無肥料で作物ができることはいままでの実験が証明してくれている。

と思った2ヶ月前にはすでにミスを犯していたのだ。

竹炭の上にのせた土は露出していて、2ヶ月をかけて灰色になっていた。

そこでぼくは枯れた草を大量にその上に載せるべきだったのだ。

それはなぜか、枯れた草が土を覆うことで土が湿気を帯びる。

土が湿気を帯びると土壌微生物がそこでも棲息することになる。

土壌微生物が棲息するようになると、そこの土はフカフカになっていくし、種をまけば発芽するようになる。

種をまいても土壌微生物は発芽すらしないのだ。

そんな基本的なことをぼくは、種をまくまで忘れていた。

ばかばかばかbkbkbk

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2024年5月1日(水)
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今日の天気図は本当に理解できない。

これだけ前線から距離があるのに、雨が降るというのが理解できない。

ひとつ考えられるのが、中国上空にある高気圧の勢力が強くて北朝鮮から北海道にかけて気圧の谷を形成しているから、前線と気圧の谷のダブルでこんな雨天になっているのかもしれない。

でもこれに対して明確な答えを得られるわけではない、普通の人はこんなところに疑問を感じてさえもいないからだ。

春の天気は読みにくいとはいえ、こんなミスをしていたら、本当に種植えをしたかったときや、苗を植えたかったときには、ものすごい大きな時間ロスになる。

今回のことで言えば、ぼくの予想では今日からゴールデンウィークをまたいで、雨は降らないとしていた。だからまだ良かったものの、雨の合間を縫った作業を予定していたとしたら時間ロス甚だしい。

毎日、天気図と空を観察しているが、ときどきこういう間違いがある。

そのうえ、天気図がなければぼくは天気の予想ができない。

天気予報というのはなかなか嘘の多い情報だが、(休みのときに0%と言っていて、少しでも雨が降ったら誰しもおこるよね。)天気図というのはほとんど嘘をつかない、嘘はつかないが間違えるときはある。

ぼくとしてはその間違いすらも予測したい。

天気だけではない。

風、日光、気温も手に取るように予測したくてたまらない。

やはり気象予報士の資格勉強をするのがいちばん手っ取り早いと思う。

つぎに図書館で予約する本はそれにしよう。

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2024年4月28日(日)
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第一回ふれあいヤギ体験@かなんな農園
無事に終了しました。

第二回は2024年5月を予定しています。

第一回目はうちの子供たちを連れて、実験してみましたが、大成功でした。はっきり言って・ヤギ🐐・農地・草🍀・木🌲・農水路があれば、子供たちにはほかに何もいらないことを実感しました。(勝手に遊ぶ!!)

【反省点】
▼日陰が必要
💰お金をいただいて、子供たちを満足させるためには1時間やそこらではいけない。2時間とか3時間とか、親の手がかからない環境で遊ばせることが必要。そうしようと思ったら日陰が必要。 キャンプ🏕用のタープが活躍すること請け合いだ。

▼イスが必要
遊びまくって休息、遊びまくって休息を5回くらい繰り返して、帰りの車に乗り込んだ瞬間に眠りに落ちる、くらい遊ぶことができて『大成功❗️』になるのだと確信した。
 そのためには効率的に休息、給水してもらうためのイスが必要だと感じた。これもキャンプ🏕用のイスが活躍するはずだ。


【気づいた点】
▼子供は勝手に遊ぶ
ヤギに飽きれば、畑で野草を探し、野草に飽きれば木に登り、また飽きればヤギに戻ってくる。そうやって好奇心に任せて遊んでいる状態が一番いいのだと気づいた。

▼たとえば幼稚園のふれあい体験
幼稚園などに営業して、農地に来てもらい、園児にはたくさん遊んでもらう一方で、先生方には効率的に休憩をとってもらう。先生方がクタクタに疲れているようではリピートはないはずだ。
 そのためにもタープやイスはこれから必須にたるだろう。

▼まだまだ虫は少なかったけど、
これから虫が本格的なシーズンになり、それに伴ってヘビなども活発に動き始めることになる。虫が好きな子供には安全に遊べるように、虫が嫌いな子供には蚊帳のようなものがタープに取り付けられていれば最高だろうと思った。

▼ヤギと子供を遮るネット
ヤギが突進してこないようにするための何かは必要なのだろうか、それとも無くてよいのか、これはまた次回に見極めたい。安全のためにはネットはあったほうがいいかもしれないが、ヤギなんて大人しい動物だ。今回のようにロープにつなぐだけで十分で、しかも触れ合っているという感覚があっていいように感じた。
 ネットでなくても、なにかロープのようなものでヤギゾーンと人間ゾーンを見える化するだけで十分なのかもしれない。

第二回は来月、2024年5月。

来月もたくさん実験しよう。そのときは他にもたくさんの子供たちを呼んで最後まで責任を持って運営してみよう。本番だ!

#かなんな農園 #ヤギふれあい体験 #河南町 #無農薬の農地

無農薬無肥料のキヌサヤを自宅前で直売します。

今年初の直売なので、すこし安めに100g300円で販売します。

自宅前での無人直売所です。
(Googleマップで『河南菜農園』と検索すると大阪市内の住所がでてくると思います。)

あまり使いたくないビニール袋に入れて置いておきます、一袋300円になるように分けておきますので、お代金は貯金箱の中へお願いします。

このキヌサヤは自家採取5年目くらいですので、胸を張って固定種ですと言えます。

このほかにスナップエンドウも収穫するつもりですが、こちらはまだ一年目です。

こちらのキヌサヤ、野菜嫌いの子供たちもたくさん食べます、サッとゆがいてそのまま食べるかマヨネーズかが一番おいしいと思います。

ぼくはゆがいてそのまま派です。

かなんな農園では
▼無農薬
▼無肥料
▼耕しもせず
▼水やりもしない
やり方で農業をしています。

地方発送もしておりますので、ご希望のかたはDMくださいね。

かなんな農園 川崎康裕

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2024年4月15日(月)
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今日はコマーシャル回です。
瞑想のことを書いたりしてみようと思ったのですが、ちょっと眠くて眠くて。

無農薬のスナップえんどうを宅急便コンパクトにつめつめで発送しております。

何gになるか測ってないのでちょっと無責任ですが、一箱2,500円税運賃込みで地方発送いたします。

大阪市内の直売所に来られるかたには、その日とれた量に応じた価格で直売します。

無農薬とは言うものの、市場にでまわっている無農薬野菜のように「栽培期間中、無農薬」というわけではなく、ぼくが畑を契約したその日から農薬は使いません。

農薬を使わないということは肥料を使わないということにもつながります。肥料をほどこして余分な栄養を身につけた野菜に虫はつくからです。

余分な肥料分のないぼくの畑で元気に育った野菜には虫はつきません。

ブロッコリーなどのアブラナ科の野菜には虫がつきやすい印象がありますが、かなんな農園でとれるブロッコリーは畑で生のまま食べられます。

かなんな農園の畑では耕しません。いわゆる不耕起栽培です。

かなんな農園の畑では水やりもしません。農水路から水をいれたりもしないのです。

あきらかに健康的な野菜をぜひご購入ください。

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2024年4月13日(土)
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今週はなかなかバタバタしており、今日で作文しなかった日は4日間か。さぼるなよかわさき。

ぼくは花の苗を50円で無人販売しています。

そもそもこんなことを始めたのは、花屋さんが花の苗を廃棄していることを知ったのがきっかけなのですが。

そのときから、廃棄直前の花の苗をいただいてきては、大阪市内に契約している駐車場の片隅で無人販売をさせていただいています。

ただ花の苗を置いて、その横に貯金箱を置いて、さあここに50円入れてくださいというわけです。

たくさんの花の苗を入荷した日には、その貯金箱は10円や50円や100円でいっぱいになる。手で持つと少しずっしりとした重さを感じるくらい。

お客さんはみんな、その貯金箱を持ち逃げされたりしないのかとか、中身を抜かれないのかと心配してくださいます。

盗まれたことがあるかどうかは別にして、ぼくはそのお金が多少盗まれたとてかまわないと考えている。

いまのこの世の中、ぼくみたいな五体満足で生きている人間でさえ、社会のせいにしたくなることもたくさんあるし、ましてや障害をもった人や生まれつき性格に難のある人には本当に生きにくい世の中だろうと思う。

戦国時代のような理不尽さで命を奪われないだけましといえばましかもしれないが、その分の苦味を一生涯にわたって薄くのばして口に入れていくようなところがあるんじゃないだろうかと思う。

風邪が流行して、世の中は一段と変態さを増しました。

そんなおり、お金のない人がいたとして、今日食べるものにも困っていたとしよう。その人があの貯金箱を見つけてお金をとったとしよう。

ぼくはなにも言わない。とがめたりもしないだろう。

そんな生きにくい社会を横目に見ながら、自分のやりたいことに邁進しているからだ。言葉をかえると、そんな社会を本気で変えるべく何かに取り組んだりしているわけではないからだ。

そんな自分がなにをとがめられようかといつも思う。

ぼくが志す農業は、野菜をつくればつくるほど地球がきれいになっていく農業だ。

この農業を続けていくことができれば、まわりまわってこの社会の悪い部分を打破できると信じてはいるが、いま現在、政治家となってしがらみと戦っているわけではない。

少しのお金を盗もうとした人間にたいして、ぼくには文句を言う筋合いすらないというのがぼくの理屈だ。

今日、こんなことを作文したのは、実際にあの貯金箱にお金をいれてくださる方へ説明できるようになっておいたほうがいいかなと思ったのがきっかけです。

それではまた花の苗一つ50円無人アウトレットセールにおこしください。お買い上げのさいは貯金箱に自分で計算してお金をいれて帰ってください。盗んでいる人を見かけてもそのままにしておいてください。

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2024年4月9日(火)
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ぼくが書く文章を読んでくれている人や、一人朝礼(スタンドFM )を聞いてくれている人はよくご存知かもしれませんが、ぼくは昨年末あたりから若干のピンチでした。

ウェブサイトからの注文が極端に減ってしまったのです。

httpをhttpsにしていなかったという、ウェブ担当者ならクビレベルの失敗をおかし、この5年間くらいを過ごしてきた結果、11月頃から検索順位が明らかにさがって、それにつれて注文の数も激減していました。

結果としては、最近になって注文の数が回復してきて以前よりもよくなったくらいの感じなのでよかった。

でも今日の話はそんなことではありません。

そのピンチだったときに、クリアになった視界の話をしたいのです。

注文が減ろうが今年は竹炭を焼きまくるという目標だったので、注文がないなかでもぼくは竹林にいって竹炭を焼きまくっていた。

そうこうしている間にもお金はがんがんなくなっていきます。

そして春になったころには、朝、竹炭を焼き、午後からマクドナルドのデリバリーのバイトをするという日が続きました。

バイトをしていると言ってもそれほど稼げないので、お金はどんどんなくなっていきます。

3月が終わる頃には、このままいくと春の苗づくりのための種を大量に買うお金もなくなってしまいそうでした。

4月に入り、ぼくは本当にピンチを感じていました。

いままでせっかくがんばってきて、やっと無農薬野菜のつくり方がわかってきたのに、苗をつくることができず、今年の販売にトライできないのではないかという危機感が募ってきました。

募ってきました。

募ってきました、とはよく言ったもんで、いままでは他のいろいろな不安に埋もれていたその危機感が、ぽっかりと海の真ん中に突き出てきたのです。

他の言い方に変えると、いま自分がなぜ不安なのかがわかっていなかった、です。

お金がなくなることが不安ではなかったのです。

注文が入らないのがストレスなのではなかったのです。

それらができないと、苗を育てることができなくなるのが、一番大きくて深い根っこだったのです。

そんな折、注文が回復してきて、手元に現金が残るようになってきました。この状況にぼくは神様を感じずにはおれませんでした。

その神様はいいます。

「やっとわかったか。ほれ、これで種を買えるじゃろ。苗を育てられるじゃろ。わかったらはよやらんかいこのすかたん。」

口は悪いですけど、いいところもあるんですよ、うちの神様。

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2024年4月5日(金)
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子供のころからよく本を読む兄の影響を受けてか、ぼくもよく本を読む。

40歳をすぎた今、読書の習慣がついているのは本当に価値のあることだと感じる。

ストーリーも読むし、農業に役立つ土づくりのことが書かれた本もよく読むし、歴史や人類史、化学や科学のことなんかにも興味がある。

とても難しい内容の本は、図書館で借りては返し、借りては返し、何回かに分けて読むことにしている。

最近、読んでいる農業全書という本は、江戸時代にまとめられていた農業に関する知識や技術を、明治時代を生きた宮崎さんという人が本にしたもので、すべてが漢文というか古文というか、そんな感じの文章で書かれているため、読むのはかなり遅くなる。

でも漢字が使われているので、なんとなく意味がわかるのがうれしい。

野菜の栽培のことだけでなく、果樹の栽培のことや、土の見方や時節の読み方のことまで書かれているので、この本だけはなんども読み返して江戸時代の農業の基本を学んでいこうと思う。

このまえ読んでいたのは、「えんどう豆」の部分でした。

現代では豆科の植物の根っこには根粒菌という微生物がいて、空気中にある窒素を土のなかに固定する働きがあるということは周知の事実になっている。

もちろん根粒菌なる言葉は農業全書にはでてきませんが、かわりにこんな記述があります。

「えんどう豆などの豆科の植物は、比較的に身をつけやすく、その葉や茎を切って置いておくと、次に種ゆる植物の生育がよくなる」

うーむ、すごい。
現代の科学もすごいとは思うが、でもそれよりもすごいのは、先祖代々伝えられてきた経験則なのではないかと思う。

現代という時代に入って、数千年と伝えられてきたものが、ひっくり返されたような印象をうけるが、ぼくはせっかくこんな道を選んだのだから、現代にもまだ残っている先祖代々の経験則を蘇らせていこうと思う。

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2024年4月2日(火)
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啓蟄を過ぎ、三月が終わり、

4月が始まり、温かさを感じるようになると、桜が街並みの中で咲き始めてきた。

農業をやっている人間から言わせてもらうと、この桜ほど日本人がその価値を低く評価しているものはないんじゃないだろうかと思う。

でも今日は竹炭と土のことについて書こうと思うので、桜のことについてはまた今度にしよう。

4月に入り、今日は二日目、朝晩はまだ冷えるものの、昼間は暖かくなってきた。

畑に入るとツクシがちらほらと頭を見せている。

今年はこのツクシを真剣に食用にするためにたくさん収穫してみようと思う。

畑の横の雑木林の影にはシイタケの原木を置いてあり、そこでは早くもシイタケがとれた、少し焼いてもらって醤油をかけて食べる、味は最高だ。毒キノコではないようだ。

最近では竹林に足を運ぶ回数も減ってきた、4月になってから竹炭を焼くと熱いし、竹林の中は虫が出始めて、竹の間には蜘蛛の巣が張り始めている。

そういった理由から、やはり竹炭を焼くのは冬の間がいい。温かくなって気持ちがいいし、虫がいないので作業がしやすい、ヘビもいなければ蜂もいないので、危険が少ない。

かといって油断していると、竹の枝にビンタされたりして、説教されたような気持ちになる。

この冬は竹に何度もビンタされながらも本当にたくさんの竹炭を焼くことができた。

90Lのゴミ袋に百袋は焼けたんじゃないかと思う。

これができるようになったのは、『竹炭焼きワークショップ』のおかげだ。たくさをの人たちが来てくれたおかげで、竹林の中から大量の枯れた竹をとりだすことができた、一人では到底無理な量の竹だった。

そうしてできた大量の竹炭はもうすでにほとんどが畑の土の中に埋まっている。

こんなに大量の竹炭を畑のなかに埋め込んでいる農家は他にはいないだろうと思う。

農薬を使ったり、肥料を使ったりしている農家にはこれほどの大量の竹炭は不要だからだ。

ぼくはこんな農業をおよそ20年研究してきた。
▼農薬を使わず
▼肥料も使わず
▼耕しもせず
▼水やりもしない
こういうふうにして作物を栽培すると、地球はきれいになっていくし、とれる野菜は自然そのもので健康にいい。

こういうふうな農業をするときの土づくりに竹炭は欠かせない。

土と竹炭の比率は6:4〜7:3くらいに及ぶかもしれない。太古の昔にはこれくらいの炭素が土の中に含まれていたとぼくは想像するが、地球環境の改善を念頭に置いて農業を研究したところ、土の状態を太古の状態に戻すことになったのは何かの因果を感じる。

三月までにもっとたくさんの竹炭を焼きたかったが、これでもよくがんばったほうだと思う。今年の作物のでき方を確認して、来年はもっともっとたくさんの竹炭を焼いて、いい土を作っていこうと思う。

散文的に書くというのはこういう感じだろうか、書いていて楽しかった。

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2024年3月31日(日)
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ひさしぶりに1週間もあいだが空いてしまいました。
これからも精進してまいります。

春の選抜高校野球も佳境に入り、先日は準決勝で報徳学園が決勝進出を決めました。トラックに乗っていることがおおいので甲子園ラジオ中継をよく聞くのですが、そこに解説ゲストとして呼ばれているアマチュア野球の選手やOBからは本当に勉強させられます。

というのは、彼らはほんとうに話すのが下手なのです。

素人のぼくが聞いていても、
▼いまの言葉のわかりにくかった点、
▼もしも自分が解説する側なら、
▼そのために前もって準備できること、
を考えてしまう。

話すのが上手な人はみんな言う、「人の話を聞いて、そのいい部分とわるい部分を分析することが話し上手への近道」だと。

スタンドFMで話すようになったのはもう一年以上前で、その間、ぼくの話の仕方はそれほど上達したようには感じませんが、ただ、人の話(会話ではなくスピーチ)を聞くときに、
・今よかった点
・今わるかった点
を分析するクセが自然につくようにはなったと思う。

そしてそのときに考えたことを、話している最中にも心がけるようになったことは一つ大きく変わった点だ。

この分析するクセが、甲子園の実況ラジオを聞いていると、その解説の人の話し下手の影響でものすごい量を分析することになる。 それはもう本当にものすごい量で、9回表の逆転劇のシーンすら聞き逃すほどだ。笑

でも、甲子園ラジオ中継のすべてが話し下手なわけでは絶対にない、実況を担当しているアナウンサーの音声にはほれぼれするし、下手な解説者が答えやすい形の質問や問いかけにも感動する。そういった心遣いをしながら、的確なボールカウントやポジション名や選手名を交えて言葉で実況していく様は真のプロフェッショナルを感じる。

真のプロフェッショナルと、心底アマチュアの二人の熱闘甲子園がそこにはある。

ああ、すみません、この話をもっと盛り上げていってやろうと思っていたのですが、日曜日を持て余した次女が隣に座ってかまってほしそうにしているので、今日はここまでにします。

ごめんなさい!

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2024年3月23日(土)
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やさしい人もいれば、凶暴な人もいる、それは至極普通なことなのだという考えはぼくの中にもあるのですが、それはなぜ普通なことなのだろう。

家族環境や、学校の環境、土地柄、環境とひとことで言ってもそれは本当に多岐にわたる、人間関係の環境もあれば労働環境なども大きく人に影響を及ぼす。

温和な人と凶暴な人の境界線を勉強したいのではなく、どういうふうにすれば、全人類が争いあわずにその数を減らしていけるか、人類の数を減らして偏りすぎた多様性を元のようにもどせるだろう、ひいては水を空気を土をかつてのようにきれいにするにはどうすればいいだろうと、ぼくはいつも考える。

▼マオリ族とモリオリ族

西暦1800年代に、一族を根絶やしにするような大虐殺がポリネシアであったということを知ったときは本当に驚いたが、そんなことをいままで知らなかった自分にはもっと驚いた。

・マオリ族は農耕民族で好戦的。
・モリオリ属は狩猟採集民族で温和な解決方法を望む。

どちらも根っこはポリネシア人で、住んでいた場所や習慣なども同じルーツになるらしい。

1800年代のある日、マオリ族はモリオリ族の島にやってきて、あなたがたは私たちの奴隷だからと言って、殺し始めたらしい。老若男女区別なく。

殺されるだけでなく、奴隷として使われてから殺され、食べられたそうだ。

書いてるこちらがクラクラしてきそうな虐殺だが、こんなことを勉強しています。温和な人間と凶暴な人間を分けるのはどういった環境が要因なのか、「銃・病原菌・鉄」という本の第二章ではこのことに触れている。いままだ第二章に入ったところなのでまだ結論まで至っていないが、ジャレッドさんという著者がどのように結論づけるのかものすごく興味がある。

現時点でぼくの考えでは、昨今の争い事を観察していても、凶暴な人はほんの一握りで、凶暴だと目されているグループでもほんとうに凶暴な人はリーダーを含めたほんの一握りだけで、そのほかの人たちは恐怖政治で動いていて、やらなきゃやられるからやっているというところなんじゃないかと想像しています、間違えてるのかな?

そして狩猟採集民族になると人は温和になり、農耕民になると人は凶暴になる。食糧を保存することにより人格以上の権力が生まれて、権力を守るために凶暴にならざるを得ない。

現代農業から離れなければいけないと考えるのはこのためなのですが、現代農業から離れる方法(無農薬、無肥料、耕しもせず、みずやりもしない)はなんとなくうっすらとわかってきたので、現代農業から離れたあとの道のりを今のうちから考えておきたくて、こんなふうな勉強をしています。

第二章を読む前のぼくの考えは、
▼狩猟採集と資本主義、民主主義の融合
にあるのではないかなといったところです。

この考えがあっているということはなく、こんな感じで仮説を立てながらいろいろな本を読んでいると、自分の間違えていた部分を発見しやすいという利点があるからです。さて、今週末は雨だし、いまから第二章に突撃してまいります、どんなことが書いてあるのやら。

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2024年3月20日(水)
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こんな気持ちで畑作業をしている人なんていないんじゃないだろうかとよく考えるのですが、ぼくは水や空気や土をきれいにしたくて農作業をやっています。

農業をやりたくて農業を始めたわけじゃなくて、地球環境を元にもどすにはどうしたらいいかと考えて、それなら農業の形を変えるのが一番だね、ということで20年前くらいに農業に片足を踏み入れました。

いまでは片足どころか、胸までつかってるような状況なのですが、そういう状況になって初めて気付いたことがあります。

最終ゴールにしていた、地球環境を元に戻すということの向こう側にまだゴールがあるような気がしてきました。

人類最大の問題なのになぜかだれもトライしようとしない問題、「戦争を終わらせる」です。

現時点で戦争を終わらせる道筋はぼくには見えていなくて、でもそのかわりに戦争が盛り上がらなくすることはできるんじゃないか、たとえばこうしてこうしてこうしたら、民衆って逃げられるんじゃない?みたいなことを農作業をしながら考えていたりします。

戦争のことはこれからも研究しなければいけないなと考えながら、一通り考えたらつぎのことを考えます。

最近ぼくの頭によく浮かんでくることは、化石燃料がなくなったとき地球はどうなるんだろうということです。人類の数はいまでも多すぎると思っているので、多少減ってよくなるだろうと考えているのですが、そのとき人類があがくこと(争い合うこと)で地球が汚くなるのだけはぼくには耐えられない。

化石燃料がなくなったら、暖をとるのに人間は植物を燃やしまくるんじゃないだろうか、その過程で戦争が起きたりなんかしたら、せっかく炭素固定して畑に埋め込んでいる炭が燃えてしまうんじゃないかとか、一見わけのわからないことをえんえんと考えながら農作業に没頭しております。それならいっそのこと竹炭を川に流したくなってくる。水に濡れて海底にある竹炭はおそらく燃えないだろう。

せっかく地球をきれいにする農業の形がわかってきたのだから、できるだけ遠いゴールに着地できるようにさまざまなことを勉強して、人類はどこまで後戻りしなければいけないかということを勉強していきます。

その一環で、サピエンス全史などのいわゆる人類史と呼ばれる学問の本を最近ではよく読んでいます。いま読んでいるのは「銃・病原菌・鉄 ジャレッドダイアモンド著」です。

ぼくたち人類は現代の野生動物を殺すだけではなく、現在生きている野生動物の10倍もの種類の動物を殺しながら繁栄してきた、動物だけではなく、同じ類人のネアンデルタール人なんかもどうやらぼくたちホモサピエンスは殺してきた。

そんな背景から、ぼくたち人類は争いあう動物なのだと結論づけられているが、でもそうじゃないんじゃないかと思う。

ぼくやまわりの人間は争うのが好きな人はいない。外国人の友達もそうだ。日本人だけではなく西洋、アジアに住む友達もみな争うのも好まない。ほとんどの友人がそんな感じだ。

そこからうっすらと導き出される答えは、
▼争いあうことが好きな人はごく少数。
▼とはいえ弱肉強食の世界なので争うのが好きな人が勝つ。

第二次世界大戦中のアメリカ兵で一度も発砲しなかった兵士は80%にのぼると言われている。ほんとうに附に落ちる。

これらのことから導きだされるぼくの課題は、
▼争いが好きではない人が優位な世界をつくるにはどうしたらいいか。
この課題に農業を絡めながら、ぼくは明日からの農作業に没頭しよう。

だれも取り組もうとしない問題に、まっすぐに悩む自分を少しだけ誇りに感じながら。

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2024年3月17日(日)
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確定申告のおかげで作文するのが一週間ぶりくらいになってしまったという気持ちとともに、こうやって書き始めると心の底から喜んでいる自分がいることに気付いて、これにはすこし驚かされます。

そもそもこうやって作文を始めたのは集客のためなのですが、いまではただの集客作業以外に、なにか自分の人生にとって意味のある作業になっているようです。

いまはまだそのことを言葉にすることはできていませんが、「作文が人生を豊かにする要因」としてこれからも考え続けていこうと思います。

じつはぼくは今年の1月から
▼目茶苦茶かくノート▼
というものをつくって、毎日10分間程度ほかには絶対にもらさない文章を綴っているノートがあります。そこには詩人になったような気持ちで言葉を書くこともあれば、鬼のような形相で他人の悪口を書くこともあり、ルールは
▼心のなかにある目茶苦茶をそのまま書く▼
というだけです。

さきほどこのノートの名前を
▼目茶苦茶かくノート
から
▼目茶苦茶を書くノート
にすることを決定しました。

目茶苦茶かくノートと仮決定したあともなぜか納得できない自分がいたのですが、頭のはしっこにはずっとこのことがありました。

仕事をしているとき、車を運転しているとき、歩いているとき、もぐもぐしているとき、ずーっと頭にそのことがあったのですが、さきほどノートを書き終えて、さてパソコンで作文するか、ということで所定の場所にノートを直そうとしたとき、突然降ってこられました。

を、が。

をが突然降ってきて、
目茶苦茶を書くノートで決定し、そのまま題名をノートの表紙に書きました。いつも書いている鉛筆で雑然と題名だけを書くのがぼくらしいなと感じつつも、その題名に出会った小さな感動がぼくのなかにはありました。

というのも、これこそが書くという動作の本質なのではないかと感じたからです。

↓自分のなかの目茶苦茶を書く。
↓書くことで、目茶苦茶なことがわかる。
↓目茶苦茶から疑問が生まれる。
→疑問が解けて、すこしだけ目茶苦茶が目茶苦茶じゃなくなる。

目茶苦茶を書くということがどれだけ人生を豊かにするのかを、ぼくはまだ作文できないけど、それをいつか人に説明するときのために考え続けようと思います。

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2024年3月12日(火)
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先週末の初めてのプチ放牧の日に、

ヤギ3匹のオーナーに正式に発注させていただきました。

富田林1号地と、ぼくらが呼ぶその農地には現在、豆系が植っていてそれ以外の部分について4月末頃に除草という名目でヤギを放牧してもらうことを注文しました。

ヤギには畑に生えている雑草を食べてもらうのですが、それが一番の目的ではなく、糞を落としてもらうことが真の目的です。

発酵させているわけではない生の糞なので、肥料のような即効性はないはずですが、それでも二ヶ月から三ヶ月ほど経てば少しずつ効果が表れるのではないかと期待しています。

すなわち、ヤギを放牧したあとに植えるミニトマトやナス、ピーマンなどに少しは効果があるんじゃないかと期待しております。

そのヤギオーナーもヤギの除草でビジネスにならないかと考えて、法人化してちょうどいいタイミングでぼくが目の前に現れたようです。

ぼくもぼくでヤギの能力を把握していないし、ヤギオーナーもヤギオーナーでヤギに関する知識はあれどもそれをビジネスにするのはこれが初めて。

こんなときこそ、本当にコミュニケーションが必要になってくるとぼくは思います。

▼自分がヤギにやってほしいこと。

▼オーナーがヤギにさせたくないこと。

▼ヤギが効率的に仕事をこなせる方法。

など、いろいろなことをオーナーと話して、双方にとって利益になる取引にしていきたいと思います。

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2024年3月11日(月)
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最近は竹炭の話と糞の話しかしていないので、お忘れかもしれませんが、ぼくは無農薬の野菜をつくっています。

冬の間に竹炭をつくるのと、ヤギに糞をしてもらうことがけっこう大切で、

▼無農薬の野菜を作ろうとすると、肥料が邪魔になる。

▼肥料を使わないようにしようとすると、竹炭が必要になってくる。

▼竹炭を効率よく土のなかに埋めようとすると糞が必要になってくる。

こんな順番で竹炭と糞の話になるわけですが、今年2024年はどちらとも猛烈に進んだように感じる。

新しく契約した農地(通称:富田林1号地)にはすでに大量の竹炭が埋まっており、それに伴って排水溝も4本完成した。いままでと比べて竹炭の量は5倍ほどに増えたけど、ここまでが従来のやり方、このやり方だと無農薬無肥料で野菜がとれるという実験はここ数年で結果をだしてきたので、間違いなく野菜はとれるだろう。

でもこの富田林1号地は従来のやり方に加えて、やぎのプチ放牧を予定している。糞が土づくりにいいことは古今東西の常識なのでおそらくは従来以上の収穫量になるだろう。

その富田林1号地では今年、たくさんの実験をするつもりだ。

▼灰の効果を測定する。
▼糞虫が排水性を確保してくれるかどうかを確認する。(溝なしでいけるかどうか)
▼竹炭を土の上に置いて、そのうえに糞をしてもらうことで、どれくらい土に埋まっていくのかを確認する。

こんな感じで実験をするのはすべて、手間をかけずに無農薬野菜をつくるため。

じゃあなんで手間をかけずに無農薬野菜をつくりたいの?と問われたら、耕作放棄地をどんどん畑に変えていくためと答えるだろう。

そして、なんで耕作放棄地を畑に変えていきたいのと問われたら、ここがぼくのやりたいことの核になるのだが、「この農法ならやればやるほど地球の水が空気が土がきれいになるから」とぼくは答える。

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2024年3月9日(土)
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ぼくが管理する農地にはじめてヤギが来てくれました。


太いリードをつけられたヤギに引っ張られる力は想像以上に強かったです。

そのヤギの肛門からあふれでてくる(笑、でも本当にそんな感じ)糞はとても細かくて、鹿の糞ともまた違うし、ウサギの糞ともまた違う形なんだなと感じました。

糞が土づくりに役立つのは古今東西の常識ですが、放牧をいまのいままで実行に移せなかったのは、野菜ができなかったからです。

頭のどこか遠い場所で放牧や糞のことは考えていたとは思うのですが、肝心の野菜がさっぱりとれなかったので、そこまで頭がまわらなかったといったところでしょうか。

いま思い返すと少し不思議な感じがしますが、なぜか家畜の力を借りるのは、野菜がとれるようになってからという頭がありました。

頭の中のどの部分でその結論に至ったのか、その過程は説明がつきません。

ひとつ考えられるのは、アウトランダーのぼくが野菜もできてないのに、借りているだけの農地に動物を連れてきてもいいわけができない、というのはあったと思います。

それほど、田舎に馴染むというのは神経を使うことで、笑顔を忘れたり言葉を間違えたりするだけで、あっという間に追い出されそうな空気がそこにはあります。

ただ良い土をつくるためだと言っても、なによりも変化を嫌う人々に受け入れられるわけがない。

初、放牧というこの機会に、なぜ今まで放牧をしなかったかと自分の頭のなかを探索してみましたが、理由はどうやらこういうことのようです。

変化を嫌う風潮がどれほどチャレンジを阻んでいるのかを憂う一方で、なにかを成し遂げてやろうと思うのなら忍耐100%で進まなければいけないところだよね、と一方では思います。

ヤギの話を始めて、まさかこんなところに着地するとはという感じのランディングでございます。

完全に停車するまで、シートベルトははずさずお待ちください。笑

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2024年3月8日(金)
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ヤギのことを調べていたらウサギに寄り道しそうです、

という誰も経験したことがないような寄り道をしてしまいそうです。

というのは、ぼくがヤギについて調べたりヤギオーナーに会ったりするのは畑の中で草を食べてもらい、畑に糞を落としてもらうことがこれから重要になってくるからです。(重要になるのはぼくだけだけれども)

薬などを多用していない動物で、草を食べてその場にフンをしてくれる動物ならはっきり言ってなんでもいい。

今日、髪を切りにいっていつもの美容師さんにぼくの話を聞いてもらっていたところ、ウサギはどうなん川崎くんと。

たしかに、と川崎。

ウサギのことがなぜ頭に浮かんでこなかったかというと、それはたぶん家畜として一般的ではなかったからだと思います。

でもその美容師さんから話を聞いていると、

▼ウサギの特徴
・草をよく食べる。
・糞をよくする。
・繁殖力が異常につよい。(増えすぎる)
・食肉としては一般的でない。
・穴を掘る(策が役にたたない)。
・手で持ち上がる。

こんな特徴が浮かびあがってきました。

この特徴をすべてクリアしたうえで、自分のやりたいことを満たしてくれるのなら、ウサギもかなり有望な動物だということに気づき、それと同時に他の動物も草を食べてくれるやついないかなという頭になってきました。

▼ぼくが動物に望むこと。
・畑の雑草を食べてくれる。
・その場に糞を落としてくれる。

こうやってリストアップすると、ぼくの希望がかなりシンプルなのが見えてきます。はっきりいって糞さえ落としてくれればなんでもいい。

虫や土壌微生物も糞をしますが、食べる量が限られているので、スピード感がありません。かといって自然のサイクルからははずれたくありません。

そこで草食動物の出番なわけですが、ほかに草食動物といえば、羊くらいしか思い浮かびません。

ウサギという新たな選択肢を考えながら、明日のはじめてのプチ放牧(ヤギ)をやってやろうと考えてます。

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2024年3月5日(火)
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今日のヤギオーナーとのミーティングもかなり良かった。聞きたいことを聞けて、こうだったらいいなという答えを得ることができました。

ヤギを個人的に飼おうという人なんて、やっぱり自然派の考え方をもっているし、健康に生きることを考えている。

竹細工の教室にも通っているということを聞いたので、ぜひともぼくもそこへ通わせてほしいと伝えました。竹ひごを何百と失敗してきたのはこのためだったのかと因果を考えました。

さて、ヤギオーナーの話なのですが、
・冬の間の餌代を節約したいと思っている。
・除草剤がかかっていない良質な雑草を食べさせたいと思っている。
・農業の役にたてたいと思っている。
など、ぼくが想像して、こうだったらいいなと思う答えを聞くことができました。

それは本当に本当に大きなことでした。

これから耕作放棄地を畑に変えていくスピード感がなかなかの速度で進んでいくところまで想像できたからです。

その速度を知っていれば、時間と距離がもとめられますので、どれくらいの時間を投下しなければいけないか、その時間に応じてどれくらいの農地を契約していけるのかを想像できます。

あとは、畑の周辺にどれくらいのヤギオーナーが住んでいるのかを確認して、ヤギオーナーと懇意にしておけばたくさんの力を借りることができます。

まだまだ計算間違いはあると思いますので、経験していくことでその計算間違いを正しい方程式に導いていこうと思います。

そして、いままで知らなかったヤギに関する情報やヤギオーナーの顔から感じる感情を総合して、ぼくの心に浮かんできた新しい言葉が、

▼自然な雑草に価値がでてくる▼

除草剤などの農薬が使われていない、健康的な雑草に価値がでてくるんじゃないかなという仮説です。

ヤギオーナーがどういう理由でヤギを飼い始めるのかをぼくはまだ知らないが、日本の酪農が生み出す牛乳が不健康すぎてそれが改善されるきざしがまったく見えてこないので、健康的な乳を飲むために飼いはじめるのかもしれない。

それは酪農産業に限った話ではなく、食肉産業にもあてはまることかもしれない。

人はみんな健康的な食べ物を求めているのに、産業構造がかわらずなんのイノベーションも起きないので、個人個人が健康的な食べ物を求めてヤギを飼い始めるんじゃないかと感じるのです。

その波はいま大きくなっていっている最中で、これからまだまだ増えるように感じます。

そうなるとヤギに食べさせる健康的な雑草に希少価値がでてくるように思います。

▼ヤギオーナーはそれほど広大な放牧地を持っていない。
▼除草剤のかかっていない農地って意外と少ない。

この2点から、健康的な雑草に価値がでてきそうな気がしてならない。

▼ヤギを取り巻くルールを自分たちでつくるべき▼

ぼくたちが暮らす日本という国では法律があとからついてくるという特殊な状況のなかにある。

なにか新しいことをはじめて、それをうまく運用していくためには、将来国や自治体が心配したり規制したりしたくなるようなことを事前に民間のルールで決めておき、それを国や自治体に譲渡するくらいの気持ちでルールづくりに取り組まなければいけないと思います。

ただ自分の野菜の出来高とヤギを観察するのではなく、ヤギがもっとたくさん飼われることになったときに、世間がなんの心配もなく見守っていられるようなルール作りを念頭におきながら、ヤギを観察していこうと思います。

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2024年3月4日(月)
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ヤギオーナーに会うのは明日で2件目となります。

八木さんというオーナーに会いにいくわけではありません。

動物のヤギを飼っている人に会いにいきます。

奈良県のヤギレンタルの牧場までは車で1時間、すこし遠いので気軽にレンタルというわけには行かない。でも、この方法しかないのなら1週間くらいレンタルして、春と秋にヤギに糞を落としてもらおうと考えていました。

それが昨年末の話。

そして今年に入って、いい話が飛び込んできました。
 意外にも、個人的にヤギを飼っている人は多いというのです。

明日、ぼくはある一人のヤギオーナーに会うのですが、その人はいまぼくが管理している農地から車で5分程度の場所に住んでいるのです。

もちろん、ヤギたちも車で5分なはずです。

相場程度のお金を支払えば、ヤギさんに来てもらえることはほぼ確定しました、ぼくが明日コミュニケーションミスをしなければ。

あとそこでぼくが確認したいことは、
・ヤギの餌代を節約したいと願っているのかどうか。
・もしそうだった場合、杭を立てておけば(もしくは柵があれば)自分でヤギを連れてきてくれるくらいの感覚かどうか。

この確認したいことを他の言葉にすると、ヤギを畑につれてくるのに、どれくらいの手間がかかるかどうかを確認したい、ということになります。

もちろん、はじめは自分の手で連れてきて、ずっと隣にいて事故が起きないように見ていたり、どんな草を好んで食べるのかを観察したり、食べる量や糞の量、尿の量を観察します。

そのやり方が軌道に乗ったとして、たくさんのヤギオーナーとのやりとりが生まれたとき、たとえば100頭のヤギを畑でプチ放牧するときどれくらいの手間がかかるのかということを確認したいのです。

それによっては、いまから数年をかけてどれくらいの耕作放棄地を畑に変えていけるのかどうかといったスピードが変わってくるからです。

明日は雨が降りそうなので、畑の近くまで行っても竹炭を焼くことはできないですが、そのぶんミーティングに全力を注ごうと思います。

そのためにはまず朝のジョギングやな、雨がまだ降ってませんように。

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2024年2月29日(金)
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今朝、ヤギさんに会ってきました。

かねてより、畑に糞を落としてくれるヤギを探していて、いろんな人に声をかけまくっておりました。先週出会った人にもそのことを話してみると、知ってるよ、とのこと!!

ぼくの畑のメインは河南町というところにあるのですが、今朝お会いしたヤギオーナーは富田林市の人でした。

障害を持つ人の施設を運営している人で、自己紹介のときから話しは噛み合っているようでした。

無農薬無肥料で耕やしもせず水やりもしない農法を15年以上やっていることを伝えると、すぐにその本質を理解してくれて、ヤギの糞を畑に落としたいぼくの気持ちまで理解してくれました。

話が逸れてしまいますが、無農薬で野菜を栽培していると伝えたところで、その本質をすぐに飲み込んでくれる人は本当に少ない、ましてや肥料を使ってないんですとか、耕さないんですとか、伝えてもぼくが考える以上のリアクションをくれる人は1割に満たない。

水やりをしない、というのはなかなかインパクトがあるらしく、みなさん驚かれるが、そこで驚く人はそこまで農業というものに詳しくない人が多い印象がある。ただ、物の理屈に驚いているだけのように見える。

でも、今朝お会いしたヤギオーナーは無農薬野菜を栽培するための我慢や忍耐までご存知のようだった、それはおそらく施設に入所している障害を持つ人たちと一緒に土を耕したりしているからだろう。

この時期にそういう人に出会えて本当によかった。

なぜなら、二ヶ月後にはヤギを実際に畑に連れていって糞を落としまくってもらおうと考えていたから。

この調子で人に会い続けていたら、今年は畑にたくさんのヤギを呼ぶことができるにちがいない。

いいに決まっている。

古今、糞は土にいいと言われているし、実際に使われてきた歴史がある。

肥料として作られたものをぼくは使いたくはないが、自然の循環の中に存在する肥料は使っていきたい。

そういう肥料は地球環境に負荷もかけにくいし、農作業の量が増えるとも考えにくい。

ぼくはこのやり方で広大な耕作放棄地を畑に変えていってやろうと考えているので、農作業の量だけは絶対に増やしたくない。

農作業の量を増やさずに、地球環境を改善するためには、動物の力を借りなければいけない。

いままでは野菜ができることはなかったから、動物を畑に連れてくることまで手が回らなかった、でも今年からはそれにトライできる。

これが嬉しくて仕方がない。

売上が減ったとか、ウェブサイトの訪問者が減ったとかはもう言っていられない。

狂え、川崎!!

おまえは借金があるわけでもない。

こんなときのために、普通の豊かさから離れてきたんだろう。

狂え!

と、頭の片側では考えて、もう片側では致命傷にならないようにバランスをとる。

よし、いままで通りやな。がんばろ。

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2024年2月27日(火)
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仕込んだ竹炭の数が、今朝の時点で17袋になりました。

すこし大きめの90Lビニール袋に17袋なのでかなりの量の竹を炭化させたことになる。

今日のお昼頃に焼き終わった竹炭がおそらく5袋になるので、合計23袋になった。

今週の竹炭ワークショップのあとには30袋をゆうに超えていきそうだ。

30袋も作ってどうすんの、と思われるかもしれないが、この竹炭は土づくりをするときに欠かせない。

とくに無農薬無肥料で不耕起栽培、水やりもしないという農法で作物を栽培するには竹炭はあればあるほどいい。

化学肥料が使われる畑では、この竹炭はそれほど意味をなさないが、人工の栄養素がない畑では竹炭ほど大切なものはないかもしれない。

化学肥料が使われている畑では根っこが直接栄養素を吸収できるからだ。

それに反して、肥料をやらない畑では、根っこは土壌微生物を介して栄養素を土から得ることになる。

その土壌微生物は竹炭を棲家にする。

竹炭の重要性を言葉にするとこんな感じです。

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2024年2月26日(月)
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週末に雪不足のスキー合宿を楽しみ、今朝月曜日は土の回収のために大阪府茨木市を訪問しました。

ぼくのウェブサイトの順位は昨年の暮れからものすごいさがった(自分のせい)けど、需要はそのまま残っていて、みんながただぼくのウェブサイトを見つけにくくなったという状況です。

なぜなら、注文が少ないこの状況でぼくのウェブサイトを見つけてくれた人の多くが、
・やっと見つけました。
・やめないでくださいね。
という激励の言葉を送ってくれるからです。

こういう言葉をいただくたびに、喜怒哀楽を同時に味わうという不思議体験をしています。

もちろんそう言っていただいてめちゃくちゃうれしいのですが、ウェブサイトをこんな状況にしてしまったのは自分なので、自分への怒りとか悔しさとか、ないまぜになって泣きたいやら笑いたいやらでたいへんです。

2024年になってからはそんな状況が続いています。泣きそうになったり、ほんとうに嬉しかったり。

でもこれが大変だとは思わない。自分で選んだ道だし、良くない時期っていうのはいままでもあった。さぼった分だけ自分に全部返ってくる世界がぼくは好きだ。だからがんばろうと思う。いくらでもがんばって勝とうと思う。

園芸用土の回収の仕事へ行くと、その道中もまた好きなのです。

いままで行ったこともないような住宅街に入れたり、雰囲気のある路地に迷い込んだりすることができる。

そうやって行き着いた先では、土の捨て方に困っていた人を助けて笑顔にすることができる。笑顔に出会ったあと、帰るときにカフェラテを買って飲む。トラックのなかでは常に英語のセリフがDVDから聞こえてくる。

土を回収することに対してプライドのようなものがあるのは、うっすらと気づいていましたが、まさかこんなにこの仕事が好きだったとは思いませんでした。

今朝の土回収の仕事を終えて、お昼ごはんは友達のイタリア人、パオロと公園でパンを食べました。この友達とはコロナ禍で一緒に土の回収の仕事をした思い出があります。

パンを食べているとき、太陽が隠れて寒くなってきたので、トラックのキャビンに入って食べることにした。

すると、3年前に一緒に仕事をしたときの楽しかった思い出話に花が咲いて、パオロのお昼休みギリギリまで話をしてしまった。

土回収の注文が戻ってきたら、また二人でトラックに乗っていろんなところへ仕事をしにいこうと思う。

今日初めて知ったことだけど、パオロはあのとき一緒にした仕事を本当に楽しんでくれていたようだ。

イタリアから来た親友とハグして別れた。がんばろ。

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2024年2月25日(日)
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2月も下旬になり、春を感じる気温の日が増えてきました。今年は暖冬でもとより春を感じられる日が多かったように思います。

2023年の夏から2024年の冬にかけて、雨が少ない印象のある季節でしたが、ここにきて溜まっていた雨が落ちてきているような感じです。

雨が多いなか、竹炭づくりワークショップはほとんどの回で延期になることなく、晴れていて風も強くない日が多かったです。

参加者のみなさんはいいひとばかりで、ひとえに日頃の行いの成果なのだろうと勝手に考えています。

竹炭のワークショップで自ら焼きかたを学ぼうとする人たちはやはり、家庭菜園をしていたりしてすでに土に興味のある人たちが多いです。

作業中の休息や、お昼休み休憩のときには土づくりのことに話が傾いていくことがほとんどです。

最近、流行りの菌ちゃん農法や、菌根菌や糸状菌のことなど、土のなかにいる土壌微生物について、みんなの認識が普通になってきていると感じるかたわらで、みんなのゴールがただ自分の野菜をつくることだけにとどまっていることに、少し残念な気持ちになります。

土壌のなかのことを正しく理解できたとしても、目指すゴールへの矢印が自分向きになっていたら、それはいずれ肥料を使ったり機械を使ったりすることにつながっていくと危惧するからです。

ぼくが農業をはじめるようになったきっかけは「地球環境をどうやってよくするか」を考えていたことなので、1番大きなゴールが自分の野菜を作ることではなありません。

▼かなんな農園のゴール▼
1、地球環境がよくなる農業をあみだす。(目的)
2、野菜を作って売る。(お金)
という順番になる。

だからどれだけ、かなんな農園が繁盛したとしても、農薬は使わないし、肥料も使わない、ましてや大型の機械で耕したりもしないのです。

世界中の農家が地球を汚している状況では、農業という産業には大きな可能性が秘められていると思います。

地球をきれいにするのも農業の役目であると同時に、
・食糧問題を穏便に解決できること
・農地価格を押し上げてGDPを助けること
ができるのも農業の役目だとぼくは思う。このほかにもたくさんのことを解決できる能力が農業にはあると思う

そんな一方で、自分の食べる作物のことばかりを考える人になってほしくない。

でも、そんな人たちも、争いあったりするこの社会の矛盾には気づいていたりする。問題を口にできる人もたくさんいる。

そこから問題解決までの道のりを描ける人がいないといけないと感じるが、最近ぼくはその役をできるようになれないかと思案しています。

問題解決までの道のりを順序だてて説明し、実行していく、それにみんながついてくる。そんなことができる人間にぼくはなりたい。難易度はかなり高いだろうけど。

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2024年2月21日(水)
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昨日にひきつづき作文のことをばもう少々。
▼右か左かではなく▼
昨日は考え方の分かれ道のことを「右か左か」という言葉をつかって作文しましたが、1日経ったいまそれについて思うことは、「自分の道かそれ以外か」と言い換えなければいけないんじゃないかということです。

▼舗装された道路ではない▼
考え方の分かれ道は、たとえば舗装された道路みたいなものではなくて、ジャングルの中のような、またはサバンナのような、砂漠のような場所にある道なのだと思う。

すなわち、いくつかの道が用意されているのではなくて、自分が選べるのは方角だけで、自分が選んだ方角以外は道ではないということなんじゃないかと思うのです。


そして、いつも自分が選ぶ方角というのはほとんど決まっていて、ほとんど変わらないのではないかと思う。

ポジティブな人間ならポジティブな人間が選ぶ方角。

笑顔で生きる人間なら笑顔で生きる人間が選びやすい方角。

人のことを攻撃する人間なら、人のことを攻撃する人間がえらびやすい方角というものがあって、

▼いつも自分を変えたいと願っている。▼
それぞれの人はそれぞれの方角の先で、いつも自分を変えたいと願っている。

自分はこんな生き方をしたいんじゃないと考えている。

でもその方角へしかほとんど進んだことがないから、そのほかの方角へ進む手段を知らないし、そのほかの方角へ進んでいる人のことを僅かながらに否定している自分がいる。

だから人は他の方角へ進むことができない。

▼方角を変えるのは難しい▼
人生を歩いていくうえで、自分の方角を変えてしまうのはどれだけ前向きな人でも難しいことなんじゃないでしょうか。おそらくそうだ。

でも、それがただの作文ならどうだろう。

ポジティブな人生を歩く人がネガティブなことを書くことはできる、簡単だ。

人を攻撃したくない人が、人を攻撃するような文章を書くことはできる、簡単だ。

みなさんも簡単だと思うでしょう?

▼難しい▼
やってみてください、これがめちゃくちゃ難しいですから。

このめちゃくちゃ難しい作文を、ぼくは目茶苦茶ノートという一冊を作って始めました。

自分が選んできた方角とはまったくちがう方角のことを書いたりする。

ぼくはあきらかにポジティブな性格なので、逆にネガティブなことを頭の中から捻り出す。

ぼくはあきらかに人にやさしい性格なので、逆に人を攻撃するようなことを頭の中から捻り出す。

▼頭をこねくりまわせ▼
頭のなかには絶対にそういう言葉が存在している。

でもぼくらはいつも格好をつけたり、自分を飾るためにそういう言葉をひた隠しに隠している。だからそういった言葉を頭のなかから捻り出すのは容易ではない。

書く気がまったく起こらないことなんてざらです。

でもそれでもノートに向き合って無言で鉛筆を持つ。

なにを書こうか迷っている、そういう書き出しで進めてみると、なぜかいろいろな言葉があとからついてくる。

おっと油断してはいけない。

その言葉も格好をつけたり、自分を自分らしく飾るための言葉に違いない。

もっと自分の中心にある言葉をさがして書いてみよう、ときには汚い言葉だったり、ひどい表現だったりする。

でもそれを書いてみる。

それが擬似体験になる。自分がいままで選ばなかった方角に進む擬似体験になる。

そしてちがう方角に進む擬似体験をしている最中に、ぼくはこう感じた。

ああ、だからぼくはいままであの方角を選んでいたのかと。

まったくちがう方角に進む体験をすることで、いままで自分が選んでいた方角がもっと明確になるのだと。

そういうふうに感じました。

その方角へ進んでいながら、自分はこんな人間になりたいんじゃないと人が考えるのは、他の方角から自分の進んでいる道を見たことがないからだ。自分が選んだ道がどれほど魅力的な道なのかを別の方角から確認してみよう。

これはぼくにとってとても重要な出来事でした。

おそらく皆さんにとっても良いはず。一度試してみてください。1日10分間だれにも読ませない文章を、いままで書いたこともないような文章を書いてみる。それだけです。

このことを知るきっかけになった「書ける人になる」という本を書いたナタリーゴールドバーグさんに会うことがあれば、熱烈に感謝を伝えようと思います。

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2024年2月20日(火)
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今朝のすタエフでも話したのですが、今日は作文することの本質のようなことを書いておこうと思います。

自分のなかでもま新しいことなので、うまく作文できるかわかりませんが、おつきあいください。

すこしまえにぼくはナタリーさんという人が書いた、「書ける人になる」という本を読みました。

▼目茶苦茶ノート▼
その本は文章術というよりも、作文するときの心構えのようなことがたくさん書かれていて、その本がすすめるとおりぼくはそのときから「目茶苦茶ノート」というノートをつくりました。

そのノートに毎日10分間、自分のなかにある目茶苦茶を書きます。

誰かに読んでもらう目的でそれは書かずに、誰にも読まれないことを前提にこれを書きます。

最近のブームは、自分の情けない部分を書くことです。
痛烈に痛烈にと考えていてもどうしても自分への言葉なのでなまやさしくなります。

ポジティブな自分、前向きな自分を脱ぎ捨てて、自分の核にある言葉を書こうとするのですが、これがまた難しい。

ここで気付かされるのは、日頃どれだけ自分が自分を飾っているのかということだ。

かっこつけるなんて、事業をする人がすることじゃないし、みんなかっこつけたがって、そこでバタバタと倒れていくのを見てきた。(事業がうまくいかなくて)

みんな本当に格好をつけたがる、いつどんなときでも。
そんなのはぜんぜんだめだ、とぼくはいつも毎日考えている。

でも、かくいうぼくも飾っていたことに気付かされるのだ。

本当の自分ではない自分で装飾している。

たとえば仕事がうまくいかなかったとき、最悪な気分のときに、ぼくは笑顔でいようとする、それも装飾だ。ポジティブな自分でいたいから笑顔をキープしようとする。大人だし、仕事中に不機嫌なやつなんて、とも思う。

それ自体はいいことなのかもしれない。

▼無意識の領域▼
でも自分を飾ることを続けることで、本来の自分からは遠く離れていく。無意識の領域から抜け出して、意識のなかでずっと暮らしているようなものだ。

そうやって意識のなかでずっと暮らしているとどうなるか、それは本当に身近なところに潜む大切なものを見落とすことになる。

今朝もぼくは自分の情けない部分を作文しまくった。ポジティブの方向へ意識が向かおうとするのを脱力して、自分の核のなかにある言葉を取り出そうとがんばった。

出来栄えとしてはなんのことはない文章ができあがったのだが、ぼくはその10分間、自分の中心に迫ることができた。

そして目茶苦茶ノートを書いたあと、車にのって仕事をしにでかけたのだが、その車のなかで、とても小さなことでしかも大切なことをふと思い出すことができた。

この出来事自体がとても小さなことなのだが、ぼくにとっては完全に異質なものだった。いままではそうは考えられなかったのに、という感覚だ。

▼色彩を帯びるスピード▼
とても些細で、うっかり通りすごしてしまいそうな出来事だったが、夜が空けて景色が色彩を帯びていくときのようなスピードでゆっくりと落ちてきました。

▼この目茶苦茶ノート、やめられません。▼

いままで、自分が他の人よりも劣っている部分があるとかねてから思っていたのですが、いまもまだそれがどんな部分なのか明確に答えることはできません。

でもこの目茶苦茶ノートを続けていれば、その部分に手が届くのではないかという感覚がぼくにはあります。もうやめられません。

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2024年2月17日(土)
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第五回だったか第六回だったかの竹炭ワークショップが本日開催されました。

大阪府河南町の放置竹林に、和歌山は橋本市や大阪府南部の熊取町、八尾市、大阪市内からと多方向から6人の女性が集結しました。

竹炭づくりを体験したいという女性なだけあって、ほとんど全員が畑や家庭菜園をやっていて、そのなかでも竹炭の重要性をご存知の人はかなりたくさん働いて、たくさんの竹炭をゲットしてくれました。

ぼくはこのワークショップを通して、竹炭をつくるのは簡単なんだということを伝えたい。

そしてそれを体験した人たちが、自分の家の近くの放置竹林を整備してくれたら、日本で社会問題化している放置竹林を減らすことができる。

しかも、枯れた竹に含まれる炭素を竹炭のなかに固定して、畑に埋めてもらうことで半永久的に固体の炭素となる。

人類が放出しすぎた二酸化炭素を回収して、土に埋め戻すことができる。

三方よしの方策だ。

▼三方よしなんだけども。

ワークショップが終わって解散したあと、すこし相棒と畑作業をしていました、その休憩中こんな話になりました。

三方よしなのはわかるけど、それを実際にできる人はほとんどいない、という話だ。

それはどういうことかというと、相棒に言わせれば、「そこまでの覚悟がない」からできない。とのことでした。

▼つまり

つまり、本当にうっとうしい態度で会話をしてくる田舎の人に笑顔で接し続ける覚悟があるか、

または、その放置竹林をきれいにするまでやめない覚悟があるか、

または、とてもいいことをしているんだけど、大したことをやってませんよという顔で(見返りをもとめない態度で)いる覚悟があるか。

というような感じのことです。

▼田舎に移住した人が都会に帰っちゃう理由

いっときは田舎への移住が流行したように思いますが、最近ではすこしおちついたような印象をうけないでしょうか。

沖縄や四国の一部には移住者を受け入れて成功した地域があるとは思いますが、その中には絶対にあきらめて帰った人がいるのは明らかだ。

なぜなら、田舎の人は本当にバカな人が多く、お金の動きや契約の内容など気にすることなく、隣人にあほみたいな言動をしてしまう人がかなりの割合でいるからだ。

そういう人たちはそうやって、コミュニティのなかで下へ下へ行き、こんなのはダメだと深く反省したあとでも、その地域から脱出できない人たちなのだ、そういう人たちだけが集まっている場所、それが田舎なのです。

20年ちかく大阪市内から田舎の畑に通いつづけたぼくが言うのだから当たらずとも遠からずなはずだ。

言葉はわるいかもしれないが(これでも控えめ)、そんなバカどもを相手にするときに、常に敬意をもち、笑顔をたやさず、謙虚さをにじませることができる覚悟があるのは、ぼくぐらいのもんじゃないのだろうかと相棒と話しました。

放置竹林を探し当てることはできる。

その所有者とも話をすることができる。

でも、つねに笑顔でいることはできないし。

間違えたことを言われたときに毅然としていられることはできない。それは本当に難しいことなのだ。

あなたがもし田舎に移住した人間で、隣人と仲良くやっているというのなら、それは本当に愛すべき隣人なのだとぼくは思います。

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2024年2月16日(金)
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生まれた場所というのはやはり縁が深い。
ぼくは大阪府枚方市で生まれたのですが、ときどき縁があると感じる。

園芸用の土の回収の仕事をしているときでも、なぜか枚方市からの注文は途絶えない。

いまウェブサイトの更新で土回収の仕事が大幅に減っているのですが、それでもなぜか枚方市からの注文がちょくちょくあったりする。

ある職場で仲良くなった人が枚方市出身だったり、枚方に住んでいたり、とにかく枚方市にはなんだかいろいろな縁があると感じる。

霊感とか幽霊、前世だとかいう話は目に見えないからかそれほど深く信じていない。否定するわけでもないが、大きく肯定するわけでもない。

目に見えないからと言ってあまり信じないものの向こうに「縁」というものがあって、それがゆえに結びつく。ぼくに見えるのはその結びつくという部分だけなので、目に見えないところでどんな作用が行われているのか見たり感じたりしたいものだといつも思っている。

霊感は信じないのに、利他の心を持とうと常にがんばっている。これは矛盾なのだろうか。

他人に利することを行えば、かならずまわりまわって自分のところへかえってくるというのは、仏教でもキリスト教でも教えられている普遍的な人間の営みだと思うが、それと幽霊を信じることの違いはぼくにはよくわからない。

幽霊を信じない。

利他の心を信じる。

矛盾しているようで、矛盾していないようなちょっと変わった感覚がぼくのなかにはある。

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2024年2月14日(水)
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今日はもう夜11時30分になってしまった。どのようにしてぼくが土の回収の仕事をはじめたかを作文しようと思ったのだが、今日はここまでだ、もう眠たい。
明日またこの続きを作文しようと思います。 
楽しみにしている人には申し訳ありませんが、おやすみなさい。

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2024年2月13日(火)
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今朝の一人朝礼では、「心配をかけております、上がってきてます」というタイトルで話しましたが、ひとつ伝え忘れていましたので、そこを作文していこうと思います。

ウェブサイトのグーグル検索順位がすこしずつあがってきています。

3ヶ月前くらいから始めたSEO対策がすこしずつ効いているのか、
・クリック数
・CTR率(表示されたときにどれだけクリックされるか)
・平均検索順位
この3つがすこしずつ上がってきております。それと同時に問い合わせも増えてきました。

各方面でご心配をかけていたことは、みなさんのあたたかい言葉で伝わってきました。

いままで家計を支えていた売り上げが減ったことで、アルバイトをしながら農業をするという情けない状況におちいったときに、あたたかい言葉に出会ったのですが、そのときぼくが思ったのは、

こんな川崎を応援してもらいたいんじゃない、

もっともっと前向き(世間からしたら後ろ向き)に爆走している川崎を応援したいはずだし、そのほうが応援し甲斐があるにちがいない。

ぼくを応援してくれる人は、いやいやそうじゃないんだよと言ってくれるかもしれないけど、そんなやさしさにヘナヘナしてたらだめだ。

みんなに希望をちらつかせることができないと、応援されている意味がないと思った。

というお話です。

なんだかまとまらなかった感じがしているので、このことは明日の目茶苦茶ノート(門外不出)に書いて整理してみようと思う。めちゃくちゃ書いてやろうと思います。

もしよければラジオのほうも聞いてやってください。よろしくです。

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2024年2月12日(祝)
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こんにちは、無農薬の野菜がやっとこさとれてきました、かなんな農園の川崎です。

2022年頃にはじめてミニトマトが収穫でき、
2023年にはミニトマト、ナス、ししとうといった夏野菜を販売できるまでになりました。

そんな2023年末、土の回収の仕事の注文がかなり減りました。

仕事が少ないときはアルバイトをしているのですが、それはもう情けなくて悔しくてたまりません。

でも土の回収の仕事が減ったのは、すべて自分の責任なのです。ウェブサイトのアドレスを「http://」から「https://」にするのをさぼっていたからなのです。じつに6年くらい実行に移さず、さぼっていました。

そりゃグーグル先生も怒って、検索順位さげちゃうよね。

でもまあ売り上げが順調なときに、それをさきどりするということは素人プログラマーにとってはとても怖いことだったのです。

会社経営をしているとこういうシーンにぶつかることがあるんだろうなと思うシーンでした。

まさに経営判断を迫られるときで、
◆いまある売り上げをゼロにすることができるか?
◆ゼロにしているあいだに他のことにトライする体力はあるか?

人口がこれ以上増えてはいけないとうっすらと気づきはじめてるこの世界では、経済はこれから右肩さがりなのは明白で、その社会のなかで他のことにトライできる体力のある会社というのは数少ないと思います。

従業員が何人もいる企業では、たしかにそうだと思いますが、ぼくのような一人でやっている事業主こそはそんなことではダメだと強く心に刻む、今回の出来事はそのきっかけとなりました。

そんなことではダメだというのはつまり、いまある売り上げを一時的に投げ出しても、将来やらなければならないことにトライする。ということを指します。

そんなつもりはなかったけど、変化を嫌う人間になっていたのだと痛感しました。この出来事はぼくの将来に対して色濃く影響を残してくれると思います。

さてあの検索順位がかなりさがった時期から3ヶ月くらいが経ちました。

今日のグーグルサーチコンソールのレポートでは、1日の訪問者数が30を超えました。

ウェブサイトへの1日の訪問者数が30を超えた日には、ほぼ同じ時間に二人の人から電話での問い合わせがありました。

片方は受注できました。

もう片方は遠方のため受注までは至らないと思いますが、需要は以前根強く、ただぼくのウェブサイトの検索順位がさがっただけなのだということを確認することができました。

ということは、土の捨て方について困っている人がいるということなので、ひきつづきSEO対策をがんばっていこうと思います。

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2024年2月11日(日)
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先週末も相棒と二人で竹炭を土のなかにいれまくってきました、と言いたいところなのですが、残念ながらそれほど入れ込むことはできませんでした。

なぜなら!!

仕込んでおいた竹炭7袋が灰になってしまっていたからです。

思い返せばその日もぼくは竹炭を焼きまくっていました。効率のよい動きで、枯れた竹をドラム缶に投入したり、林のなかに入って枯れた竹を引っ張り出してきたりしていました。多少疲れて休息をとっても、またすぐに動き出していました。

枯れた竹に火がついて、それがドラム缶のなかにたまっていき、90Lほどになったら、ドラム缶の蓋を閉めて消化し、翌日完全に冷え切ったのを確認し、竹炭をゴミ袋に移します。

ですが、その日は効率を求めすぎたのか、ドラム缶の蓋を閉めてから2時間程度で、ぼくは竹炭をゴミ袋に移しました。これが間違いだったのです。

たしかにドラム缶の中は冷え切っていたのですが、おそらく火種はまだ竹炭のなかにあったのです、温度はさがっていたけどまだしっかりと火種として残っていたのだと思います。

そして惨事は起きました。

相棒と土曜日の朝に、竹炭を土のなかにいれるために、竹炭のゴミ袋を回収しにいったのですが、そのときぼくは一瞬で事態を把握しました。

あ、たけずみ灰になってる。

唖然としたぼくの顔を見て不思議顔の相棒はまだ事態を把握できてません。

竹炭をここに置いたこと、
それが燃えたこと、
そのあとがこのクレーターなのだと。

そこで相棒がひとこと、火事にならんでよかったですね。

ほんまそのとおりです!相棒!!おおきに!!来週までにがんばります!!

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2024年2月10日(土)
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相棒と竹炭を埋め込む作業をしている間に、なんと土の回収に関する電話問い合わせが2件も入っていて、川崎は嬉しくてたまりません。

昨年の12月頃から取り組んできたウェブサイトのSEO対策が少しずつ効いてきているみたいだ。

一件は茨木市の人からの電話で、受注までいきました。今月中に訪問します。うきうき。

もう一件は徳島県の人からの電話でした、こちらは遠すぎて受注までには至らないと思いますが、遠方のひとたちにもウェブサイトが届いているというのは本当に嬉しいかぎりです。

SEO対策をする前は関西圏からの問い合わせが99%くらいでしたが、もう負けるのはいやなので全国どこへでも行ってやるぜ、というような気持ちでSEO対策をしました。

園芸用土の捨て方で困っている人は全国にいるので、その人たちを訪問して土の回収をするために日本全国を行脚するのを楽しみにしています。

そのためにはウェブサイトのSEOだけでなくインスタ などほかのSNSもがんばります。

そうやって頑張るうちにやり方を身につけて、無農薬野菜の販売のほうへ活用してやるぜ、という気持ちでいっぱいです。

がんばります!!

こんにちは、かなんな農園の川崎康裕と申します。

ぼくが取り組んでいる無農薬無肥料の農法を実現させるためには竹炭は欠かせません。

竹じゃないとダメかというとそんなことはなく、炭素ならなんだっていいのですが、せっかく日本には放置竹林の問題があるのだから、それを解決してやれということで、冬になると竹炭を焼きまくる日々です。

自分で竹林から枯れた茶色い竹をとりだしてきては、ドラム缶に投入して竹炭を焼きます。

枯れた竹を竹林から取り出す作業がけっこう時間がかかっていたのですが、竹炭焼きワークショップを開けば、ワークショップに来てくれたお客さんたちが、ワイワイと運び出してくれます。

助かるなんてもんじゃない!

ドラム缶、竹、ワークショップ、
このトリオさえいれば日本中の放置竹林をきれいにすることができるかもしれません。

それにはなんといっても、竹炭があれば無農薬野菜ができるということがとても大きな要因になっています。

野菜ができなければ、竹炭を焼く気にもならないし、ワークショップを開く気にもなれないからです。

とにかく今年はこの竹炭を利用して、無農薬野菜を大量につくり、大量に販売していきます。

日本人よ、健康になれ!!

かなんな農園では、
・無農薬(栽培期間以外もずっと)
・無肥料(肥料として作られたものはすべて)
・耕しもせず(いわゆる不耕起栽培)
・水やりもしない
農法でとれた野菜や果物を販売をしています。


ご注文はLINEまたはDMで!!

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2024年2月7日(水)
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ぼくはインスタグラマーになりつつあります。
はじめは、集客のために無理矢理はじめた感じはありましたが、最近ではなんだかインスタグラムを触っている時間が楽しくて仕方ありません。

土の回収の仕事のためにインスタグラムを始めて、ついさきほどは無農薬野菜のためのインスタグラムも開始いたしました。

土の回収のためにインスタグラムを始めて、写真はどうだとか、文字はどうだとか、キャプションはどうだとか考えて、投稿をシェアするのですが、園芸用土を処分する仕事なんて誰もやってないことも相まって、反応があるんです。

フォローしてくれちゃったり、

いいねしてくれちゃったり、

ハッシュタグをつけるとリーチが増えたり、

もう楽しくて楽しくて。

いや、ここまでは冗談まじりで書きましたが、実際に園芸用の土を処分してほしいというお客さんから電話があったときも、いろいろ聞いていると、「やっと見つけました」とか、「やっと出会えた」とか言ってもらえると、嬉しい反面、土の回収をできもせんやつがGoogle先生に尻尾ふってるだけで、ユーザーの利便性さげてるやん。と関西弁で思うわけです。

Google先生もユーザー最優先でとかいいつつ、ぜんぜんユーザー優先になってないやん、金か?そやな、納得。

まあ、愚痴はここまでにして、とにかくウェブサイトの訪問者数が減ったんだから、インスタグラムで集客したんねんと意気込んでいたら、土や花のことまでがんばり始めた川崎です。

巻き返しまーす。

冷凍の桑の実の販売が5月中旬頃から始まります。
ジップロック一袋3,000円 ご予約DMで受付中。
発送は5月中旬頃〜6月中旬頃。


桑の実さんの気分しだいでーす。


桑の実は足が早い(賞味期限1日)ので、冷凍してから発送します、クロネコさんのチルド便を使います。
受け取り可能な日程と時間帯を教えてください。地方発送いたします。


なんといっても桑の実は アントシアニンが豊富
【アントシアニンの健康効果】
・視覚機能の改善
・眼病予防
・メタボ予防
・花粉症予防
といわれています。

ほのほかにも、ビタミン類、鉄分、マグネシウムが豊富に含まれていると言われています。


ぼくもこの桑の実を収穫するときに、20個に1個くらいパクッとやりながら農作業をするのですが、その日はなんだか1日が終わるまですごい元気なのです。


毎朝のスムージーに入れたり、
ジャムにして朝食に、
シロップにして子供のジュースに、
他にも食べ方があったら教えてくださいね。


トルコでは日常的に食べられるフルーツなんだとか。

かなんな農園でつくられる野菜や果物はすべて、
・無農薬(栽培期間以外もずっと)
・無肥料(化学肥料はもちろん)
・耕しもせず(不耕起栽培)
・水やりもせず
の農法から収穫されます。

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2024年2月5日(月)
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ぼくは自分が栽培する野菜には自信を持っている。

農薬や肥料として化学的なものを畑に持ち込まないのはもとより、支柱やヒモなどにも化学的な物質が含まれていないものを、石油製品が使われていないものを使用することを徹底してきた。

支柱と支柱をわたす麻紐を使っているのだが、これには少しの防腐剤が含まれているかもしれない。その程度の無農薬無肥料だ。

ここまで徹底すると、普通の人は作物を栽培できなくなる。

やはり農業をしている以上、なにかを収穫したいからだ。

もしほんとうに化学的なものを避けて、石油製品を使わず、地球環境のためだけを考えて農業をすると、ぼくのように15年間くらい収穫できない、というのは当たり前の流れのような気がする。

間違えて教わった自然の摂理から抜け出し、摂理を体得するまでにはそれくらいの時間が必要だと思う。

そんな感じで栽培しているものですから、ぼくは自分がつくる野菜に自信を持っています。当然、安くは売りたくない(でも高すぎなくてもいいと思う)。

ですが、その一方でこの社会がたくさんの問題をはらんでいるのもよく知っています。

▼子供が不健康であること
▼大人も不健康であること
▼障害者が生まれてくる確率
▼がん患者の数

さまざまな問題が食べるものに起因しているのは明らかだ。

ぼくは無農薬野菜を当然安く売りたくはないですが、一方で社会の問題を解決したいとも願ってやまない欲張り農家です。

だから、妊婦さんや、シングルマザー、発達障害の子供を持つお母さん、そのなかでもお金がなくて困っている人がもし野菜直売所の列に並んでいたら川崎に声をかけてくださいね。

「わたし○○なんですけど、お金がなくて困っています。」

ちょっと割引きしますので。

コツは、お金が少ないことを微笑みとともに伝えることです。

たぶん川崎はころっといきますよ。笑

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2024年1月30日(火)
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今日は、園芸用土の仕事をするために枚方市方面へ行っていました。

4件ほど訪問して帰宅し、いまパソコンに向かって作文しているのですが、その4件のうちの1件のお客さんがウェブデザイナーさんでした。

ウェブデザイナーさんというのは、ウェブサイトを製作して運営し、グーグル先生からの評価をよくするための対策をしてくれる人だ。

こんなど素人感満載のウェブサイトを運営しているだけあって、いままでぼくはウェブデザイナーさんに相談したことがなかった。

でも今日ははじめて相談させてもらうことにした。

お昼前に訪問して土の回収を終わらせ、会計まで済ませてからお部屋にあがらせていただいた。女性なのにすんなりあがらせていただいて恐縮でした。

素人なりにいままでhtmlという言語をいじくってきたおかげで、ウェブデザイナーの女性との対話は本当にスムーズに進みました。そして、いただいたアドバイスは、
「そんなに知識があるのなら、ワードプレスで別のホームページを作ったら?」
というものでした。

このアドバイスは、考えれば考えるほどいいような気がしてくる。

既存のウェブサイトは残しておきながら、ほかのドメインでウェブサイトを構築し、そちらでSEO対策をしていく。

うーん、考えれば考えるほどこれがベストなような気がしてくる。

ワードプレスというのがあるのは知っていたけど、実際に触るのは初めてだ。さてと、早速明日からワードプレスを触ってみようと思います。

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2024年1月20日(土)
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さて最近のぼくの頭の中は、放牧のことでいっぱいです。

今年はヤギを2頭から3頭くらい1ヶ月間レンタルしてみて、様子を見ようと思っております。

実際、今年はそれくらいのプチ放牧と呼べる規模で十分だとも思います。かなり広くなってきたとはいえ、ぼくが管理している農地の草を食べてもらおうと思えばまだそれくらいで十分な気がしております。

まずはプチ放牧から始めて、竹炭と糞の合わせ技の効果を見極めようと考えているところです。

竹炭だけでも十分といえるほどの効果があるうえに、昔から効果があるといわれている糞を使うのだから、否応にもぼくの期待は高まる。

放牧のことや酪農のこと、糞のこと、糞虫のことを考えたり調べたりしていると、日本の社会の問題はこんなところまで根っこを張っているのかと暗澹たる気持ちになる。

たとえば現在の酪農のなかで牛が糞をしたとします、するとその糞には糞虫が寄ってきてその中で住んだり、その糞を自分の巣に持ち帰ったりして分解してくれるのですが、その糞虫はそこに卵を産みつけたとしてもうまく育たないのです。

なぜなら牛の糞のなかには駆虫剤と呼ばれる薬剤がふくまれていて、その糞のなかで卵を産んだとしても成虫にまで育たないようになっているから。

▼それのなにが問題なの?▼

という声が聞こえてきそうですが、この糞虫と呼ばれる虫は、糞を土に返すという重要な役割をになっています。

自然の循環のなかでも、かなり重要な部分を担っています。

その糞虫の活躍の場がなくなれば、土のなかの土壌微生物の多様性が偏り、カラス、ネズミ、コロナといった多様性が偏ったために激増する動物を産んでいく原因になると思うのです。

はっきりとした証拠はないですが、ぼくがコロナ禍を通して感じているのはそこです。

だからぼくは、家畜に薬剤を与えている牧場からはレンタルしたくないのです。そして見つけました。奈良県でヤギをレンタルしている牧場で、一切のワクチンを使わず自然のままのヤギをレンタルしている牧場を。

この牧場から2、3頭のヤギをレンタルして、今年はプチ放牧にトライしてみます。

▼そのヤギの糞には駆虫剤は含まれていません。▼

ぼくが管理する農地の草を食べまくったヤギは糞を落としまくることでしょう。

駆虫剤の入っていない糞が大量に畑にまかれ、その糞に大量の糞虫がたかってくれることでしょう。

▼すでに農地の所有者にも放牧の許可を得ています。▼

ぼくの農地に糞虫がたくさん棲みつき、土壌が肥沃になってきれいな水を生む農地になったとして、それに誰か気づくでしょうか?

ヤギの糞はコロコロしていて、手で拾ってもなんの不潔な感じもしません、もちろん臭いもしません。(なんでなの?つぎはこれを調べよう。)

おそろしく多様性が復活していることに、誰一人として気づかないと思います。

ぼくが狙っているのはそこです。

「日本を前に!」
とか
「変革だ!」
とかいうことを言ったところで、なにも変わらないのをぼくはずっと見てきました。

本当に社会を変えようとしたら、
誰も知らないところで、
誰も気づかないうちに、
ビジネスの力で、
変えるほかない、というのがぼくの信念です。

だれも気づかないところで、ジワジワと変えていってやろうと思います。ふっふっふ。

こんなところまで読んでいただき、ありがとうございます。かなんな農園ではライン公式アカウントで無農薬野菜の受注をおこなっております、もしよければお友達登録よろしくお願いします。
https://lin.ee/f5oHvUy

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2024年1月18日(木)
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前回書いたのが、先月12月なので1ヶ月ほどなにも書かなかったのかというふうに、とられるかもしないが、このブログ以外の作文をしていたのです。

さぼっていたわけではないのですが、ひとつ収穫がありました。

「書かなければいけない」
から
「書きたい」
に変わっていたことです。これはほんとうに嬉しくて、いまこうやって作文している最中も、やった、ブログ書いてる、という変な高揚感でいっぱいです。笑

12月のすこし前から、ネット経由での注文が少なくなっていたため、ウェブサイトの文章を改善しては作文して、を繰り返していました。

以前からやらなければいけないなーと思っていたことを、やったためネットからの注文も回復してきました。

はよやっとけよ!っていう感じなんですけどね。

そんなわけで、やらなければいけなかった仕事を終わらせることができたので、最近ではまた思考が未来に向いております。

竹炭に出会ったことで無農薬無肥料の農業を軌道にのせることができ、健康的な野菜をたくさん販売することもできるようになってきました。

野菜直売所ラインアカウントはこちら↓↓↓
https://lin.ee/f5oHvUy

そんなぼくが今年トライしようと思っているのが、プチ放牧です。

何頭もの牛を飼う、というのではなく、まずはヤギからスタートします。しかもレンタルです。1ヶ月1頭7000円程度でレンタルできるそうです!

安くないですか?

もしメスなら、その間ヤギ乳をしぼっていただこうと考えております。安くないですか?笑

そんなことを目論んでおりますので、最近では
放牧
酪農
牛乳
畜産
などといった言葉がキーワードになってきております。

そうなってくれば、読書マニアの川崎としましては、図書館で酪農に関する本を借りてきては、将来の備えにしております。

先週あたりに図書館の本で出会った
山地酪農の教科書という本、これを書いているのが、岩手県の酪農家の中洞正さん。(なかほらただし)

この本に引き続き、中洞正さんが書いた黒い牛乳という本を読んでいます。2009年に書かれた古い本ですが、今読んでもかなり勉強になると感じます。

さっき勉強したことを作文にしようと思うのですが、題名をつけるとするとそれは「乳脂肪分と狂牛病BSE」。

このふたつが繋がるなんて想像もできなかったですが、このタイミングで勉強できてほんとうによかったです。

▼まずは乳脂肪分について
牛乳のなかに含まれている油脂のことを乳脂肪分と呼びます。

3.5牛乳とか
3.6牛乳とか
3.8牛乳とか
4.0牛乳とか
牛乳パックの側面に書かれているこの乳脂肪分、多ければ多いほどいいと思ってました。濃くておいしいと。そう思ってませんでいたか?ぼくはそう思ってました。

でも中洞正さんは、本のなかで言います。

濃い牛乳がおいしいという考えがまかり通っていることが問題なのだと。

じつはこの乳脂肪分、ぼくたちがそんな感覚を持ってしまってるもんだから、あるとき乳業メーカーや農協が乳脂肪分3.5未満の生乳は買い取り価格を半値にするという決定をしました。

酪農家に言わせれば、普通に放牧して牧草を食べてもらってたのでは、この乳脂肪分3.5を超えることはできないのです。脂肪がたまる冬には達成できたとしても、夏に達成するのは不可能なのです。

だから酪農家は牛にとって健康的な放牧をやめて、牛にとって不健康な畜舎飼い(一年中ほとんど身動きがとれない場所で過ごす)をしながら、高い飼料を輸入しています。輸入先はもちろんアメリカです。

高くて不健康な飼料を牛に与えて、酪農家は豊かにならず、消費者は不健康な牛乳を飲み、アメリカの農業者が豊かになるという仕組みです。

こんな愚痴みたいなのを書きたかったのではないのです。笑

牛たちが食べる輸入配合飼料は原料が穀物(とうもろこし)でできています。船便で運ばれてくるためたくさんの農薬も使われていることでしょう。(いわゆるポストハーベスト問題)

牛というのは元来、青草を食べて成長していく動物ですので、第一胃から第四胃までの連携も青草を消化するためのものです。そこに一年中とうもろこし原料の配合飼料を与えていると、第一胃が病気になると中洞さんは言います。

そりゃそうだとぼくも思います。

配合飼料に端を発した病気が狂牛病にまで繋がるというのです。

狂牛病といわれる牛の病気があることくらいは知っていましたが、まさかこういう流れで発病するとは、という感じでした。

こういう難しい話はいったんこんな感じで作文しておき、翌朝のスタンドFMでもう一回話すとよく記憶に定着します。>
スタンドFM農家の一人朝礼はこちら↓
https://stand.fm/channels/63def6e44cdcce3e2526437f

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2023年12月9日(土)
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米津玄師さんのレモンを聴いていたところ、
実際に書こうと思っていたこととはぜんぜん違うことを書いていくような感じがしています。

逆再生でダンスするあの女性のせいか。

もうそろそろこの曲が終わるので、そこからは無音で作文しようと思います。


ちかごろはよく、
希望の持てない世界だなんだと聞いたりします。

ほんとうにそのとおりだなと思います。

27歳くらいのときに感じていた気持ちと、それはまったく変わりはありません。

豊かさとは、とか
即戦力に、とか
およそ興味の持てない社会が15年前にもありました。

そこから世界全員に背を向けて、自分だけ逆方向に進みはじめることができたことをいまでは少し誇りに思います。

この15年間、勉強したり経験したりしてきたことで、将来に希望を持てる農業の形がぼくのなかでできあがってきました。

現代農業とは似て非なるものです。

もはや農業とは呼べないような農業のやりかたで、たくさんの収穫ができた2023年は、たくさんの野菜を販売することもできました。

農薬と肥料を使わず、耕しもせず、水やりもしない農業です。

いまぼくの頭のなかには確信があります。

水と空気と土がきれいになっている未来。

戦争が盛り上がらなくなっている未来。

だから、

中国よ、台湾とたたかうのをもう少し待ってくれ。

ほんとうにその未来が実現するのは、ぼくが死んでからだと思うが、
あと3年〜5年で、ぼくが考えている未来をみんなに感じてもらえると思うからだ。

習さん、まじでたのむ。もうすこし待って。

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2023年12月1日(金)
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今日はインボイス制度をとりまく社会について書こうと思っているのですが、
寒くなってきたので、あたたかいお茶を体に流し込み、売り上げが減ってきてるなー、という心配な気持ちで書くので、どこからどういうふうに脱線していくのか、そちらも心配です。笑


インボイス制度のことを書こうとは思っているのですが、その制度自体にはなにも文句がありません。

日本の税制は複雑すぎるので、もっとシンプルになればいいと考えている一人なのです。

もちろん、
インボイス制度が発足したあとのグダグダ感は、制度をもっと複雑にしているので「もうやめて」と思わざるをえませんが、でもそのグダグダ感をつくっているのは納税者である国民だと思います。

そもそも、
インボイス制度が始まる前、いまから3年前くらいにこの法案は参議院を通過しています。


インボイス制度に文句を言いたいのなら、
3年前、すなわちコロナが来るのか来ないのかという話をしていたころに言うべきだと思うのです。

そのころに、
国民がよってたかってインボイス制度はやめとこうよ、弱いものいじめだよ(ぼくはぜんぜんそうは思ってません。)、といったような文句を言うべき。

実際、
インボイス制度はだめだって国会で発言してくれていた議員もいました。

文句を言うのなら、
そのときであって、いまじゃない。

いま文句を言うのは、
ルールにきちんと従う(法治国家)という大前提が崩れてしまうことを指す。

国会で何度も何度も嘘をつきまくったリーダーがいたおかげで、そのころからすこしずつ社会のなかで「誠心誠意つとめない」といった感じの空気が流れ始めたと感じることがあったが、その空気が巨大になって、いま僕たちが呼吸している空気のなかに混じっている。

いまの日本社会は「百年後の未来を生きる子供たち」のためになっていることをなに一つできていない。

ほとんどがそれは政治の問題なのだと思うが、
でも国民一人々々にできることはないのかと問えば、そんなことはないと思う。

決められたルールを守ること、
ルールが決められる前に盛大に文句を言うこと、
一度ルールが決まったのなら日本人得意の右にならえだ。

ぼくがこういう話をするときによく使うのが、
「信号のない横断歩道」の話だ、その横断歩道の手前にはダイヤモンドマークがあり、そのダイヤモンドマークのあたりから車は歩行者が横断の意志をもっているかどうかを確認しなければいけない、そのためのダイヤモンドマークだ。

歩行者が渡りたそうにしているにもかかわらず、とまらない車は都会において9割以上にのぼるんじゃないかと感じる。

ゴールド免許を自慢するために言ってるんじゃないよ。笑

ルールは守ろうよ、とぼくは言いたい。
守りたくないルールがあるのなら、ルールを守ったうえで声をあげようよ、とここ数年よく思う。

声をあげないのなら、
ルールを守ったうえでぐちぐち文句いってろ、とぼくは思うのですが、ぼくのこの考えは一般的な考えからかけ離れているのでしょうか。

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2023年11月28日(火)
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いやー、ほんとうに作文を続けるのは難しい。
じつに半月ぶりの作文です。
でもこの習慣だけは絶対に手放してはいけない。続かないことがあっても、かならずまたやる。


さて今日は、土壌は栄養だけでつくられるのではない。というテーマでいこうと思います。

土と内臓や、
土・牛・微生物や、
ぼくは今年DAVID MONTGOMERIさんの素晴らしい著書に出会うことができた。


その本では、
「土壌の栄養素は微生物を介して根っこに供給される」ということを学んだり、
「土壌肥沃度を決めるのは炭素だ」ということを学んだ。

いまの農業界では土壌の5大栄養素である、
窒素、
リン酸、
カリウム、
カルシウム、
マグネシウム、
が土壌の肥沃度を決めるということで一致しているが、この認識は少し間違えているとぼくは感じる。

炭素が土のなかになければ、土壌は肥沃とは言えない。

炭素といってもいろいろある。
ぼくたちの身体にとっても炭素はとても大切な元素記号だ。

有機農業をしている人たちは、有機物を土に加えるとの名目で、食物残渣や収穫したあとの残りカスや、米ぬか、もみ殻などを土にすきこむ。

そのほかの人々も「有機物」と唱えながら様々なものを土のうえにのせている。

これらのことも、ぼくは少しだけ間違えていると思う。

かれらに「有機物とはなんですか?」と質問するとはっきりした答えは返ってこない。

ぼくは農業における有機物とは、「炭素を含んだ自然物で、何年かにわたって分解されていくもの」と定義したほうがいいんじゃないかとさえ思う。

しかも彼らがいう有機物とは、数年後には完全に分解されてしまうものを指す。

それはつまり、せっかく活性した土壌微生物が数年後には住処を失うということを指す。土壌微生物は炭素を住処とするからだ。

土壌微生物が長い期間生活することのできる土が肥沃な土なのだが、そこには分解されない炭素が必要だ。

分解されない炭素、つまり炭だ。

ぼくは偶然にも竹炭に出会ったことで、分解されない炭素の重要性に気づくことができた。だからそれがどれくらい栽培に効果があるのかを身をもって知っている。

みなさんもどこかで聞いたことがあるはずだ。
肥沃な土は黒っぽい色をしていると。

あれは炭素が持つ色だから黒いのだ。

このことを世に広めようとすると逆風が吹きすさぶにちがいない。

何千年もの長い期間、分解されずに土のなかにとどまる炭を販売したところで、ずっと効き目があるのだから毎年それを売り続けることができなくなる。肥料屋さんは毎年売れ続けるものを売りたいのだ。

こういうふうに考えると、農業の問題もまた経済の問題であることに気づく。

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2023年11月17日(金)
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昨日の夕方に突然、電話をくれた女子高生から、今日の夕方も電話がありました。

彼女は奈良県のどこかの高校に所属していて、何年生なのかはわからない。テントハウスというチームに所属していて、そのテントハウスというチームはプロジェクトを持っているようです。

そのプロジェクトというのが、
耕作放棄地を利用してなにかのビジネスにつなげていこうというプロジェクトなのだそうな。

つたない敬語やビジネス用語を駆使して、質問してくる感じがとてもかわいいので、ひとまずは質問に答えていってあげようと思います。

▼プロジェクトは、
耕作放棄地

貸し農園

収益化

アプリ開発

集客増

という感じのことを話していた。

その内容を日本語にして、ぼくに話せるというだけですでに褒めてあげたいくらいなのですが、どうやら賢くて、もっと上を狙っているような雰囲気を醸しているので、安易に褒めるのはやめておこうと思います。

成長したいのか、
成功したいのか、
と質問したとき、

成功したいです、と彼女は答えました。

もし、成長したいと答えたら、飛んだあとはほとんど放っておいてミスしていただければいいかなと考えていたのですが、どうやらそんな感じでもないようです。

成功を手伝うためには、
ぼくがあなたたちのことを知らなさすぎると伝えました。ぼくは彼女のケータイにショートメッセージで氏名と住所を書き、簡単な経歴を添えて送信してみました。

さきほど、
それに対して返信がありました。

なんと、
キャリア甲子園なるものに参加したいというではありませんか。

キャリア甲子園、
本名、マイナビキャリア甲子園。

そんなものがあったのか、
ウェブサイトを見てみると、けっこう盛り上がっているような感じを受けました。

大企業が数社参加していて、
それぞれの企業がそれぞれの企業の立場からテーマをだし、そのテーマごとにビジネスプランを競っていくというものなのだそうです。

まだ名前も教えてくれない彼女ですが(涙)、
知識を出し惜しみする気なんてまったくないので、不合格か合格かわかるところまで、保護者になってやろうと思います。

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2023年11月16日(木)
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今日は、
「ジャニーズを批判する人が、大谷選手を応援する日本」というテーマで作文していこうと思います。

大谷選手はほんとうに偉大な人間だと思います。
彼のことは報道されること以外なにも知らないが、血のにじむような努力を絶え間なく続けてきたことだけは容易に想像ができる。


刀を鍛えるときのように、
強くたたかれながら努力を続けてきたにちがいない。

軍隊での鍛え方がそうであるように、
怒りや憎しみがあったほうが能力が伸びるということは、学生時代に部活をかじっただけのような人でも理解できると思う。

▼「なんでやねん」
とか、思いながら走らされたほうが、能力が伸びるのは事実だ。なぜなら、自分一人では絶対に甘えがでて到達できないような場所に、怒りや憎しみがもっていってくれるからだ。

この文章は、
大谷選手最高!とか、
ジャニーズあかんやん!とか、
言いたいためのものではないのです。


まわりのやつらが「筋とおってないやん」と言いたいのです。


アスリートでも、エンタメでも、そこは強いやつが強くて、勝ったやつがえらい、資本主義の頂上決戦のような場所です。


多少、遅刻したとしても月額の給料がかわらない、
パワハラからは守られる、一般的な世界とはちがうのです。


その一般的な世界の住人の目から見れば、
指示とともに殴られる世界や、
身体を売って勝ち上がる世界は異常なのかもしれない。


▼かくいうぼくは、
なかなかの負けず嫌いで、スポーツで競い合うことも大好きだった。弱いやつが強いやつに敬意をはらい、強いやつが弱いやつよりすこし大きな態度になることになにも違和感を感じないうえに、そこにできる、負かしたやつと負かされたやつの目には見えない絆のようなものが大好きだ。


民主主義(政治の話)という言葉の響きも好きなぼくは、
パワハラとかセクハラを許せない気持ちもよくわかる。以前は上司に対して殺意を持っていたし。


でもその問題を、
資本主義(経済の話)にあてはめるのはちがう気がしてならない。

大相撲という世界で頂点をきわめるために入門し、パワハラをうける。

宝塚という世界でエンタメの頂点をきわめるために入学し、自殺する。

ジャニーズという世界で頂点をきわめるため、身体を売ってのしあがる。


▼そんなことがあるのは入る前から百も承知のはず。


嫌ならやめてぬるま湯の世界にもどればいいんじゃないだろうか。もう一度出直しができるという点で、いまの世の中は最高だと思う。


自殺がいいとか、セクハラがいいとか言いたいのではまったくない。


もし本当に、自殺やセクハラをなくしたいと心の底から願うのであれば、
大谷翔平の健闘は祈れど、本気で応援なんてできないのではないだろうかと思うのです。

これがぼくが大谷選手を応援するときの葛藤なのです。

かっこいい、立ち居振る舞いも、プレーも、
それでも、自分から時間をあわせてプレーを見たりすることをあまりできないのは、この葛藤があるからなのです。


ナイロンやフリースなどの石油由来の服飾品をユニクロで手にとったときのような葛藤が、ぼくのなかにはあるのです。

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2023年11月12日(日)
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今朝はジョギングと筋トレを済ませたあと、
あたたかいお茶を準備して、
スタンドFMというラジオアプリのなかで仲のいい二人と、話をしました。

もともと今の日本の現状を憂いている三人なので、
話はもりあがります。

政治をかえるのは不可能という共通のキーワードをもちながら、行動しようとするぼくや、
それに追随しようとする友人や、
それを傍観していたい友人が、
いろいろな話をした1時間でした。

でも、
スタンドFM内で、全員が音声のみで日本のことを話すコミュニティをつくったところで、目をみて顔をみて話すわけではないので、これ以上は深まらないと感じました。

それを率直に伝えると、
二人も同じ意見のようで、
それならばと、

いままで通り、オフラインでぼくの家でガレージミーティングを開き、そこに集まった数人の話(日本に関するあれこれ)を盛り上げておき、その模様をスタンドFMで公開し、その場にいない人も音声を聞くことができ、メッセージをおくることができ、そしてもし何かここぞというときにはアプリを使って発言することもできる。

という状況をつくってみようという話になりました、
次回のガレージミーティングは、
12月16日(土)19時〜
開催します。

もしも、日本のことを憂うおじさんたちの話にご興味のあるかたは、オフラインでもオンラインでもご参加ください。参加方法がわからないときは電話やメールでお問い合わせください。

よろしくお願いします。

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2023年11月10日(金)
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今日は、菌根菌とグロマリンという題名で作文していこうと思います。

菌根菌とは、
植物の根っこの中に棲む土壌細菌のことですね。
植物の根っこから栄養をもらったり、逆に植物に栄養を送ったりしています、植物と助け合っている存在です。

グロマリンというのは、
菌根菌が土のなかに伸ばす手のようなものです、伸びたりベトベトしたりするその手で、菌根菌は植物の根っこが入り込めないところまで栄養をとりにいきます。そしてその栄養を植物に届けたりする役割があります。

そしてこのグロマリンは、
タンパク質でできているのです。ほんとうに手のようですね。

土に植物が生えて、
根っこが伸びて、
菌根菌が住みついて、
グロマリンが土のなかにでるようになると、

土はどうなるのでしょうか、

菌根菌がグロマリンを土のなかに放出すると、
土のなかの保水性が高まります。

農業にあまり関係がない人が聞いても、へーで終わってしまうこの保水性、じつは農業にとってものすごく大事なんです。

保水性がたかくなると、
暑すぎる夏でも、水やりなしで植物は生長することができます。ものすごく大切な要素なのです。



▼なぜグロマリンがでると保水性がよくなるのか?



それはグロマリンが一種の防水剤の役割を持っているからです。タンパク質でできていて、ベトベトしていて丈夫なグロマリンは、水は通さないけど、空気は通すという性質があります。

じつはこの、
「水は通さないけど、空気は通す」という性質が保水性にものすごい威力を発揮します。

それは、
土の団粒構造が、、、
と文章を続けるとかなり長くなるので、割愛しながら、結論のところまでとばせていただきますね。

耕さないという農業のやり方が、
菌根菌を増やします、
菌根菌が増えると、
グロマリンが土のなかに増えます、
グロマリンが増えると、
栄養が多すぎず少なすぎない野菜ができます。

不耕起栽培はまだあまり日本に知られていません、
「耕しもしないんですよー」というと、みんな怪訝な顔をします。
でも、
本当に、身体にいい野菜をつくろうと思ったら不耕起栽培ははずせません。



▼本当にからだにいい野菜をお求めであれば、


「不耕起栽培ですか?」
と農家に聞いてみてください。

「それじゃあ雑草はどうなさってるんですか?」
と尋ねてみてください。

「排水性はどうやって確保するんですか?」
と尋ねてみてください。

どのような回答が返ってきても、あなたには理解できないかもしれないですが、自信をもっているかとか、しどろもどろとかはわかると思います。

そこで、
逆に熱意を持って、野菜作りのことを話しはじめたり、地球環境に対する思いを話したりしはじめたら、その農家さんはほんまもんなんじゃないでしょうか。

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2023年11月8日(水)
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竹炭を畑で使うようになってからというもの、
「なんで自然は竹を猛烈に生やしているのか」という疑問をもつようになりました。

動物や植物など、
自然の営みにはすべてに理由があると考えているので、
竹が日本列島だけでなく、同じような緯度の国で猛烈に繁殖しているのにもなにか理由があるのだろうけど、どんな理由なんだろうと不思議に思っていました。

あれかなこれかなと思い巡らしていたのですが、
どうやらぼくがひとつ勘違いしていたから結論にたどりつけなかったのかなと思うことがありました。

どんな勘違いだったかといいますと、
いままで地球温暖化は、地面の下にあった水を人間が地上にだしすぎて、その水蒸気が温暖化ガスとして暗躍しているのだろうと考えていました。

でも、
最近読んでいた「菌根の世界」という本のなかで、
リグニンを分解する木材腐朽菌は3億年前には存在しておらず、そのころの木は枯れて倒れたとしても、分解されることなく折り重なっていたということを知りました。

折り重なってどんどん高くなっていく、倒木の山がその重みでぺしゃんこになり、それが石炭になった。

そういう時代のことを石炭紀と呼ぶのだそうな。

現代では、
そうやって1億年をかけてつくられた石炭が、掘りつくされ、もう簡単に掘り出せるものはなくなった。

そりゃ、
二酸化炭素も増えるよね。

と感じました。

いままでは、
二酸化炭素よりも水蒸気でしょと高をくくっていたのですが、どうやら炭素を堀りすぎたんじゃね?と考えるようになりました。

そこで、
竹林のことに話をもどします。

竹は1年で5メートルも伸びます。
猛烈な勢いで二酸化炭素を吸収して、体内にセルロースやリグニンという形で炭素を固定します。

竹は3年から6年くらいで枯れて倒れることが多いように思います。

そして、
放置竹林では、その竹が枯れると、ほかの竹によりかかったりなどして、茶色くなって斜めになっていたり、枯れたまま立っていたりします。

あー、
なるほど、
普通の木に二酸化炭素を吸収させてがんがん成長させても、枯れて倒れればその重みで地面近くまで倒れていくだろう。そうなればせっかく吸収した二酸化炭素も、木材腐朽菌によって分解され、また空気中に二酸化炭素として放出されてしまうことになる。

ところが、
そこで竹を使うと、
斜めに折り重なったりして、地面から離れたところで倒れているので、木材腐朽菌はあまり活躍できず、竹は上へ上へと折り重なっていく。

そのぶん二酸化炭素は、
石炭紀のときそうであったように、
炭素として固定され折り重なることになる。

これが自然が竹を使う理由なのかなと想像しました。

もしこれがあってるのなら、
ぼくが竹炭をつくりまくって炭素に固定し、
畑のなかに入れまくっているのは理にかなっているのかなと思いました。

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2023年11月6日(月)
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今日も引き続き、
DAVID MONTGOMELI著
土・牛・微生物を読んでいる。

DAVIDさんと考え方が似ているので、スイスイ読めてしまいます。しかもDAVIDさんは難しいものごとを簡単に書く才能があるのでしょう。

土壌微生物学というあまり聞き慣れない分野の話でもDAVIDさんに書かせると、おもしろおかしくなる。

先週から読み始めたばかりなのに、すでに第5章まで読めてしまいました。

どこに書いてあったのかは忘れたのですが、
日本人の福岡正信さんのことが書かれていました。2023年現在、すでに故人です。1970年代頃にすでに「自然農」の重要性に気づき、その農法でもって砂漠に種をまきにいった人で、ぼくの中ではものすごい偉人なのです。

ぼくのなかでは、という言葉を使うのは、あまりにも福岡さんが日本で評価されておらず、教科書にでてきてもおかしくないような人だとぼくは思うのに、その名前を知っている人が少ないからだ。

福岡さんは、
泥団子と呼ばれる種まきのしかたを編み出した人で、たくさんの種類の種と土をまぜて農地の上から放り投げ、あとは土が自らどの種子を発芽させるかを決めるのだ、という考え方をもつ人でした。

ぼくが無農薬無肥料の農法を研究しはじめて16年が過ぎようとしているのですが、泥団子の考え方は理にかなっていると感じます。

それをぼくが生まれるまえの1970年代にはすでに確立し、その方法でもって砂漠緑化の活動を進めた人なのです。海外ではかなり名前を知られた人です。

知ってる人いないですよね?

なぜか日本でよく起こる、
すばらしい人が日本では上までいけず、
海外でその名前が有名になる、
あの現象がこんなところにもあります。

この現象には本当に気をつけなければいけないと思っていて、
すばらしいことをすればするほど、日本ではスピードが遅くなっていく感じがします。だから日本にいるときは、ただただビジネスに邁進し、有名にはならず、講演会などをしたりするときには、海外向けにするべきなのだろうと思います。

同じ自然農とはいえ、農業であるだけに、それを行う人それぞれにそれぞれの道があります。

ぼくは福岡さんが歩いた道を歩くことはできないけど、福岡さんが歩いた道を参考にすることはできます。

いまではすこしだけ福岡さんの背中が見えてきたような気がします。福岡さんが歩いた道を参考にしながら、福岡さんが到達できなかったところまでいってやろうと思います。

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2023年11月3日(金)文化の日
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今日は、
「川崎から値引くコツ」というテーマで作文していこうと思います。

ぼくは15年くらい前からこの事業をしているのですが、
自分の事業にする約束事みたいなものがあります。
それは、
1、地球環境をよくすることだけをやる。
2、だれもやってないことをやる。

2のだれもやってないことをやる、というのは起業系の本などでもよくとりあげられることなので、そりゃまあそうだろうという感じなのですが、これをできてない人が意外と多く、それよりも意外なのがそういう人がかなり失敗しているということ。


ベーグルが人気だから、ベーグルのかわいいお店をひらいて、ベーグルを売る。ベーグルのお店が増えていってる最中に。そして閉店する。

タピオカドリンクが人気だから、タピオカのカフェをひらいて、友達同士で気軽に利用できるスペースをつくる。タピオカのお店が増えていってる最中に。そして閉店する。

みなさんのまわりにもそういう店がけっこうあるんじゃないでしょうか。


なぜそういう閉店が増えるかというと、
起業するときってけっこう怖いからだと考えております。


だから、
お店をやったこともない人が
他人が成功しているのを真似て(リスクを下げたつもりで)、同じようなお店を開くことになる。それがどんな大きなリスクをはらんでいるかも知らず(計算せず)。


だいたいこんな感じなのかなと想像しております。


いっぽう、
ぼくの場合は、
別に起業したくて起業したわけではなく、
地球が一方的に汚れていっているのに我慢ならず、しかもそれにだれもトライしようとしてないのが本当に我慢ならず、じゃあぼくがやってやる。という流れで起業したのでまわりに競合がおりません。


園芸用土の回収の仕事にしても、
農薬と肥料を使わない農業にしても、
だれもやってなくて我慢ならないから、自分で起業しました。


だれもやっていないことには、
だれもやっていないだけの理由があって、それらはやってみたあとでないとわからなかったことばかりです。

▼  たしかにそこにはリスクがある。

法律や経済、社会、ITのことを必死に学ばないと生き残れなかったりするし、数年後に訪れるリスクをまえもって察知しなければ簡単にやられてしまうこともありました。

そういったリスクや危機に出会うたびに、
勉強して強くなっていくので、いまではリスクや危機に出会うと少しワクワクっとすることも今のぼくにはあるのですが、おそらくそんなワクワクなんて普通の人たちは興味がないのでしょう。


でもまあ今日はそのことは置いといて、
いろんなリスクや危機を乗り越えて、ぼくはいまの事業をやっています。

そんな折、
あほみたいな人が、
ぼくの提示する金額を聞いて、
笑顔もなく、
「たかっ!」
と言ってくることが関西ではたまにある。

商人の町とか言われてたのかどうかは知らないが、それはもうとうの昔の話のように思う。関西以外の地域でお客さんと話をするとき、そういう言葉がでてくる雰囲気すらないからだ。


こういう感じで対応されると、
ぼくは心のなかで比較してしまうのです。
自分が乗り越えてきたリスクや危機と、
目の前のあきらかにあほそうな人が乗り越えてきたリスクや危機を。


「この人は地球のことだけを考えて生活していたりするか?」
「地球環境をよくするためのイノベーションをいつも意識して生活を変えてきたか?」
「そのために猛勉強してきたのか?」
「毎日ゴミをひとつ拾っているか?」
「そのために自分のいろんなことを犠牲にして時間をつくってきたか?」
「おまえがそんなことできるのか?」


かなり極論になるのですが、
値引かれようとしているときのぼくの心のなかはこんな感じなのです。

勉強もせず、自分の生活を変革しようともせず、最大のパフォーマンスをだすために健康状態を整えたりすることもない、おまえになんでぼくがサービスせにゃあならんのだ。


かなり身勝手な発想だとは思いながらも、
自分で道を切り開いてきたぼくにとっては普通の発想なのです。


▼  じゃあどういう値引きをしたらいいの?

先日、大阪の南のほうへ仕事でいきました。
注文をうけたときの電話では、貴婦人のような声でつつましく話すおばあちゃんの声が聞こえてきました。

指定の住所のところへ行くと、
そこは長屋のような建物でした、屋内も屋外もきちんと清掃されていて、こじんまりとした家をきれいに運営している印象でした。

でてこられたおばあちゃんは、話す言葉もきれいで、身につけているものにもよく手入れが行き届いている印象です。

いつもぼくはまず見積もりをします。
それは、「もしたかかったらその場でお断りいただいてオッケーですよ。」(値引きするくらいなら帰ります。)というスタンスでやっているからです。

その日、
ぼくは8,900円ですと伝えました。

するとおばあちゃんは、
本当に悩んでいるといったふうで、やはりそれくらいしますよねと言ったあと、
「もうすこし安くならないでしょうか、ほんとうにお金がなくて。」と本当に申し訳なさそうに交渉に入りました。申し訳なさそうにしつつも微笑みはなくなりませんでした。

▼  仕事を認められたうえで、お金がない、という言葉にめっぽう弱い川崎。

この態度で話しをされたときのぼくの心の中は、
「イノベーションも起こさない、ひたすらいまの生活を守るために生きてきた人のなかにも、社会のめぐりの中でちょっとお金が少なくなる人もいるよね。」
ということになっています。

自分が乗り越えてきたリスクや危機との比較はそこには起こりません。

そんな感じのため、
ぼくはいつもこう尋ねます。
「どれくらいのご予算でしたか?」

この質問はいいかえると、
あなたは普通の感覚を持っている人ですか?ということになります。

遠くからトラックに乗ってきて、そのための時間を割いてやってきて、日本でだれもやってない仕事をするためにやってきた。もしあなたが逆の立場ならいくらを請求しますか?という意味がこめられています。

みなさんも、
「ご予算はいくらくらいでしたか?」
と問われたときは、自分の中の計算だけで終始せず、相手の時間や経費も計算することをおすすめします。


そのとき、
おばあちゃんは5,000円くらいでいかがでしょう?と答えました。

了解ですと即答し、
仕事を開始しました。じつはもうそこには収支の計算はありません。

あとからでてきた仕事もサービスでこなしました。

トラックのエンジンをかけて出発するまえに、
おばあちゃんは手と手を合わせて拝むように、「川崎さん、本当に助かりました。ありがとうございました。」 と言ってくれました。

その言葉は、
まさにおばあちゃんが身につけている衣服のように、派手な装飾はないけど、すみずみにまで手入れが行き届いたような靴や袖口のような言葉だったように思います。

お金は負けましたが、
負けたという感じはまったくしない、すがすがしい体験でした。
こちらこそありがとう、おばあちゃん。

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2023年10月29日(日)
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今日もすこしづつ「菌根の世界」を読んでいます。
アーバスキュラー菌根菌のことが理解できるようになってからは、読む速度が少しあがりました。

もっと知りたい、もっと知りたいとなって読むのが速くなります。
(といっても人に比べると遅いのでしょうけど。)

農薬を一切使わず、肥料も使わず、耕しもせず、水やりもしない農業に従事していると、ひとつ大きな壁にぶちあたる。

それは「アブラナ科は難しい」ということです。

これは人からも聞いたりするし、本に書いてあったりもする。

でもその理由はよくわかっていない。
もちろんぼくにもよくわからなかったし、その理由が書かれている本に出会ったことはない。

書いてあったとしても、
モンシロチョウにめちゃくちゃ食べられるから、とか書いてあったりする。激しく同意できるが、もうすこしつっこんだ理由がほしいです。

でもいま読んでいるこの本には、
「アーバスキュラー菌根菌はアブラナ科の植物とは共生しない。」
とあった。

なるほど!!ナイス!!

アーバスキュラー菌根菌とは、
植物の根っこに寄生して、宿主である植物にリン酸などを供給するかわりに、グルコースなどの糖分を供給してもらっている。いわゆる助け合いの関係なので共生というのだそうだ。

ちなみにアブラナ科の野菜には、小松菜や大根、ブロッコリー、キャベツ、白菜などがある。

これらの野菜を育てるのが難しいのは、
アーバスキュラー菌根菌が共生しないからだとわかった。
でも、
おそらくアブラナ科の植物はほかの菌根菌を仲間につけて育っているにちがいない。次はそれをしるための読書の旅にでようと思う。

アーバスキュラー菌根菌は8割の植物と共生関係を結べるいわば万能な菌根菌だ。
共生できない植物でいまわかっているものはアブラナ科とアカザ科の植物なのだそうだ。

これにも激しく同意したい。

ぼくの畑でほうれん草(アカザ科)ができたことがない。

でも、ひとつ前に進むことができました。

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2023年10月27日(金)
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コロナがあって、

ロシアとウクライナの戦争が始まって、

イスラエルとパレスチナの戦争が始まっただけでは、ぼくの心はこんなに暗くならない。

いつのときでも日本国内に目を向けるとき、ぼくの心は葛藤の渦に飲み込まれる。

平安時代よりももっとずっと昔から日本という国はこうなのだと考えると暗澹たる気持ちになる。

たとえ日本が戦争に巻き込まれても、
動かない人は動かず、選挙にいかない人はいかないし、あいかわらず政治を運営している人たちは惰性で、家族が戦争にいくことになったころにはじめてこれはだめだと気づいて、動こうとしてもその流れをとめることはできない。

その流れは2023年10月27日の今日であればまだぎりぎりとめることができるような気がする。

そのための行動はスタンドFMという音声アプリのなかでコミュニティをつくるという形で努力しようと思う。

今日、作文しようと思ったのはそのことではなくて、
「ほらやっぱりね」
という言葉で締めくくる物事をまとめてみようと思う。

ブラック企業をやめられない人はなぜやめられないのだろうか、それはやっぱり、仕事をやめるとお金がなくなって食べられなくて死んでしまうから。ほかの企業で生きていく勇気もなければ努力もできない人なのだろうけど、死んでしまうのは問題のような気もする。

プラスチック製品をえんえんと作り続ける会社で働き、地球に負荷がかかると思いながらもやめられない、それはやっぱり仕事をやめるとお金がなくなって食べられなくて死んでしまうから。

コロナがきて在宅する時間が増えたというのに、小学校ではオンライン授業に切り替えることができない、政治力のなさはおいておいて、オンライン授業にすると、日本で一番オンライン授業がうまい先生が活躍して、そのほか多数の先生たちの無能さが際立つことになる、なんでだめなの? やっぱりそれは、先生の仕事がなくなって先生たちがお金をもらえなくなって食べられなくなって死んでしまうからなのじゃないだろうか。これははたして単なる極論なのだろうか。ほかの活躍する道を探す勇気もなければ、努力するつもりもないけど、その人たちが死んでしまうのはなんかちがう気がする。

例をあげれば、枚挙にいとまがないが、
ニュースになったりする社会問題は、
最後の部分に、
「食べられなくて、死んでしまうから」問題なのじゃないでしょうか。

この20年ちかく、
そのことばかりを考えて、農業の形を考えてきました。

ぼくの農地は今年から来年にかけて、
とても大きくなります。

5年後にかけてもっと大きくなります。

10年後にかけてもっと大きくなります。


イスラエル軍がパレスチナ自治区に地上侵攻をはじめました。
いま、
なにが問題ですか?
どうやったらこの戦争、もりあがらなくなるのだろうか、
難民のことが解決できればどうだろうか?

ガザ地区の北部から侵攻するため、
一般市民は南部に避難しろと言われています。
南部に避難したり、そのままエジプトに渡るのかどうかとか言われています。
そこで問題なのは、避難した人たちの食べるものがどうやらなさそうで、死んでしまうのが一番問題なんでしょ。

もう機能していない国連で働くみなさん、人道上の問題がそこにあるから大騒ぎになるんじゃないでしょうか。

ほらやっぱりね。

だからぼくは農薬も使わず、肥料も使わず、耕しもせず 、水やりもしないやり方で野菜を収穫する研究を続けてきた。

待ってろ、
ぜったいに戦争が盛り上がらなくなるようにしてやる。
この戦争では無理だけど、
次、ばかな戦争がおこりそうなときは、ぼくが難民キャンプに畑をつくってやる。

見てろ、
そうなったころには、
地球の水はピカピカで、
空気はよどみなく、
土はくろぐろとしているはずだ。

がんばれかわさき、野菜をつくりまくれ。農地を広げるんだ!!

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2023年10月26日(木)
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今日もいろいろなことをこの本が教えてくれています。
「菌根の世界」斎藤雅典編著

先日はこの本が、
石炭がどうやってできたかを、地球のなりたちとともに教えてくれました。思考が前進した感覚がありました。

このことを学ぶまえから、
うっすらと自分の中にあった仮説で、
「ぼくがやっている農法はとどのつまり、土壌の状態を1万年前とか、1億年前の状態に戻そうとしているのかもしれない。」
というのがあるのですが、
やっぱりそうなんじゃないのかなと、その仮説が一歩前に進みました。

自然が何億年もの時間をかけて作った石炭(炭素)を、
人間が掘り起こしエネルギーとして使って、地面に埋まっていた炭素を空気中に、二酸化炭素として放ってしまいました。

ぼくが農業のために最近やっていることといえば、
日本中であまりに余っている竹を竹炭(炭素)に変えて、それを農地に埋める、そうすると農薬や肥料を使わなくても野菜を収穫することができるのです。

そこで、
最近ぼくの頭のなかにある、酸性アルカリ性の話がドッキングして、
1億年前とか、
2億年前とか、
3億年前とか、
植物が海から陸へ進出してきたあとの時間で、
一体どういうふうに土壌の酸度は変化してきたのだろうという疑問が頭に浮かびました。

もしこの疑問に答えがあるのなら、
その答えにむかってぼくの畑を進ませればいいだけだと思ったのです。

そこでCHATGPT先生に聞いてみました。

でも、
その答えはあいまいでした。

地域や気候によってバラバラで、たとえば針葉樹のある地域では、針葉樹が生成する酸性の有機物のため酸性に偏ったりする。 とのことでした。

さすがのCHATGPT先生も原始のこととなると、
すこし解像度があらくなるようです。

でも、そりゃそっか、と思う自分ももちろんいます。

仮説はまだ仮説のままだけど、
土のなかには炭を入れつづけ、
灰によって土壌をアルカリ性にもっていく、
これで野菜を含めた多様な植物ができれば、
おそらくはそれはぼくが求めている方向なのだと思います。

せっかく地球をきれいにするための農業を志しているのだから、
戦争が盛り上がらなくなる農業や、
感染症がなくなるための農業や、
人間が増えすぎないための農業、
なども視野に入れながら進んでいこうと思います。
どの課題もなかなか巨大ですが、だからといって初めから諦めるのはだめでしょ。

がんばりまーす。

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2023年10月25日(水)
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最近は「菌根の世界」斎藤雅典編著という本を読んでおります。

根っこと土壌微生物との共生関係を勉強して以来、
土壌微生物の知識が増していくばかり。

「菌根」とはなんなのか、
みたいなことも作文しておきたいのですが、

今日は「石炭」のことを作文してみようと思います。

みなさん石炭がどういうふうにしてできたか知ってますか?
ぼくは
古い時代の木が折り重なって積もって、長い年月をかけて圧縮されて・・・、みたいな想像でした。

その想像はどうやらそれであってるらしいのですが、
その過程でひとつぜんぜん間違った想像をしている箇所がありました。おそらくみなさんもそうだと思われるので、今日はそこを作文します。

一緒に地球の歴史をさかのぼりましょう。

140億年前くらいに宇宙ができあがりました。ん?いまもふくらんでるんだっけ?

45億年前くらいに太陽系ができあがりました。太陽や地球、月もその頃にできました。全部同時?

30億年前くらい、地球はドロドロの溶岩の塊でした。
ぼくが愛してやまない水や空気、土、植物はまだありません。

すこしずつ地球が冷えてきて、水が誕生します。

水は雨となり溶岩を冷やします。

水はたくさん増えていきます。
地球全体が海になりました。
これが10億年前くらいでしょうか。
海のなかでは植物や生物が生まれたそうな。

地殻変動でハワイのあたりに地面が顔を出します。

この頃の空気中の二酸化炭素は現在に比べると20倍くらいの濃度がありました。

海から顔をだした地面に波がぶつかり、湿ったり乾いたりする状況が何万年も続きました。

そんな状況で、
波打ち際で、シアノバクテリアという藻類が生まれます。
はじめての光合成です!!

大量の二酸化炭素をシアノバクテリアは吸収し、
酸素を放出していきます。

海がまずは酸素で満たされます。
余った酸素は大気中に放出されます。
二酸化炭素は減り続け、酸素が大気中に増え続けます。

すると、いままで太陽から強烈に降り注いでいた紫外線が和らいできます。

なぜかというと、
酸素(O2)が増え続けたことにより、
オゾン(O3)が成層圏に層を形成したからです。

これがきっかけで植物が地上に進出したり、海中の生物が地上で生活できるようになってきました。

これが4億年前から3億年前の話です。

この4億年前から3億年前の話を、
地理学とか、地質学とかなんとかいう学問では「石炭紀」と呼びます。


すこし話を現代に移してみましょう。
いま、ぼくたちは木がたくさん生える森の中に足を踏み入れると、木が倒れていたり、落ち葉や枯れ枝があいまって、微生物に分解されてなんだかフカフカしたものになり、そのうえを歩くことになります。倒れた木もすこしずつ分解されていき、ボロボロになります。

木(リグニン)と言われるものを分解する微生物がいる、というのは現代では普通です。

土のなかに棲息する土壌微生物の一種が木を分解することが知られているため、木材を水に浮かべて保存することも一般的です。

それでは木(リグニン)を分解する土壌微生物は、
いつ頃から土の中にいるのでしょうか、
地球が溶岩だった30億年前には地球上にいたでしょうか、
絶対いませんよね。

溶岩が冷えて海だけになった地球上にいたでしょうか、
まだいなさそうですよね。

大地に強烈な紫外線が降り注いでいた10億年前にも、まだいないでしょう。

シアノバクテリアが二酸化炭素を吸収しまくって、酸素を放出しまくって、オゾンができてきた頃、4億年くらい前、ここでもまだリグニンを分解する微生物はまだ生まれてません。

オゾンができて紫外線が弱くなったおかげで、
水中の植物や生物が地上に進出してまいりました。大地にはシダ系の植物が信じられないくらいの高さまで生長したといいます。
でも、
ここでもまだリグニンを分解する土壌微生物は生まれていませんでした。

だから、
シダ系の植物が信じられないくらいの高さまで生長して、
枯れて、
倒れたあとも、
そこで分解されることなく、
そこで腐敗することなく、
折り重なって、
積もっていく、
重さに耐えきれず、
折れて、
また折れて、
どんどん隙間がなくなっていく、
二酸化炭素が多いのでまだまだ地上では植物が生長しては倒れてを繰り返す、
ものすごい重さになってもまだまだもっと重くなっていく。

現代では信じられないような光景だけど、
こうやって何億年もの長い時間をかけて、石炭はできあがってきました。

たくさんの二酸化炭素を含んで石炭はできあがりました。


現代と比較して20倍もあった二酸化炭素はリグニンという形になり、石炭になり、地面のなかに眠ることになりました。

二酸化炭素濃度がうすくなったおかげで、
植物や生物や人類が生きていられるのにもかかわらず、
19世紀以降、ぼくたち人間は石炭を掘り続け、
いま温暖化だとかなんとか騒いでます。

ホモサピエンスはラテン語で、
「賢いヒト」
なのだそうです。




どこが?



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2023年10月21日(土)
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今朝は早くから起きだし、
畑に行ったあと、大阪の南のほうへ仕事に行ってきました。

あるマンションの前についたぼくは、
お客さんの指示通り、ケータイに電話をした。
いまからゲートを開けにいきます、とのこと。


お母さんと息子さんがでてこられて、
そのまま仕事開始とあいなりました。
仕事は順調に終わりました。

それだけなら、こんなところに作文をする必要もないわけで。

今日、作文しようと思うのは仕事のことじゃないのです。

そのお母さんと息子さんのことなのです。

めちゃくちゃ失礼だとは思ったのだが、
その二人の親子を見たとき、こう感じてしまいました。

この二人、SEXしたことあるんじゃないだろうか。

まずは状況を説明しましょう。

お母さんのほうはおそらく60歳前後。

息子さんのほうはおそらく30歳代で、発達障害なのだろうか、もっと一般的な障害なのだろうか、その立ち振る舞いや距離感から障害があることに気づきます。
なにか精神疾患のようなものなのかもしれません。
身体機能的な障害ではないような感じがありました。

その親子の距離感は彼氏彼女の距離でした。

そして、
ぼくがお母さんと仕事についての話をしているとき、
息子さんはいろいろな動きをしていました。

その息子さんの動きは彼女を守る動きのようでした、
もちろんお母さんを守る動きのようなときもありましたが、大半は「彼女を守る動き」のように感じました。


まあ、

でも、

それはそれでいいんじゃないかな、

と、ぼくは思ってます。


でね、

今日ぼくが作文したいのはここからです、

LGBTがどういう単語の略なのかも知らないぼくです、
性同一性障害ってなんで性を二回も使っちゃったの、と考えてるぼくです。

そんなぼくでも、
人はみんな対等に生きればいいとだけ思ってます。
どれだけ弱い人もどれだけ強い人も貧乏な人もお金持ちも対等につきあいさえすればいいとだけ考えています。

そんななか、
LGBTに関する法律が成立するならしろ、時間を無駄にしないでくれとだけ願っているぼくがふと思うのは、
LGBTとか性同一性障害とか同性婚とかの問題の当事者の人たちは、

マザーファッカーに対してどう思いますか?

動物のことを本当に愛していて、動物とSEXするにいたり、動物と入籍したいという人がいたらどう思いますか?

自分よりももっと少数派の人のことを考えてますか?

という疑問がいつも心のどこかにひっかかってます。

ひっかかってるんですが、はっきりいってそれすらもぼくのなかでは些細なことなのです。

戦争がどうやったら盛り上がらなくのかとか、プーチンさんのような人がでてこなくなるシステムとはどんなかといったことのほうが、ぼくの心の中の大半を占めているからです。

弱者と呼ばれるあなたたちが、戦争が盛り上がらなく方法とか、プーチンさんのことを声高に叫んでくれるのなら、ぼくの心はもっとLGBTとか性同一性障害とか同性婚のことにもっと積極的になれるのにと考えるのです。

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2023年10月19日(木)
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大根が育たない畑。

大根というのは、あれです。
みなさんもきっとご存知の白くて、煮物にするとおいしくて、葉っぱもなかなかおいしいあの野菜です。

おつけものにしても最高ですね。

その大根がぼくの畑ではうまく育たないという話をしたいと思います。そんなところでひっかかってんだ、の共有です。


農薬も肥料も使わず、耕しもせず、水やりもしないというやりかたで、畑をしているのですが、今年(2023年)あたりから、たくさん収穫ができるようになってきました。
プチトマト、
トマト、
ナス
あたりが収穫できてとても嬉しい一年になりました。


いわゆる自然農というやりかたで農業をしている人たちが書いた本のなかで、大根というのは育てるのが簡単だといわれているのですが、 ぼくの畑ではできません。カブもできません。


はるかに難しいと言われるブロッコリーは昨年成功したのにです。


ぼくの見立てでは、土壌が柔らかくないから、土の奥深くまで大根の根っこが入っていけないのかなと思ったりしています。


そういう物理的な問題と合わせて、
最近では酸性すぎるのかなとも考えるようになってきました。アルカリ性の灰をまくと、土の中にある栄養素が溶け出して、植物が吸収しやすいかたちになるといいます。
それに、栄養素が溶け出したあと、そこには隙間ができて排水性や透水性がよくなるそうです。
ということは、
その隙間を使って大根の根っこはもっと下にいくことができるのではないかな、と思ったりしています。


でもその一方で、
ぼくが持っている土壌酸度計の説明書には大根は酸性土壌に適していると書かれています。

どういうことだー!!
なぜぼくの畑で大根はできないんだー!!

とりあえず酸度を計測しつづけていきます。

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2023年10月18日(水)
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土壌に灰をかければ良い土になるということは、
花咲かじいさんの頃から知られている。

でも灰がどういうふうに土壌にいいのかはあまり知られていない。

かくいうぼくも、
灰はアルカリ性だから土壌にいいのだ、としか理解していなかった。

酸性土壌が植物の生育によくない、というのはだれしも聞いたことがあることかもしれない。

じゃあ、
アルカリ性の灰を土にかけるとなぜいいのか、というところをチャットGPT先生に聞いてみた。

一つ目は、
栄養素の話だそうだ。
酸性の土壌では溶けていない栄養素が、アルカリ性になると溶け出し、植物が吸収しやすい形になるのだそう。

二つ目は、
土壌微生物が関係する話。
酸性の土壌では生きられない土壌微生物が、アルカリ性土壌になるといきいきと活躍し始めるのだそうな。
最近の研究では、土壌中の栄養は微生物を介して根っこが吸収するということが知られている。
その活躍する土壌微生物が増えるのだ。

なるほどー、
チャットGPT先生、いつもお世話になっております。

お知らせです。
ぼくは農薬と肥料を使わず、耕しもせず、水やりもしない農法で野菜を作っております。
2024年春頃から、
キヌサヤ、
スナップエンドウ、
あたりが収穫できると思います。
本当に健康的な野菜をお求めのかたに販売しております。すこし高いですが、いかがでしょうか。メール、電話、お問い合わせフォームなどで受け付けております。

水やりのことを提案していただき、ありがとうございます。
【長文になるかもです。】

川崎はこの事業を、ゴミを減らすためだけに行なっております。
花はきれいだなーとは思いますが、
一つの命として認めていないようなところがぼくの心の中にあります。 
クローンやAIを見る目で花を見ているような感じです。
なぜならそれは循環しないからです。
 でも、
山の中に自生している花などには命を感じます。自然にたいする畏怖の気持ちがそこにはあります。死んでは生まれるという循環がそこにはあります。侘び寂びに通じる部分でしょうか。 

すこし話を転じてみます。

・無駄なものを生産し、売れ残り、廃棄する直前になり、『物を大切にする感覚をもつ普通の人』が、それはもったいないと自分の家に持って帰り、その人の家がゴミ屋敷となる。

・売れるかどうかもわからない命を交配し、売れ残り、殺処分される直前になり、『命を大切にする感覚をもつ普通の人』が、それはもったいないと自分の家に持ち帰り、その人の家が動物屋敷になります。

・売れるかどうかもわからない花を生産し、売れ残り、埋め立て処分される直前になり、『花を愛でる感覚を持つ普通の人』が自分の時間を犠牲にして、花の命を長らえようとしてくれる。

  水やりをすることで誰を利することになるかといえば、売れ残ったあとの責任もとらずに生産している生産者ではないでしょうか。
 もうすでに耳にタコができている人もいると思いますが、
ぼくはこの事業でゴミを減らしたいだけです。 

もう少し解像度をあげて話してみると、
ぼくは売れ残ったあとのことも考えずに生産する生産者に、自ずと売れ残ったことを考えさせ、考えないと自分にブーメランが返ってきて痛い目を見る、という状況にもっていきたいと考えています。 

プラスチック製品にしても、
動物にしても、
植物にしても、
そういう法律ができれば一番いいのですが、司法も立法も役に立たないのは皆さんもご存じだと思うので、それならビジネスの力でどうにかしてやろうというのがぼくの気持ちです。(無理とわかった瞬間に一瞬で撤退しますが。) 

あの駐車場で売れ残った花の苗は枯れたあと、土、枝、根っこを分別したあと、
【土の部分は】
ぼくの畑で3年をかけていい土に戻したり、欲しい人に無料でわけたりしています。
【枝や根っこは】
ぼくの畑で発酵し、微生物やミミズやモグラの働きで自然の土に戻します。 土を根っこと分別するときに、植物が完全に枯れている状態だと、作業がものすごい簡単です。
でも、
土が湿っていて、植物がまだ生きているときは分別する作業がかなりたいへんになります。 

こんなところまで読んでいただき、ありがとうございます。

もし、あなたがここまで読んだうえで疑問があったりしたらリプライで質問してみてください。 そのうえで、どうしても植物たちがかわいそうで水やりをしたいという気持ちなら、ぜひ水やりをやってください。

人は(とくに日本人は)自分のやりたいと思うことをやってみればいいと思うからです。 
きれいな花を安くでみんなに届けたいなんて、微塵も考えたことがありません。
ぼくはゴミを減らしたいだけなのです。あなたの耳のタコ、今度みせてくださいね。笑

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2023年9月26日(火)
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社会人になってからも、ぼくはアルバイトをいろいろなところでやってきました。

自分の知らない世界を覗き見できるので、アルバイトはいい勉強になる。

これからも続けていきたいと切に願っているのですが、そうも言ってられなくなってきました。

野菜ができはじめたからです。

野菜ができなかったころは、
「前人未到の場所への冒険だ」という言葉を、良くも悪くもいいわけにして、アルバイトという業務を前向きに遂行していました。どんな業務を割り当てられても、そのなかで成長する道を探し、どんなに些細な効率でもよくしていこうと考えていました。

でも最近では、
それができないのです。

「前人未到の場所まであともう一息なのに、ぼくはこんなところでなにやってんだ」という気持ちが出てきてしまい、よくも悪くも、自分のやらなければいけないことがはっきりと明確に目の前に見えてくるのです。

答えはありませんが、これがぼくの最近の葛藤です。

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2023年8月29日(火)
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昨日は宝塚市で仕事をしておりました。
太陽が強くなる前に仕事をさせてもらうことになり、早朝に家を出て、宝塚市で七時頃から仕事を始めるのですが、その現場に到着する前に、宝塚歌劇場の前を通りすぎました。


宝塚歌劇場を通りすぎるのは、ぼくはとても好きなのです。


なぜかというと、そこを通るとときどき、宝塚音楽学校の生徒さんや、歌劇団に所属する女優さんが道を歩いていることがあります。


かれらはただ通行しているのではありません。


胸を張って、凛とした姿勢で歩くことをしています。太陽がどれだけ強かろうが、「女の美しさはそんなものに負けません。」と主張することを歩きながら無言で行っているように見える。


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ものすごい魅力です。
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でも、憧れるという気持ちがさまざまな宗教のなかで、悪とされていると知ってからは、その憧れを自分に向ける方法を考えたりします。


自分ならどういう立ち振る舞いをするのがいいのか。
人として魅力を発するためにはどうたち振る舞うべきなのか。


これからぼくは圧倒的に勝っていかなければいけない、そのためには人がついていきたいと思う人にならなければいけない、話し方を練習するためにスタンドFMで毎日話したり、(こちら→ https://stand.fm/episodes/64ed3197cf88e3b8ed489568 )

立ち振る舞いを意識したりしているが、自分より優れていると思う人を見たり、そういう人と話したりすることほどいい影響を受けられるものはないと思う。


そういった意味で、宝塚歌劇場の横を通り過ぎるのは大好きだ。


昨日は、宝塚音楽学校の生徒とおぼしき女性が制服を着て歩いていた、ぼくは宝塚音楽学校の制服を詳しく知っているおっさんではない。


ただ一目みただけで、ああ彼女は宝塚音楽学校の生徒なのだとわかるのです。髪の毛はリーゼントで固めているし、姿勢が強烈に美しく、そのまま歌劇場の舞台に立てるような雰囲気を醸しながら颯爽と歩いているのです。


だれでも一瞬でそれとわかると思います。


だれでも彼女を見ると、自分を顧みると思います。


そのときの感覚がぼくは好きだ。


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さて仕事です。
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身が引き締まっていくのを感じながら、仕事に向かうと、すでにお客の女性が家の前で待っておられました。


仕事は思ったより順調で、太陽がのぼる前に終わらせることができました。


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仕事おわり。
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その女性と出会って、仕事をして、仕事を終わらせるまでいろいろなことを話していました。


もともとスタンドFMの配信を聞いてくれていたようで、話が盛り上がっていくのも早かった。


この国のことを憂いたり、


子供達のいく末を案じたり、


普通の大人が普通に感じる不安を話し合ったあと、彼女はこう言ってました。「こんな世界を残してごめん、こんな世界に産んでしまってごめん。と最近よく思うんです。」


激しく同意しました。


でもおそらくこの感覚はいまに始まったものではなくて、千年以上も前から大人たちはそういうふうに考えてきたのではないでしょうか、そう思いながらもなにをすることもできず、戦争になったり内乱になったりして、ただ涙を流してきたのじゃないのかなと最近よく考えます。


ぼくたちはいま、その戦争と戦争のあいだに生きていて、この平和な時間が永遠に続く方法を考案しなければいけない。そんな時代に生きているのだと思います。


戦争で死んでいった人たちは、ぼくたちにそれを求めているんじゃないだろうか。逆の立場ならぼくはそう考えると思う。そして「おまえらなにぼさっとしてんねん。」と言うだろう。


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続けてきて本当によかったと思う。
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無農薬、無肥料、耕しもせず、水やりもしない農法を研究し始めて17年くらいが経とうとしているが、これを続けてきて本当によかったと思う。


どれだけの問題をこの農法が解決できるのだろうと思う。
・食糧問題。
・栄養問題。
・環境問題。
・労働問題。
・戦争の問題。
・資本主義の問題。
・民主主義の問題。


すべての問題を解決するきっかけをこの農法は持っているように感じます。


これからはもうすこし配信の濃度を濃くして、音声にしたり、文章にしたりしていこうと思います。


無農薬、無肥料、耕しもせず、水やりもしない栽培方法でとれた野菜を販売しております。お問い合わせは素人感満載のウェブサイトからどうぞ。 http://kankyojigyo.com/sub11.html

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2023年8月17日(火)
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実務編

文字でも、音声でも、配信ということに慣れてきました。

文字でも、音声でもこれからは、ぼくのやっている農業の実務編と称して、作業のしかたや、その作業に関する考え方、などそのほか実務に必要と思われることを配信していこうと考えました。


無農薬、無肥料、不耕起、水やりなしの農業をぼくは16年くらい研究してきたのですが、その間はほぼ収穫ができませんでした。今ではたくさん収穫できるようになりましたが、このシンプルな農法もわかるまではとても難解に感じました。


あとに続く人がこの難解な部分を少しでも早く突破できるように、文字にしたり、音声にしたりして解説していこうと思います。


長い間、研究してきたように、平和にこのまま農業を続けていくことができればいいのですが、中国と台湾の昨今の情勢や日本国内の問題を鑑みれば、それも長くは続かないと感じ、実務編を始めることにしました。


第一回の今日は、
ケガ
についてです。
心構えの話になっていくと思います。


この農業を通して世界を変えようとあなたがもし思うのなら、まずは、圧倒的に稼がなくてはなりません。 あなたが圧倒的に稼ぐと才能のある人間が集まってきます。


いまその才能のある人間はIT業界に身を投じていたり、自分で会社経営をしたりしているはずです。能力を発揮して稼ぐにはその場所が便利だからです。


それ以上に稼ぐことができて、地球環境もよくなるのなら、あなたのもとに才能が集まってくるかもしれません。


そういう人たちは往々にして、人の仕事のやり方をみているものです。


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あなたがついていくべき人間なのか。
============
あなたという人間がついていくべき人間なのかを見極めるはずです。


そのときにひとつの基準になるのが、
「けがに対する姿勢」
です。

・ケガをしないという姿勢。
・ケガをさせないという姿勢。
・それでもケガをしたときの備え。


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ケガをしないという姿勢。
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姿勢という言葉を使いましたが、ケガをしないという気持ちは最終的に姿勢にも現れます。


なんだか禅問答のようになってきましたが、笑


仕事をしているときの体の姿勢を考えたことがあるでしょうか?骨盤の角度は?
肩甲骨の位置は?


あなたが休息をとっているとき、本当にすべてのリスクを排除できているでしょうか?


ぼくは、鎌を使うとき、手袋をしないようにしています。ぼくが鎌を使うのは、野菜のそばの草を刈って草マルチにするときがほとんどです。


手から得られる草の情報を大切にしているということも大きな理由のひとつですが、もうひとつ大きな理由をあげるとすると、ぼくは刃物を扱うときの感覚を鋭いものにしておきたいのです。


刃物の扱いかたは、ほかの人が評価する大きな基準です。


ぼくたちが刃物を気軽に扱う人間なのであれば、あとからついてくる才能ある人たちは離れていくでしょう。


そして、どれだけ注意していたとしても、疲れていたり、集中できていないときは必ずあります。そんなとき、ぼくは必ずケガをします。


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ケガをさせないという姿勢。
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ぼくがケガをするときは、ほかのいろいろなことを考えながら作業をしているときです。

たとえば草刈りをしているときに、瞑想のような状態になり、草刈りのこと以外はなにも考えていない、もしかすると草刈りのことも考えていないのに草刈りを黙々としている状態になると、ぼくはケガをしません。


なぜかはわかりませんが、そんなときぼくはケガをしません。


自分がケガをするとき、
自分がケガをしないとき、
がわかればケガをしそうな人、
もわかってくるものです。


============
ケガをさせないという姿勢。
============
そこまで考えて仕事をしていても、
それでもぼくたちはケガをします。
そのときのためにぼくがしていることは、

・移動する車のなかにティッシュをいれておく。
・持ち歩くかばんにテーピングをいれておく。
・救急車を呼ぶときのことを消防署に相談しておく。(農地は住所で説明しにくい。)

ほとんどの場合はティッシュとテーピングでなんとかなります。

ぼくたちは土の上で作業をしています、草を触ったりして濡れていたりもします。そんなときに絆創膏はあまり役にたちません。

そのとき必要なのは止血をすることなので、テーピングのグリップ力が役にたちます。


ぼくが行う応急処置はかなり素人のものですが、止血には成功しています。医療関係の仕事をしたことのある人であればもっと他の方法を準備しておいてもいいと思います。でも、その準備自体が農作業だけでなく、営業、販売、梱包発送、事務作業、そのほかの業務の邪魔をせず、そのほかの業務にも役にたつようなものであるほうがいいとぼくは考えます。

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2023年8月15日(火)
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高めの価格に設定した、2023年夏野菜セットのなかには
ミニトマト(あいこ)
中玉トマト、
オクラ、
が入ります。


時期によって、
ナス、
ししとう、
パプリカ、
枝豆、
などが入ります。

メルカリに一度だしてみようかなと考えたのは、この野菜たちを是が非でも売りたいというわけではなく、この野菜を求めている人に出会えるかなと考えたからです。

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無農薬
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無農薬といっても最近ではいろいろあるようで、これの説明をしなければいけません。ぼくの農地では、化学的に生成された農薬はもちろん、有機的に生成された竹酢液や木酢液なども使いません。
 除草剤はもってのほかです。
 栽培期間中だけ農薬を使わないというのではなく、ぼくがその農地を使っている間ずっと、農薬を使いません。


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無肥料
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 化成肥料を使いません。
 EM菌やぼかし肥料など、有機的な肥料も使いません。ただ、年に数回、米ぬかを振りまくことがあります。ひとつの作物の栽培が終わり、次の作物に移るとき、米ぬかをふりまくことで土壌微生物を多様化できると考えるためです。

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耕しもせず
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 雑草はなぜ耕してもいないのに、夏の暑いなかを旺盛に生きられるのでしょうか。きっと耕しもせずに野菜を栽培することはできると思います。


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水やりもせず
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 ここでみなさん「うそやーん」みたいな顔をなさるのですが、雑草はなぜ水やりもされてないのに夏の暑い日を旺盛にいきるのでしょう。
 これを実現するためには、気象の勉強は必須です。それと朝露の原理を勉強すること、ほかの草と水分のやりとりをしているのじゃないだろうかと想像すること、これらが重要になってきます。これらを実現すると、圃場はすくなからず雑草に覆われることになります。

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15年間、無収穫。
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 15年間、無収穫で研究してきたこの農法ですが、2022年頃から野菜ができはじめました。 現代人の栄養の問題、食糧問題、環境問題、これらの問題を解決する農法をずっと探してきたのですが、どうやら見つかりました。 いまでは○○を盛り上がらなくする方法にもなるんじゃね?という大きな野望もできてきました。

河南菜農園 川崎康裕

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2023年8月4日(金)
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今年、ぼくの畑ではパプリカができました。
写真に写っているのが、パプリカなのですが、我慢できずに緑色の状態でとってしまったものです。


現代農業のことについてはほぼ無知ですが、自然農や自然栽培と名前のついている農法においては、パプリカは栽培するのが難しいとされています。同じ種類のピーマンやししとうもありますが、そのなかでも一番難しいとされています。

一番難しいのが、パプリカ、
その次がピーマン、
簡単なのがししとう、
といった感じです。


ししとうは昨年、成功していたので今年もいけるだろうという自信はありました、でもパプリカはぜんぜん自信がありませんでした。


その状態でパプリカができているのです。


不思議でしかたがない。笑


パプリカができるようになったきっかけはただひとつ、「土の中に竹炭を入れたから」なのですが、排水性や透水性以外にきっとパプリカができるようになった理由があると思うのですが、いまはまだわかりません。


こういうふうに考えていくと、土壌微生物の働きのほかに理由が思いつきません。


最近ではいつもこの流れで顕微鏡が欲しくなります。ただ、顕微鏡なんて使ったこともあまりないのに、ましてや買ったことなんてないので、まずは顕微鏡のことを調べなければいけないんだけど、それもよくわからず、どこかで顕微鏡を使わせてくれるところないかな。

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2023年7月30日(日)
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野菜ができはじめてからというもの、草刈りが楽しくてしかたがない。
暑い夏の早朝に畑にむかっているときなぞ、ワクワクさえしてくる。


この草刈りという作業が田舎の町でどういう扱いをされているのかというのは、都会に住んでいる人にとっては想像もできないと思う。

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みんな草刈りが大嫌い。
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まずは、全員がこの草刈りという作業をいやいややっていること。


そして、その作業はとなりの農地を所有するひとたちに迷惑にならないように行っていること。


「迷惑になる」とはどういうことかというと、農村としての景観がわるくなっているとか、実際に雑草が伸びて隣地に及んでいる場合に、迷惑になるというふうに取り扱われている。


このうちのどの部分にも法律や条例は介在しない。


あまりにほったらかしすぎると、固定資産税が3倍以上になってしまう、というところまでルールが介在することはない。


都会ほどではないが、田舎でも隣人とのつながりが希薄になっているので、希薄になればなるほど、草刈りなんてもうやめておこうという気分が盛り上がってくるのは、当事者でないぼくでも容易に想像ができる。


ましてや、いままでみずから草刈りをしてくれていた人が高齢となり、草刈機をかついだりできなくなり、そのまま草刈りができなくなって農地が荒れ果てていく。という流れはそこかしこで起きている。


海外の投資家に農地を買われてしまってたいへんだという人はいるが、そのなかにこの問題を知っているひとがどれほどいるだろうか。

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本当に解決したいのか?
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解決策もないのに批判しても変わらないのはあたりまえだ。ぼくの目から見れば、批判するほうも批判されるほうもグルなんじゃないのかと思えるくらい、解決策のことには言及しない。


そんななか、「野菜ができはじめた」という大きな出来事が草刈りの問題まで解決しようとしている。


ぼくが行う栽培方法は、
・無農薬で、
・無肥料で、
・耕しもせず、
・水やりもしない、
やり方だ。15年間無収穫で勉強してきた。


この方法だと健康な野菜ができるんだろうなと想像できる人はたくさんいると思うが、この方法がどれくらい広大な農地を一人で管理できるやりかたなのかと認識できる人は皆無だと思う。


無収穫で研究だけをしていた15年もの長いあいだ、「1haを一人で管理できるやり方」を探し求めていろいろな試行錯誤を重ねてきた。いまでは、1haとまではいかなくとも、それに近い広さの農地を管理できるんじゃないかと思いながらいろいろな作業をしている。


そう、ぼくはいま「野菜ができた」というステージにたっている。


そして次のステージの名前は「農地を広げる」だ。


すでに、「野菜を安く売らない」というステージはクリアしたので、つぎは農地をひろげることに没頭していくのみなのだ。

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草刈りが大好きなぼく
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なぜぼくが草刈りでワクワクするのかお分かりいただけたでしょうか。


そして今日、ぼくが草刈りをしてきた農地は、いままでぼくが管理してきた農地ではない。となりの畑をやっている高齢のおじいちゃんが「もう来年からはできへんわー」というので、その人の許可を得て草刈りをしてきた。この秋には正式に農地貸借のための契約書をむすび、来年2024年からは管理させてもらうための段取りをしている。おじいちゃんも喜んでくれている。


草刈りがもう楽しくて楽しくて、しかたないです。

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お知らせ
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・無農薬無肥料でとれたニンニクの販売がもうすぐ終わります。あと3kgくらいありますので、ご希望のかたはメッセージくださーい。100g400円です。

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2023年7月29日(土)
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お通夜とかお葬式があり、またすこし作文から遠ざかっていたけど、負けないぜ。絶対に続けてやる。


作文を続けるのならなんだっていい!ということで、昨日出会ったお坊さんのことを作文してみようと思う。


やる気のないそのお坊さんの話をする前に、自分の宗教について少し。


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一応キリスト教徒です。
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小学生のころに両親につれられて、週末にはよく教会のミサに行ったものだ。好きでも嫌いでもなかった。友達の少なかったぼくは、教会へ行くと話せる人がいるので、よかったのだと思う。

そこで洗礼を受けて、晴れてキリスト教徒になり。

そして障害者の大声を許容できないミサに、違和感を感じて離れていきました。


「まとまりのない人間たちをまとめるのが宗教の役割」というのが2023年現在のぼくの宗教観になっている。


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やる気のない坊さん
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そのお坊さんの気に入ったこところをあげてくださいと、もし問われたらこれほど困る質問はない。


霊的な怖さでもあろうものなら、どれだけ言動が変わっていても一目置いていたかもしれない。


あのお坊さんはそうではない。普通の洋服さえ着ていれば、そのへんに普通にいるコミュ障のおっさんなのだ。


・やる気もない。(と思う。)
・お経の声が普通。
・おじぎ下手。
・ぼさぼさの坊主あたま。(自分で切っていると思われる。そんなやついる?)
・説法なし。(あっても困る。)


さきに断っておくが、ぼくはお坊さん全般が嫌いなわけではない。


お経の声だけで、気分がよくなるお坊さんもいると思うし、説法に納得できるお坊さんもいると思う。


これを書きながら、ぼくが心の底でなにを考えているのか。


お坊さんに限らず、仕事をしている人のなかには少なからず、やる気のない人がいる。そういう人たちを救済しようという日本社会の流れになってるように感じるが、そういう人たちを救済することで、そういう人たちを増やすことになっているのではないだろうか。

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お知らせ
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・無農薬無肥料でとれたニンニクの販売がもうすぐ終わります。あと3kgくらいありますので、ご希望のかたはメッセージくださーい。100g400円です。

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2023年7月17日(月)
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オンラインサロンという言葉があるが、
ぼくがやろうとしている、
地球環境問題の解決や、
食糧問題の解決や、
戦争が盛り上がらない方法、
について配信していくのに、オンラインを使っていると、将来、命がいくつあってもたりないような気がするなーということを考えていたら、


オフラインサロン


という元も子もない言葉が浮かんできたので、ここに記す。


ただの手紙になる気がする。

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2023年7月14日(金)
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今日は1日、奈良県で仕事をしていました。

午後からお世話になったご婦人は、このブログをくまなく読んでくれていたようで、仕事の途中に話が盛り上がった。


彼女は自分の子供の教育をしていたとき、この教育でいいのかと悩んだそうだ。 わが子を教育するときに悩むことはとてもいいことだとも思う、ましてや悩まずに教育をするなんてちょっとちがうとも感じた。


でも、彼女の話が盛り上がってきて、彼女が小さかった頃の親の教育について聞いていると、あーこれは本当に根の深い問題だなと感じた。


そして、一番強烈に心に残った言葉はこれだ。
「戦争が終わって、すこしずつ人は正常に戻っていく。何世代もかけて正常に戻っていく。」


彼女の親が、彼女にした教育の異常さを聞いたあとでは、この言葉は強烈に響いた。


そんな彼女でさえ、ブログを読んだり、スタンドFMの音声を聞いたりして、ぼくを応援してくれていた。


今年に入っていろいろな発信をしてきたことで、心の底から応援してくれている人が集まってきていると感じます。これからもすこしずつ発信を続けて、応援してくれる人を集めて、戦争が盛り上がらない世界に邁進していこうと思います。

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2023年7月14日(木)
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スタンドエフエムで話す練習を始めてそろそろ半年になる。平日は毎日録音できていると思うので、100回くらいは収録できたと思う。


話がうまいですねと、最近では言われることもでてきた。本当に嬉しい。そして今日はかなぽんからも、「上手に伝えられているよ。」という励ましの言葉をいただいた。


そうかなるほど、と思いました。


「話すことを始めるまえに目標にしていた、自分の考えを伝えること」はどうやらクリアしていて、自分の目標が知らずしらずのうちに変化してきていて、その目標を言語化できていなかったことに気づきました。なるほど。


そこで次の目標を言語化してみようと思う。


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西野亮廣さんや、鴨頭さんや、中田のあっちゃんなど、
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話がうまいと思う人は決められた時間のなかで自分の伝えたいことを伝えられるから、客観的に見て話がうまいとされるのかなと考えました。


だからこれからは目標をこういうふうにしてみる。
「時間を決めて、自分の言いたいことを伝えきる。」


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日本語の作文技術 本多勝一著
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それに加えて、こんな本を今、読んでいる。作文の技術と話す技術はぜんぜん別のものだろうと思うのに、この本に書かれている技術がものすごい核をついてくるので、話すときに意識をせざるを得ない。


まだ第3章までしか読めていないが、このあと句読点のこととか、助詞の話に続いていく、どこの章も大きな刺激を与えてくれそうだ。話す技術はもとより、作文の技術も身につけていってやれと思っている川崎です。


日本語の作文技術 本多勝一(かついち)著
第1章 なぜ作文の技術か
第2章 修飾する側とされる側
第3章 修飾の順序
第4章 句読点のうちかた
第5章 漢字とカナの心理
第6章 助詞の使い方
第7章 段落
第8章 無神経な文章
第9章 リズムと文体

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2023年7月11日(火)
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今日は三田の圃場へ行ってきました。
野菜がなにも収穫できなかった頃は草刈りが本当に手間でしたが、今日、草刈りをしていて、めちゃくちゃ楽しいことに気がつきました。
今までは、農地と農地の境界なんて、草刈りするのがいやでいやで仕方がなかったのですが、もう最近では農道すら自分で草刈りをする始末。


楽しくて楽しくて仕方ありません。


いままでは蛇がでてきたら、やる気は萎えていました。
あのヌメリ。
あの動き。
蛇がでてきたのをいいことに、作業を中止していたときもありました。


野菜ができない鬱憤を蛇がでてきたことにかまけていたように、いまでは思います。


かといってそんな過去の自分を責めようとはまったく思いません。収穫ができないのに黙々と続けているときの気持ちを知っているからです。あのときの気持ちに名前をつけるとしたら、どんな表現になるのでしょうか。


なにか名前があったりするのでしょうか、挑戦と無収穫の葛藤をなにかの言葉で表すことができるのでしょうか、いろんな本を読んできましたが、そんな言葉にはまだ出会ったことがないように思います。


とにかくこれからもがんばります。


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川崎康裕
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