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黄砂に反応しなかった理由

2025年5月11日

今回の黄砂は5月9日や10日に日本にやってきた、でも僕の目や鼻は何も反応しなかった。

もともと花粉症持ちではない。

畑で終日働いていても、花粉を感じることはほとんどない。

でも黄砂がやってくる時は、それほど反応しないにしても、目の下のまつ毛当たりが一瞬ピリッとしたりして、ああ黄砂が来たのだなと教えてくれる。

しかしゴールデンウィーク明けのこの黄砂に対して、僕の目や鼻は全く反応しなかった。それどころか、僕は朝早くから仕事のためにトラックに乗って、寝屋川市や枚方市や高槻市など北摂方面で仕事をしていた。

トラックに乗ってる間も、 気温は高すぎず低すぎず、気持ちがいいので、窓を開けながら走っていた。

黄砂がきていたと知ったのは、今日5月11日だ。朝起きると、家族が咳をしたりくしゃみをしてる、大丈夫かと問うと黄砂だから仕方ないと返答してきた。

なるほど、黄砂が来ていたのか。

ちょっと驚きだった。

いつもなら体で感じる。黄砂。

今回は全くどうともなかった。

嬉しい変化ながら、 でもどうしてだろうと思いを巡らせてみると、1つ思い当たる節があった。

それはゴールデンウィーク中に行った、 止血作業だ。

以前から試してみたかった、土がついたまま止血作業するということにトライしてみたのだ。

あまりに傷が大きくて、流れ出る血液の量が多すぎると、トライする気にはならなかったのだが、今回の傷は相手が刃物ではなくて、乾いた竹で切ってしまった小さな傷なのでトライするためのハードルは低かった。

農作業の合間に負った傷は、親指の傷で、それほど深くもなく、竹の鋭い部分で切れたような感じだった。

(竹チップを使うとこういう問題もあるのだなというのはいい経験になった。)

傷はそれほど深くなく、傷を負ったその日の晩には、すでに血は止まりキズ自体も塞がっていたと思う。

傷が塞がった後、少しだけその部分の体温が上がっている感じはあった、すなわち炎症が起こっていたのだろう。土がついている傷の上からそのまま絆創膏を貼ったので、炎症するのは当たり前だろうと考えていたが、炎症自体は想像していたほどひどくなかった。少しその部分が温かくなったなと感じていた時間は、1時間から2時間程度だったように思う。

▼5月5日切り傷発生
▼5月7日絆創膏とれる
▼5月10日黄砂襲来


といったようなタイムテーブルだろうか。

土の中には少なく見積もって5億種類の土壌微生物、細菌、ウイルスがいる とされている。(そのう、人間に危害のある細菌やウイルスはたったの50種類)

どういう風に見積もればいいのかさっぱりわからないが、適当に見積もって、僕の親指の傷には数万種類の土壌微生物がいたに違いない。

それを僕は絆創膏で閉じ込めたのだ、絆創膏の脱脂綿の部分には、通気口のようなものがあるので、絆創膏に閉じ込められた土壌微生物は、 そこで少しの間は生きていたのだと思う。

生きていたと言っても、土壌微生物の一生は短いので、 30秒から60秒程度の間に、生まれては死に、食べては食べられ、排泄物からまた生まれる、そんなような環境を僕の親指の上で作り出していたのにちがいない。

傷をふさぎ、血液を無事止めることができた僕の体は、その日の晩に免疫力を発揮し、傷口付近の土の中にいる、微生物や細菌、ウイルスを駆逐していったんだろうと思う。

これがまさに正常な免疫の活動なのではないだろうか。

▼▼▼

アレルギー反応とは、 免疫の暴走だと聞いたことがある。清潔になった環境で暮らしていると、免疫が活躍する場所がなくなるので、免疫が暴走し始めて、反応しなくてもいい花粉や、小麦、牛乳、黄砂などに反応する。

江戸時代の人たちが黄砂のためにくしゃみが止まらなかった、なんていう話は聞いたことがない。

もしもこの考えが合っているのであれば、免疫が活躍する場所を意図的に作ってはどうだろうか、とずっと考えていた。

そしてそれにトライしたのが今回の、
【土ごと止血する】
だ。


その実験結果は、どちらかと言うとポジティブだった、黄砂に全く反応しなかったからだ。

なるほど。


この方向で合っているのかもしれない。

そうとわかれば次は、絆創膏の脱脂綿の部分に土をつけて、全然傷のないところに貼ってみよう。

少しの間つけていても、何も問題が起こらないことは明白だが、まずは自分の体で実験してみようと思う。

▼傷に近いところで貼ってみたり、
▼日光の当たらないお腹の部分に貼ってみたり、
▼ほくろやシミのあるところで貼ってみたり、


かねてから僕は、アレルギー反応は手のひらには起こりにくいと感じていた。手のひらだけではなく、足の裏もだ。

これはなぜか、 まだ人間が洋服を着ていなかった時代、靴を履いていなかった時代 、手のひらや足の裏は、外界に接することが多い体の部位だった。

これは僕のド素人の仮説だが、手のひらや足の裏では、アレルギー反応は暴走しにくいんじゃないだろうか。

そのことを考えてみると、土をつけた絆創膏は手のひらや足の裏にも貼ってみることにしよう。

そしてそれがうまくいったなと感じたら、次は花粉症の人や皮膚の炎症に悩まされている人などに試してみよう。 怒られるだろうか。笑

乞うご期待。

ウェブサイト更新のススメ

2025年5月9日

ウェブサイトで集客している人はいまどれくらいいるんだろうか。

先ほど Google のジェミニに教えてもらったところ、現在でもGoogle マップを使った地域密着型の業種はGoogle で集客しているとのことだった、でもそれはおそらく Google マップの検索窓を使用した検索なのではないかと思う。

その他にもウェブサイトで集客している業種としては、EC サイトや旅行などのサービスを行う会社、ということがわかった。

確かに EC サイトや旅行のサービスについては、僕でもそのウェブサイトを開いたことがある。

ただし、それはかなり大きな企業ではないだろうか。しかもそれはGoogle マップ上での検索ではないと思う。

そういった大きな企業はGoogle マップ経由で、集客を行うことをあまりないように思う。Google マップ経由で集客を行うのは、レストランとか美容室とか、個人でやっているような会社がほとんどだろう。 

業種にはよると思うが、そこに下克上のヒントが隠されているように思う。

小さな商店や、レストランや美容室は、Google マップで検索され、ほとんどの客はGoogle マップ上の口コミを閲覧して、お店を決めるだけだろう。

でもその中には、 ウェブサイトにも一応飛んでおくという客がいるはずだ。

小さな商店やレストランや美容室が、毎日ウェブサイトを更新しているだろうか、いや、していないと思う。

今はInstagram やX、 tiktokなどで集客に重きを置いてるんじゃないだろうか。

しかし、既にそこはレッドオーシャンと化している。

そこでもし、自分でウェブサイトを更新する知識や技術があるのであれば、自分のウェブサイトを毎日更新するというのは1つの戦略だと思う。

なにせウェブサイトは更新すればするほど、Google の評価が高くなる。もちろん、それはユーザーにとって有益かどうかがポイントになってくるが、毎日何かしら、お店で感じたことや勉強したことは必ずあるはずだ。

それをこと細かく、ブログなどにして更新し続けていれば、それは独り勝ちも甚だしい。

水道の修理や、大工さん、小さな釣具屋さん、古書店、考え出せばきりがないが、ウェブサイトの更新を毎日することで勝ち組になれる業種というのは結構あるんじゃないだろうか。

毎日ブログを書いて、更新するだけで、ウェブサイトへの訪問者や掲載順位、だけでなく表示回数もかなり増えることうけあいだ。

僕はまさに今これに取り組んでいる。

おっさんが畑で試食シリーズアスパラガス編

2025年5月8日

この動画では中年の男が薄いモザイクもなくカメラの前で、アスパラガスを最初から最後まで咀嚼する様子が赤裸々に映し出されます。そのため、この映像は40 R 指定です。40歳以下の全ての方は、この映像の視聴を中止してください。

感動詞メインのため、あー!とか、おーう!とか刺激的な音声が含まれています。

そのため40歳以上であったとしても、人生経験が少なくストレス耐性があまりないとご自身で判断される場合は、 視聴を今すぐ中止してください。

▼▼▼

みなさんこんにちは、感動詞メインでお届けする、試食シリーズ、アスパラガス編でございます。

ところで、無農薬という言葉の定義をご存知でしょうか、スーパーや市場で無農薬野菜と書かれていると、誰でも魅力を感じますよね。

この日本において無農薬という言葉は、 その野菜を栽培して収穫するまでの間、 農薬を使わないという意味です。

だからこれは勝手な想像ですが、無農薬野菜を栽培する前、収穫した後、その畑では除草剤などの農薬が使われていると思います。

雑草の暴力的な威力を考えるとき、おそらくそうだろうなと思います。

その無農薬野菜を栽培する畝(ウネ)の近くには農地の境界があって、そこにはあぜ道があると思います。そのあぜ道にももちろん雑草は生えると思うのですが、そこでは除草剤は使われていないのでしょうか。

これ以上は憶測になりますので、皆さんのご想像にお任せします。

はっきり言って僕は、そういう部分でも農薬を使いたくありませんでした。だから20年前から、全く農薬を使わないやり方を研究してきました。あぜ道からどれくらいの距離で畝を立てれば、草刈がしやすいのか。

そして、
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕しもせず(不耕起栽培)
▼水やりもしない
というやり方で作物が収穫できるようになった今、無農薬という言葉を使いたくないのです。だから農薬ゼロとしています。


栽培期間以外は農薬を使っていると思われたくないからです。

▼▼▼


化学肥料を使うと、農薬を使わなければいけません。余った栄養分で虫が発生するからです。

農薬以上に問題なのは化学肥料です。アンモニウムを精製する技術が、 他のどんなものに転用できるか一度調べてみてください。

そして農薬や化学肥料以上に問題だと思うのが、耕すことです。

え、農薬の方が問題じゃないの、と思う方もいらっしゃるかもしれません、でも、この20年間でいろんなことを経験したり、勉強したりした中で、一番問題だと思うのは耕すことです。

それはなぜかと言うと、耕すということは、将来その農地でとれる野菜を前借りしているだけにすぎないからです。

MMF 理論において、国債の発行が問題だと考える方がいらっしゃれば、その問題と耕すことの問題の本質は全く同じかもしれません。

僕はこの20年間で、 耕さずに野菜を栽培する方法も研究してきました。その方法で農業をしていると、この動画でちょうどアスパラが出てくる場面のように、土は露出しません。

畑のそばに立っていても、土の様子を見ようと思ったら、鎌でその辺りの雑草を削って、その下にある腐食をかき分けて、やっと見えてきます。

不耕起栽培でやると、こういうふうな農地になります。

本日の駐車場は何もありません

2025年5月7日

今日の駐車場には目ぼしいものはございません。

売れ残るだろうなと思っていた中古の駄鉢と、これまた売れ残るだろうなと思っていた、縁だけが怪しく紫色に光る無駄に縦長の植木鉢があります。

どなたか物好きな方、いらっしゃいませんでしょうか。

写真にも写っていますが、黒色の土嚢袋の中には、中古の鉢底石が入っています。

写真では中身が見えないので、なかなか売れ行きは悪いですが、しつこく置いてやろうと思います。

中古の鉢底石は次々に出てきますので、もし大量に欲しい方がいらっしゃったら、ご連絡ください。めちゃめちゃお買い得で、まだまだ使える鉢底石が手に入ります。

本日の土回収は池田市でした

2025年5月7日

今日の園芸用土回収は、大阪府池田市での仕事でした。

マンションの最上階にお住まいの方で、その最上階のお部屋の隣には、テラスがあります。そこのテラスは西向きで、夏になると西日がものすごいんだそう。

プランター10個、土嚢袋10袋くらいの量で、交通費も合わせて18,600円でした。作業前にご自身で一階までお持ちいただいたので、作業費はかからず安くなりました。

作業前に見た感じ、綺麗に分別されてるように感じたので、この見積もり金額をそのままお伝えしました。

でも実際は、 どのう袋の中はビニール袋の劣化してビリビリになったものがたくさん入っており、危うく値上がりしそうだったのですが、ご夫婦ともにあまりにいい感じで、こちらの作業しやすいように動いていただけるし、終始笑顔でしたので、 そのままの金額で行くことに決めました。

次回もお願いしますとのことだったので、次回はゴミを取り除いていただくように指摘させていただきました。

おそらく次は今年の秋頃とのことだったので、劣化していることはないでしょう。

これでまたリピーターを1人ゲットしました。

ガーデニングのあとの土の捨て方がわからない!という人はご連絡ください。

かなんな農園 川崎康裕

園芸用土の回収

2025年5月7日

はじめまして、川崎康裕と申します。

土の回収についてお問合せいただき、ありがとうございます。

写真を拝見しました。

まずは質問事項からですが、

▼週末も対応しております。
▼見積もり金額について、かなりざっくりになってしまい申し訳ないのですが、
2万円〜5万円税作業費交通費込みくらいかなと想像します。 土の状態や、鉢底石の状態が未確認のためかなり保守的な金額にしております。

▼マンションとのことですので、1階エントランスまでお持ちいただけるかどうかで作業費が増減するのが大きな要因です。作業日当日、1階まで運ぶことできそうですか?

もし、事前にくわしい金額が知りたいときは、通りすがりに豊中市を訪問できるときに、無料で見積もりをしてOKなら後日実施ということもできます。

一度に全て処分するということは、お引っ越しか大規模修繕でしょうか?

ご返信おまちしております。

お金以外の応援

2025年5月6日

花の苗1つ50円をご覧いただきありがとうございます。

いつも質問されるようなことを、ここにまとめておこうと思います。

▼最新の入荷情報▼
まずは最新の入荷情報ですが、曜日と大体の時間を、Google マップの最新情報の欄を利用して配信しております。

Google マップで、『花の苗1つ50円』と検索してみてください。

Instagram や、LINE のオープンチャットを利用して最新情報の予定を配信していたこともあるのですが、そこで僕が感じたのは、本当に届けたい人に届いていないという問題でした。

その問題を解決するために、今では Google マップという静かなSNSを利用しています。

自動で情報が届かないシステムです。

手動で情報が届くシステムです。

Google マップで最新情報を配信することにも、問題はあるかもしれませんが、少しこれでやってみて、結果を見て考えようと思います。

▼発送▼
▼取り置き▼


大変申し訳ありませんが、発送や取り置きは、基本的にやっておりません。販売価格が安いため、それらをやっていると赤字になってしまうからです。

遠方の人には、やきもきさせてしまう結果になっていますが、 今のところ解決策が見つかっておらず、どうにもできません。すみません。

▼お金以外で川崎を応援する方法▼
▼アルミ缶編▼


発送や取り置きは、基本的にできないのですが、ものすごく応援してくれる人や、自発的に花の苗を整理してくれたり、駐車場を掃除してくれたりしてくれる人には、 花の苗や綺麗なテラコッタを届けたいという気持ちが湧いてきて、ときどきこんなのありますけど、いりませんか?とメッセージすることがあります。

毎月1日に、飲料用のアルミ缶を回収させていただいております。僕の活動を応援したいと思う人が時々います。

でも今の日本でお金に余裕のある人はそういません。

その人が自家消費した飲料のアルミ缶を、1ヶ月に1回回収させていただき、それを僕が金属屋さんに持って行き、お金にかえます。

飲料缶のみでお願いします、ご厚意で缶詰を入れていただく方がいらっしゃるのですが、逆に手間が増えてしまいます。

ペットボトルなどほかのゴミは厳禁です。

消費した飲料缶を、一度水洗いし、乾燥させて、ビニール袋などの容器で保管ください。

それを川崎が回収しに伺います。

毎月1日ですが、ご都合によって日程を変更したり、時間帯を決めておいたりすることができます。

非対面でももちろん川崎は対応できますが、毎月1回、顔を合わせることで、川崎はその人に、親近感を持ち、花の苗を持ってきたいなとか、綺麗なテラコッタが入ったら連絡しようかなとか考え始めます。

▼お金以外で川崎を応援する方法▼
▼ブログを読む編▼


川崎はド素人ですが、一応、自分のウェブサイトをコーディングしております。

かなんな農園、と検索していただければ、素人感満載のウェブサイトが出てくると思います。

そのウェブサイトの事業概要のページに、ブログを掲載しています。

あなたのスマートフォンで、そのブログを読んでいただければ、Google 大先生の中で、ウェブサイトの評価が高くなります。

ブログの部分を開いていただくだけでも、川崎にとってはありがたいのですが。

でも川崎は毎日作文を練習しているので、もし読んでいただければ、ものすごい嬉しい上に、あの記事読んだよと一言メッセージいただくだけで有頂天になります。

かなんな農園 川崎康裕

手洗い

2025年5月5日

手洗いが発明されたのは、1800年代ヨーロッパ、 ルイパスツールさんという人が、ある病院で発明しました。

その病院では産婦人科があり、その産婦人科では産婦が産褥熱という感染症にかかることが多かったのです。

解剖室から他の医師が、産婦人科に応援に来る際、手洗いをしていないことが原因で、感染症を引き起こしていることに気づきました。

石鹸やアルコールを使う現代風の手洗いというのは、 1800年代ヨーロッパで発明されたと言えます。

当時のヨーロッパでは、手洗いをしないことが感染症のもとになる、ということを信じてもらえず、手洗いが発明されてからも、それが一般的に根付いていくのにはかなりの時間がかかったそうです。

正しいことを言えば、批判されるのは今も昔も変わらないようです。

あのコペルニクスの地動説でさえ、初めは受け入れられなかったのですから、当然かもしれません。

▼▼▼

現代風の手洗いが発明されたのは中世ヨーロッパかもしれませんが、日本において手洗いというものが広まっていったのは、医学とは全く別の、神道の儀式としてでした。

神社で誰もがやったことのある、いわゆるチョウズ(手水)です。

昔の偉い人が、日本書紀という本を使って、色々な神話と共に、 疫病が流行らないように、手洗いという優れものを日本に広めてくれたのです。

日本書紀と神道が日本人に及ぼした影響は大きいです。

どこぞの天皇かは存じあげませんが、ありがとうございます。日本国民を代表して、勝手にお礼申し上げます。

▼▼▼

さて、2025年。

僕たちが生きる現代社会では、手洗いが少し過剰になっていると感じます。

コロナ禍を経ても、ただただウイルスを怖がるだけで、正しい対処法は世に広まりませんでした。

僕たちが立つ土の中には、少なくとも5億種類以上の土壌微生物がいると考えられています、その中で僕たち人間に危害を及ぼす最近やウイルスは、およそ50種類。たったの50種類。

ボツリヌス菌
ぶどう球菌
などド素人の僕でも知っているような、毒性のある細菌は、かなりの少数派です。

少数派の毒性のある細菌が、他の様々な微生物に囲まれている時、毒性のある細菌は発生と消滅を繰り返しています。

それはなぜか。その他の様々な微生物の中に天敵がいて、毒性のある細菌を殺すからです。

アルコール耐性のある毒性細菌を、僕たちは手洗いすることとアルコールを噴射させることで解決しようとしています。

その結果、毒性細菌は生き残り、その他の常在菌はアルコールにやられてしまいます。

人類がもし絶滅するとすれば、それは恐竜の出現ではなく、エイリアンの襲来でもなく、ゾンビの発生でもない。

コロナ禍で僕たちが感じたのは、人類がもし絶滅するとすれば、それは細菌の仕業だということだ。

そしてもし人類が絶滅した時、原因は何かと問われたら、コロナウイルスではないような気がする。

原因は、人類が失敗から学ぶことを忘れ、進化を怠ったからということになると思う。その時たまたま隣にいたのが、コロナウイルスだったというだけなのではないだろうか。

手洗いは日本書紀に書いてあるとおり、手水だけでいいんじゃないだろうか、昔の偉い天皇さんは石鹸のことやアルコールのことは書かなかった。

ぼくは日本書紀のやりかたでいきたい。

今年は桑の実がとれそう

2025年5月4日

今年は桑の実が取れそうだ。

昨年は何かのウイルスにやられたのか、全く収穫ができなかった、こんなに綺麗な葉っぱも生えていなかった、木そのものがやられてしまうのかなと思うくらい、 幹には傷がたくさんあった。

今年のこの葉っぱの綺麗な感じと、果実の力強さを見ると、おそらく収穫まで行くだろうという感じがする。

収穫している時に、 夕暮れが近づいて暗くて見えなくなって、収穫を途中で諦めるくらい大量の桑の実ができた2年前のようになってほしいと思う。

ただ、昨年のように木がウイルスにやられてしまうのであれば、やられてしまえばいいと考えている。自力で復活することのできない木は遅かれ早かれ倒れてしまうのだから。

果実がもしできても、鳥に全て食べられてしまうのであれば、食べられたらいいと思う。

虫がやってきて果実に虫がたかって、収穫できないのなら、 虫に全て食べられればいいと思う。

何かのウイルスがやってきて 、葉っぱが茶色になったり、幹にヒビが入ったりするようであれば、その木はウイルスにやられてしまえばいいと思う。

植物は本来、フィトケミカルという物質を体内に充満させて、鳥や虫やウイルスや細菌から身を守る。

ポリフェノールや、アントシアニンという言葉を使えば、ああ、それかと納得できる人もいるのではないだろうか。

植物が自分の体を守るための物質のことを、フィトケミカルという。

例えば青虫が、ニョロニョロとやってきて、ブロッコリーの葉っぱをかじり始めたとする。

するとブロッコリーはその青虫が消化できないフィトケミカルを体内に充満させて、青虫に全ての葉っぱを食べられないように防いでいる。

ところが、化学肥料を使っていると、植物はこの自分を守る能力を身につけられない。だから農薬が必要になってくる。すなわち、化学肥料と農薬はセットなのだ。

かと言って、有機的な肥料だけで栽培していると強い植物が作れるかと言うと、そんなことは絶対にない。それほど植物の世界は生易しくないし、簡単でもない。

その複雑の世界を支えているのが、目に見えない細菌やウイルスなどの、土壌微生物だ。最近では糸状菌や放線菌という名前で知られている。しかし、この世界の研究はまだまだ始まったばかりで、まだ見つかっていない土壌微生物は数億種類以上いるだろうと言われている。

そんな世界だから、なぜ去年の桑の木が調子を崩したのか、 僕にはわからない。

おそらくウイルスだろうということは分かる(幹の状態から)が、どういうウイルスが関わっていて、どういうフィトケミカルが足りなかったのか、これを説明するのは不可能だ。

だから僕にできることは、
▼弱い木は放っておく。
▼植物がフィトケミカルを作りやすい環境を作る。
▼鳥や虫やウイルスを毛嫌いしない。


植物がフィトケミカルを作りやすい環境とはどんなものか。それは街づくりにも似ている気がする。ちょっとふざけていきましょう。
◯ホテルを作る(竹炭は土壌微生物の住処になります。)
◯レストランを作る(オガクズや米ぬか、竹チップなどの有機物は土壌微生物の餌になります。)
◯冷暖房完備(どれほど、たくさんの土壌美生物がいたとしても、夏の暑さで地面が乾いてしまうと土壌微生物はいなくなります。竹チップで土の表面を覆い、水分の蒸発を防ぎます。)


百田尚樹

2025年5月4日

今日はゴールデンウィーク。
兵庫県三田市に帰省して、家族はどこかに出かけた。

僕はモンスターと言う本を読んでいる。百田尚樹著。

百田尚樹さんのストーリーにはいつも引きつけられる、永遠のゼロから始まり、たくさんの著書を読ませていただいた。

今モンスターという本の100ページぐらいを読んでいる。この100ページぐらいの間で、主人公の顔がどれほどブサイクで ブスなのかということを、 嫌と言うほど読まされた。

途中何度か本を閉じかけたが、なんとか100ページまでたどり着いた。

ここからは本を閉じずに済みそうだ、というのも、物語が明らかに動き始めたからだ。どうやらこの女性が何かをし始めるようだ。

物語の動き始めた瞬間の文章はこんな感じだった。

『その時、私の心に黒い何かが生まれた。』

『やってはいけないこととわかりながらも、その黒い、何かが心の中から去ることはなかった。』

ぎよえー、と僕は心の中で叫んだ。

ホラーは嫌いなのだ。

サスペンスも、人が殺されたりする描写が多すぎると、僕は本を閉じてしまう。

物語の中でも普通の部分が僕は特に大好きだ。

平和主義なのかもしれない。

人と話しながらご飯を食べるような場面だったり、自転車を漕いでいたり、改札を通り抜けて階段を上がっていたり、キッチンでサンドイッチを作っていたり、それを暖かい初夏の日に公園で食べていたり。

だいぶ昔の漫画で、じゃりン子チエという漫画があったが、どうでもいい内容の会話をし ながら、ただお好み焼きを食べているシーン なんて最高だった。

川のせせらぎが聞こえてきそうな描写や、部屋の中に日光が差し込んできているときのゆっくりした時間の流れが感じられるような描写はたまらない。

暖炉のなかに燃えている火が、少しずつ小さくなっていく描写なんてどうだろう。冬の寒い日に読んでみたくなるんじゃないだろうか。

おそらくそんな物語は売れないんだろう。

村上春樹さんが書く本の中には、そういった描写がたくさん出てくるから僕は大好きだ。海辺のカフカという物語には、一人の綺麗な女性が出てくる。

1人の綺麗な女性が出てくるだけでは、その女性が持つ雰囲気までは表現できないのではないかと思う。

その女性とは何も関係のないところで、 爽やかな風が葉っぱを揺らしていたり、海辺の近くの丘でやわらかな波の音が聞こえてくる、全く人の性格とは関係のないところで、そういう描写が挟まれる。

なのに読者は、その爽やかさややわらかさを登場人物の雰囲気のように捉えて、そうとは言われていないのに、心の中で 人格が形成されていく。

小説、というよりも、

文学、という感じだ。

心の中で登場人物の人格が形成されていく、静かな時間が僕は好きだ。

それなのにこのモンスターと言う本は、全く違うところから僕の心を掴んで離さない。全く違うところとは何だろうか、偽善、矛盾、同情、まだその正体は分からないが、読んだ後にそれが明らかになってるのかどうか、今の僕には分からない。

HAPPINESS

2025年5月3日

今日はゴールデンウィーク。5月3日土曜日。
現在午後3時。


畑から早めに帰り、花の苗を仕入れて駐車場に置いて、帰宅すると意外と早かった。今日から兵庫県に帰省します。

長い距離を運転したので、少し疲れを感じ、横になっていた。

すると、次女がいつも遊んでいるスペースに、1人で遊びにきた。

屋上に向かうための、階段の下にあるスペースで、雨が降るとそこには一定の場所にだけ水滴が落ちる。

その水滴を次女は缶詰にためる。缶詰に水が溜まっていく時、音が鳴るのだが、次女はその音の変化を楽しんでいる。

今日は行楽日和なので、雨は降らないが、次女は何か筆のようなものを使って、階段のステップに水をつけて、水滴が落ちるようにしていた。

僕はその様子を、網戸の内側から見たり聞いたりしていた。

次女はぼくに気づいていない。

百田尚樹さんが書いたモンスターという物語を、読んでいる時に次女はそのスペースにやってきた。

モンスターという物語は、1人の女の人が主人公で、その人がある街でフランス料理のお店を開くというところから、ストーリーは始まる。

モンスターを感じるような、変わった風景はその物語の序盤には出てこない、ただ、何かその主人公の女の人が、心の中に何かを秘めているという部分だけが、のどかな日常とともに綴られていく。

そんな時次女がサンダルを履く音がして、テクテクとやってきた。

なんだか独り言を口にしている。

可愛すぎる。

歌ってるような独り言だ。

干してあるタオルを、なんだか顔に擦り付けてるみたいな動きをしている。何をしてるのだ。

それからまた缶詰の位置を変えたりしている。

とても可愛い。

お腹のあたりが温もる。幸せを感じる。

主人公の女性が持つ秘密がなんなのかを知らない僕は、これから始まるモンスターの大活躍のことも全く知らず、これが幸せなのかもなんて考えてみたりする。

色々な本に幸せという言葉が出てくるが、それを総括してみると、どうやら今僕が感じているこの幸せが、人間が持つ最高の幸せなのだ。

僕はそう思う。

そんな僕にもあらゆる本能やあらゆる欲が備わっている。

結婚した女性以外の女性と、たくさん性欲を満たしたいと、獣のような考えを持つこともある。おそらくは全ての男性が持っている悩みを、 僕も持つことがある。

しかしおそらく、 その欲求を満たしたところで、この幸せには到達できないように思う。

欲求を満足させることと、幸せとは全く別のものなのだと、さっき理解できた。

次女のところにおばあちゃんがやってきて、何か言っている。

次女はこう言った。『シュッシュ?』

『シュッシュってなに?』

水滴を作るのに、次女はスプレーのようなものを使っていたのだろうか、スプレーはおばあちゃんのものだったのだろうか、よくわからないが、そんな場面ですら和む。

欲求や、 幸せとは違う次元のところで、僕には成し遂げたい何かがある。

地球環境がよくなるなら、命を投げ打ってもいいと考えるほどの、 変態だ。

ただそれを成し遂げたところで、先ほど僕が感じた幸せに到達できるかといえば、それは違うと思う。

じゃあ欲求とか夢とか言うのは何なのだ、自分の体の中から湧き出てくる、泉のような存在。

自分の夢を達成するためには、最近ではモチベーションのようなことを考えない。やる気はコンコンと内側から出てくるからだ。

目の前に食べ物があるのを、食べるためにモチベーションを気にする必要がないように、自分の夢を達成するためにモチベーションを全く必要ないのだ。

でもそれが幸せに直結しないとすると、欲求と夢の境界線がわからなくなってくる。

百田尚樹さんが書いたこのモンスターという本を読んでみて、その境界線のことについて書かれているか、気にしながら読んでみようと思う。

女王蜂のおめざめ

2025年5月2日

女王蜂のお目覚めです。

蜂と蛇だけは一生慣れることはありません。

僕の祖先は、おそらく蜂と蛇に嫌と言うほどやられてきたんだと思います。

例年、 草刈りをしていると、前方の草の中に紛れていて蛇を殺してしまいます。死んでいるくせに蛇は僕のお腹の中をゾクゾクさせます。

無礼なことをしていると思いながら、蛇の死体をそのままにしています。戻ってきてあとで見てみると、鳥が持っていったのか、蛇の死体は消えています。

こうやって作文していて気づいたのですが、そうだ。僕はすでに狩猟免許を持っている。狩猟の期間以外は有害鳥獣の申請をしておいて、 蛇の死体で鳥を誘って、作物を食べている鳥を罠にかけようかと思います。

いやいや、こんなことを書きたいのではないのです。

今日は蜂についてです。

今日は5月2日、まだまだ寒い日のある春の1日です。初夏と言うにはまだまだ緑は淡く、空には白い雲が多すぎます。

そんな春のある日、女王蜂は目覚めます。 おそらくは、僕の管理する農地のどこかの木にとっておきの、暖かい寝床があって、そこで、彼女は11月頃から眠っていたんだと思います。

大きさは既に、僕の親指ぐらいにはなっていて、もう何回くらいの冬を越したのでしょう。今年も大量の卵を産み付けて、僕に恐怖を提供してくれるのだろうと思います。

地面に巣を作られてはたまらないので、今年も草刈りだけはしっかりやろうと思います。

もう少し暖かくなる頃には、この女王蜂も縦横無尽に動き回り、どこに巣を作ろうか考え始めるだろうと思います。

それが始まる5月下旬から6月にかけて、もうこの農地に隙はありませんとばかりに、草刈りしてやろうと思います。

でも僕はスズメバチや蛇を、全滅させて追い出してやろうなんて考えていません。

せっかく
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕しもせず
▼水やりもしない
という地球に優しい農業をしていたとしても、生物の多様性をないがしろにするのは、コロナを体験した人間がやることではないと感じています。

コロナで僕が体験したこと、それは食物連鎖のピラミッドの頂上に立っている人間の数が大きくなりすぎて、ピラミッドの形が歪んでしまった結果、それを補正しようとする何かの存在でした。

映画の中でそれは、ゾンビとして描かれることが多いように思います。

僕にとってコロナ禍で見た人々の行動はまさしくゾンビでした。マスクをしていない人間に向けられるドロリとした視線。コロナ禍でも希望を失わずに明るく振る舞った人間に対して向けられるドロリとした視線。

サーベルタイガーや、マンモス、スズメバチ、蛇、同じホモであるネアンデルタール人でさえ。僕たちはぼくたちに脅威を与える生き物を殺しまくってきた、その結果、僕たちは目に見えない細菌やウイルスに、脅かされている。

僕はこのようにコロナ禍をとらえている。

だから僕は、僕の農場内で出会う恐怖のことを調べて理解し、命を奪われない程度に、命を奪わない程度に、共存できる方法を模索していく。

幸せになタヌキ

2025年5月2日

ここの駐車場に置くものは全て1つ50円なので、こんなもの売れるのかなと思いながらも、置いてしまうものが今までにもいくつかあった。

その代表格がこのたぬきだ。

おそらくはこのコは信楽焼のタヌキで、このコがかぶっていたであろう傘はすでにない。

傘を被せる時に、何かを引っ掛けるための穴が、このコの後頭部にはある、おそらくはその穴に傘を引っ掛けた後、紐のようなもので落ちないように固定するための、もう1つの穴が右腕のあたりにあった。

見るからに欠品している。

こういうものを欲しがる人というのは、おそらくものすごくこういった類のものを、集めたがる人なんじゃないかなと勝手に想像している。

そしてその勝手な想像は、勝手な心配へと移り変わっていく。

その人が男性だったとして、奥さんがいたとする。 奥さんはそんなご主人にうんざりしているはずだ。あのたぬきを持ち帰った男性に、奥さんがまずかける言葉はどんなんだろうか。

▼あんたまた
▼またそんなん
▼返してき

どれも関西弁になってしまうのは、僕の偏見だろうか。

そしてどんどん自分たちの居住スペースがガラクタで埋まっていく、
▼古くてまだ使えるもの、
▼修理したらまだ使えるもの、
▼まだまだ現役で働くけども、すでにもううちの中にたくさんあるもの。


ガラクタで埋まっている家を見つけると、うわと思ってしまうが、そんな家主と話をしたりしている時は、なぜかいつも安らぎを感じる。

そう、悪いやつではないのだ。

髪はボサボサで、
服はよれていて、
やけに笑顔で、

大体そういうやつを僕は大好きになってしまう。

全てのものに神は宿ると考えて、たくさんのものを家の中にしまい込んでるんだろうか。人間らしくていいと思う。

きっと今頃、あの子は、何か傘をかぶせられて、どこかの軒先に立っているんだと思う。

グータッチ

2025年5月1日

僕の体からは無限に元気が溢れ出てくる。それは山の中の泉のように、コンコンと湧き出てくる。そのために、日々運動したり、栄養のあるものを食べたりしているから当然かもしれないが。

僕はその元気を、少しでも他人に分け与えることができたらなとよく考える。

その方法がグータッチだ。

ハグができればなおさらいい。

魂と呼ばれるものが、 僕たちの体の中にあるのなら、その魂の形とは体の形なんじゃないかなと思う。

だからグータッチをすれば、かすかに魂と魂が触れ合って、心のどこかで安心することができる。

グッドライフという本に書いてあった、僕たち人間は、孤独を感じると、ものすごいストレスにさらされる。

1万年前から進化していない僕たちの脳は、孤独になると肉食獣から自分の身を一人で守らなければいけないため、常に緊張状態になり、眠りは浅くなる。いつでも飛び起きなければいけないからだ。

そんなストレス状況に晒されている人を見たら、これからも迷わず、グータッチをしていこうと思う。グータッチを甘く見てはいけない。

グータッチをすると、なぜか身体がほのかに温かくなる。 あまりお酒は強くないのに、昨日たくさんお酒を飲んだ。それに加えて今日も、お酒を飲まなければいけない予定がある。

グッドライフという本を読んでいる。会いたいけど、会っていない人には、今すぐ会っておけ とのことだったので、今たくさんの人に会っている。

会いたいと思ってた人に、会って色々な話を聞くのはやはりいいし、元気になる。

それとは逆に、 僕に会ってくれた人に元気を与えられることができているか、さっき少し気になった。

というのは、先ほど僕はトラックで駐車場に帰ってきた。その時に1人の女性が、花の苗1つ50円の場所 その女性とは既に、連絡先も交換していて、顔も覚えているような状態だった。

今までも立ち話をしたようなことは何回もあったが、あまり深くまで、話をしたことはなかった。

最近の LINE のオープンチャットでは、誰も現状をシェアしてくれなくなった。そのことを2人で嘆いていた。

そんな話から、どういう流れか、彼女の身の上話へと移っていった。

今は離婚していて、子供と暮らしていること、子供が小さかった頃にアルコール依存症の夫から逃げたこと、その夫はどれだけひどかったか、そういうことを話してくれた。

おそらくは殴られたこともたくさんあるんだろうと思う、表情は明るいにも関わらず、深い憎しみが刻んだシワが、眉間の辺りに寄っていた。

振り絞った声で、私は鬱なのです、と話してくださった時は、同情の気持ちが湧いてきて、何か少しでも役に立つことができないだろうかと考えてしまった。

相手が男なら、構わずにハグをするだろう。

でも、さすがに女性にはハグすることはできないし、心についた傷を広げてしまうことにもなりかねない。

そんな時僕はよく、グータッチをする。

園芸用土の回収

2025年4月30日

今日は4月最後の日。
朝方にジョギングをした時はなかなか気温が低くて寒かったが、日中は気温が上がって作業がしやすくて良かった。

園芸用の土の回収、今日は東大阪での仕事でした。

お客さんの家の隣の敷地には大きな立体駐車場があって、おそらくその駐車場もお客さんの持ち物だろう、そういうことも相まって、合計金額はものすごい高くなった。

嘘です。

お客さんがお金をたくさん持っているとか、お金を持っていないとか、考えて見積もりしていると見積もりに迫力がなくなるので、全然加味していない。

合計金額は5万1100円と、なかなか高くなったが、 それ以上の仕事はしてきたと思う。

THE GOOD LIFE

2025年4月29日

最近僕はグッドライフという名前の本を読んでいる。

この本の冒頭にはまず結論が書かれている。

その結論とは、良い人生を送りたいなら最も大切なものは人間関係だ。という結論だ。

その結論はこの本の第1章の初めの方に書かれているので、 その後この本を読み進める理由とは何なのかということを考えながら、読んでいると 。

明らかにこの本にハマっていっている自分に気づく。

例えば今読んでいるのは第4章、ソーシャルフィットネスという章だ。

社会的なつながりは、あなたの人生をより良くするよ、ということを書いてくれている部分になる。

それを説明するために、この章では孤独という言葉がたくさん出てくる。孤独を感じていると人は長生きできないし、病気になるし、ストレスをたくさん感じるのだ。

なんとなくそれを理解できる。

でもその理由はと問われると、明確に答えることはできない。

そんな自分に、納得できるように説明してくれている部分があったので、そこを作文していこうと思う。

ヒントは生物学的なルーツにある、という言葉からその説明は始まっている。

5万年前、 ホモサピエンスが単独行動するのはとても危険だった。

川のほとりの部族を離れ、1人で行動している時はサバイバルモードになるんだそうだ。

ストレスホルモンが増え、睡眠が浅くなる。それは肉食動物が近づいてきた時にいつでも飛び起きられるような脳の仕組みになっているからだ。

だから夜も覚醒している時間が多くなる。

これは他の本で読んだことだが、僕たちホモサピエンスの脳は、1万年前からほとんど進化していない。

ということは、大学を卒業し、サラリーマンになって一人暮らしを始めて、家族から遠く離れて、友達もいない、仕事もうまくない、といった状況の場合、栄養たくさん取って、夜はぐっすりと眠らなければいけないのに、孤独を感じているが故に、眠りは浅くなるのだ。

ここで問題なのは何だろう。
▼家族から離れることだろうか。
▼友達を作れないことだろうか。
▼仕事がうまくいけばいいのだろうか。

どれも違うように思う、現代社会では1人前の大人になることというのは、 独立することという意味の言葉で置き換えられる。

そこが実は問題の根本なんじゃないだろうか。

独立する、という言葉は1人で立つということを意味する。

でも、このグッドライフという素晴らしい。本の中では、1人で立つこと自体がホモサピエンスにとってはストレスになる、と書かれている。

立派な大人になるということは、1人で孤独の中でも戦えること、みたいに少し勘違いしていた節が、僕にでもある。

1人になっても、なんでもできるようになることが立派な大人になること、と勘違いしていることが、この問題の根本なのかもしれない。

そういう風に考えていくと、現代社会はストレス社会という風に言われているが、それを作っているきっかけは、僕たちの中にあるということだ。

色々な社会問題を考える時、時間をかけて考えた後の結論が、自分たちの中にある時、単に根深いと感じるよりも難しい何かをそこに感じてしまう。

ゴールド免許の取得方法

2025年4月28日

毎日作文をしていると、ついでだから何か本を書いてしまおうという気になってくる。

これまで研究してきた農業のやり方について書いてみたいな、と思うことはよくある。

でも、最近では他にもいろんな本をかけるんじゃないかなと言う気がしてきた。

これだけたくさんの本を読んでいる人自体、おそらく10% を切るだろう。

その10% の中で、毎日何か作文をしている人というのはもっと数値が減ると思う。

ビジネスの基本は誰もしていないことをやるにつきるので、もうすでにこの低い確率のなかで、自分しかやっていないだろうと思うことについて書く時は、それはもう勝つ確率のある時だと思う。

先ほど思いついたのは、運転についてだ。車の運転。

僕は毎日トラックを運転している、運送業ではなくて、自分の事業のためにトラックを運転している。

年間3万 km は走るだろうか。長距離運転手を除けば、一般人としてはかなり走っている方だと思う。

それくらい運転をしるにもかかわらず、ぼくは実はゴールド免許だ。

これほど毎日運転している人間で、 ゴールド免許の人を僕は見たことがない。

ゴールド免許の人、それはすなわち運転をしない人なのだと友達の中国人も話していた。

僕はゴールド免許を取得することを狙っていた。取ろうという目標を立てて、 それにはどうしたらいいかを考え、行動し 、ゴールド免許を取得したのだ。

ただ単に、ぼーっと運転しているだけでは、ゴールド免許は取れないだろう。そのゴールド免許の取り方を、1つの本にまとめてみたらどうかなというアイデアだ。

本の題名は、 『ゴールド免許の取得方法』でどうだろう。

せっかくゴールド免許の取得のために、色々調べたり、考えたりすることはあるのに、それを文字にしていないだけで、全て僕の心の中にしまわれてしまう。

言わば、誰も知らない、僕の心の中にだけしまわれてある、ゴールド免許の取り方だ。これを文章にしておかないのはもったいないと思った。

例えば、他の人の運転を見ては、その車の動きからその運転者がどういう状況なのか、急いでいるのか急いでいないのか、目的地はどの方向なのか、スマホを手に持っているのかいないのか。

そういった類のことを、数多く考えてきた、運転者だけではない、車自体のことも調べることがある、または標識のことや、近くに学校があるのかどうかなど。

ある時、このように考えたことがある。

交通事故を増やす運転があるのなら、交通事故を減らす運転もあるはず。

交通事故を減らす運転とは何なのかとずっと考えてきた、ゴールド免許をとろうと考えたのは15年ほど前だったろうか、それほどの長い時間、交通事故を減らす運転とは何なのか考えてきた。

その全てを作文し、ゴールド免許の取り方を全ての運転者に伝えて行こうと思う。

トマトソースパスタ

2025年4月27日

今日のお昼ご飯はぼくがつくることになった、妻が仕事のため不在なので、自分と長女と次女が食べるお昼ご飯をつくることになった。

前回は得意の簡単すき焼き風にしてかなり人気があった、長女と次女だけでなく、祖父と祖母も食べてくれたのでとても嬉しかった。

自分がつくった料理を人がおいしく食べているという名前の幸せはあると思う。

前回の簡単すき焼き風をつくったときに長女が、つぎはトマトソースパスタにしてほしいと言っていたのを思い出し、今日のお昼ご飯はトマトソースパスタにした。

ぼくがつくるトマトソースパスタは、たしかにまあおいしいのだが、めちゃくちゃおいしいというところまではいかない。なぜだろう。いつもそれは疑問だった。しかしぼくには料理に関する知識や技術がほとんどない。

でもなぜか料理をするのが大好きなので、いろいろなウェブサイトからトマトソースパスタをおいしくするコツのようなものを調べた。

そこには、言外においしいトマトソースパスタをつくるのなら、お肉かアンチョビを使って、あとはシンプルに味付けしろと言われているように感じた。

なるほど、たしかにいままでツナをいれようとしたり、バジルをいれようとしたりして、無駄に手間をかけていたのかもしれない。こういうときにど素人のシェフができる解決法は、これと決めたレシピをそのレシピ通りに分量などもそのままやるだ。

午前11時頃から買い出しにでかけて、トマトの缶詰とベーコンを買ってきた。

白ワインは日本酒にかえても大丈夫と書いてあったので、いつもぼくが夜に飲んでいる日本酒を大さじ4杯コップにいれて、スプーンに少し残った日本酒をペロリとなめたのはだれにも言わなかった。

フライパンのうえで、オリーブオイルをあたためて、フライパンが熱くなったところで、切っておいたベーコンとにんにくを投入した。じゅわんという音がするかと思いきや、思うほどフライパンは熱くなかったのか、ベーコンはフニャリとフライパンのうえに落ちたあと、しばらくしたあとじゅわーという音を立て始めた。

となりにイタリアンのシェフが立っていたら、激怒されるのかもしれないが、今はいない、大丈夫だ。

ベーコンがカリカリになるまで炒めるつもりが、焼き色がつくまえに油とベーコンが戦闘をはじめてしまった、こちらにも流れ弾がとんできて熱いの熱ないのて、フライパンを向こう側に傾けてどうにかできるかと思ったけど、流れ弾はどんどん激しくなるばかり。

さきほど用意しておいた日本酒を入れる。じゅわん。

この瞬間、ものすごいいい香りが立ちこめる。流れ弾は飛んでこなくなった。 いままでぼくが足りなかったのはここなのかもと考えはじめた。いままではツナをいれて、炒めたあとオリーブオイルを入れていただけだったから、味に奥行きがでなかったのかもしれない。

にんにくとベーコンを日本酒で煮込むような感じになり、そこへホールトマトをにぎりつぶしながら入れていった。

この時点で、いつもよりおいしい匂いはしていて、最終的に成功する予感はしていた。

パスタを茹でて、それを湯切りし、それをどさっとフライパンのトマトソースのなかに放り込む。

パスタを挟む便利なトングみたいなやつがどこにあるのか知らないので、さいばしが折れるんじゃないかと思うくらいの力をいれて、フライパンのうえのパスタをかき混ぜる。

重い。

それをお皿に入れるときもこれまた重い。

次女が隣にきて、目を光らせている。お腹がすいているようだ。

長女を呼んでくるように伝えて、そのあいだにさいばしでフライパンからトマトソースパスタをお皿に移動する。さいばしは最後まで折れずにがんばってくれた。

お皿にいれたトマトソースパスタのうえにチーズをのせて、チーズを溶かすためにレンジのなかにいれて30秒くらい待つ。

そのころには長女も次女も席について待っている。

次女のぶんができて、

長女のぶんができて、

自分のぶんがレンジからでてくるころには長女も次女も食べ始めていた。

二人とも親指をたてて、もぐもぐと食べている。この瞬間がたまらない。

ぼくのトマトソースパスタはすこしレベルアップした。

イライラの総数

2025年4月26日

カスタマーハラスメントに関する法律が施行されたと思っていたのですが、Google の AI ジェミニに聞くと、そんなものはありませんとのことでした。

いやでも、コンビニのレジの近くにはカスハラについての何かが書かれたチラシが張り出されている。

そのチラシには、無理な要求や暴言を吐いた時には処罰されますよ、というような文言が書かれているので、僕は AI に聞く、その方法が良くなかったのかなと反省しています。

カスハラ法なるものが施行されてから、 ちょっと身の回りで異変があるのを感じる。

それは、道行く人々の中に、何かブツブツものを言いながら歩いていたり、あるいはもっと大きな声で明らかに文句ととれるようなことを話しているというか、叫んでいるような人が増えたことだ。

明らかに増えたと感じる。

この前は、大阪市内のある交差点で、右折のために停車している車の中で、何やらぶつぶつと文句を言っている人がいて、高級車のオープンカーが横を通り過ぎたと見るや、そのドライバーに向かって何かを叫んでいた。

無論その高級車のオープンカーのドライバーは、何も気づかず、颯爽と過ぎ去っていたのだが。

交差点で右折待ちをして何かを叫んでいたおじさんは、次は自転車で颯爽と走っている人に向かって何かを叫んでいた。

自転車で走っている人はそれに気づいたのか、気づいてないのか、僕には分からなかった。顔は向こうを向いていたし、何かに反応するわけでもなかったからだ。

でも、自転車の男性の方は、体の硬直具合から言って、もしかしたら気づいていたかもしれず、それを無視したのかもしれない。そんな感じだった。

その状況を見ていて僕が感じたのは、カスハラ法というルールができて、今までどこかのスタッフに八つ当たりして、憂さ晴らしをしていたくだらない人間たちが、憂さを晴らすことができなくなって、それで道行く人に当たり散らかしてるのではないかな、そんなことを感じた。

カスハラ法ができたからといって、地球上にあるイライラの総数が減るわけではない。ただ、そのイライラのはけ口が変わっただけなのだ。

今までどこかのコンビニの歯向かうことができないスタッフに、イライラをぶつけていた人はカスハラ法ができたことによって、次は誰にそのイライラをぶつけるのだろうか。

道行く人か、それとも家族にあたるのか、そうなったらDV の被害に合ってる人たちは、もしかするともっとひどい被害に遭うのかもしれない。

そういう風に考えると、イライラのはけ口を変えることよりも、イライラの総数を減らすことをどうにかしなければいけないことがわかってくる。

イライラの総数を減らすにはどうしたらいいのか、お金をばらまくのか、いや、違うと思う。

経済を良くするのか、いや、経済はもう良くならない。人口が増えない限り。

そもそもイライラはどうやって生み出されるのだろう。

この作文を始めた時は、イライラがどうやって生み出されるのかどうか?なんて考えてもいなかった。

ただ、書くということを続けていたら、自分でも思ってもみなかった疑問が、自分の中から湧いて出てきた、これだから作文はやめられない。

明日からはイライラはどこから来るのか、ということについて考えながら日常生活を過ごしていこうと思う。

中国人の友達ができました

2025年4月25日

僕には最近できた友達がいる。
彼らは中国人のご夫婦で、1人の息子さんがいる。


うちの奥さんと、その中国人の奥さんはかなり仲が良くて、カタコトの日本語でいろんな話をしているようだ。

朝に子供たちを幼稚園に送ってから、2人でパン屋さんに行ってコーヒーを飲んだりしている。

なぜ仲が良くなったのか僕には分からないし、彼らも言葉にはできないようだ。うちの奥さんが誰かと友達になって、仲良くしているのを見るとこちらも嬉しくなる。

中国人の家族が、同じ大阪市内で引っ越しをしなければいけないので、今日は僕のトラックを空にして引っ越しの手伝いをしてきた。

朝、家を出る時にうちの奥さんが言うには、あそこのご夫婦は本当に面白くて、いつもずっと喧嘩しているような口調でコミュニケーションをとる、また面白いシーンがあったら教えてね。と。

日本人がはたから見ているとまさに喧嘩しているようで、今までも中国人のご主人とは、うちの奥さんは気が荒くて、すぐ怒ってはまくし立ててくるよ、みたいなことを冗談にして笑っていたことがある。

はっきり言って僕にはそれが冗談なのかどうか、よくわからない。

彼らのコミュニケーションは全て中国語で行われるので、何を話しているのか聞き取るのは部分的であっても不可能だ。しかもものすごい高速。

今日の引っ越しでトラックに乗せた大きなものとしては、冷蔵庫、ベッド、椅子、本棚がある。

その全ての大きなものと、こまごまとしたものとの間には緩衝材として、物を宅配便で送る時によく使う、いわゆるプチプチと言われるものをたくさん使用した。

荷物を乗せる時にはプチプチをたくさん使用し、移動した後、荷物を降ろす時にはプチプチを外して、それを1つの袋にまとめていった。

荷物をトラックからたくさんおろして、プチプチが満タンに入った袋を、奥さんがこれも部屋に持ってあがった方がいいのかなと判断して、掴んで持って行こうとした。

その時僕はとっさに、いやいや、その袋は今日の晩にまた使うからこのトラックの上に置いておこうよ、と言った意味の英語を伝えた。

すると彼女は、僕の方に一瞥をくれたあと、ポイッとトラックの荷台の上にそれを入れた。

というよりも投げ入れた。

というよりも放った、と言った方が正しいか。

それを見たぼくは、あわわわわ、怖い!!みたいな表現を、英語と表情と身振り手振りで、伝えてみた。

するとそれを見たご主人が、めちゃくちゃ嬉しそうに近寄ってきて、英語で話してくれた。

その英語を日本語に、
その表情を関西弁に直すとこんな感じになる。

『せやろせやろ、これが通常やで、怒ってないと思ったらあかんで、 彼女は怒ってるで。』

三人でめちゃくちゃ笑った。

お金以外で川崎を応援する方法

2025年4月24日

『川崎のこと、もうちょっと応援したいんだけど』という人向けに書き始めました。

実際に何をしたらいいのかてっとり早く知りたい!という人はこの文章の最後まで飛んでください、まとめてあります。

それではまいります。

僕は今44歳で、 20代の半ば頃からこの事業をやってきました。花の苗のことを始めたのはこの3年か4年ぐらいの話ですが、それ以外のことは若かりし頃からコツコツと続けてきました。

それはまさに1つの山に登っているような感覚です。地球環境をよくするという名前の山です。

でもその山道では、人に出会うことがありません。地球環境という山の頂上を本気で目指しているのは、どうやら他にいないようです。ケガも多いし、体力も必要だからだと思います。

他の人たちは全員、現代社会という山を登っています。

同じ山登りの話をしても昨日のような齟齬ができてしまいます。その溝を取り除くことはどうやら不可能で、そこではいつも寂しさを覚えます。

あそこまで書いてしまったので、ちょうどいいかと思って書き始めているのですが。

あそこまで読んだ人の中には、これはマジで川崎のことを応援しなくちゃ、と思った人も多少いらっしゃるのではないでしょうか。そういう人たちと繋がり、応援してもらい、現在地を知ってもらう、というのが重要だと常々考えてきました。

ここで少し話はとびます。

僕は子供達にサッカーを教えていたことがあります。サッカーは大好きです。

でもその反面、少年少女または、中学生や高校生のスポーツの世界が良くない部分を持っていることにも気づいていました。

その問題意識という点で、慶應義塾高校野球部監督の森林貴彦さんが書かれた、thinking basaballという本には、その問題点が余すところなく書かれていて、すべてに頷くことができます。

その問題点についてかなり端折って要約してみると、『いきすぎたビジネス化』になると思います。

高校野球のシーンでも、勝たなければ監督として残れないのです。評価の仕方が間違えていて、甲子園で勝った数を評価の対象とするのではなく、何人のプロ野球選手を輩出したかを評価の基準にすべきだ、ということは森林監督が何度もその著書の中で書かれていることです。

それがいきすぎたビジネス化をとめる手段になるのです。

少年サッカーのチームの良し悪しを、どういう風に評価すべきかというのは、ぼくにはまだ分かりませんが、勝つチームに子供たちが集まるというのが最大の問題、というところまでは明確に理解できます。

サッカーチームのコーチは、勝つための一番の近道を子供達にああしろこうしろと指示し始めます、そうして自分で考えないプレーヤーを量産し、社会に送り出し、毎年数万人がうつ病になる一助となります。

いやいや、んなことあらへんで、と思う人は森林監督の著書を読んでみてください。

そうやってチームが勝てるようになると、状況を敏感に察知した子供たちがどういうふうな態度にでるかは、誰もが想像できることではないでしょうか。

それについてぼくはずっと考えていました。

その結論をこれまた要約してみると、 愛情をこめて『おまえもう明日から来なくていいぞ』と言える状態が理想、ということになるでしょうか。

そのためには、チーム運営費のすべてが月謝(現金)という状態ではダメなのだというのがぼくの結論です。
▼現金で月謝をもらっちゃダメ、
▼応援してくれる人からは多くもらう、
▼お金がなくてもサッカーチームに入れる。


この3点を川崎efcというにわかサッカーチームで実現するために、アルミ缶で運営費を回収するというやり方をしていました。

チームに所属する少年のご家庭で消費したビール缶や炭酸飲料缶を、月に1回トラックで回収し、それをぼくが金属屋さんにもっていく、というやり方でした。

いまは子供たちが大きくなったので、サッカーチームはしていませんが、ぼくのことを個人的に応援してくれている方や、地域の自治会の人がアルミ缶を集めて、ぼくの事業を応援してくれています。

ちなみに自治会の人たちからいただいたアルミ缶で発生した収入は、半分ずつ分けています。その半分を自治会の人たちは自分たちの活動費として使っているのです。これがとても喜ばれています。

例えば、
▼ママさんバレー
▼ゲートボールクラブ
▼老人会
など、地域でささやかに活動しているコミュニティにとっては、最高の現金収入になります。一度ご自身が籍をおいているコミュニティに、こんなんあるらしいデー、と話してみてください。3ヶ月に1回、みんなで飲みに行くぐらいの金額になるかもしれません。

そんなアルミ缶方式を、花の苗1つ50円でもやってみようかと考えています。

無理にとは言いません、ちょっと応援してやろうかなという人が、試しに3ヶ月だけやってめんどくさいからやめる、という感じでも全然構いません。

また、へそくりを作りたい人大募集です。笑

廃棄物処理法上、ゴミステーションに廃棄されたアルミ缶を持ち去ることは、違法になりますが、有価物としてアルミ缶を人に譲るのは法律上、何も問題がないことを確認しています。

【【アルミ缶で寄付】】

【日程】
毎月1日(雨天のときは事前に延期を連絡します。)

【場所】
▼時間を決めた上で玄関先。
▼時間を決めた上でいつもの駐車場。


【要領】
▼飲料缶のみ(ビールや炭酸飲料)。
▼水洗い1回。
▼踏んづけてペシャンコにしていただくと、川崎は喜びますが、踏んづけなくても大丈夫です。
▼非対面のときは、保管してある場所を事前にお知らせください。
▼半分ほしいor半分いらない、を事前にお知らせください。(重量を測らなければいけないため)


【注意事項】
▼アルミ製であっても缶詰はいれないでください。飲料缶のみです。
▼ペットボトルなどが入っていると、川崎は首根っこをつかまれて怒鳴りつけられます。
▼大量になる場合は半月に一度訪問する場合もあります。


Googleマップで応援してもらう

2025年4月23日

おはようございます。かなんな農園の川崎康裕です。いつも花の苗一つ50円を応援していただきありがとうございます。

駐車場でお会いした際には、応援されているのだとヒシヒシと感じます。と言うのは、あの駐車場に来られるお客さんは、ほとんど全員が女性なのですが、トラックから降りてきた男に対して挨拶をするだけでも、少し勇気がいるのかなと勝手に想像しています、それだけではなく笑顔でいつもありがとうございますと、伝えてくれたりします。

感謝感激です。

この前駐車場でお会いした女性なんかは、まっすぐに目を見てくるところがとても印象的で、『川崎おまえマジで頑張れ』と言われているような気がしました。

マジ頑張ります。

せっかく応援していただいてるので、その応援を少しだけ集客に利用させていただこうと思っていて、すこし変更したい点があります。

【変更後】
▼入荷の日程をGoogle マップの最新情報で配信する。
▼入荷したことをオープンチャットで配信する。
▼平日の駐車場をInstagram で配信する。


【変更したところ】
入荷の日程がいつになるのか、これからは Google マップの最新情報の欄で配信していこうと思います。

▼▼▼


ここからは、これをやることによって、川崎がどういう風に喜んで、川崎にとってどういう利益があるのか、説明していこうと思います。

ご興味のある方だけお読みください。

あまり派手なことを好まない川崎は、SNS で派手な言葉を使ったり、本来の意味とは違うような言葉を使ったりするのを嫌います。

いわゆる、釣り、という行為に対してうんざりしているのは僕だけではないと思います。

派手な SNS もありますが、一方で静かな SNS もあると考えています。

静かな SNS の代表がGoogle マップです。地図アプリは派手な映像や、派手な言葉とは無縁の世界です。

駐車場でお会いする女性に話を聞いてみると、Google マップを見てきましたという人はほぼ半分ぐらいいらっしゃいます。

あとの半分にオープンチャットと Instagram があります。

そしてこの Google マップに力を入れている、会社やお店はあまり見かけません。

そのため、花を入荷する日程をGoogle マップで僕が配信し、皆さんが花の入荷日程をGoogle マップで確認することで、Google 大先生が『お、こいつ人気やんけ』ということで評価を高くしてくれます。

すると、 誰かが Google マップで花屋と調べた時に、表示される回数が増えたり、大きく表示されたりするのです。

話をまとめますね。
花の入荷日程をGoogle マップの最新情報で確認するという行為自体が、川崎への応援になります。

慣れるまでお手数ですが、日本中の廃棄苗を東住吉区に集めるためと思ってお付き合いください。

▼▼▼


上記のように、Google マップに力を入れる戦略のことを、MEOと言いますが、それをやってみようと思ったのは、オープンチャットがあまり機能していないという実感もあるからです。

まだ利用者が20人30人くらいだった時は、利用者さん同士の繋がりももう少し濃かったように感じます。

はじめの方から参加いただいてる方には、同じように感じている人もいるのではないでしょうか。

でもそれは、需要がまだまだ少なくて、供給が大きすぎたことによると考えられます。『まだまだこんなに残ってるよ、こんなにいい花があるよ。』と伝え合うには最高のオープンチャットでした。

最近では、需要が供給を上回ってるような気がします。だからこそ新しい入荷先が増えて喜んでいたのですから。

駐車場に来てくれるお客さんが増えたことで、 入荷したらその場で、ほとんどのめぼしい花が売れて行ってしまう、こんな状況ではお客さん同士が、和気アイアイと在庫の確認をし合うという理由がないのです。

お客さん同士の和気藹々が好きな僕は、機能しなくなったオープンチャット自体 やめてしまって、お客さん同士が、連絡先を交換し合わなければ、入荷した花の情報や、現在の駐車場の状態が確認できないようなふうにしようかなと考えています。

そうすることで、挨拶をしない人や、人とのつながりに温かくない人、花の苗を分け合うことができない人などは自然にすみに追いやられていくでしょうし、温かい人たち同士がつながるきっかけになるのではないかと思います。

ただ、もう少しオープンチャットはそのままにしておこうと思います。また何かに役立つこともあるかもしれませんので。

そして、最後に『できたらでいいんで』のお願いです。いつもオープンチャットに在庫情報の写真を投稿してくださる、e34さんやエコさんやリンゴさん(ごめん、これ以上思い出せない。)、そのオープンチャットに投稿していただく写真を、Google マップの写真の欄に投稿していただけないでしょうか。

もしできたらで本当に構いません、もししていただけるなら、何か高級な観葉植物や花の苗が入った時はお礼に取り置きしようと思います。

ん?
いま、、

なにか聞こえたような、

テレパシー?

そんなんのために応援してるんじゃない?

大変失礼いたしました。

なぜ竹には黒カビがはえないの?

2025年4月21日

竹チップにはなぜこんなにも黒カビが生えないのか、不思議で仕方がない。

畑にまいておいた竹チップには、黒カビがほとんどつかない。全然と言ってもいいほどだ。その代わりに、白カビがびっしり生えている。

それはなぜなのか?

AIに聞いてみても、合点の行く答えはあまり得られない。ただ、抗菌性があるだとか、殺菌成分があるだとか、ケイ酸がいいんだとか。どれもあまりしっくりこない。

抗菌性があったり、 殺菌成分があるのなら、白カビも生えないだろうと思う。

ここではいま流行りの、 糸状菌という言葉は使わないことにしておく。白カビも黒カビも糸状菌だからだ。

ちなみに全ての菌の95% は糸状菌だ。あとの5% は放線菌やその他ということになる。

今日も畑で作業している時に、竹チップに白カビがびっしりついているのに気づいた。やはり僕はその理由が気になる。

そこでトラックに乗って帰り道、様々な方向からジェミニに質問してみた。

その中で、お、と思うような答えがあった。

竹チップには抗菌性があるという、いつもの答えの後に、だから竹林の中では、動物の死体は腐りにくいのです。と書かれていた。

なんだか妙に納得できた。

僕がいつも何かに納得できたと思う時は、自分の説明がうまくいかない部分に、訂正が加えられた時だ。

抗菌性だとか、殺菌成分だとか、色々話した後にこれからはこういう説明を加えることができる、『竹林のなかでは、動物の死骸は腐りにくいよ。』これだけで大きな一歩だ。

ここまで説明できるのなら、次のような説明も成り立つような気がする。

それは動植物が死んだ後、水分の多く含まれている状態のところに発生するのが黒カビで、その黒カビは発生した後、生きたり死んだり、または合体(シンビオジェネシス)したりしながら、食べたり、出したりを繰り返して、徐々に徐々にその生活の中で水分を蒸発させていく。

徐々に水分が蒸発していく間に、毛や皮膚、タンパク質などの高分子化合物も分解されて、アミノ酸などの少分子化合物になっていくのだろうと思う。

ごめんなさい、先ほど高分子化合物のことを勉強したばっかりで、どうしても使いたかったのです。わけわかりませんよね。すみません。

高分子化合物というのは、たくさんの分子が集まってできたもの、という意味です。アミノ酸がたくさん繋がってできるのがタンパク質です。

すみません、脇道にそれました。話を戻しましょう。

そして水分が少なくなってきたら、次は白カビの登場。

髪の毛や皮膚や内臓が分解されて水分がなくなり始めたところで、白カビが登場し、その中にある栄養を、他の植物に受け渡す役割を担っている。

こういう風に考えると、ちょっとした遊び心のあるあの考え方『竹は神様に、温暖化を止めて来いと命令されている。』という考え方は、あながち間違いではないのかも、などと考えてしまう。

竹の幹自体は、竹林の中で枯れても、ほとんどがそのまま立っている。なぜなら彼らは支え合っているからだ。しかも今日勉強したことによると、枝や葉っぱも腐りにくいときた。幹や枝や葉っぱに溜め込んだ炭素を必死で固定しているようにぼくには見える。

温暖化がこれ以上進むと、木材(リグニン )を分解する酵素(白色腐朽菌)が活躍しなくなって、樹木が枯れても朽ち果てないようになっていくとぼくは勝手に仮説をたてている。

でも、それはあながち間違いではないのではないだろうか。

竹が腐りにくいという現象が、1つの証明なようにも思う。だから竹というのは神様の命令で1年で10m も伸びたりするんじゃないだろうか。

そうならないためにも、冬には竹炭を焼きまくり、春には竹チップを畑に巻きまくろうと思う。この方法で温暖化を止められるか、実験してみようと思う。

この農法で作物を栽培すると、水や空気はキレイになっていくだろう。それに加えて温暖化もとめられるとなっては、ぼくの心はドキドキワクワクでとまらない。

タラの芽の収穫

2025年4月19日

タラの芽を初めて収穫しました。

いつも作業している竹林の、何百回と通っている通路の、自分の足から30cmほどのところで発見しました。

タラの芽と言われるものが、自然に生えているということを知らなかった時は、気づきもしなかったタラの芽が、そこにはありました。

ぼくが知らずに伐採していたらしく、地面付近で切られたあとがあり、その切られた部分の少し下から他の枝を伸ばしていました。

おちゃのこサイサイとでも言わんばかりの 表情で、そこにスタンドアップなさってました。

樹木の強さ、奥ゆかしさ、というのは無言にあると思う。

例えばペットとして、犬を飼っていたとした場合、彼らは本当に痛かったりする時に、ただキャンと言ったりする。

人間のように不平不満を述べない、ルールだとか、 自分の気持ちだとか、いまにも泣き出しそうな顔で叫んだりする。そして、僕らはうんざりする。

でも木は叫ばない。

この竹林にある竹も、どんなに強風に煽られようが、叫ぶことはない。

その竹のそばには、以前倒れたのであろう桜の木が横になっている。その桜の木は死んでいるのではなく、中が空洞になってしまったような幹を通して、栄養と水分をしっかり運んでいるらしく、 何本もの新しい枝を生やしている。

それも全て無言でだ。

おそらくは倒れた時も無言だっただろう。

新しい枝が生えてきた時も無言だっただろう。

僕が樹木に対して畏敬の念を抱くのは、静けさや無言から発せられる、何かに圧倒されるからだ。

梨を植える理由

2025年4月17日

耕作放棄地をどうにかしようという考えは、僕らが初めから持っていた目標の1つだ。

耕作放棄地を畑に変えていく過程というのは簡単ではない。

特に10年とか15年とか放置されていた耕作放棄地は、そこで野菜が栽培できるようになるまで何年もかかる。

アカガシワの根強さは、1度耕作放棄地に取り組んだことのある人なら分かっていただけると思う。

葛の強さも半端ない。

ススキはどうだろう、燃やしても燃やしても翌年元気に生えてくる。

そんな耕作放棄地に対しての考え方で間違っている部分が1つあると思う。

それは『1年でかっこいい畑にしなければいけない』という考えだ。

なぜか人は、耕作放棄地と言うと、翌年には綺麗な土が全部露出している、現代農業のための農地にしなければいけないと考えてしまいます。

これは間違いだ。

3年から4年をかけて、少しずつ雑木や雑草の勢いを弱めていくのがいいと思う。

その過程で、様々な果樹を植えていくというのが僕たちのやり方だ。

おそらくこの大阪という土地では、身をつけないであろうりんごや梨も植えたりしている。

もちろんその他の、柑橘系や、イチジク、柿、栗などは植えているが、多様性を確保する観点で、身をつけないであろうりんごやなしも植えているのである。

そうやってダメ元で植えた梨が、花をつけた。かなり元気そうな花だ。葉っぱもいい色をしている。

梨というのは本来、乾燥した砂丘などで栽培される果樹なので、実をつけたところで、おそらくあのみずみずしさは再現できないと思う。

でも、この花の色、葉っぱの色、幹の色、全てが元気そうで、何か期待せずにはいられない。

この梨がうまくいったら、耕作放棄地を畑に戻していくスピードはどれだけ上がるだろうか、ワクワクドキドキが止まらない。

農薬ゼロの梅

2025年4月16日

何度も声を上げて喜んでおりますが、はっきり言って本当に嬉しいのです。

農薬を使わず(栽培期間だけでなくずっと使いません。)

化学肥料を使わず(有機肥料もほとんど使いません。)

耕しもせず、水やりもしない、というやり方はなかなか難しく、野菜でも果樹でも収穫に至るまでは相当の時間が必要です。

それはなぜかと言うと、自分の頭の中にある誤った知識が、誤った農作業をさせるからです。

例えば、現代農業では植物と植物は土の中で栄養の取り合いをして、いわば喧嘩のような状態を作り出していると認識しています。

それは理科の授業でも同じではないでしょうか。

でもおそらくそれは100% 間違えています。

土や植物に関して学校で教わったことの大半は、僕が大人になって畑で見て感じたこととは真逆の事が多いのです。

20代の中盤からこの農業を始めて、現在は44歳。その間の15年間ぐらいは野菜も果樹もほとんど無収穫でした。

野菜も果樹も無収穫だった時、それはどんな時間だったかと尋ねられたら、自分の頭の中の誤った認識を、時間をかけて訂正していた時間とでも答えるでしょうか。

そういう風に時間をかけてできた梅なので、それはもう嬉しくて嬉しくてたまりません。

今年2025年は販売することはできないかもしれません、だって家で食べきれないほどの梅干しを作りたいからです。笑

でも来年2026年からはきっと販売したいと思います。

ほかの農薬ゼロ野菜もバンバン販売していこうと思います。

自然農や自然栽培という言葉が生まれ、近年では菌ちゃん農法というものを頑張って広めているおじいちゃんも出てきました。

でも僕の目から見ると、まだ『自分で食べるものを栽培する』という枠から抜け出せていないと思います。

やればやるほど水が綺麗になる農法。

やればやるほど空気が綺麗になる農法。

やればやるほど地面の中に炭素(竹炭)が固定されていく農法。

やればやるほど温暖化が進まなくなる農法。

誰がどこに住んでいても、自分が食べるものを栽培できる農法。

すなわち、難民になって他国に逃れようとも、そこで栽培できる農法。

そうなれば戦争が起こった地域では人々が簡単に逃げられるようになるのではないでしょうか。

すなわち、戦争が盛り上がらなくなる農法。

これを僕は模索していく。

さくらんぼ販売できるかも

2025年4月15日

販売できるかもシリーズ第1弾は、さくらんぼです。

この木は、河南町5号地に3年ほど前から植わっているものです。

相棒が精魂を込めて育てているものです。

精魂を込めて育てている、と言うと現代農業しか知らない人にとっては、トラクターを使ったり、草刈りを頑張ったり、肥料をたくさんあげたり、農薬をたくさんあげたり、を想像すると思いますが、うちの畑だけでは違います。

▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕しもせず
▼水やりもしない

という決まりごとの中で、大きく成長していった木なのです。

このやり方で育てていると、夏場の暑さに耐えられず枯れていく木や、雑草の高さに勝てなかった木ももちろんあって、半分とは言わないまでも、枯れて行く木はたくさんあります。

でもそれが自然だと考えています。

大きくなれない木は、助けないというのが自然だと思います。

人間の力でどうにかしようとしてしまうと、どうしても農薬の方向へ行ってしまったり、化学肥料の方向へ行ってしまったり、はたまた耕すと言う方向に行ってしまったりします。

●●●

今年はこのさくらんぼの木から、たくさんさくらんぼを収穫することができるかもしれません。

家に持ち帰って、栄養満点で農薬ゼロのさくらんぼを子供たちに食べさせるのは、1つの夢です。

でも一方で、日本人全員を健康にするという途方もない夢もあります。

たくさんとれたら、できるだけ販売する方に回そうと思ってます。

ポリフェノールやアントシアニンなどのフィットケミカルを満載したこのさくらんぼを、『体にいいものを食べたい』と欲する人々にたくさん販売することができれば、どれほど幸せだろうかと思う。

ただ利益が出るということが幸せなのではなくて、この農法で作物を収穫することができれば、それは地球の水や空気がその分綺麗になっていっているということにほかならない。

冬の間にたくさん作る竹炭は、どれほどの温室効果ガスを固定できているだろうか。

この農法で稼げば稼ぐほど、僕が冬に作る。竹炭は大量になっていく。そうなれば、どれほどの炭素を土の中に埋めることができているだろうか。

そう考えるだけでワクワクしてくる、僕は変態なのだ。僕は地球環境が良くなることを想像するとワクワクドキドキしてくる変態なのだ。

人々が健康になるということは、僕にとっても幸せだが、それよりも幸せなのは地球の水が空気が土が森が、綺麗になっていくことだ。

死ぬまで邁進し続けようと思う。

酵素風呂

2025年4月14日

今回訪問する酵素風呂のお店屋さんは、向こうから電話してきてくれたとはいえ、やりたいことがすでにこちらにはあって、それを貯めさせてもらうという点では、初めての訪問は成功させたい。

まず状況をさらっと説明すると、酵素風呂とか米ぬか入浴お店からは、定期的に使い終わった後の米ぬかや、檜木などのおがくずが出てくる。

電話をいただくその感じから察するに、彼らはそのゴミを有料で引き取ってもらっている、背景があるように思う。

そこで、今回のミーティングは下記のように進めていこうと思う。

【方針】
▼まずはお店の出費を0にする方法を考えたい。
▼それが成功したら、この米ぬかで収益化する方法を模索していきたい。

【そのための方策】
当該米ぬかとヒノキの混合物を肥料として販売する方法を見つける。

【注意点】
米ぬかとヒノキの混合物を、袋に入れるという従来の手間以上の手間は増やさないようにする。

【質問したいこと】
▼当日、分析表を見たい。
▼cn比の数値。
▼フランチャイズ?
▼混合する過程
▼温度変化

竹の支柱を頑丈にする実験

2025年4月11日

なんでこんなことをやり始めたか。
なんで竹で作った支柱を頑丈にしたかったのか。

それは放置竹林というあまり知られていない社会問題の脅威を知っていて、それを解決したかったからだ。

竹を生かして収益化することができれば、その社会問題は霧散すると思う。でもそれはとても難しいことだ。

社会問題というのははっきり言ってその当事者になってみないと、本質までは見えてこないと思う。

例えば、保育士の給料が低いということは、なんとなく僕にもわかっている、でもそれがなぜ解決に至らないのか、分かっていない。それはその問題の本質を知らないからだと思う。

例えば、US スチールという会社を新日本製鉄という日本の会社が買収しようとしていた。それに対してバイデン元大統領も反対し、トランプ大統領もそれに反対した。投資という形にしたらどうなの?という結論に至ったようだ。

こういうところまでは、なんとなく聞き知っているが、なぜ買収に至らなかったのか、アメリカ人の感情としてはどうなのか、またその大統領の感情としてはどうなのか、みたいな本質の部分までは理解できていない。

まるで地球のようなものだと思う、外側は木や土や水や大気で覆われている。誰もが知ってることだと思う。でもその中心はどのようなもので構成されているのか、さっぱり分からない。

マグマなのだろうか、それとも硬い金属のようなものなのだろうか。それとも僕たちが見たこともないような重力を発するような何かが、地球の中心に存在しているのかもしれない。

つまり、本質を理解していないということだと思う。

地球の中心が何でできているのか、僕には分からないが、竹林が放置されるとどういう問題が引き起こされるのか、そのスピードはどれぐらいで、どれほどの人たちが迷惑を被ることになるのか、ぼくはそれを緻密に計算することができる。

本質を理解しているからだ。

この社会問題を解決するには、やはりビジネスの力を借りるしかないと思う。

竹を使って何か収益を出すのだ。

竹林を使って何か収益を出すのだ。

▼タケカゴ
▼竹炭
▼竹チップ
▼竹に関連したワークショップ


この他にもこまごましたことで、本当にたくさんのことにトライしている、全ては竹林を使って収益を上げるためだ。

自治体の補助金を使ってとか、ボランティアの力を使ってとか、そういったものでは。社会問題は解決しない。

いつの時でも社会問題というのはビジネスの力を利用してでないと、解決できないものなのだ。

坂本龍馬さんが、瀬戸内海で海運業を営むかたわら、船を操る技術を日本人に習得させ、それを海軍力につなげたように。お金の集まるところ、収益が生まれるところでしか、社会問題を解決できない。

まさかそんな大それたことを僕ができるようになるとは思ってもいない、ただ、当事者で本質を知っているから、何かにトライしたいだけだ。

数年後、同じような志を持った若者が同じようなことにトライしようとした時、それはもう試したよ、ダメだったよ。という1つの指標になればいいと思う。

ああ、ダメだったんだとその若者は理解し、僕が手をつけられなかった他のことにトライできる、そのときのステップになればいいと思う。

●●●

竹の中にはケイ酸がたくさん含まれている、ケイ酸という物質は『土の元』と呼ばれるほど、土と近い関係にある。

おそらくはそのケイ酸が多く含まれているために、竹を地面に突き刺して支柱にしたところで、1年足らずでバキバキに折れてしまうのだろうと思う。

一方で、建材の業界や竹籠の業界では、ケイ酸を竹から抜くために、油抜きという工程が一般的だ。竹を火で炙ると、ケイ酸が表に浮き出てきてそれを拭き取ると綺麗な緑色になり、建材としても役に立つくらい頑丈になる。

竹のしなやかさは残しながら、頑丈な1つの建材として使われるのだ。

ただ、火で炙って油抜きをしてケイ酸をうまく抜き取ることができたとしても、それを使う場所は畑であり、 そこにはもちろん夏場は高温で 雨もたくさん降り、湿気もたくさんある。土の中は有機物を分解しようと企んでいる、土壌微生物でいっぱいなのだ。そんな中で火で炙っただけの竹が支柱が5年ももつだろうか。

5年も持つのかはっきり言ってわからない、 でも今まで1年しか持たなかった竹の支柱が2年持つようになるかもしれないし、3年持つようになるかもしれない。

もしそれを体験することができれば、その時、こうやればもっといけるんじゃない?みたいなアイデアが生まれるかもしれない。

収益化まではかなり遠い道のりだが、難しいゲームほどやっていて楽しいと思う、難しいゲームほどやり続けていると、周りに誰もいなくなることに気づくことがある。

ビジネス的に言うと、そこからがブルーオーシャンだ。

宝塚市での園芸用土の回収

2025年4月10日

先日の園芸用土回収は宝塚市での仕事でした。

3月の上旬頃には初めての問い合わせを受けていたお客さんで、4月に入ってからやっと訪問することができました。

というのも、このお客さんは個人からの注文ではなくて、法人としての注文でした。そのため、一度トラックを空っぽにしなければいけないほど、大量な園芸用土の回収となりました。

この会社は、スーパーに花の苗や生花をおろして管理する会社で、関西地方では結構人気の主婦にはよく名前を知られているようなスーパーマーケットと、取引しているような会社なのです。

その会社に初めて訪問した3月の上旬頃、社長と担当の人が面会してくださり、ずっと探し求めていたと言われて嬉しくなった川崎です。

その川崎は一方では廃棄直前の花の苗をいただいてきて、1つ50円で販売するという事業をしております。

この会社でも、枯れそうな花の苗を廃棄しなければいけないけれども、うまく廃棄できる方法がないという問題がありました。その部分も問題解決できるということで、川崎に問い合わせがありました。

おかげでかなんな農園の川崎としては、
▼花の苗の入荷先が増えた。
▼園芸用土回収の定期的な注文が受注できた。

ということになります。

ものすごいいい出会いでした。

ただ、初めてということもあり、園芸用土の保存のしかたには改善点があるかなと思いました。写真にもあるように、園芸用のストラップや花札などの、一般ゴミが混ざっていたり、土の中に雨水が溜まってしまっている状況のものもたくさんありました。

そのため、金額はこのように高くなりました。
園芸用土の回収料金3万6900円
宝塚市までの交通費2,000円
合計3万8900円


それなりの量を回収したので、こんな金額でも喜んでいただけたとは思いますが、ゴミが入っていなかったり、水分が抜けていたりすると、もっと安くなったと思います。

園芸用の土の捨て方がわからないという人はご連絡ください。

かなんな農園 川崎康裕

嫌われ者の雑木を支柱にできるか

2025年4月6日

耕作放棄地をどうにかしようと、頑張ったことのある人にはおなじみの雑木かもしれないが、この名前も知らない雑木が畑の中で支柱として役に立つことができるのか、実験していこうと思う。

この雑木が何ていう名前なのかを調べるのは後回しにするとして。

まずはこの雑木を、
▼1m ぐらいの長さに切ってみる。
▼それを火で炙って焦げ目をつける。
▼畑に突きさす。

やることはこれだけだ。

この雑木が、何かの役に立たせることはできないかと思って、この実験に取り組んでみた。

畑で支柱として使えることがわかれば、多少なりともこの雑木が収益化につながることになる。

おそらくこの雑木にたいして、こんな実験をした人は過去にもたくさんいただろう、そしてこの実験もおそらくは失敗に終わるだろう。

過去にトライした人が、役に立たないと証明したから、現代の日本で使われていないんだと思う。

役に立たないと証明できたことを、後の人が見て、ああ、これはダメなんだと認識できる何かがあればいいと思い、こんな動画を作ってみた。

これからもほんの些細な実験を動画にして、文章にして残していこうと思う。

今シーズンの竹炭焼き終了

2025年4月5日

今年もこの竹林でどれほどの炭素を固定できただろうか。

そう思うだけでこの農法をやっている意味を感じられる。

僕は今まで、 自分で食べる野菜を栽培することだけを考えてきたわけではない。

自分で食べる野菜を自給自足するという考え はいつも2番目だ。

一番目にはいつも、地球環境を良くする農法、収穫すれば収穫するほど水が綺麗になっていく農法、稼げば稼ぐほど空気が綺麗になっていく農法、について考えてきた。

それだけではない、社会問題として認識されていない、耕作放棄地の問題や、工作法基地に放置されているマルチビニルの問題、それらを解決するための農法をずっと考えてきた。

それらを解決するためには、1人で広大な土地を管理できなければいけない。その方法をずっと考えてきた。

そしてその方法で、最近では野菜がたくさん収穫できるようになってきた。

ミニトマトが初めて鈴なりになっているのを見た時は、畑のそばで涙を流した。

あともう少し。

死ぬほど収穫できるようになって、水や空気をきれいにしていきたいと思う。

家族写真

2025年4月2日

写真撮影していただいたお礼をなにかしたいと思い、作文を始めました。

2025年3月19日次女の謝恩会を撮影していただいたのが、まりさん、Mari family photographerさんでした。

温かい表情の写真をフラッシュなしで撮影してくださいました。

お礼をしたいと思った理由、月並みなものであればいくらでもあるのですが、一番大きな理由だけをあげるとすると、それは

『写真で心が揺さぶられたのは初めてかもしれないから』になると思います。

この文章を書いている著者は、当該写真の左側に写っている44歳の男性です。その隣に移っているのは著者の長女です。

なぜ心が揺さぶられたのかと言うと、著者自身、自分のなかにあった悩みに気づかされたというところが大きいと思います。

その悩みというのは著者とその長女との関係です。

かと言って、仲が悪いというわけでは全くないのです。どちらかといえば、仲はいい方で昔から2人でどこかへ遊びに行ったりすることもあったような仲なのです。

長女と朝から車に乗って、海に出かけて、2人で泳ぎながら、海底から次々と出てくるヤドカリを手に取ってはしゃいだのはいい思い出です。

ブランコが好きな長女を近くの公園に連れて行った回数は、かぞえきれません。

95% はものすごく仲良くはしゃぎ、残りの5% は烈火のごとく叱る。そんなような子育てでした。決して甘やかしたわけではありません。

烈火の如く叱って、 泣いている我が子を抱きしめる、こんな子育てでした。

そんな長女も12歳になり、この春から中学2年生になります。大人の女性と少女の間を行ったり来たりしているような感覚をうけます。

大人の女性として接しなければいけないと思うので、もう2人で海に泳ぎに行ったり、朝から晩までブランコで遊んだりすることはもうないかなと思います。

それが寂しいという感じはありません。

それが成長というものだと思います。むしろ誇らしいです。

そうやって少しずつ長女と、距離ができて行きます。大人としての距離です。

園芸土の回収、東大阪市

2025年4月3日

今回の土回収は東大阪市での仕事でした。

3月の初めぐらいに連絡をいただいていたのに、実施したのは4月になってからでした。本当に申し訳ない。

というのも、竹炭と竹チップを大量に作らなければならず、気温と天気の安定していたのも相まって、全然日程が開けられませんでした。

今回の土は、園芸用の土というよりもどちらかといえば真砂土よりの土でした。

土嚢袋に入れられていて、根っこや砂利はすでに完璧に分別されているような状態でした。

そのおかげでスムーズに回収することができました。

園芸用の土の捨て方がわからない、という人はご連絡ください。

実験失敗、発芽せず

2025年3月28日

今回の実験では成功しないということが分かっていたけども、やはり成功しないという結果が得られた。

生の米ぬかとコーヒーカスを混ぜて、その中に種子を入れることで発芽するかどうかを試したが、発芽はしなかった。

今回の種子はキヌサヤエンドウだった。

生の米ぬかというのは農業においてはとても重要な役割を果たしてくれる。

特に僕のような、無農薬、化学肥料なし、耕しもせず、水やりもしないという農業をやっている人にとっては特に重要だ。

でも種子を発芽させるという意味では、生の米ぬかでは役に立たないと思う。

ここからは何のデータにも基づいてない、ただの僕の仮説だけども、種子の発芽には土壌微生物が関わっているんじゃないかと考えている。

通常発芽というのは、
▼温度
▼水分
▼日光もしくは影
が必要だというのは農業の定説だ。

でも最後の最後のドアの鍵を開けるのは糸状菌などの土壌微生物なんじゃないかとにらんでいる。

ものすごい倍率の顕微鏡が必要なので、これを検証するのはとても難しいけれども。

そういう仮説を持ちながら、最近では竹炭を作ったり、竹チップを作ったり農作業をしている。

●●なぜこんな実験をしているのかというと

今ほかの実験で、竹炭と竹チップだけで畝が作られるのかどうかという実験をしている。その実験で うまくいくというデータが取れれば、次はおそらく苗を植えるという作業がものすごく大変になってくる。

苗を植えるためには、まずは竹チップをかき分けて、竹炭のところまで到達しなければいけない 。

その際、竹チップを手でかき分けて苗を植えるという作業はかなり面倒な作業なのだ。

そこで以前福岡さんが自然農のかたわらで、砂漠緑化を推進しようとしたやり方の中に、この種の蒔き方が本で紹介されていた。

福岡さんのやり方では土を丸めて団子にする。その中に種子を入れて砂漠にばらまいて砂漠が緑に覆われていく、そんな流れだった。

それを応用して、僕のやり方では、台所でよく出る コーヒーカスと、どこでも気軽に手に入る米ぬかを利用して種子が発芽するのかどうかを実験していた。

ニンジンなどの好光性の種子では、団子に薄く種を貼り付けるだけ。

たとえばオクラなどの嫌光性の種子では、団子の中に深く種を埋め込んで、それを畑にまくだけで、種が発芽し根っこが活着するという方法を見つければ、たくさんのいいことが起こる。

▼竹チップを手で弄らなくても大丈夫。
▼そのおかげで収穫量アップ。
▼そうすると耕作放棄地がなくなっていくスピードもアップするだろう。
▼竹炭が大量に作られて、炭素固定につながる。地球温暖化のスピードが緩和されるだろう。

僕は農業通じて自分の食料を作りたいんではなくて、耕作放棄地をなくしたり、固定種を存続させたり、水や空気をきれいにしたり、地球温暖化を止めたり、ひいては戦争が盛り上がらない方法を見つけたいと思っている。

園芸用土の回収

2025年3月27日

今日の園芸用土回収の仕事は守口市でした。

完璧にフルいにかけた園芸用の土だとのことで、お伺いした。ゴミなどはすべて取り除き、鉢底石などもすべてフルってあるはずだった。

でも中にはゴミがたくさん入っていた。

ゴミが入っていたせいで回収料はすこし高くなりました。

回収料4,000円
守口市までの交通費2,000円
合計6,000円

たかい!

こういうときのお客さんのタイプとして2種類があると思われる。

▼自分が用意したものではない。(家族が土の段取りをして、連絡してきたのが本人)
▼事実と違うことを伝えるのが普通になっている。


これ以降の文章は後者について書いていこうと思う。

たとえば到着時間をだれかに伝えなければいけないシーンを経験したことはありませんか?

そんなとき、ぼくは早めの時間を伝えるタイプだとか、わたしはすこし余裕を持って時間を伝えるタイプだとか、大げさに言えば事実でないことを言うタイプだと公言している人を見かけることがある。

僕はその人たちのことを嘘つきだとは呼べない。なぜなら彼らは誰かを騙そうとしているわけでもなければ、自分の利益を考えてるわけでもないからだ。

嘘というのとは違う。

でも彼らが言うように、彼らがタイプだというように、正しい表現をしないということが1つの体質になっているのだ。

このことが問題になる場面を考えてみよう。

1人のヤンキーがいたとする。
嬉しい時にはやべえと言う
楽しい時にはやべえという
怒っている時にもやべえという
悲しい時にもやべえという

本当に追い詰められていて、精神的に追い詰められていて、誰かに助けを求めたい時にもやべえという。

そして誰にも理解されていないと思いグレていく。

この理屈はあながち間違いではないと思う。

生きにくい生きにくいと言いながらみんなは暮らしているが、そう言っている人たちはほとんど全員が本当のことではないことを言う、体質ができてしまってるように思う。

僕の周りの友達で、本当のことを率直に自分の言葉で正しく表現できる人間はかなり少数派だが、そういう人間は生きにくいなんていわない。

国を代表する人が国会で、本当じゃないことを話し続けたツケがこんなところにまで浸透してきているのではないだろうか。

といっても、その国の問題を端的に簡潔に言葉にできている人はいない。

ぼくもそれを言葉にすることはできていないが、せめてもの抵抗のために、自分がなにか考えを持ったときは、その考えを明確に表現できているかどうかを監視し続けようと思う。

竹炭の実験

2025年3月21日

竹炭をウネ状になるように敷きつめる、竹炭は深いところで10cmくらいになる。 そのうえに竹チップを敷く。シュレッダーで5センチくらいに粉砕された竹の枝と葉っぱ。これを竹炭が隠れるように置いていく。 【実験1】 このウネで夏野菜の苗が活着するかどうか。 【実験2】 このウネで夏野菜の種が発芽し、活着するかどうか。 【実験3】 水やりなしで、夏を越えられるかどうか。 もし、この実験がうまくいくと、未来がこんなふうに変わります。 ▼耕作放棄地を減らすスピードが倍増する。 ▼放置竹林を管理するスピードが倍増する。 この実験を成功させたくてさせたくてたまらない川崎は、竹チップの枯れ具合を見て4月5月だけでなく、6月も竹チップをまいてやろうとたくらんでおります。

ハトの巣はどこにあるんだろうと思ってました。

2025年3月5日

お肉は毎日食べたいくせに、ガゼルがライオンに食べられるところを見れば残酷だと思う。
どれほどの矛盾を孕んでいるのだろうと思い、ぼくはお肉を食べることをやめた。

自分で食べる肉を自分で狩り、さばき、焼いて、食べる。そこまでするのならお肉を食べる権利もあるというものだ、みたいなことを考えてぼくはお肉を食べることをやめた。(だれかにごちそうされたりしたら食べる。)

きのうはこの恐怖体験をしたベランダで仕事をしていた。あまりに汚いベランダで、引越し前だというのに室内にもゴミは散乱している有様で、この仕事はあまりやりたくなかった。やりたくないから見積もり金額はかなり高く設定し、断っていただこうと思っていたにもかかわらず、不意に受注してしまった。

はじめは高くて申し訳ないと思っていたのだが、このハトの兄弟を見つけてからは、こんな安くでいいのかとさえ思いはじめていた。

もちろん自分ちのベランダに鳩の巣があるなんて、お客さんのほうも寝耳に水だったようだ。そりゃこれだけ散らかってたら鳩の巣も見つからないだろうし、鳩も鳩とて巣をつくろうという気になるんじゃないかと思う。

見積もり金額には鳩の巣の処分なんてもちろん入っていないのだが、ぼくとしては最近では動物を狩るところを想像しながら生きているので、鳩の巣の撤去やそこに住んでいる鳩の兄弟をむんずと掴んで一階のエントランス付近まで持っていくことは簡単なことだった。

それよりも難儀だったのが、その鳩の兄弟を心底気色悪がり、拝むようにしてぼくにその仕事をなすりつけてきたお客さん親子だ。

ぼくにとってはおまえらのほうが気色悪い。

自分が気色悪いと思っているものの処理を、業者にさせるために拝み倒して、その業務に対しての報酬のことにはいっさい触れない。いくらか請求してやろうか、それともカッターナイフをだしてその場で止めをさしてやろうか、いろいろと考えてしまった。

そういうおまえらの首もとにはたぷんたぷんの脂肪が蓄えられているが、おそらくそこには豚肉や鶏肉、牛肉などが蓄えられているんだろう。

そんなおまえらみたいになりたくなくて、ぼくはお肉を食べるのをやめたのだ。

熊嵐という小説にでてくる熊専門の猟師が、最後のシーンで村長に罵声を浴びせるシーンがある。熊の肝はおまえに言われなくてもおれのものだ。命をかけて村を救った対価がこれっぽちかと暴言を吐く。リスクをとって誰もやらないことを命懸けてやっている人間の気持ちはおまえらにはわからない。

ごもっともと思うのはぼくだけだろうか。

鳩の巣をはじめて見ました

2025年3月4日

ハトとかカラスの巣って見ないよなーってずっと考えていました。

彼らは公園で歩き回ったあと、どこに帰るんだろう。カラスは帰りながらカーカー鳴くもんですから、あーあいつら今帰ってんなーみたいな郷愁をただよわせることができる。

でも、ハトはどこに帰ってるんだろう。公園で地面をつつきまわしてホッホーしたあと、彼らはどこに帰っていくんだろう。カラスのように鳴いているのかもしれないが、おそらくホッホーの音量ではぼくたちの耳まで届かないんだろうと思う。

そんなだからハトが夕方じぶんの巣に帰っているところを目撃する人もいないし、ハトが帰宅していることに気づく人もいない。あたりまえだけどそこに郷愁は感じられない。ただ夜になったら彼らは忽然と姿を消しているのだ。

狩猟免許を取得してからというもの、鳥や獣の習性が身近なものになった。畑にいけばそこらじゅうに足跡があることを発見したのも狩猟免許をとってからだ。鳥や獣を見つけては彼らをとらえる方法やとらえたあと、どうやって止めをさすのが苦痛が少ないのだろうといったことをよく考えるようになった。

話をもどそう、そう。ハトだ。
ハトがどこからやってきて、どこに帰っていくのか知っている人は少ないと思う。その問いに対するアンサー動画を撮影してきた。彼らはここに帰ってきていたのだ。

ハトの巣はなにか植物の繊維のようなものを編んでつくられていた。簡単に風でとばないようにとつくられたものなのだろう、それを動かすときには巣を破壊する気持ちで向き合わないといけませんでした。簡単にひょいと持ち上がるものではありませんでした。

ハトの巣のなか、というか上というか、には二羽の子供が乗っています。大人になる少しまえの子供で体には白色や黄色の羽毛が残っています。はじめかれらを発見したときはまず第一に「なにこれ!」と口走ったあと、「え、生きてんの?」という疑問がくちをついてでてきました。それほど彼らは動きませんでした。微動だにしないので、首のあたりの羽毛が小刻みに震えているのを発見してやっと生きていることを確認できたほどです。

昨日ぼくは、東大阪市のマンションに訪問し園芸用土回収の仕事をしてきました。二週間ほどまえに見積もりのために訪問したとき、ぼくはここの仕事をあまりやりたくありませんでした。引越し前とはいえ、たばこの匂いが強烈なその部屋は乱雑で、「ここの主人は整理整頓ができません。」と語りかけてくるかのような部屋だった。そういう住人のばあい、園芸用の土や植木鉢の状態が良い場合はほとんどなく、土の上にはプラスチックが散乱していたりするのです。

そんな理由から、そのベランダでの仕事はぼくはあまりやりたくありませんでした。そんなときの常として、金額をかなり高くお伝えして、お断りいただくという流れにもっていったのですが、なんと受注してしまいました。

ああ、こんなに高くしてしまって申し訳ないなと思いながら作業を開始し、作業開始から2時間程度は金額をたかくしてしまった懺悔の気持ちを口にしながら枝や土と格闘していました。

作業開始から3時間ほど経過したときのことです。

そのあたりからぼくの口から懺悔の気持ちがほとばしることはなくなっていました。異常なほどにある鳥のフンがぼくをこれくらいの金額でよかったと思わせ始めていました。

そして、次の瞬間、
「見積もり金額高すぎた」の気持ちは、
「見積もり金額安すぎた」に激変しました。
そう、あの小鳩二羽を発見した瞬間でした。

このベランダをきれいにできる業者ほかにおるもんやったらでてきてみい。

という悪態大阪弁に変わっていました。

実験。コーヒーカスと米糠で種は発芽するのか

2025年3月2日

【実験】
コーヒーカスと米糠で種は発芽するのか(豆編)


【実験内容】
・キヌサヤの種を使う
・米糠に水分を含ませる
・コーヒーカスと米糠を混ぜる
・そのなかにキヌサヤの種を埋め込む
・ビンの蓋を裏返してそれを置く
・ビンの蓋は室内の暖かい場所に置いておく
・1日に二度ほどスポイトで水を含ませる


【実験時期】
2025年3月1日(日)から1週間程度


【実験の意義】
竹チップを施すようになった圃場で、竹チップの厚みがあることで、(種に触れさせるための)土を露出させる作業が煩雑になるため、事前に「種ボール」のようなものを用意しておき、それを雨天の前日に竹チップの上に撒く(好光性種子の場合)、もしくは竹チップの下に影になるように撒く(嫌光性種子の場合)ための実験。
 圃場の土で種ボールを作ることも可能だが、圃場に土をとりにいく手間や、種ボールをつくったあとのトラック荷台での整理の手間を考えて、家のなかで無限にでてくる食物残渣であるコーヒーカスと米糠を利用して、手が汚れにくくそして土以上に粘りがあり種をホールドしてくれるものを探すための実験、

【予想】
この状態では発芽しない。
ただ、この状態で発芽してくれるとものすごい手間が少ない。植物が好む糸状菌(白カビ)を発生させるために、砂糖などの糖分を加えたりしておくと発芽の可能性はもっと高まるのではないかと思う。

実験。竹炭と竹チップでウネは作れるか。

2025年2月27日

竹炭と竹チップをたくさん積めば、そりゃウネみたいにはなるだろうと思う。

でもここで実験したいのは、そのウネで作物が育つのかということ、

もっと詳しく言うと、

▼排水性は確保できるのか
▼透水性は確保できるのか
▼農薬なし肥料なしで栽培できるのか
▼水やりなしで夏を越せるのか

このあたりを今年は実験していこうと思う。

▼▼▼なぜこの実験をするのか▼▼▼

ぼくの目標はこの農地で作物を栽培することだけではない。

大阪府内にあるすべての耕作放棄地を『ほんじゃ川崎たのんだで』と無茶ブリされても管理できるようなやり方を見つけたい。

なかなか途方もない目標のように思われるが、その先には地球環境を改善したり、戦争が盛り上がらなくなる方法を探しあてる、という達成困難な目標がある。

その間の説明はかなり端折らせていただくとして、この実験はその途方もない目標を達成するためには不可欠な実験だ。

毎日毎分このことについて考えているが、おそらく避けては通れない道だと思う。

▼▼▼この実験が成功すると何が起きるか▼

この実験が成功すると、耕作放棄地で栽培するために掘っていた溝を掘らなくて済むようになる。

言い換えると、耕作放棄地がなくなっていくスピードが3倍から5倍ほどスピードアップする。

かといってこの実験が成功したとしても、溝をまったく掘らなくていいというわけではないと思う。
▼セイタカアワダチソウ
▼クズ
▼笹
などの生命力の塊のような植物たちは、溝を掘ったりして根っこを切ってしまわないと太刀打ちできないことがあるからだ。

それでも、すべてのウネに対して溝を掘らなくてもよくなれば、3倍から5倍のペースで耕作放棄地をなくしていくことができるだろう。

そうなったら最高に嬉しくてチビってしまうだろう。

▼▼▼実験内容▼▼▼

富田林1号地の
7番目のウネ(溝なし)
8番目のウネ(溝なし)
を使用する。

竹炭を10cmくらい山盛りにしてウネとする。

その上に竹チップを撒く。(竹炭が見えなくなる程度)

そのウネで作物を栽培する。
エンドウマメ
ミニトマト
さつまいも
など、比較的栽培しやすい作物で始めはトライする。

▼疑問1
竹炭は間隙が大きすぎて、水分は上がってこられない。(毛細管現象ではあがってこられない。)
→土壌微生物が竹炭に棲むことによって、竹炭に水分が保持されるのかどうか。

▼疑問2
竹チップが分解される過程で、腐食が竹炭の間を埋めていくと予想するが、そのとおりとなるかどうか。

▼▼▼実験結果▼▼▼

実験結果がでるまでには数ヶ月要すると思われる。

2025年7月頃には第一弾のご報告ができるものと思う。

マニアックな実験に興味のあるみなさまがたにおかれましては、ヨダレを垂らしながら報告をお待ちください。

菌ちゃん農法のための竹チップづくりワークショップ

2025年1月17日

菌ちゃん農法のための竹チップを一緒につくりませんか?
菌ちゃん農法をやりたいけど、有機物が手に入らないという人に向けて書いております。

都会に住む人には想像しにくいかもしれませんが、竹という植物は田舎ではたいへん嫌われております。笑

一年で10メートルとか伸びるうえに、地下に伸びた根っこを切るのは至難の技なのです。

というわけで、田舎では嫌われている竹を菌ちゃん農法で逆手にとりませんか?

竹をのこぎりで切り、枝をナタで落とし、枝の部分をシュレダーにかけてチップにします。幹の部分は寝かして整列させておきます、これは翌年竹炭にするために1年間ねかせます。

シュレッダーにかけてチップにした枝と葉っぱの部分を持ち帰っていただきますので、ゴミ袋をご持参ください。

ぼくが作業をすると10分間で1本の竹を処理することができますが、はじめてワークショップに来られるかたにとっては10分間は少し早すぎると思います。それでも一緒に作業をしていたら20分に1本くらいは処理できるようになると思います。

朝から昼すぎまで真剣にやってゴミ袋10個分くらい持って帰られる人もいます。

10袋もあれば、家庭菜園や貸し農園で菌ちゃん農法をやっているあなたの畝もほとんどカバーできるのではないでしょうか。

お友達と一緒に参加したりすると、楽しさが増すのか、最終的に持って帰っていただくゴミ袋の数は増えます。

また、お子様連れも大歓迎です。竹林のなかで遊ぶ子供は一日中飽きることはありません。 ▼切った竹の株の上に立ってみたり、
▼そこからジャンプしてみたり、
▼倒れた竹の上を歩いてみたり、
▼枯れた竹で火遊びをしてみたり、
無限の遊び道具が竹林にはあります。


女性や子供をお連れになるときは、事前に教えてください。その日は竹林のなかでも、公共施設が近くにあってトイレに行きやすい、そこに自動販売機もある、そんな竹林を選ぼうと思います。

【日程】2025年
2月2日(日)
2月9日(日)
2月11日(祝)
2月16日(日)
3月は未定


【時間】
午前9時集合
午前10時開始
午後14時解散
早退遅刻可


【持ち物】
お弁当
軍手または皮手袋
ゴミ袋(竹チップを持ち帰るため)
のこぎり(あれば)
ナタ(あれば)
枝切りばさみ(あれば)
キャンプ用のイス(あれば)

【お申し込み】
かなんな農園 川崎康裕
ケータイ090―3941−7360

仕事始めがあなたでよかった

2025年1月8日

きのうの土回収の仕事は、大阪市内での作業でした。 合計で8万円超えの大きめな仕事でした。 量が多かったと言うよりも、ひとつひとつが大きなプランターで、一番大きなものをトラックに載せるときには、プランターに入ったままでは一人で荷台の高さまで上げることができないので、いったんその場で横に寝かし、超大型植木鉢の底から伸ばされた根をタガネで切り、土と根っこの塊をプランターのなかから出して、すこしずつ土をけずり、けずってはトラックに載せてはまたけずりという作業を繰り返し、両手で持ち上がる程度の重さになったころを見計らって、全身の筋肉をフル動員してトラックの荷台にあげました。 ガーデニング好きのおばあちゃんは高齢のため、お世話できる範囲が限られてくるのでしょう。玄関先の植木鉢をかなりスッキリさせてきました。 おばあちゃんはすべての植木鉢に鉢底石を敷き、そのなかに少しずつ木炭をまぜて使っておられました。こういうやり方を見ると、ああこの人は本当に園芸を愛していたのだな、と思ったりします。 土のなかに炭があると植物に元気が湧くことを経験から知っていたのでしょう。 園芸用土の捨て方がわからない、という人からのメッセージをお待ちしております。 かなんな農園 川崎康裕

初夢で正夢

2025年1月4日

今日書くのは、初夢で正夢の物語。

つい6時間前にあったことを、ぼくは初夢として見てしまった。

起きたときには汗だくだった。

この場合、夢占いはどうなるのだろう。

1月3日(金)の晩に一人で飲んでいたぼくは、その飲んでいた居酒屋で思いがけずM夫妻に出会った。

ぼくが小学校でサッカーを教えていたころからの友人で、二人とも本当によくしてくれている。このままこの二人のことについて書いてしまおうかと思うくらい彼らとは仲良くさせていただいている。

でも今日は夢のお話。

夢はなぜか会計のシーンから始まる。

23時頃だったろうか、ぼくはもうそのときには普段飲まないくらいの量のお酒を飲んでいて、酩酊していた。

10、000円程度の伝票を示され、ぼくとM奥さんはおたがい割り勘の構えで迎えていた。酩酊しているぼくにはアホみたいな声で、半分は5,000円やなというナレーションが聞こえてきた。おそらく夢だからそういうナレーションがつくこともあるのだろう。

しかし、M奥さんは3,000円を手にしている。

ナレーションは問う。

彼女がなんで3,000円持ってるか知らへんやろ。

え?

夢って問いかけられるものなのでしょうか。おかしいな〜とか思っていたら、ここのあたりから冷や汗が流れ始める。

そう、あほなりに気づき始めたのだ。

おれが飲んだの5,000円以上やん、あわわ。

かなりさとい頭脳を持つあちらの奥さんは、ま、だいたい3,000円くらいのもんやろなと計算して3,000円を財布から出したんやん。

その横に立つ、1万割る2の頭脳を持つ男。酔っているからか、ぼんやりとことの成り行きを見つめているだけだ。そしてあろうことか、店員さんが男にお釣りの100円玉を渡したおかげで男はその100円玉をもらう流れになり、有頂天になっている。

ナレーションは言う。おい、おまえ、このバカ面を目にやきつけとけ。二度とこんな事件を起こさないために。

ナレーションは続く。しかもナレーションはちょっと声色を変えて続ける。あほな男の人、割り勘勝ちして、そのうえ100円玉で喜んだはるわ。

女性の声でちょっと京都訛り。

このあたりから汗は皮膚をつたいはじめる。

うわああああ、という声とともに夢は終わり、跳ね起きるぼく。

大阪といえど、シャツに汗がついていたら極寒だ。

朝四時にもなってないのだろう。真っ暗ななかパンツとシャツを着替え、トイレにいき、水道からでてくる水で喉をうるおす。回転のはじまっていない頭で考える。2,000円くらい返しにいこうか、いやそんなん野暮すぎるし、朝早すぎるし、あのナレーションこわいし、みたいなアイデアしかでてこない。

へんな唸り声をあげながらパンツ一丁で階段をあがり、汗でところどころ濡れている布団にもぐりこみ、男は呪文を唱え始めた。

嫌わんといてくれ。

嫌わんといてくれ。

嫌わんといてくれ。

嫌わんといてくれ。

たのむ

嫌わんといてくれ。

嫌わんといてくれ。



そしてまた眠りに落ちていくのでした。

神戸クリスマスマーケットポートタワー

2024年12月28日

クリスマス12月25日

神戸クリスマスマーケット@ポートタワーでボランティアスタッフとして働く最後の日でした。

ボランティアスタッフという少し特異な立場で働いている、この部分は大丈夫なのかとか、運営スタッフの不安な表情とか、おっさんになったからこそ理解できるような心配な面が垣間見えたのだか、それを最終日に吹き飛ばしてくれたのがこの方々です。

彼らに白羽の矢をたてられて、ぼくは総料理長となり、総料理長のくせに何も知らないというネタで綾花さんと盛り上がる。

20歳くらい歳が離れた若者たちも、次第にこの総料理長コントに加わる。

総料理長のくせに焼きそば(賄い用)も作れないんですか?と揶揄されながら、初対面のボランティアスタッフが打ち解けていく。

これは綾花さんが、瞬時に『あ、このオッサンいじれる』と判断いただき、怒涛のイジリを開始してくれたおかげだろう。

ありがとう綾花さん。

そして、その関西人ノリに初めて接したんじゃないたろうかと思うサヤカちゃんという女性がいた、群馬県からはるばるボランティアスタッフのためだけに来た彼女は当初、総料理長ネタにドギマギしているように見えた。

▼あの人めっちゃ総料理長ってイジってるけど大丈夫なの?
▼わたしがイジったら激怒される?

彼女の気持ちとしてはこんなところか。

たしかに20も歳の離れたオッサンをイジリ倒す現場に加勢するには、経験が必要かもしれない。

そんな彼女が輪のなかに入れるキッカケになったのはソウタくんだろう。

関西で生まれ育った彼もまだ大学生だが、関西人のノリには慣れている。たくさん話すほうではないが、彼の強みは『ヘラヘラっと笑って和ませる』だ。

彼がヘラヘラっと笑うと、口元になんだか愛嬌がうまれる、それに気づいたときにはもうすでに彼の術中にハマっている。

▼綾花さんが総料理長をイジる。
▼総料理長がアホみたいなことを言う。
▼ソウタくんがヘラヘラっと笑う。
▼サヤカちゃんが1cm前にでてくる。
▼綾花さんが総料理長をイジる。


この繰り返しのみで僕たちは仲良くなっていった。午後3時には自分たちのことをチームと呼んでいたように記憶している。

記憶はそのあたりから徐々に薄れはじめる。

食べ物類が猛スピードで売れ始めたのだ。
○ソーセージ以外なにもできない総料理長。
○会計以外なにもできないソウタくん。
○チキンからシチューなんでもこなすサヤカちゃん。
○フライドポテトとフライドチキンのマスターと化した綾花さん。


女性二人がいなければ、成立しなかっただろう、役に立たない男性の日本代表として礼を述べたい。おーきに。

飲まず食わず、休憩なし。

20時30分までチームはそれぞれの持ち場を守り続けた。

ブレーカーが落ちたり、
フライヤーに電源がこなかったり、
シチューが鍋で独立運動を起こしたり、


それでもぼくらは大した事故もなくボランティアスタッフというものを全うできたと思う。

この物語には登場しなかったリーダー(総料理長じゃないほうの)や、サンタクロースや、運営チームの人たちもいた。

その人たちも登場させると一冊の本になっちゃうから、ここでは割愛させてください。

感情を販売する回転寿司屋さんがあったとして、お皿のうえに乗っている『楽しさ』『焦り』ときには『笑い』なんかをお腹いっぱい食べて、何が美味しかったかと問われても、ちょっと一言では伝えきれない、そんな1日だった。

神戸クリスマスマーケットポートタワー

2024年12月24日

昨日は神戸クリスマスマーケット@ポートタワーのボランティアスタッフをしに行ってきました。

クリスマスマーケットなるキラキラした催しに出向くのは初めてで、もちろんそこでスタッフとして働くのも初めてのことでした。

西野さんのサロン記事にたびたび登場する人たちにも会えたりして、終始なごやかにボランティアスタッフとして過ごせました。

その初めてのボランティアスタッフの思い出を楽しい思い出に変えてくれたのは、当日初めて会ったコタローくんでした。

清掃の当番にあてられたぼくとコタローくんは、それほど忙しいでもない清掃の仕事をこなしながら、たくさんの話をしました。

ぼくよりも20歳ほど年下の彼は、なにかスポーツをしていたらしく、厚着のサンタルックからも筋肉隆々なのがわかるくらいごつい体をしていました。

なにかスポーツしてたの?と聞くと、

そうなんですけどね、当てられたことないんですよー。おおまかなジャンルでは当たるかもしれませんが。というヒントまでいただいたので、出会ってすぐのときはこの会話で盛り上がった。

「おおまかな」とのことなので、陸上!と答えたけど当たらず、答えは水泳だった。しかもその種目は聞いたことはあれど、観戦したことはないような種目。

でも20も離れている若者との会話の入口としては上出来だったと思う。

この水泳トークが終わる頃には、ぼくたちはざっくりとしたプロフィールを認識できていたと思う。

社会人1年目、 バカではない、 賢くて、 自分を追い込むこともできる、 なにか自分で始めたいと考えている。

そんな彼だから西野亮廣エンタメ研究所に入ったのだろう。

一応こちらも起業している身だから、なにか羅針盤のような言葉を放つことができればいいのだけれど、彼の現在地はよく知らないため、慎重に言葉を選んで話そうと考えた。

起業したいという人に対して、ほぼ毎回思うことは、「コツコツ努力する」という素地がなければ無理だよ、それができない人には無理だよ、あきらめたほうがいい。こんなことを考えながら当たり障りなく話すことが多い。

でもコタローくんはどうやらそんな感じではなさそう。

なにか彼の将来のヒントになるようなことを話せたらいいなと思いながらも、当方としては突拍子もないことをやっているのは百も承知なので、突拍子もないヒントだけは与えぬよう気をつけながら、たくさんのことを話した。

たくさんのことを話しながら、クリスマスマーケットのお客さんに足元注意を促したり、フードやドリンクに並んだお客さんの列を整理したりした、そこにいるだれもが笑顔で楽しげで、彼も爽やかな笑顔ではなしてくれる、いつしかぼくたちは惹かれあっていった、いやいやちがう、間違えた、ラブストーリーと間違えた。

クリスマスマーケットの明るい照明に照らされて、爽やかに笑う彼の笑顔には、現状に満足していない鋭い男性ホルモンも垣間見える。

彼は言う。好きなことじゃないとだめなんだと思う。

好きなことをやったうえで結果論として、成功があるように感じる。

でもその好きなことが何なのかわからない。

多くの若者が抱く疑問に彼も悩まされていた。

ごめんやけど、ぼくにはその疑問に対する解決策は持ち合わせていない。

ぼくのなかには、幼いころから持っているやりたいことがあって、それは44歳になる現在でもまったく変わらない。源泉のようなものがぼくの体のなかにはある。

どうやら他の人にはその源泉がないようだ。

でもひとつかれの疑問にヒントすることができるとすれば、ぼくは税理士法人で働いているとき、その仕事が自分に合っていないと思いながら続けていた、いまでもそれは100%自分に合っていないと言い切れる。でもその仕事を続けながら、税理士試験のための勉強を続けた。

簿記論や財務諸表論、法人税法、所得税法、相続税法などほかにもたくさんの科目があるが、そのなかの消費税法という科目を勉強するためにクラスに通っていたある晩、ぼくはいまのこの事業を思いつき、その日からずっと続けてきた。

この消費税法もじつはぼくは勉強するのがいやでいやで仕方がなかった。

学校の勉強も嫌いだった、なにかの試験のために勉強するというのが大嫌いなのだ。

その嫌いで嫌いでしかたのないものに、ぼくは毎晩取り組んで、いまではあのとき簿記論や消費税法を学んでおいて本当によかったと一方の頭で考えながら、もう片方の頭では試験勉強のことはいまでも毛嫌いしている。

人はいやでいやでしかたのないものに取り組んでいるときに、本当に自分がやりたいことは何なのか理解するんじゃないだろうか。と思う。

自分のなかで本当に価値のあるものにそこで初めて気づくんじゃないだろうか。

日本酒のコップを横に置きながら、音楽を流して書いているおっさんの戯言だと思って読んでくれたら幸いです。

でも、 戦争はどうだろう。

この場合は戦場になるだろうか。

銃を撃って、見たこともない話したこともない人を撃つ。たくさん。

これを好む人はいるだろうか。

戦場こそ、いやでいやで仕方がないことをやる現場に思える。

なにか政治的な理由で戦争を起こそうとした人でさえ、戦場にでるのは真っ平ごめんなはずだ。

そんないやでいやで仕方がないことをやっているから、やらされているから人は、

家族といるだけで十分だったことを思い出したり、

愛している人の笑顔を思い出したり、

自分がほんとうはやりたかったことをそのとき思い出すんじゃないだろうか。

ういっく。酔ってきたな。

園芸用土を回収するときにする質問

2024年12月19日

園芸用の土を回収するときにする質問

土の量とか質に関する質問はもちろんたくさんしたりするのですが、今日はちょっと変わった質問についての話です。

それは、 殺虫剤を使ってますか?(アトピーの人に対して、もしくはアトピーの子供がいる親に対して。)

お子さんがアトピーだったりしますか?(殺虫剤をよく使う人に対して。)

これはもう百回以上繰り返してきた質問なので、相手がどう答えるかはすでにわかっていることが多い。

すなわち、 殺虫剤(除草剤含む)をよく使う家庭の子供はほとんど全員がアトピーだ。

そして、 アトピーの子供を持つ両親は、父親か母親かどちらかが殺虫剤を大好きということが多い。

もうすこしつっこんだ話をすると、殺虫剤を使うということは、彼らは虫が嫌いなのだ大嫌いなのだ。だから必要以上に殺虫剤をまくし、どう考えても子供が触るような土の上にじかに殺虫剤をまいたりしている。

虫が嫌いなことを誇るかのように話し、殺虫剤を大量にまいているのことに何の抵抗も感じていない。

虫を殺す薬が、人間の体には良いとでも考えているのだろうか、不思議でならない。

そんな彼らでもアトピーになった我が子を愛し、なぜアトピーになったのか、その原因はと考え、やれハウスダストだとかダニがよくないんだとかテレビで勉強してきては、せっせと掃除に励み、掃除のあとには除菌し、腸内フローラのものになる善玉菌を皆殺しにしている。

こういうにまとめてみると、問題は殺虫剤を使うことではなくて、正しい情報のとりかたを知らないこと、になるのかもしれない。

最近では、川崎は殺虫剤好きの人に出会うとやさしい言葉なんて使わない。

花のトレーを置く位置

2024年12月17日


なにかの理由で花屋さんが廃棄しなければいけなくなった花の苗を引き取ってきて、一つ50円で販売しております。

東住吉区内のとある駐車場で花の苗をじか置きするという暴挙にでております。

その駐車場の区画では、ギリギリまで花の苗を前に出して置いていましたが、来月1月中旬頃まですこし奥まったところに置くことに決めました、この写真のように。

他の人のことを考えて、溝の上までトレーを動かしてくれる人もいるかもしれませんが、もしそうなっていたら奥まったところへ戻しておいてやってもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

そのとある駐車場の奥にあるマンションにはある一人の若者が住んでおり、その男はそのマンションにたった一つだけ備え付けられてある駐車場を借りています。

花の苗を見にこられた人なら、あーあれかとわかるような場所にあります。

その男は軽自動車に乗っていました。見るからに古い感じの軽自動車です。たまに彼女をつれて晩御飯にでもいくのでしょうか、助手席に彼女をのせてでていきます。

一度、ぼくが盛大に花の苗を私道に置いていたところ、「出るけど大丈夫?」と声をかけてくれました。やさしいじゃない。おそらくはガテン系だと思われるその風貌は男前で、筋肉質で痩せている感じ、眼光するどく、危険が伴う現場で働いているのだろうと思わせる緊張感を漂わせている。

嫌いじゃない。

もともと体を使って働くガテン系と呼ばれる男どもをぼくは嫌いじゃない。考え方にすじが通っていることが多いからだ。学校の勉強には弱いのかもしれないが、ホワイトカラーと呼ばれる人たちよりも好きなことが多い。

なにより、そういうガテン系のやつらにめっぽう好かれるというのもある。

そんなおり、駐車場に置いているトレーが割れているのを発見するようになった。回数にして、2回か3回だったと思う。11月初旬頃だっただろうか。

それは明らかに車に踏まれたようなあとでした。

軽自動車のあいつかなと思い、奥の駐車場をのぞいてみると、そこには軽自動車はなく、グレーのハイエースが停まっていた。

あいつはもういなくなったのかと思いながら、トレーが割れたことはそのまま問題先延ばしに。

そして先週の12月初旬のある日、ガテン系の彼がマンションからでてきて、そのハイエースに乗り込み、やはりまた彼女をのせて晩御飯にいくところへ、ぼくが駐車場に帰ってたのです。

あわわわ。

でていこうとするハイエースを手でとめて、彼に話しかけると彼はハイエースから降りてきました。降りてくるのもまた潔くていいですよね。

でも、あわわわ。

トレー動かした?と聞くと、
「動かした」とのこと。

やっぱりね、この車だと出入りするのに邪魔だもんね、何回か踏んだでしょ?と聞くと、 「いや踏んでない」とのこと。あきらかに悪いことしましたという顔をしながらの、いや踏んでない、にぼくはOKとだけ返して、そりゃそうだよね、この尋問形式でこんな質問されちゃ、ぼくでもいや踏んでないと答えるだろうと思いました。

そりゃこのハイエースの大きさだと、ここからでるのはかなり無理があると思うから、ぼくの区画の上を通ってもらってかまわない、どれくらい奥に置いておいたらいい?
「今のこの状態がベスト」とのこと。

OKわかった、でもこれっていつまで続くの?と聞くと、 「あと1ヶ月。この車も買ったし、1月中旬に引っ越しすることになったから」とのこと。

淡々とした彼の状況説明に脚色していくと、おそらく彼はガテン系の仕事である程度一人前になって、彼女と結婚することに決めて、少し小さめの家を購入し、そこに移り住むのが2025年1月中旬なんじゃないだろうか。

ぼくは本当に人を見る目がないとつくづく思う、だからこの見当ははずれているだろう。

でもひとつだけ頼りにしている「人の見方」がある、それは第三者を介して人を見る、ということだ。この場合、彼のほうをみるのではなくて、彼女のほうを見たりする。

このときの彼女はハイエースの助手席に座っていた。
▼扉が開いているから、シルエットは見える。
▼顔はこちらを向いている。
▼表情までは読めない。
▼感情は抑えられていて、動かない。
▼こちらの会話は聞こえているのかどうか不明。

こういうとき、彼女や奥さんが出てきて代わりに話し出す、みたいなこともよくあると思う。それはおそらく、彼氏やご主人に任せておくと自分たちに不利な状況になったり、損失を被ることが経験則として知っていて、我慢できずにアナウンスなしでバッター交代という流れになるのだろうと思う。

何度でも言うが、ぼくには人を瞬時に見分ける能力がまったくない。

このときの彼女の挙動についても、認識間違いは多数あろうと思う。

ぼくの目には、彼女は彼氏を信頼していているように見えた。でも、相手は知らない男なので心配でジッとこちらを見ている。そんなふうに見えた。

契約している土地を他人に自由に往来させるというのは、ちょっとあり得ない話だと思う。
でも、
彼に限って、
あと1ヶ月に限って、
この駐車場に限って、
彼が往来してもいいとぼくは感じた。

ぼくはこれが人情だと思っている。

人情を実行に移すときは契約するのと似ているといつも感じる。
▼甲と乙
▼契約期間
▼契約内容
▼破棄条項
のようなものだ。

人情味のない世の中になってきたと考えることもよくあるが、かえって人情のある人間、すなわち一本すじが通った人間が際立つようになってきたようにも思える。

そういうふうな人間になっているかと自戒しながら、死ぬまで努力しようと思う。

そして命つきて、運良く天国にいくことができたなら、そこにいるであろう江戸っ子の先輩に迎えられて、こう言わしめたら本望だろう。

あんた粋だねえ。

今日の土回収

2024年12月9日

ぼくはじつは枚方市生まれなのですが、

それのおかげか、枚方市からはたくさんの注文をいただいている。

これが縁というものだろうか。

注文の数が少なくてピンチのときなんてのは個人事業をやっているかぎりだれもが経験することだとおもうが、そんなときにもなぜか枚方市からの問い合わせだけは途絶えなかったりする。

不思議だ。

今回もその枚方市からの注文でした。

公式LINEのアカウントのほうへいただいた、初めての問い合わせは誰がどう読んでも外国人の名前でした。

英語のほうがいいですか?

日本語のままでいいですか?

と問いかけると、

Let’s go with English!!とのこと。

写真を送ってきてくれたので、だいたいの金額を伝えて、いざ訪問。

外国人のご主人には会うことはできませんでしたが、日本人の奥さんといろいろ話すことができました。

小さな赤ちゃんが、12月冷たい風に吹かれて泣いてしまいましましたが、最後はたいへん感謝していただきました。

野菜を育てようとしたけど、あまりうまくいかず、もうやめてしまおうとのこと。

このときに無料で回収した、長方形のプランターや不織布のプランターはすでに、もらい手がついて、今ごろ土が入って活躍しているころでしょうか。 このプランター類の無料回収をいたく喜んでくださったご主人は、帰宅後メールをくださいました。

Great. I’m glad they are getting used rather than just thrown away.

Thanks for running such a sustainable business.

今日の土回収

2024年12月6日

今日は枚方市で数件の土回収をしてきました。

そのなかの一件がとあるマンションでの土回収の仕事でした。

お問い合わせをいただいたときから、けっこう頻繁に情報をくださる方で、なにも言わないうちから写真をメールしてきたりする女性。

その正体は、かーなーり優柔不断な人でした!笑

たくさんの確認メールは、自分の中でいろいろな心配事や不安をつくりだして、それを自分のなかで時間をかけて解決するための確認メールだったのだと感じました。

こういうふうに書くと、あたかもぼくがその女性を非難するかのように聞こえるかもしれないが、そんなことはまったくない。

なぜなら彼女には一つの大きな武器があるのだ。

それは一番最後にでてくる笑顔だ。

その笑顔は、会話の区切りの一番最後にしかでてこない。

数少ないその笑顔がでてきた瞬間、ぼくはすべて報われたような気になる。

その笑顔をするとき、彼女の前歯がすこしだけ顔を覗かせる。なぜだかわからないが、前歯の2本だけが顔をのぞかせる。どういう仕組みだろう。

人によっては悪口になるかもしれないが、ビーバーが笑ってるような感じだ。

ビーバーに会ったことはないが、川に自分の巣を作るときに木をかじっていて、数秒間、周囲を確認する、命の脅威が迫っていないか確認する、そして自分が安全だということを確認すると、すこし安堵する。

ぼくの想像のなかで、その安堵した瞬間の顔に彼女の笑顔は酷似している。

重ねて言うが、彼女は優柔不断で、自分がもう一回部屋に戻って追加の土を持ってくるかどうかすらも、存分に迷う。

これ以上の困りごとはないぞと言わんばかりに眉間にシワを寄せて、周囲の時間のことなどお構いなく、脳を集中させてありったけの時間を使う。

やっとのことで、部屋に戻ることを決意して、部屋に戻る。

じつは、ぼくはこの部屋に戻ろうとする瞬間を目撃していない。

彼女の眉間にシワが寄りはじめて3秒くらいたったころ、だめだこりゃ、ということで自分の作業に邁進していたからだ。

あんなのに付き合ってたら時間がいくらあっても足りない、嫌いな人ではないが、ぼくもぼくの時間を無駄にはしたくないのだ。

彼女が一階のエントランスに追加の園芸用土を持ってきたころには、ぼくははじめにご依頼いただいた分の作業を終えていた。

おそらく彼女は部屋に戻る間も、部屋に戻ってからもたくさんの悩み事を想像し、時間をふんだんに使ってきたのだろう。

そこまで想像しているぼく自身、すでに彼女の術中にはまっているのかもしれない。

追加の土を持って一階エントランスに現れた彼女は、ここでまたこの土を本当に回収してもらっていいものかどうか、はー困った、みたいなことを始めた。

ぼくは言ったよ。

もーえーやろ。

もちろん笑顔で言ったけど、はよしてくださる?と言いました。ごめんやで。あまりに遅いもんで。ビーバーというか、このときはナマケモノだった。

いろいろながなが悩んだあと彼女はこういった。もういいや、全部お願いします。ニコッ。(ここであの前歯が2本現れる)

若い女性ではない、髪の毛にも白髪が混じっている、オシャレに気をつかっているふうにも思えない。

でもそんなことはどうでもいい。あの笑顔に出会えたんだから。

はっきり言って、あと5分は早く帰路につけたろうと思う。

でもそんなことはもうでもいい。あの笑顔に出会えたんだから。

最後の最後、別れるときには、彼女は『またお願いしますね』というのも悩んでいた、ついにぼくがその場を離れるまでに、またお願いしますね、とは言わなかった。

ぼくがそのマンション群を離れて、さてお昼ご飯たべようかなと思い始めたころ、メールが来た。

『今日はありがとうございました、またお願いしますね。』

早よ言わんかい、とツッコミながら、ぼくの顔はほっこり和んでいた。あのビーバーの笑顔を想像したからだ。

この写真のもので税交通費込み5,500円でした。ここからまた彼女は追加していくのだが。笑

今日の土回収

2024年12月2日

今日は藤井寺市で土回収の仕事がありました。

園芸好きだったお母さんが高齢のため施設に入られたとのことで、その娘さんから依頼がありました。

はじめ、電話がかかってきたときから、ものすごい応援してくれている感はあったのですが、今日いってみると、ものすごい応援してくれました、ありがとう。

自然農や、共生農法、木村さんの自然栽培の話をしたあと、いろいろな話をすることができました。

ガーデニングの話から竹炭の話に移ったあたりで、『うちの社長の庭が竹でえらいこっちゃ』とのこと、

すかさず放置竹林を探していることを伝えて、名刺をお渡ししました。

放置竹林が見つかるかもしれないということと、応援してくれている人に名刺を渡すことができ、そのうえ連絡をいただけることまでとりつけられました。

一期一会に感謝。

もっと出会いを大切にしていこ。

園芸用土の処分のしかたがわからない人はDMください。

かなんな農園 川崎康裕

本当は18千円くらいのところ、25千円いただきました。無駄にせぬようがんばります。

中国人家族と仲良くなった

2024年11月30日

最近、中国人の家族と仲良くなった。
そんじょそこらの仲良くなった、ではない。
一緒に食事にいって、笑いが絶えないくらい仲良くなった。

はっきり言ってぼくは中国人が大好きだ。
気遣いの中に、遠慮のなさが同居しているあの感じが好きでたまらない。

一番最初の食事はジョリーパスタだった。いわずとしれたファミリーイタリアンだったが、本当に楽しかった。

二回目の食事が昨日、
中国人家族が住むあたりにある本格中華のお店だった、本格中華どころか、中国人が中国語で営業しているお店で、お店のなかに入るとあれは八角の匂いなのだろうか、中国に旅行したときのような匂いがする。

香港にいったときには、レストランのそばに立っていると漂ってきたあの匂いだ。ぼくはあれが好きでたまらない。

中国人の奥さんのほうは紛れもないアジアンビューティーだ、日本人にももちろんきれいな人はたくさんいるが、話す雰囲気は良い意味でぜんぜんちがう。

ご主人のほうは、紛れもない金持ちで、彼が行う仕事の関係で来春からタワーマンションに移り住むという。根掘り葉掘りいろいろな質問をしていくと、たくさん仕事のことについて教えてくれる。

いわゆる会社員ではなくて、個人事業主なのだが、彼に聞くまでそんな仕事があることすら知らなかった。稼ぐ力は半端ない。

かれはぼくにもっと働かなくてはいけないんじゃない?とことあるごとに言ってくるが、いつかぼくのやっていることを知ってもらったときに逆に言ってやろうと思う、すべての時間を稼ぐことに使っていたら、それで稼げなくなったときに途方にくれるよ、ぼくが竹炭を焼いたり、狩猟のために時間を費やすのは、このグローバルで流れの速い社会のなかで、生き残るための術なのだと。

でもこれは自分で考えた事業を自分一人の力で切り拓いたことのある人にしか通じないことなのかもしれない。そしてそんな人がほかにあまりいないこともよく知っているつもりだ。

ご主人、いつもおごってくれてありがとう。

久田さへの手紙

2024年11月28日

今日はぼくからある知人への手紙というかメールというか、を作文していこうと思う。

これを書き終えてから、送信するかどうかを決めようと思うので、はじめから変名でいきます。

久田さんへ

いつもぼくに関わってくれてありがとうございます。

久田さんには一年前くらいから、ずっと謝らないとな〜と思っておりました。

謝る?
という感じかなと思います。
すみません、突然。

今月、畑に伺ったときのことも謝らなければいけません。

というのは、畑にお伺いしたとき、畑にいらっしゃった他のおじちゃんたちが手伝おうとしてくれたのに、ぼくは無下に断ってしまいました。

久田さんもご存じの通り、ぼくはいま巨大な目標に向かって進んでいます。ですが一歩一歩進んでいくと、意外と進めることに気付かされます。死ぬまでに到達できないだろうと考えていた場所が少し近づいたようにも感じる今日この頃です。

ぼくが言う一歩一歩すすんでいくというは、なかなか面倒な作業も含まれます、ビジネスや勉強といったことだけでなく、頭のかたい田舎のおっちゃんたちに頭を下げて、笑顔をふりまく作業、我慢や忍耐も含まれます。

我慢や忍耐ができるのは、ぼくが真剣だからです。
文字通り死ぬほど真剣です。
街を歩いていても、ぼくほど真剣に生きている人を見かけません。

真剣に生きているとはどういうことなのかというと、遠い将来のことまで考えている、と言い換えることができるかもしれません。

ビジネスとしての
1年後
3年後
5年後
10年後

子供たちが生きる
50年後
100年後
300年後

地球としての
500年後
1000年後
1万年後

ぼくはいつも遠い未来のことを考えてしまいます。

ぼくが死んだあと、人類はどう生きるか、そのときの地球の状態は、そのためにいまやめるべきことはなんだろう、とかそういうことです。

やめるべきことは戦争にちがいありません。

戦争が起こらなくするのは不可能だけど、戦争が盛り上がらなくなるようにするのは可能なんじゃないかと、最近は思います。

そういうことを真剣に考えて実現する道はどこかと頭の中で考えるのですが、そんなぼくも現代を生きています。

トラックのなかでそういうことを考え、
久田さんの畑の近くでトラックから降りる、
そんな感じです。

そこで出会う人たちは、現代を思いおもいに生きています。
思いおもいにぼくのことを手伝おうとしてくれるし、ブルーシートの上の土のう袋をトラックからおろしてくれようともします。

あの安物のぼろぼろのブルーシートも、かれらにとってはただのぼろぼろのブルーシートだろうと思いますが、ぼくにとってはやぶれないように大切に使って、できるだけ出費しないように、そろそろと使ってきたものなのです。

だれも考えたことのないビジネスを形にして収益化していくという作業は、こういう地道な節約でなりたっています。

いままでもたくさんの人たちがぼくの作業を手伝うために善意で集まってきてくれましたが、道具の扱い方のあまりの雑さに、


うーん、やっぱりうまく書けないですね。

またなにかの機会にこの作文にトライしようと思います。

要するに、笑
手伝ってくれてるのに、無下に断ってごめんやで、というところです。

園芸用土の回収

2024年11月26日

昨日は神戸市東灘区のお客さんを訪問してきた。

園芸用土の回収のために訪問した先は4階だてマンションの4階部分、エレベーターはなし。

おそらくこのお客さんはこのマンション自体を保有しており、なにかの理由で、ほかに引っ越しすることが決まっていた。かなりのお金持ちで、かなり広い屋上のようなベランダ部分に、庭を演出するためのたくさんのものがある。

その大部分を占める超大型(浴槽になりそうな)のプランターのなかにはぎっしりと土がつまっており、土だけでなくけっこう大きな幹に成長してしまった植物が鎮座しておられます。

これはなかなか大変な仕事になりそうで、エレベーターもないことからクレーンを手配しなければいけないのは間違いなくて、しかも今回は、電線がクレーンの邪魔をしそうなので、重量屋さんも手配しなければいけなくなりそう。クレーンの設置場所によっては道路使用許可を警察署に届けなければいけないし、そうなると警備員の手配も必要になってくる。

しかも、納期は12月中旬ときた。

今日は11月26日(火)。

おもしれえ、やってやろうじゃねえの。

明日は予定を変更して、神戸市周辺の重量屋さんを訪問して、見積もりをしてもらおうと思う。

土の回収料金は10万円をゆうに超えると思うが、クレーンや重量屋さんの料金を含めると50万円くらいかかるんじゃないだろうか。

仕事になるかどうかはわからないけど、とりあえずすべての金額を見積もりして、お客さんに検討していただける状態までもっていこうと思います。

がんばろ。

狩猟免許をとりました

2024年11月23日

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2024年11月23日(土)
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7年前くらいのこと、ぼくはお肉を食べなくなった。

以前から持っていた自分の中の矛盾もきっかけといえばきっかけだが、ビーガンの人たちにたてつづけに出会ったというのが大きい。

お肉食べないということを続けてこられたのは、「体に合ってる」というのがやはり一番大きい。

以前は1ヶ月のうち数回、口内炎をおこしていたが、いまではぜんぜん口内炎はなくなった。

お肉を食べなくなったことで、悪い影響は思い当たらない。

すこし家族に面倒な思いをさせているかな、くらい。

そもそも自分のなかにあった矛盾とは、
▼お肉はおいしくて、もっと食べたくなる。
▼youtubeでライオンがガゼルを狩る映像を見ると、しっかり残酷だと思っちゃう。

おいおい、よく言うな川崎よ。とぼくは思うのだ。

川崎が食べてるそのお肉もしっかり数日前に苦痛をもって屠殺されている、しかもその数分まえにはアドレナリン全開になるほどの死への恐怖があったはずだ。

そのいかにも現代的良い子ちゃんの矛盾のお風呂に肩までつかっているのが嫌で、ぼくはお肉を食べるのをやめた。

いつかお肉を食べることがあるなら、涙を流しながら、ゲロを吐きながら、自分が持つナイフで、とどめをさした命の肉体をいただこうと思う。

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ところでぼくは農業をしている。

ある日、さつまいもがきれいに誰かに盗まれていたことがある。

盗まれたと錯覚するほどきれいな痕跡で、猪だと気づいたのは足跡が残っていたからだ。

そのときに気づいた、この日本に広がる広大な耕作放棄地を普通の農地に変えていくためには狩猟を学ぶことは避けて通れない。

狩猟だけでなく、酪農の知識も必要だろうと思う。

でもまずは狩猟からだ。酪農はおそらく人と一緒じゃないとできないだろう。

畑にくる猪すらも収益に変えていかなければ、ビジネスとして勝つことはできないだろうし。

ビジネスに勝つことができなければ、才能も集まってこない。才能が集まらなければ社会を変えることなんてとうてできないだろう。

まずは今シーズンに罠猟から始めてみる。

狩猟免許

2024年11月9日

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2024年11月9日(土)
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今週は狩猟免許の勉強と渋柿を干す作業にいそがしかった。

河南町5号地の畑にはじめから植わっていた渋柿の木は年々収穫高が増えて、今年の秋は150個程度を収穫できた。

それの一部をジップロックにいれて焼酎漬けにし、甘い柿に変身させていく以外の100個以上は柿はすべて干し柿にした。

空き時間を利用して干し柿にしていくこの作業は好きでたまらない。

柿の皮をむいていく作業は愛おしくてたまらない。

スポーツ刈りになった柿たちがうちのベランダで家族を癒している。

とまあ、最高の作業をしつつ、11月10日(日)には狩猟免許を受験するので、そのための勉強も欠かさずやってきた。

落ち着かない受験勉強になったが、銃の取り扱いの部分以外はだいぶ完璧になった。

明日の朝、起きてジョギングして受験会場に向かう前に、銃の取り扱いの部分を完璧にしていこうと思う。

隙間時間をそんな形で忙殺されながら、今週のなかばにぼくは一人で道を歩いていた。急いで帰ってすこしでも勉強しようと思っていたからだ。

そんなとき、むこうから自転車にのった男性がむかってきた。

ゆっくりゆっくりと自転車を進ませながら、その男性はスマホで何かを見て、笑いをこらえている。楽しそうに笑っている。楽しすぎて声がでそうになるのを我慢しているため、眉毛は八の字になり、口はパンパンになっている。

今月から自転車に乗りながらのスマホには罰金が課される法律が施行されたというのに、その男性はそんなことおかまいなしだ。

でもぼくはその男性を見て、幸せな気分になった。あの男性が通り過ぎたあと、あの顔を思い出すとブッと吹き出した。

いままで急いで帰ろうと歩度をはやめていたけど、そんなことどうでもよくなった。

法律のことをどうでもいいなんて考えたことはないけど、ぼくは明らかにあの男性の笑顔を楽しんだ。

しかもちょっとリラックスして、気分転換までしてしまった。

ありがとうおっちゃん。

明日、狩猟免許うかってきます。

狩猟免許取得の準備

2024年11月1日

狩猟免許取得のための勉強と準備を行いました。

ハロウィンと環境保全

2024年10月28日

ハロウィンの廃棄物問題について考えました。