2025年6月23日
楽天トラベルからの確認メールによれば、僕が北海道旅行を予約したのは6月8日(日)だったようだ。
クレヨンしんちゃん風に言うと
おら北海道に行くゾ
ということになる。
その日は朝からとても暑く、朝のジョギングを済ませて、朝食をとったあと、朝食を取ったテーブルについたままで、なぜかパソコンを開いていた。こんなことは珍しい。
そしてなぜかパソコンで楽天トラベルのウェブサイトを開いていた。
はじめから北海道に行くことを決めて、楽天トラベルを見ていたわけではない。
ただ、その日はなんとなく、夏の旅行に行くのならもう決めとかなくちゃいけないよな、みたいな気分でパソコンを開いたのだ。
そしてなぜか北海道のページを開いていた。
ほぼ全て偶然だったように思う。
旅行に行くことすら、しっかりとは決まっていなかったはずだ。
そして僕は北海道の中でも、ニセコというスキーで有名な地域の情報を開いていた。
ニセコには若い頃、友達とスノーボードに行った記憶があったからだ。
夏でもニセコのプランってあるんだな、なんて考えながら、そのページを読んでいくと、大阪の庶民である僕ですら知っている有名なホテルの名前が次々と出てくるではないか、明らかに高級だ。
なのになぜか低価格だ。
なんでこんなに高級なホテルに、この安さで泊まれるのかと疑問に思って、あれやこれやと読んでみる。
色々な口コミにも目を通していると、僕のような一般庶民が高級ホテルに泊まって、満足のサービスを受けたことなどが書かれていた。
グイグイ引き寄せられる庶民。
その口コミに書いてあったこととか、他のウェブサイトの情報なんかも読んでみると、どうやら夏のニセコはちょっと特殊な状況に置かれているようだ。
冬には海外からのスキー客で大いに賑わい、高単価でたくさんの利益を叩き出す。おそらくはそこにはチップが存在していて、高級ホテルに勤めるスタッフのモチベーションや、ニセコに住まうという理由になっていることが伺える。
でもそれが一転、夏になると、
▼新千歳空港からは若干遠い。
▼札幌からも若干遠い。
▼自然が溢れる道東からはもっと遠い。
など、色々な観光地から少し距離があることが、敬遠される理由になっているようだ。
しかもそこにニセコのホテル供給過多という問題が見え隠れする。
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うちは4人家族。
ぼく44
妻44
長女13
次女7
という構成だ。
何人生まれても女の子しか出てこないような気さえする。
長女は中学2年生で、僕がよくキャンプに連れて行った反動か、旅行に行くならホテルに泊まってゆっくりしたい、と常々言っていた。
彼女はもちろんキャンプが嫌いなのではないのだろうけど、ホテルへの憧れが強い。
この家族でホテルに泊まったのは、コロナより前のことだったように思う。次女はまだ1歳くらいのときで、夏の海で遊んでビーチにほど近いホテルに泊まった。1泊2日だった。
長女は最近では、その時のアルバムを出してきて、写真を見たり家族で書いたコメントを読んだりして、また行きたいなと言っていた。
そんなこともあり、今回の北海道旅行は、6月8日日曜日の朝にだいたい決定し、家族全員の仕事や学校のスケジュールを確認して、6月8日の晩には予約確定のボタンを押していた。
安くはないが、何の後悔もない。
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そもそも僕が、
地球の水をきれいにするだの、
資本主義を終わらせるだの、
戦争が起こらない農業の形だの、
一見アホみたいなことを言いながら、ビジネスを立ち上げたりしているので、あまりに不安定で、一般的な家族の幸せからは少し遠いところにいるように思う。
その罪滅ぼしの1つとして、 今回家族を北海道に連れて行って、楽しかったと言わせたい。
それほどたくさんのお金があるわけではないので、 2泊3日の短い旅行になるが、家族を楽しませることに集中しようと思う。
2025年6月20日
今回の園芸用土の回収は豊中市での仕事でした。
園芸用土の回収を依頼してくるお客さんは、大半が女性なのですが、今回のお客さんは男性でしかも若い感じの、青年と呼べる男性だったように思います。
人を見る目のない川崎は、若い感じの青年というだけでも勘違いしたりすることもあるので、信用はできません。
今まであまり組織の中で生き抜くというようなことから避けてきたためか、なぜかものすごい人を見る目がありません。
でも話していると、この人いい人だなぐらいは感じ取ることができます。
今回のこの青年も、かなり好感の持てる、静かでそれでいて話す時は話す、みたいな感じの人でした。
ね、 説明になってないでしょう。
人を見る目があまりないのです。
その青年は、何年か前からこのマンションに住んでいて、それとほぼ同時にベランダでのガーデニングを始めました。
ガーデニングと言っても、彼が行うガーデニングはなぜかどれも樹木を育てるということに特化されていたように思います。
▼ブルーベリー
▼イチジク
▼さくらんぼ
など、低木果樹と名付けられるものを好んで育てているようでした。
花や野菜ではなく、なぜ低木果樹なのかという質問はできませんでしたが、どのプランターにもびっしりと根は張り詰めて、成育環境が良かったのだろうと感じられました。
根っこが張りやすいようにするためか、ある程度土の中に空間が設けられるように、鹿沼土や桐生砂といった顆粒状の土が適度に混ぜられていました。
ウェブサイトや本などで調べたのか、それとも経験から来るものなのか、そこも確認はできませんでしたが、とにかく彼が何か1つのことに夢中になって、突き詰めていくことができるという証のような気がしました。
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園芸用土の回収当日は、彼の希望により早朝からの作業になりました。
マンションの下に到着して作業開始したのが、朝の7時頃だったと記憶しています。
朝の7時頃にはほぼ全てのプランターが1階のエントランスに集められていたので、おそらく彼は朝5時半ぐらいから作業を開始していたのだと思います。
梅雨真っ盛りの6月2週目、彼はダイエットでもしているのか、黒いノースフェイスのジャケットを着て作業しながら、もうヘトヘトですと言っていました。
ダイエットなんかする必要もないくらい、贅肉は落とされていて、それどころか若干、筋肉も感じさせるボディライン。
どこかほのぼのとさせる、二重の目。
部屋はきちんと整理整頓されていて、ハンガーにはジャケットやコートがかけられている。
それでいて几帳面すぎない感じがでてくるのは、このほのぼのとした目からだろうか。
このほのぼのとした目が、何かを話す時にはキリッとしたりする。このギャップに女性はやられるんじゃないだろうか。女性を見る目も持ち合わせていない川崎には憶測でしかないが。
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全ての作業が終わって、会計を終わらせて、領収書を手渡し、ありがとうございました。と挨拶をして、雨で濡れた手で車の鍵を取り出し、エンジンをかけて、次に向かう場所をGoogle マップで確認する。
そんな時だ。
彼と話している間ずっと、何か誰かに似ているなと引っかかっていた。それが突然、ある友達の顔が浮かんでくると同時に、ああ、彼に似ていたのかと腑に落ちた。
もう10年以上も会っていないだろうか、僕はその友達のことが大好きで、社会人になってから時々会っていた。
一緒に富士山に登ったこともある。行き帰りのバスのなかも楽しく話した。
社会の話や、政治の話、人の話、どんな話をする時も前向きに話してしまうぼくに、普通に歩調を合わしてくれる数少ない友達だった。
結婚して、子供を授かって、大阪市内に住んでいるとは聞いていたが、今どんなことをしてるのだろうか、 久しぶりに会いたいなという気持ちになった。
豊中市で、 次の雨に濡れた背中の辺りが、少し温もったように感じた。
2025年6月18日
昨日は兵庫県宝塚市のとある会社まで、園芸用土の回収に行ってきました。
スーパーの生花コーナーに商品をおろしているその会社では、生花以外にも根付きの植物を扱っている。
その関係で、園芸用の土の回収を依頼された。
売れ残ってしまった根付きの植物が枯れたあと、それを回収してほしいというわけだ。
写真にあるような、黒と青色の円柱型の容器に園芸用の土が入っていて、それを回収するという流れだが、この容器には下に穴が開いていなくて、雨が降ると水がたまっていく。
おかげで、それをトラックに乗せる時には、かなりの重量を感じた。土プラス水だからだ。
しかも、水分が抜けきらず、ずっと湿った状態の土が長時間空気に触れないとなると、そこには必ず嫌気性菌が発生して、腐敗臭が漂うことになる。
炎天下で、
土は重く、
腐敗臭がする、
こんなことを喜んでやっているのは、ぼくぐらいのもんか、とか考えながら作業をしていた。
2025年6月10日
今回のこのご自宅には、今月後どれぐらい訪問しなければならないのだろうか。
園芸用の土の回収で、これほど長丁場になるのはなかなか珍しい。
認知症などで記憶があやふやな、高齢のおじいちゃん、おばあちゃんがなさっていた花屋植木鉢だが、高齢になると土や植木鉢が重くなりどうにかして軽くなるようにと考えてなのだろうか、鉢底石の代わりに発泡スチロールの入っていることがよくある。
今回のこの土の回収の現場でも、植木鉢をひっくり返すと発泡スチロールがたくさん入っているという場面によく出くわす。
発泡スチロールが劣化してボロボロになっていない限り、土は回収できる。
でも、発泡スチロールは暖かいうえに、土の中に上手に空間を作る、そこは根っこが進んでいきやすい状態になる。
すなわち土の中の発泡スチロールには、根っこがものすごい絡まりついてるのだ。
それのおかげでものすごい時間をとられる。
せめてもの救いは、高齢のおじいちゃん、おばあちゃんと直接やり取りしているわけではなくて、50歳代の長男さんが代わりにやり取りしてくれていることだ。
しかもその長男さんは、そのご自宅の近くで商売を営んでいて、電話をすればすぐに駆けつけてくれる。
なんていい人なんだろう。
彼がいなければ、ここの仕事はできなかっただろうと思う。
ありがとうございます。
園芸用の土の捨て方がわからない、という人はご連絡ください。
2025年6月5日
今までも大量の土回収の注文はたくさんあった。
昨年などは、かなんな農園史上2回目の、クレーンを使用しての、園芸用土を屋上から1階まで下ろすという仕事をした。この時のプランターの量はそれほど多くなく、20個から30個程度だったように思う、でもその1つずつは浴槽のように大きくて、自分の体が1つすっぽり入ってしまうような大きさだった。
ちなみに、川崎は小型移動式クレーンの免許や玉掛けの免許も所持している。
園芸用土の回収のためにクレーンを初めて使ったのは、もう10年ぐらい前のことになるだろうか、堺市のとある住宅で、若い頃から屋上で園芸を楽しんでいたお父さんが、体調を崩して、全て片付けなければいけないという状況だった。
その住宅では、何か住宅設備関連の会社のオフィスや、作業場なども兼ねていたため、かなりしっかりした鉄骨の造りで、2階部分と3階部分が住居になっており、4階部分がすべて屋上という造りだった。
屋上の広さはどれくらいあっただろうか、学校によくある25m プールがすっぽり入るぐらいの広さだったように記憶している。
10月頃に注文を受けて、11月頃に受注し、作業が全て完了して、屋上の床が全て見えるようになったのは、2月頃だったように思う。
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今回の仕事は、クレーンこそ使わないが、数量としてはクレーンを使った仕事にも匹敵する。
ガーデニング好きな人のなかでも少数派だろうと思うが、自分が育てようと思った植物が、増えていくのが楽しくて、増えすぎて行ってしまうのを止められない人がたまにいる。
趣味にたくさん時間とお金を投じてしまう気持ちは、わからなくもないが、自分の歩くための場所やリラックスするための場所が、植物に占領されていくのを見るのはいかばかりか。
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そんな心の矛盾を少しでも解決できたらと思い、この土回収事業を続けている。
園芸用の土の処分にお困りの方はご連絡ください。
かなんな農園 川崎康裕
2025年6月3日
最近では猫も杓子も自然農とか自然栽培とかいう言葉を使い始めたので、いまでは僕はそういう言葉を使わなくなった。
わら1本の革命の福岡正信さんが、今生きていたとして、Instagram にあふれる自然農の映像を見たらどう思うだろうか。
今こんなことになってんのか、川崎お前は何をやってたのだ。と叱られそうだ。
もちろん福岡正信さんにお会いしたことはないが、20代前半に著書を読み、自然農という存在を知り、泥団子の種まきで砂漠を緑化しようとしている大人がいることに、感銘を受けた。
それからの20年はかなり濃いものになり、自然を一番に考えた農業とはどんな形なのかを研究してきた20年だった。44歳の現時点で、やり方がわかってきたということは、僕にとって希望でしかない。
現代農業をする人も、
有機農業する人も、
自然農だと主張する人も、
収穫することが一番の目標になっているのがとても残念だ。
ビジネスにおいて、お金を稼ぐことが一番になったら本末転倒になるように、農業において収穫することが一番の目標になると、大問題が起こる。それに気づいている人はただの一人もいないのではないか。運良くそれに気づいたとしても、何も収穫できない期間を乗り越えられなくて脱落していくのだと思う。
脱落こそしなかったものの、ブランクのような期間はこんな僕にもあった。だから脱落してしまう人の気持ちはよく分かる。
でもくじけてしまっては何も始まらない、資本主義が行き詰まり、民主主義が機能しなくなった現代において、そこでくじけてしまっては元の木阿弥だ。
野菜が収穫できるのかできないのかという話も、ただいま絶賛一時停止中の資本主義の中での話だ。行き詰まってしまっている資本主義の中で結果を求めたところで、10年後、20年後の展望は開けない。
今、農業に求められているのは、資本主義を終わらせた後の世界を提案することだと思う。
農薬を使うことが生態系を傷つけて、人類にも影響を及ぼし始めてるのは明白。
農薬を斡旋するために使われているような化学肥料も自粛すべきだ。
農薬も化学肥料も使わないということは、実は不耕起栽培を行うには最も良い方法だ。
水やりもしないということは、農業を工業から切り離す唯一の方法だ。
この農業で稼げば稼ぐほど、地球は綺麗になる。水も空気も土も綺麗になる。竹炭を多用することで、炭素は土の中に固定され、温暖化もストップできるだろう。
この農業で稼げば稼ぐほど、本当に稼げるということが分かり、才能のある人はどんどんお金を得ることができるだろう。
その頃には癌の発生率は極端に下がり、うつ病の患者は極端に減るだろう。
そんな折に人々は気づくと思う、自分が今勤めているブラック企業をやめて、収入がなくなったとしても、この野菜があれば生きていけるということを。
その頃には、無駄なものを売りつけ合っているという矛盾から、社会は解き放たれている頃だろう。
ブラック企業から人はいなくなり、自然に消滅しているだろう。
無駄なものを売りつけ合わなくなり、無駄に移動することもなくなり、石油製品を使う必要もなくなり、人々は健康になり、無理に赤ちゃんを増やさなくても社会は成り立ち、人格以上の権力は発生しなくなり、小さな村が乱立し、そのコミュニティのなかで人は人とのつながりを大切にする。
かなんな農園の川崎康裕が考えている、資本主義が終わった後の世界とはこういう世界だ。
2025年6月3日
大阪市東住吉区のとある月極駐車場に、これらの中古植木鉢を置いて無人販売をしております。
この月極駐車場を管理している不動産屋さんが近くにあって、契約する前に花の苗や中古の植木鉢を置いて無人販売しても良いかどうかを聞いたところ、心よくオッケーしてくれた。しかし今でもあの不動産屋さんがなぜオッケーをしてくれたのか不思議に思うことがあります。
年配のその不動産屋さんは、その昔、たくさん稼いだこともあるんだろうなと感じさせる何かを持っています。
こういう風に書くと、派手な服装をしていたり、 派手な考え方をしているのかと想像させるかもしれませんが、全くそういうことはありません。
70歳は超えているであろう老紳士は、身なりには気を使っているが、派手さはなく、地に足がついている感じです。
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この世の中には夢について語るとき、2種類の人間がいると思います。
▼夢を積極的に話したほうがうまくいくタイプ
▼夢を話さないほうがうまくいくタイプ
ぼくは後者です。
時々 YouTube やなにかで、売れないコンサルが、夢は積極的に他人に話すべきだと豪語している動画がアップされているが、それは人のタイプによるし、 時と場所にもよる。
話さないからといって、話すのが下手になると、それはまた違う問題になるので、僕は毎日何かを作文したり、話をする練習をしている。
この老紳士に、駐車場に花の苗を置かせてもらうことを話した時も、夢については積極的に話さなかった、ただただ、自分が迷惑をかけないこと、清掃には十分気を使うこと、などを話しただけだった。
賃貸契約を済ませた後、その老紳士がしゃがれた声で僕に質問をしてきた。『なんでこんなことするのん』
僕は実はその老紳士のしゃがれた声が大好きだ。その声をものまねするのがなかなかうまいことは、まだ誰も知らない。
なんでこんなことするのん、と聞かれたので、自分の持っている展望や、夢のようなものを話した。ついでに、僕がやっている事業全体のことについても話してみた。
それを聞いている時の老紳士の相槌や、ちょっとした質問などが、どれも心地よい。なぜ心地よいのかと言うと、彼もビジネス感覚を持っているからだろうと思う。
何かを始めたことがある人が、何かを始めた後、痛い目にあって、それでもなお前に進んで行こうという、そういうことを経験した人だけが持つ考え方が、老紳士に備わっているのではと考えさせられる。
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この花の苗1つ50円という事業は、花の苗だけではなく、中古のテラコッタや植木鉢、プランターなども取り扱うようになった。
取り扱うようになって、お客さんを呼び込む方法もなんとなくわかってきた、あとは日本全国からどういうふうにこの場所に入荷することができるのか、という曲面まで来た。
入荷するときの手間や、運賃がこれから大きな問題になる。
このゲームはとても面白く、解決方法は自分で考えて自分で作り上げることができる。
ぼくはアルミ缶を集めてマネタイズすることで、この局面を打開しようと考えている。
アルミ缶で応援してくださいとお願いしたところ、僕のやろうとしていることを知っている人たちの中の数名が、この駐車場にアルミ缶を持ってきてくれるようになった。
このアルミ缶の量を増やせば、日本全国で廃棄されている花の苗を、この駐車場に集結させられるかもしれないし、集まりすぎた分はこの地域の学校やら子供たちやらに寄付していきたい。
このロールプレイングゲームは、現在そういう局面に差し掛かっている。
あともう少しアルミ缶の量が増えたなら、一度あの老紳士に現状を説明して、近い将来の展望を説明しに行ってみようかなと思う。
そしてその時に聞いてみようと思う、『あなたは昔、 どんな事業をなさってたんですか?』
要は、この文章でなにを言いたかったかというと、この老紳士が大好きということかもしれない。
2025年6月3日
夢はこの駐車場に日本中から、花の苗と中古植木鉢やプランターを集めることです。
夢というふうなちょっとロマンチックな言葉を使いましたが、 数ある目標のうちの1つです。
たとえば、無農薬の野菜で日本人全員を健康にするという目標があったり、埋め立てゴミにされている園芸用の土を回収してリサイクルするという目標があったりします。
この他にも色々な目標がありますが、それらは全て地球環境を良くするという目的のためのものです。
地球環境を良くするとはどういうことか、地球上の全ての水をキラキラの透明にし、空気を透明にすることです。もちろん温暖化もストップさせます。
人類がまだ地球全体で1億人に満たなかった頃のような地球環境に戻す。これが僕の人生の目的です。
そのための小さな小さな一歩ですが、一歩でも目標に近づけるのであれば、毎日続けていこうと思います。
時々こんな感じの、ガーデニング好きにはたまらない、おしゃれなテラコッタや、植木鉢やプランター、花台などがでるときがあります。
もしよければお近くに寄られた際は、この月極駐車場にお越しください。何の変哲もない月極駐車場ですが、奥の方に足を踏み入れると、一台の古いトラックの後ろに、これでもかと言わんばかりのテラコッタが並んでいる時があります。
2025年5月31日
土回収が完了した時の動画です。前回作成したビフォー動画の、作業完了版アフター動画です。
大阪府高槻市での仕事だった。
ウェブサイトには携帯番号やメールアドレス、LINE の ID などを載せているので、お客さんは好きなツールを選べるが、こちらのお客さんは携帯電話番号を使ったSMSでの問い合わせだった。
お問い合わせいただいた時から、ものすごい好感の嵐で、文章からは他人に対するリスペクトが溢れていた。
今回の園芸用土の量はかなり大量だったので、近くを通りかかった時に、事前に見積もりをさせていただいて、大きめになった金額を、 ご家族で相談していただいた。
きっちりとした対応ができて良かったと思う。
そう思わせてくれるような人柄だった。
例えばプランターの上に猫のフンなどが乗っている時、お客さんはそれをできることなら最後の最後まで隠しておきたがる。
でもまあ普通に考えて、糞の匂いもするし、尿の強烈な匂いもする。それに気づかないことなんてあるだろうかと考えることはできると思うが、実際のところはそれにさえ気づいてない人がほとんどだろう。
というのも、注文してくる人が植物を育てていた人とは別の人ということはよくあることだからだ。猫の糞尿に気づく人は50% といったところか。
猫の糞尿に気づいている50% の人の中で、事前にそのことについて詳しく話していただける人は、その半分にも満たないだろう。
今回の高槻市のお客さんは、自分で植物を育てていないにも関わらず、猫の糞尿のことについても知っていたし、放置されて袋が劣化した結果 雨水が中に侵入してハエが湧き始めた肥料の袋のことについても、事前に教えてくれた。
そういう人のことをただ一言、律儀だとだけ表現してしまえばそれまでだが、それだけでは全てを表現しきれていない。
話していると温かみもあるし、人情を感じる。
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アリの巣が丸ごと入っているようなプランターが1つだけあったので、それを最後まで取っておいた。最後にトラックに乗せた土に大きな穴を開ける感じで、その中にアリの巣ごと土を入れて、鉢底石や植物を分別して、ありが土の中で死んでしまうように、上から土をかけて蓋をする。
その作業が全て終わったあと、この完了動画を撮った。
その後には、空になってガレージにまとめられたプランターを写真に納めた。
完了したことをインターホンごしに告げて、出てきていただいた。
▼無農薬の野菜の話とか、
▼なぜ、土の回収の仕事をしているのかとか、
▼花の苗一つ50円のこととか、
僕が話すことに耳を傾けては、丁寧に相槌を打ってくれた。
僕が話すだけではなくて、彼女の両親のこととか、どんな風に植物は扱っていたとか、もうすでに高齢で重いものは持てないから土の回収を依頼したのだとか、色々な話をさせてもらった。
その話の全ては淀みがなく、気遣いが行き届いていて、親しくはなれども距離を保つ、女性らしい話の仕方だった。
こういう人が幸せに生きられる世界であるべきだと、1人で考えていた。
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園芸用の土の処分にお困りの方はご連絡ください。
かなんな農園 川崎康裕
2025年5月30日
またまたアルミ缶をいただきました、本当にありがとうございます。
僕がいつも未来を見ている双眼鏡のことを昨日は作文しました。
今日はその未来に立ちこめる霧について書いてみたいと思います。
その霧がすこしづつ晴れて行っているように感じます。
未来は目に見えることはなく、僕の頭の中だけの話なのでぼんやりしていますが、なんだか霧が晴れていきそうな気がするのです。
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花の苗が廃棄処分されることがある、というのを知ったのは数年前。
どうやったら日本全国で廃棄処分されている花の苗を、東住吉区に集めることができるかなと、どたい無理な思いを持ち始めたのは、その頃からです。
ゴールまでの霧は、若干薄くなったかなと感じるくらいで、あまり日光もさしていないし、そこに川が横たわっていたら、橋を見つけなければいけないかもしれないし、橋を作らなければいけないかもしれない。もしもそこに山があるのなら、登らなければいけないかもしれないし、長距離を迂回しなければいけないかもしれない。
現在地はまだゴールからはほど遠いです。
そんな霧だらけの現在地で、昨日もアルミ缶をいただきました。
大人世帯だから、アルコール飲料のアルミ缶はたくさん出るのだと、その女性は伝えてくれました。
色々と電話をしていたおかげで、その女性との待ち合わせ時間に、僕が遅れたにも関わらず、笑顔で話してくださいました。本当にありがとうございます。
いつも駐車場でお会いするお客さんのなかで3名の女性が、現在のところ、アルミ缶を持ってきてくれています。
アルミ缶を持ってきていただいた時の彼女たちの笑顔は、僕が心配していたことを杞憂だったと教えてくれます。
僕が心配していたことというのは、アルミ缶を駐車場に持ってくること自体が、恥ずかしかったりするのではないかということです。ガシャガシャという音も多少はするだろうし、自転車で持ってくるとなると、段差で激しい音が鳴ったり、ともすれば袋から1つだけ落ちてしまい、カンカラカーンと乾いた音をこの下町に響かせることになるかもしれない。
それを拾う時に、恥ずかしくならないだろうか。ペットボトルのゴミを減らしたいねんと豪語するおっさんの姿を思い浮かべて、なんであいつのためにこんな恥ずかしい思いしなあかんねん、とかなってないだろうかと心配していたのですが、それはどうやら杞憂でした。
それは杞憂だったと気づいたとき、まわりの霧がすこし薄くなったように思いました。
▼アルミ缶はもっと集まるかもしれない。
▼もっと集まればたくさんのお金になる。
▼廃棄する苗を東住吉区に送りたいと考えた遠方の花屋さんが、東住吉区に花の苗を発送する時、その運賃をアルミ缶で作れるかもしれない。着払いで。
日本全国から廃棄直前の花の苗を、東住吉区に集めるための一番大きな壁は、運賃をペイできない、これに尽きると思います。
この他にも、 花の苗を送るという煩雑な作業とか、乗り越えなければいけない壁はたくさんありますが、最も大きな問題はこの運賃の問題です。
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河口湖のほとりにある朝食の美味しいペンションで、焼きたてパンとハムエッグを食べながら、コーヒーを飲んでいる変態のおっさんが目の前にそびえ立つ富士山の、五合目の険しい登り道でおこる頭痛の心配をしているような状況ですが、おっさんは本気です。
もしも『おっさんはよ登れよ』と思うなら、あなたが今晩飲むビールの空き缶を一つください。
概要はこうです。
▼飲料缶のみ。
▼缶詰不可。
▼1回水洗い。
▼下向きで5回振って脱水。
▼ペチャンコにしなくても可。
▼ペチャンコにすると感謝。
▼遠方の人は仕事の合間に伺います。
よろしくお願いします。
先日入荷した中で、パールズオブパフュームという名前の人気の苗は、アルミ缶をくださった女性にお渡ししました。
アルミ缶で応援してくれる人に、喜んでもらえるシステムにしていこうと思います。
2025年5月29日
お客さんからアルミ缶をいただきました、ありがとうございます。
花の苗一つ50円をしています、かなんな農園の川崎康裕と申します。
この写真に写っているビニール袋に入ったアルミ缶の量で、数十円から100円くらいのお金になると思います。(現在の相場で。)
このアルミ缶を置いてくれた人が、今以上に僕のことを理解して、川崎お前そんなことに力を入れて頑張ってるのかと、もっとアルミ缶を川崎に渡したいと考えてくれたら、どんな未来が待っているだろうか。
こんなことを10年ほど前から考えていた。ペットボトルのゴミが減らせるのではないかと。
アルミ缶をもっと川崎に渡したいと考える人が、スーパーマーケットに行き、お茶を売っているコーナーに立っていたとする。
そこに、
▼ペットボトルに入った200mlのお茶
▼アルミ缶に入った200mlのお茶
この2つが置いてあったとする、こんな時アルミ缶をとる選択をしないだろうか。
僕ならそうすると思う。
他の人ならどうだろう。
もし誰か、例えば、アイドルのような人とかシンガーソングライターとか、うちの子が大好きな習字の先生とか、
個人だけではない、贔屓にしている野球チームとか、子供が通っている少年野球のチームとか、 はたまた自分が活動している草野球のチームとか、
そういった組織でも全然構わない、とにかく誰かや何かを応援したいと思った時に、お金以外のもので運営費を補填できるとしたらどうだろう。
そしてあなたの目の前に、200ml のペットボトルのお茶と、200ml のアルミ缶のお茶があった場合、どちらを買うだろう。
ぼくはペットボトルのゴミを減らしたいだけではなく、ペットボトルの生産を減らしたいのだ。
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消費の流れを変える、なんてことは、簡単ではない。人為的にやろうとしても、まずうまく行かないだろう。
たとえ法律を整備して、税金負担を重くしたとしても、タバコを吸う人は減らないし、お酒を飲む人は減らない。
消費の流れを変えることは、めちゃくちゃ難しいのは分かるが、僕はペットボトルのゴミを減らしたくて減らしたくてたまらない。
もし僕が血祭りにあげられて、 僕が死んだ後の世界で、ペットボトルの生産がゼロになるというのなら、もしかすると僕は死ぬことができるかもしれない。
2人の娘がいて、長女は今中学生、次女は小学生、彼らが大人になるところを見たかったと、涙は流すかもしれない。それでも僕は死ぬことができるかもしれない。
それほど僕は変態なのだ。
電車で痴漢をするタイプの変態ではない。地球環境を24時間憂うことのできる変態なのだ。
僕は時々ゴミ拾いをするが、吸殻をつまみ上げて、熱くないことを確かめて、ビニール袋に入れた後、後ろを振り返って、吸殻がなくなっていることを確認するだけで、ゾクゾクする。まさに変態だ。
おかげさまで、自己肯定感は日本国民の中で、突出して高いだろう。もしも自己肯定感を数値化することができるのなら、僕だけ桁違いだろうと思う。
スイスの氷河が解けて土砂崩れが起きた?よし、明日もゴミ拾いをして、来年も竹炭を焼きまくって炭素固定するぞ。みたいな感じで、かなりハッピーな男だ。
そんなことを事業にしながらマネタイズして、生活費を稼ぐというのは至難の技だが、これがまた面白い。一度死んでしまったら、ゲーム自体が消滅してしまうドラゴンクエストをプレイしているような感じだ。
マジでやばいなと思ったことは、これまで何度かあったが、なんとかやってこられた。
▼▼▼
アルミ缶を置いてくださった方へ、ありがとうございます。
駐車場に来るのが億劫な時は、もちろんそのまま一般ゴミで廃棄してくださいね、アルミ缶をくださることが負担になってしまったら本末転倒になりますので。
負担にならない程度にこのハッピーな男を応援していただけたら幸いです。
これを作文したのは、ぼくが未来をながめている双眼鏡を、あなたに渡したかったからです。
なに?
手が塞がってる?
双眼鏡を持てない?
あ、
じゃあ、
そのアルミ缶の入ったビニール袋をこちらへお渡しください。
2025年5月29日
菌ちゃん農法のおかげで糸状菌が根っこに栄養を与えていることを知る人は多くなった。
糸状菌が生きているということは、それは土の中に腐植があるということを示す。
菌ちゃん農法だろうと、
自然農だろうと、
有機農法だろうと、
腐植がなければ植物がうまく育たないというのは常識だ。
ただ、この常識は現代農業においては通用しない。通用しないどころか、腐植は邪魔者とされる。土が露出しているか、もしくはマルチと呼ばれるビニールシートに覆われていることが望ましいとされる。関西でもコーナンやコメリなどのホームセンターに行けば、簡単に手に入るほど農業界に浸透している製品だ。
僕がおこなっている農業は、この見た目の点で大きく違っている。
ぼくの畑では、土は見えない。雑草が覆っているのだ。鎌で雑草をすこし刈って、かき分けていくと、隠れていた腐植が見えてくる。この部分が今回の動画で映されている部分だ。
そして今回の動画で見たような腐植の下には、もうこれは腐植なのか土なのか判別できないような黒いものがでてくる。
これは腐植が植物としての形を失い、土に戻っている段階だ。
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僕は今年の春3月くらいに、畑に生えている雑木アカガシワを京セラのガーデンシュレッダーでチップにして、それを畑のウネに戻した。
その頃の動画を見ていただくとわかると思うが、アカガシワにはたくさんの水分が含まれていて、チップになったアカガシワをウネに置いてから1週間くらい経つと、びっしりと黒カビが生えていたのです。
▼白カビは糸状菌
▼黒カビも糸状菌
▼白カビになるか黒カビになるかは水分量で決まる
蒔いたばかりのアカガシワのチップには黒カビが生えたが、5月の下旬に撮ったこの動画では、 アカガシワのチップにびっしりと白カビが生えていた。
▼白カビは好気性
▼黒カビは嫌気性
そのためか何なのか、白カビというのは、人体にとってとてもいいものとされている。
実際、日本酒などのお酒に使われる麹や、お漬物に使われる麹なども白カビだ。
僕たちが納豆の箱を開けて、あのネバネバするビニールを外すと、そこには納豆があって、納豆にもやはり白いカビのようなものが生えている。でも、この納豆菌は糸状菌ではなく、細菌の仲間になる。そのちがいはたしか大きさのちがいだったと記憶している。
僕たち人間は空気を吸って生きているので、やはり好気性の白カビと相性がいいのだろうと思う。
相性がいいのは人間だけではない、白カビは野菜とも相性がいい。
残念ながら、今僕たちが食べている野菜と言うのは、無農薬であれ無肥料であれ、かなり人間に飼いならされた植物のようだ。
人間が健康になる植物の種だけをとって栽培し、それをまた植える。これを何千年と繰り返してきたわけだから、植物はかなり野生からは遠い存在となっているに違いない。
▼▼▼
とまあ、ここまでは僕が勉強してきたり、経験してきた事の羅列に過ぎない。
僕がこの農業を通してやりたいのは、
▼地球温暖化を逆行させ、
▼地球上の水を全てピカピカにし、
▼最終的には戦争が盛り上がらないための農業にする。
かなり途方もないゴールを設定しているが、一度きりの人生で、 簡単なゲームを選ぶ理由が僕には見つからない。
なぜもっと難しいゲームにトライしないのかと、周りの人間を見ればいつも思う。
例えばドラゴンクエストのゲームを買ったとして、そのゲームが1度死んだら自動的に消滅するように作られていたり、ゲーム内で所持しているお金がゼロになった場合、これまた自動的に消滅するように作られていたり、その瞬間、ドラゴンクエスト購入のためのお金というのは無意味になる。
でも、だからゲームは面白くなるんじゃないだろうか。
1歩1歩に気をつけて、
どうやったらダメージを少なくできるか、
どうやったら出費を少なくできるか、
どうやったら勝てるのか、
真剣に考えて生きる。
これが楽しいと言うんじゃないだろうか。
2025年5月28日
合計金額は交通費も合わせて4万4千円でした。
今回のお客さんは高槻市の方でした。
どうしたらいいのか悩んでいたところ、全然見つからない僕のウェブサイトにやっとたどり着き、ご注文いただきました。
ご両親ともにガーデニングが大好きで、 元気な時はいつも土いじりをしていたそうです。
そんなご両親を持つ、娘さんからのご依頼でした。
ご両親ともに高齢になり、デイサービスに通ったり、 軽い認知症になったり、どこの家庭でも悩まされる問題に、このご家族も悩まされていました。
長年手入れのされていないお庭は、ドクダミの草が生い茂り、もう少しすると、荒れ放題の庭になることが約束されたような感じでした。
そんな感じを依頼主の女性は敏感に感じ取っていたのだろうと思います。彼女の顔は初めて見た時、途方にくれたような感じでした。
僕のウェブサイトを見つけてもらうまで、何ヶ月も迷ったのだろうと思います。見つけにくくてすみません。
初めてこのお宅に訪問したのは、2週間前のゴールデンウィーク明けぐらいだったかなと思います。
お電話をいただいて、数量がかなりあることを伝えていただいたので、高槻市に用事がある時に、ついでに訪問して見積もりをしておきました。
高い金額になりましたが、ご自身の財布と相談したり、ご両親と相談したりしていただくための時間をあけられたのは良かったかなと思います。
でも全ての作業が終わって、空になった植木鉢やプランターが全てガレージの中に整っているのを見られた時、ホッとしたような表情で、ありがとうございますと言っていただけたので、良かったです。
園芸用の土の捨て方がわからないという人はご連絡ください。
かなんな農園 川崎康裕
2025年5月26日
今日は兵庫県三田市の圃場で、1日みっちりと畑作業をしてきた。
朝の8時頃にはすでに到着していて、畑の状態を見て、今日はどんな作業をするのか計画を立てた。
天気がいいこともあって、計画したことを全て終わらせて、帰路に着いたのは夕方18時だ。
なかなかみっちりと仕事をした。間にほとんど休憩することもなく、たくさんの時間をたくさん手を動かして過ごすことができた。
しっかりとした休憩を取ったのは、友人が営むイタリアンに昼食をとりに行った時と、野糞をしていた時ぐらいだ。(僕はたまに野糞をする。)
野糞の話についてはまた次回としよう。
もしあなたが食事中なのなら本当に申し訳ないが、野糞は本当に気持ちがいい。今日はこれぐらいにしておこう。
そう、今日は種の話なのだ。
今日は最低限やろうと思っていた草刈りの場所を全て刈ることができたので、夕方16時ぐらいからは、自家採種しておいたオクラの種をサヤからはずし、300粒くらいを直植えしてきた。
このオクラの種はすでに5年ぐらい自家採種を続けている。
だからこのオクラの種の中には、農薬耐性を持った虫たちの情報が詰まっていて、パワーアップした虫やウイルスに打ち勝つための、フィトケミカルの作り方なんかが記された巻物が中に入っているのだろうと想像している。
そういう意味で、
▼農薬ゼロで栽培すること
▼自分で種を取ること
はセットで考えられるべきだろうと思う。
でも僕はまだそこまで到達していない。
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕さない
▼水やりしない
というやり方にやっと慣れてきたところで、ここに来るまで、18年ほどかかった。そのうち15年は収穫ほぼゼロだ、よく我慢した 。
そして、この▼に次に一つ足すとすれば、それは
▼すべて自家採種
これを次は足せるようにしたいのだが、これはなかなかハードルが高い。なぜならこのオクラは種をとるのが簡単だが、かなり手間のかかる種もあるからだ。
トマト
きゅうり
ナス
なども難しいが、
たとえば
ゴマ
なんてのはもう最悪だ。
サヤを乾燥させて、つぶしながらザルのようなものに入れて、落ちてくるゴマ粒をなにかの容器で拾う。想像するだけで気が遠くなりそうだ。
でもきっとそこにもコツのようなものがあって、何年もやっていくとそれをつかめることができるはず。
この18年間もそんな感じだった。初めは糸口の欠片も感じない。しかし、それに取り組み続けていると、あっけないくらい突然にコツが見えてくる。
なぜあっけないかというと、糸口を見つけられないのはいつも自分の勘違いによるからだ。
取り組んで行くうちに、たくさん勉強して、自分の中の間違えていた認識を訂正する、それだけでコツは姿を現す。
すべて自家採種、この項目が加わった数年後には、
▼戦争が盛り上がらない農業
▼資本主義が終わった後の農業
この2つを是非とも足してもいきたい。でもそれはおそらくぼくが死んだあとのことだ。
2025年5月25日
今日の駐車場の様子はこちらです。
花の苗の他に、中古の植木鉢や中古のプランターなども置いていますが、どれも1つ50円で販売しております。
お代金は赤色ポスト型貯金箱にお願いします。
僕が自分の事業のために開業した日程は、 詳しくは分からない。
24歳
25歳
26歳
27歳
この辺りのどこかで、
▼ウェブサイトを作り始め、
▼畑で研究を始めて、
▼まわりから得られる共感をゼロにして、
▼チラシを作ったり、
▼訪問営業してみたり。
いろんなことをやり始めたけど、それがどんなタイミングでいつ始めたのかは、当時の手帳を見直してみないと分からない。
しかもその手帳の中には、現在残っている事業の他に、ミスりまくって勉強しまくったけど今はやっていない事業も軽く100を超えていると思う。
20代と言うまだまだ若い時代に、たくさんのミスを経験できたのは、本当に大きかった。しかもそのミスはやらされたミスではなくて、自分がやってみようと考えてトライした後に起こるミスだ。かけがえのないミスだ。
当時の僕は、それがじわじわ後で効いてくるなんていうことは、考えてもみなかった。その時考えていたのは、ミスをすればするほど人に話す時にネタになりやすいということだ。
若かったので、人に話す時にネタにやりやすいとはどういうことなのか、という戦略的なことも考えることはできなかった。
戦略的な視点は当時の僕に欠けていたものの1つだ。
戦略的なものの見方はできなくても、暗中模索することはできた。いま思い返せばそれはまさに、光の全く入らない部屋の中に入って、その部屋の中にどんな障害物があって、次の部屋はどの方向にあるのか、わからない状態で、両手を前に出し手に当たるものはないかと探りながら、両足はというと脛に物が当たっては激痛が走るので、恐る恐る一歩一歩前に足を踏み出していた。
そんな状況の中で、礼節の大切さや、利益を出すことの難しさや、物を大切にする考え方、を学んでいくことができた。
僕は社会に出た20数年前に、愕然としたことが1つある。
社会はこんなにも、地球のことを顧みていないのかということだ。
若造だった10代の頃、成人式を終えたとしても、ただ体が大きくなったガキだった。 そんなガキンチョは、社会に出たら、全員が地球を綺麗にしていくために頭を悩ませながら経済活動をしているのだと、淡く淡く考えていた。
でもそれは間違っていた。100%。
僕が事業を始めるきっかけとなったのは、これがきっかけだった。地球が綺麗になっていく事業のみをすると決めて、色々と動き始めたのだ。
▼▼▼
20年後、
花の苗1つ50円という事業を始めたのも、少しでもゴミを減らしたいと言う気持ちからだ。
僕は実は『お客様に良い花を届けたい。』などと考えたことはない。
花の苗というのは、こんなにも埋め立てゴミを増やす原因になっているのかと、これまた愕然とした。
そのゴミを減らすために、安くて良い花を手に入れたいという消費者の気持ちを利用しているだけなのだ。言葉を選ばずに言うと。
花の生産者は生産者で、自分の生活を守るためと言うのだろうが、はっきり言って、農薬と化学肥料をこんなにも使って環境に負荷を与えた上で、まだゴミを作る気か、と思う。(農薬や化学肥料は精製するさいに莫大な二酸化炭素を生む。)
だから、余って捨てられそうになっているゴミを引き取ってきては、消費者に販売して、ゆくゆく生産者の売り上げを減らすというブーメランを飛ばしたいと考えている。
消費の流れを変えるというのは、こういうことなんじゃないかなと自問自答しながら、続けていく。
日本中で捨てられているゴミ(花の苗)を東住吉区に集めるにはどうしたらいいかと毎日考えている。
▼▼▼
この花の苗1つ50円もそうだが、何か事業を始める時というのは、まずは数百時間を無償で働くことになる。
そうじゃない事業というのは、もうすでにどこかの起業家や実業家がやっているからだ。
そうやって少しずつ事業を前に進めて、お客さんがつき、収益化できるようになってきたときにいつも感じるのは、消費者すなわちお客さんとの距離だ。
お客さんはまさか僕がそんな気持ちで、 事業を行っているなんて考えられない。
例え話を作ってみると。
僕がネパールにあるエベレスト山の、山頂から一番近いベースキャンプの東側で、暴風のために吹き飛ばされたハイカーたちのプラスチック製の食器をゴミ袋に入れるために、命綱を使って、決死のゴミ拾いをしていたとする、横殴りの吹雪で、すぐそばには10年前に滑落したハイカーの遺体がそのまま残されている。
そんな時、衛星電話に着信があった、レストランかどこかからかけているのか、おしゃれなジャズが、相手の声とノイズにかき消されながら聞こえてくる。
電話を持つ手は凍傷寸前。
話の内容は、学校のPTAに選出される人の言葉遣いが気に食わない、、、、、
▼▼▼
かなり極端な例え話に聞こえるだろうか。
でも僕が世間一般に感じる距離感はこんな感じだ。
2025年5月25日
合計金額は4200円でした。
今回の土回収は枚方市での仕事でした。 枚方市に訪問する直前にお問い合わせをいただき、この日いかがですかと返答すると、非対面でよければ準備をしておきます。とのこと。
ウェブサイトの文章をかなり入念に読んでいただいたらしく、メールでのやり取りはとてもスムーズでした。
ミニトマトか何かを家庭菜園でやった後の土だったらしく、それほど根っこもなく綺麗な状態で作業することができました。
ありがとうございました。
園芸用の土の捨て方にお困りの方は、ご連絡ください。
2025年5月25日
今年もだめだ、桑の実が。
昨年もこの病気にやられた桑の木でしたが、今年もやはり回復せず。
今から2ヶ月前の、 3月頃に桑の木の根元に、竹炭を大量にばら撒き、その上に竹チップをたくさん乗せて、 土壌微生物の多様性を確保して、 回復するかどうかという実験をしていたが、やはりたったの2ヶ月ではそれほど効果はなかった。
ただ、昨年よりかは少し調子は良くなったかと感じた。
昨年は、桑の実がダメだと感じる前に、葉っぱを見て、これはダメだと判断できるような状態だった。
こんなに葉っぱは緑色をしていなかった。桑の木が実をつける頃には、すでに緑色ではなくて黄色とか茶色とか、不健康そうな色をしていた。
2ヶ月前に竹炭と竹チップをまいて、効果は出始めていたが、実がなるまでには間に合わなかった、そんな状況だと思う。
また来年、美味しい桑の実のジャムを作るために、竹炭を焼いて、竹チップを置こうと思う。
2025年5月24日
この黒い虫は何という名前なのでしょうか。
ご存知の方いらっしゃいましたら、教えてください。
今まで動物が何かを食べてるところを見て、癒されるという感じがあるのは知っていた。
馬がニンジンを食べる時のボリボリ音。
牛が草をはむときのボリボリ音。
ヤギが笹を食べる時のボリボリ音。
どれも本当に大好きだ。
でも今まで、虫に何か癒しを感じることはなかった、彼らの表情は読み取れないし、どういう風に食べているのかも想像できなかったからだ。
でも今日は何だろう。
僕の体調が良かっただけなのか。
この黒い虫が、大切に育ててきたユスラウメに馬乗りになって、微動だにせず、一心不乱に口をつけているところを見ると、うっとりしているようだと感じた。
そう感じた瞬間、ヤギが無表情で何かをボリボリ食べているのを見た時のような、 リラックスしたような感じが、体の中に生まれた。
そんな自分になりたかった、何て言うことは微塵もない。
でもそれは突然、今朝やってきた、そして体の中に居続けているようだった。
この調子では絶対にありえないと考えていたあいつら。
▼ヘビ
▼ハチ(スズメバチ)
にも今日感じたものと同じものを感じられる日がやってくるのだろうか。
そこに到達するまでには、恐怖を乗り越えなければいけない。
僕はこの黒い虫に対して、恐怖を感じなかった。
でも、蛇が突然足元で動き出した時とか、不意にトマトの向こうからスズメバチが姿を現した時などは、僕の心の中は恐怖100% になる。
農業の中でも、自然農や不耕起栽培といった自然寄りの農法を行っていると、こんな感じで動物や虫たちのことを考える時間が増えてくる。
すでにこの現代社会では、縄文時代や平安時代、江戸時代から脈々と伝えられていた、自然の摂理は親から子に伝えられることもなければ、そんなことが会話に上がることもほとんどない。
科学の力を信じすぎた影響だろうと思う。
宮崎安貞さんや、
貝原楽軒さんが、
後世に伝えようと作成した農業全書を読んだという人は少ないと思うが、僕はこれを生涯読み続けて行こうと思う。
そしてここまで書いて気づいたことだが、僕はこれから日本書紀を読まなければいけないんじゃないだろうかと、今ふと思った。
日本書紀は図書館で借りられるのか?
本屋さんに売ってるのか?
まずはそこから調べてみよう。
2025年5月24日
本日5月24日土曜日は早朝からさつまいもの苗を富田林1号地に植えつけてきた。
ホームセンターコメリで購入してきたさつまいもの苗を、バケツに張った水の中に入れて、2日間ほど発根させたものを植えた。
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕さない
▼水やりしない
自然農だとか不耕起栽培だとか呼ばれるこの農業をやっていても、さつまいもは収穫できる寸前のところまでは成長する。乾燥にも強いし、ほとんど手はかからない。
うまくできればできるほど、収穫できる寸前のところで、アライグマなのかイノシシなのか、はたまたタヌキなのか知らないが、人間が収穫したかのように、一晩で綺麗にしてくれる。
当初まだ何も知らなかった頃は、誰か人間が入ってきて、収穫して行ったのかもしれないと疑っていた。
でもそれが何年も続くと、スコップの跡さえない、長靴の足跡さえないというのはおかしいということに気づき始めた。
それくらい動物たちが荒らした後というのは、綺麗になっている。さつまいものつる1本残っていない。アッパレ。
収穫することよりも、自然により近い形で農業することの方が、大切だと考えてきたので、
▼電気柵
▼ネット
などの獣よけのための道具を一切しない、動物たちにとっては格好の餌場だったのだろう。
そんなこんなで、サツマイモは毎年少しだけトライしては、秋にすべて動物に収穫していただくというある意味、サツマイモ収穫体験農場となっていた。
しかし、そんなぼくらも住宅地近くの耕作放棄地も任せてもらえるようになってきた。たった1本の道を挟むだけで、動物が全く寄り付かないということはよくある。
この通称富田林1号地も、そんな感じだ。
いつもたけのこを根こそぎイノシシに食べられてしまう、あの、いつもの竹林から300m も離れてないのではないだろうか。
この富田林1号地にはイノシシは来ることはない。アライグマやタヌキは来るかもしれないが、それでもやはり人里近いので、動物たちも警戒しているに違いない。
そんな淡い期待を胸に、今年は畝を1本丸ごとさつまいもにしてみた。
秋のある日、 突然、まっさらの畝に様変わりするのだろうか(イノシシの仕業)、それとも、うわあ、今年はたくさんさつまいもが収穫できるぞと、淡く期待させておいて、いざ掘ってみると、歯形だらけのさつまいもが出てくるのだろうか。
いずれにしても、そんなことにはとっくの昔に慣れた。
とにかく今は、さつまいもの苗が畑の土に活着するのを祈るばかり。
これを作文しているのは、お昼下がりの3時頃、この天気図では深夜まで降り続くと思われる。頑張って活着してくれ。さつまいも。
2025年5月24日
花の苗一つ50円がスタートしてからどれぐらい経つだろうか、 3年以上5年未満といったところだろうか。
どこからがスタートなのか、判然としないので、自分でもどれぐらいやってきたのかよくわかっていない。
今ではこんな感じで小さな駐車場を、街の不動産屋さんに無理を聞いてもらって、使わせていただいているが、スタートした時は、家の近くの空き地とか、そんなところでやっちゃだめだろうと言う場所で、堂々とやっていた。
チラシすらまいていたほどだ。
駐車場に停めてあるトラックのすぐ前に、花の苗を4トレーほど置いて、その横にあの赤色ポスト型貯金箱を をささやかに置いていたこともある。
誰もやったことのないビジネスにトライする、というのは確かに難しいことだが、こんなに楽しいゲームは他にはないと思う。
スーパーマリオを テレビでプレイしていると、1つのステージごとに、スタートとゴールが明確にあって、ゴールのフラッグに抱きついた瞬間、よし1つ目のステージ完了、といったような手応えがそこにはあるが。
やったことのあるビジネスにトライしていると、いつ次のステージに移ったのか、自分で気づかない時がほとんどだ。
今まさに、花の一つ50円はそんな場所に立っている。
1つ目のステージでは、こんなので本当にお客さんは来るのか、ということに頭を悩ませていた。いわゆる、需要があるかどうか。
今僕が立つステージが何個目なのかはよくわからないが、最近よく考えていることは、 自分が届けたいお客さんに届いていないことがあるということだ。
ここで話は昨日の夜の話に飛ぶ。すなわち、5月23日(金)19時35分頃。
昨日たくさんの花の苗が入荷できる予定だったので、自分が連絡先を知っている親しいお客さんにメッセージを送った。
そして入荷直前になって、 Google マップの最新情報にも投稿しておいた。
すると 、思いのほか人が集まり、親しくさせていただいているお客さんには、人混みの中に呼んでしまったようで、申し訳ない気持ちになった。
僕が駐車場にトラックで到着して、契約している区画にトラックを止めた後、ドアから降りて、待ってくれていた人たちに遅れてごめんなさいと声をかけて、トラックの荷台に住んである花の苗10トレーほどをおろそうとした時、いつもの人たちが手伝いますよと言ってくれて、トラックから花の苗が載ったトレーを一瞬で降ろすことができた。
そこでその出来事は起きた。
手伝ってくれていた人たちの中の、1人のおじさんが、トラックの荷台に足をかけて登ったのだ。
その他の大多数の女性たちは、無論のこと、トラックの荷台に乗ることはなかった。
だって荷台に乗らなくても、トレイに手が届くんだもん。
なんでお前乗ったの、と思った。
『二度と乗らないでください。』とだけ、そのアホに伝えたが、アホは別に謝るでもなく、花を選んで、別に挨拶するでもなく、自転車に乗って帰っていった。
もちろんそんな僕を見て、まわりの善良な市民たちは凍りついていた。
本当に申し訳ない。
その後、女性たちは個別に、緊張した面持ちで、僕にいつもありがとうございますと、伝えてくれたり、あの時もらった花が今こんな感じです。とか伝えてくれたりした。
あの一瞬の吹雪さえ起きなければ、あたたか5月の夕暮れ時を、ほのぼのと過ごせただろうに。
もう2度と来ないで、と思う。
自分の行いが全て正しいのだと豪る人が、ルールから逸脱するようなことをしたとき、僕は鬼のようになれる。
でも、自分の行いが誰かの迷惑になっていないかと、常に気を配るような人が、ルールから逸脱するようなことをしたとしても、僕はどこまでも優しくなれるような気がする。
そして僕は、そういう人たちだけに、花の苗一つ50円を届けたい。
今、僕はこんなステージに立っていて、こんなことで悩んでいます、もしもあなたが川崎頑張れと思うのであれば、いいねをポチっとよろしくお願いします。
2025年5月21日
社会には見積もりを作ったことのある人と、見積もりを作ったことのない人、の2種類がいると思う。
今日は見積もりを作るために、 高槻市まで訪問していた。
高槻市と言っても、もうすぐそこまで京都府が迫っているという土地柄だ。
国道から1本脇道に逸れて、 閑静な住宅街を淀川の方に向かって少し走ると、目的の住宅があった。
その住宅の周りには、90歳になろうかという、おじいちゃんとおばあちゃんが生涯園芸を楽しんだ後の残りが、 所狭しと並んでいた。一見するだけで、これは3万円以上はするなという感じの数量だった。
実際提出した見積もりは、10万円以上になったのだが、それでもまだ今回見積もりしたのは、家の周りにある分だけという、凄まじい量だ。
そのおじいちゃん、おばあちゃんがすでに施設に入っておられたり、認知症を患っておられたりしたので、代わりに応対していただいたのはその息子さんでした。長男さんだろうか。
年齢を聞いてみると50歳代後半で、でも、とても若々しく、僕と同じ40代かなと始めは思ったほどだ。
年齢を聞くための会話をしてみたり、おじいちゃんとおばあちゃんの話になったり、色々話していく中で、僕らの会話は弾んでいった。
町の修理工場を営んでおられて、昔は良かったとか、今はもう車業界はダメだとか、たくさんのことを話してくれた。そのどれもが経験から出たものなので、話に色彩があり、このまま居酒屋に飲みに行っても盛りあがるだろうなと思うぐらいだった。
車の車検や、修理などをする中で、彼もたくさんの見積書を作って来られたのだと思う。
僕が植木鉢やプランターをかきわけて、それでも邪魔になる植物の葉っぱや枝をかき分けて、数量確認したり、状態を確認したりしていると、彼が横から声をかけてくれた。
『見えない部分もあると思うから、この見積もりの金額が絶対じゃなくていいよ。』
とのことだった。
この一言だけで、彼が今までどれだけ、見積書で痛い目にあったり失敗したりしてきたのかが想像できた。
お客さんという対等ではない立場の人に対して、当方が請求する金額を伝える、という行為の中にはたくさんの落とし穴がある。
僕もたくさん痛い目にあって失敗してきた。
伝えなければいけないことを、伝えていなかった時だけではない。
どこまでがこの見積書に含まれていて、 どこからこの見積書に含まれていないのか、正しく説明するのは、なかなか骨の折れる作業なうえに、言葉の使い方で受け取り方は大きく変わってくる。
見積書を作ったことのある人の中で、男性の場合は、実際に見積書をたくさん作成して、たくさん痛い目にあった、ビジネスマンの場合が多い。
女性にもたくさんそういうタイプの人がいるが、多くの場合、女性は見積書を作ったことがない。そんな女性たちは、自分たちが経験したことのない見積書という世界があって、そこには作法や、ルールなどがあることを想像してくださる。そしてたくさん質問していただいて、納得がいった上で、お父さんに相談する、といった流れの可愛い女性がたくさんいる。
見積書を作ったことのある謙虚な男性、
見積書を作ったことはないけど謙虚な女性、
どちらも話していて面白いのは謙虚だからだと、この文章の終盤にして、 初めて気がついた。
2025年5月21日
友人がSNSで文章をアップするときに、少し残念だなと思うことについて言語化してみます。
人の文章を読んでいて、自分もうまく書けるようになりたいと考える人は多いはずです。
その友人も文章がうまくなりたくて、それを集客につなげたくてSNSでがんばって作文をして、それをアップロードしているのだが、その頑張りと文章を比較してみるといつもおしいなあと感じざるをえない。
どんなところがおしいと感じるかというと、それは名詞の使い方だ。
それは名詞なのか固有名詞なのかという話しになると思う。
インパクトという点で、つぎの名詞の羅列を見てほしい。
▼人
▼時間
▼場所
つぎはこちら
▼ホームセンター
▼大阪関西万博
▼サルモネラ菌
どちらがインパクトがあるだろうか?無論、後者だと思う。
それではたとえばグーグルで検索されやすいのはどちらだろうか?それも無論、後者だろう。
上のグループがただの名詞で、下のグループは固有名詞ということになる。
吉本のお笑い芸人の面白い話しを見ていると、やはり固有名詞のでてくる割合が多いということに気づく。しかもそれがツッコミだったときの話しの面白さは抜群になる。
それをお笑い芸人の皆さんは、社会のタブーやら、スポンサーの喜ぶ言葉なんかを瞬時に選び出して笑いにかえる、神業もいいところだ。
話しをまとめよう、そろそろ次女を寝かせる時間だ。
作文をするときや、友達と話したりしているとき、どれくらいの固有名詞をだせるかご自身でトライしてもらいたい。でてきた固有名詞をメモしたり、固有名詞の数をチェックするのもかなり良い訓練になる。
後藤さんやブラックマヨネーズ、ノブさん、このあたりが相方にツッコミをいれるときにどんな固有名詞を繰り出してくるのか、どきどきしながら見てほしい。
最後に三組のお笑い芸人という固有名詞を羅列することができた。これをしておくだけで、もし友人がブラマヨと検索した場合に、候補にでてくる可能性がグッと高まったはずなのだ。
一度ではなく、それを繰り返すことによってその効果は倍増していく。がんばれ友人。
2025年5月20日
皆さんは農業屋なるものをご存知でしょうか。
農業屋という看板は三重県を中心に、中部地方と関西地方に分布する。
家庭菜園やガーデニングをする人にとって、ホームセンターで花の苗や、野菜の苗を購入するのは一般的なことかもしれないが、一度 Google マップで自分の住んでいる地域に、農業屋があるかどうか確認してみてはどうかと思う。
なかなかひっそりと佇んでいる時がある。
都会にはないかもしれない。
僕がいつも畑に通っている、兵庫県三田市にも農業屋はある、そこは僕の故郷だが、やはり都会ではない。
農業屋というだけあって、農業に勤しむ人たちが種や苗、農業用資材を購入していく。
なぜこの農業屋を皆さんに推薦するかと言うと、苗の金額がめちゃくちゃ安いのだ。
関西地方によくあるコーナンやコメリといったホームセンターで、ミニトマトの苗を買おうとすると、300円を超えていることが多い。アイコやカゴメといったブランドもののミニトマトを買おうとすると、400円を超えて、500円以上するものもよく見かける。
しかし、
農業屋は違う。
ほとんどの苗を300円以下で購入することができる、ブランドものの苗であってもだ。
なんてことだ。
ブランドのないミニトマトの苗を今年もいくつか購入したのだが、1つ120円とか130円とかの世界だ。
これは本当にすごい。
三重県に本社を持つ、クラギという会社がこの農業屋を運営しているのだが、それはこのクラギという会社が、種苗の特許を多く所持しているから、という単純な理由だけではなさそうだ。
なぜなら販売されている苗は健康的な緑色をしていて、病害虫などを寄せ付けない特別な環境で育てられたのだと感じるからだ。
しかも販売されている苗はかなり大量で、売り切れても売り切れても、次の日にはバックヤードから新しい在庫が出ている。
これは、育苗の技術が突出していることを意味している。
ネズミでもイナゴでもそうだが、 食べるものが1種類だけ大量にある場合、それに対する害虫や害獣も発生しやすくなる。発芽した直後の柔らかい苗の場合、害虫や害獣にやられる確率はかなり高くなる。
あのナメクジでさえ、苗がまだ柔らかい時は天敵になるのだから。
僕が家の近くで、トマトやキュウリ、ピーマンやナスなどの苗を作った時に、自然発生したナメクジが、翌日には苗を食べて丸裸にしているなんてことはよくあることなのだ。
都会に住んでいる人にとっては、例えば郊外の方をドライブしている時など、農業屋という看板があれば、一度覗いてみてほしい。 そしてそこで販売されている苗の緑がいかに健康そうに見えるか試してみてほしい。
今日はクラギ株式会社からは、何の広告料も頂いてるわけでもないのに、広告のような作文になりました。ただのこれは愛です。
2025年5月19日
はじめは僕はこの白いふわふわしたものが虫だと気づかなかった。
何か桑の木が白いふわふわしたものを出しているのだと、思っていた。
もちろんこの白いふわふわしたものが、ワックスだということも知らなかったので、これがシルクなのだと感動していた。
蚕という生き物がいて、桑の葉っぱを食べて成長し、シルクを紡いでいくというのは知っていた。
その蚕と言う生き物とは少し違うけれども、桑の葉っぱの中には何か白くてふわふわしたようなものを作りやすい成分が含まれていて、この虫もシルクのようなものをお尻から出すんだと、勝手に考えていた。シルクではなく、これはワックス(蝋)なのだそうです。
桑という木や葉っぱの中に、 何か白いふわふわの原料になるようなものが含まれているのかどうかは未確認だが、この虫はクワキジラミという名前で、お尻から出す白いふわふわしたワックスは、余分な糖であることが分かった。
クワキジラミは桑の木や葉っぱに針のような口を突き刺して、養分を吸って生きている。その養分の中でも、余った糖を体外に排泄するのだそうだ。
多くのカメムシがそうであるように、クチバシのようなものが口のなかにあって、養分を吸うときにはそれが口の中から伸びてくるのだろう、こうやって文字にしてみるとエイリアンのようだ。
桑の木から取れる桑の実は、人間が食べても甘いと感じるほど、糖分が豊富なので、きっと桑の木や桑の葉っぱにも同じように糖分豊富な液体が詰まっているんだと思う。
そして僕は舐めてみたことはないが、このクワキジラミという虫が出す白いふわふわしたワックスを、口に入れてみると甘い味がすると、AI が教えてくれた。
さすがの僕も舐めることはできなかった。
人になにか害があるわけではないことは、以前から知っていたので、クワキジラミが手についたところで、僕は何とも思わない。
2025年5月17日
野生の桑の実たべにきませんか
大阪府南部です。野生の桑の実を食べに来ませんか。もちろん無農薬で、肥料も使っていません。いわゆる不耕起栽培なので、背景にある通り、 僕の畑では土は見えません。水やりもしないので、 化学物質といえば雨に含まれているものだけだと言えます。
If you are interested in, don't hesitate to contact me. English is OK.
かなり健康的だと思います。
この桑の木の近くで栽培している、さくらんぼの木もたくさんの実をつけていたのですが、そろそろ収穫の時期かなと思う頃に、鳥たちが全てごちそうさましていきました。
さくらんぼの一部ではありません、全部持って行きました。丸裸です。笑
それなのに、なぜこの桑の実はあまり取られないのかと言うと、そこは不思議でなりません。
植物はポリフェノールやアントシアニンといった、フィトケミカルという物質を体の中に充満させて、鳥や獣、虫や微生物から自分の体を守ります。
さくらんぼの栽培も、農薬ゼロ、肥料ゼロ、の不耕起栽培なのですが、鳥に食べられました。
おそらくは、
▼果実が甘くなる時期
▼フィトケミカルが充満する時期
これが甘くなるのが先か後かで、鳥に食べられるかどうかや、虫に食べられるかどうかが決定されるのだと思う。
▼樹木の歴史▼
桑の木は、日本では太古の昔から自生していて、縄文時代にはすでに山桑として日本に存在していたそうです。日本書紀にも桑の木に関する記述があるのだとか。日本古来の樹木と言えます。
一方さくらんぼが、日本において栽培されるようになったのは、明治時代以降のようです。さくらんぼという果実を栽培するために外国から持ってきたんですね。
だからおそらく、さくらんぼはフィトケミカルを日本の気候において自分の体に充満させる時期をまだ把握できてないのだと思います。その土地に植物が順応して、進化していくのに200年という時間は短すぎるのかもしれません。
桑の木は、甘くなる前に、暖かくなる前に、どれくらいのアントシアニンを体の中に蓄えなければいけないかを、この何千年もの間に伝承してきたのだと思います。
そしておそらくは、縄文時代の人たちはそんなことぐらい、知っていたのだと思います。口伝えでたくさんの情報を伝えることが、なによりも効果的だと知っていたのでしょう。
僕たちは科学の世界にいながらも、縄文時代の人たちが持っていた知識を取り戻すことができると思います。
それにはたくさん自然に触れて、遊び、痛い目に遭い、時々美味しいものをいただくということが重要だと思います。
そのため僕は、このものすごい健康的な農地にたくさんの人が経験しに来ればいいと思っています。
是非経験したいという人は、ご連絡ください。
ただ一方で、あまり知識もなく、意欲もなく、礼儀もないような人が、僕の農地に入ってくるのだけは避けたいです。農地に入っていただく前に、たくさん会って話して、友人になれるような間柄になって初めて、ぼくの農地に招待したいと思います。
最後の最後にめんどくさいことを書いてしまい申し訳ありません、でもこれは本音です。 20年前にこの農業を始めてから、命をかけてこの事業に取り組んできました。だからこそお客さんはめちゃくちゃ選んで行きたいです。
2025年5月15日
今回のお客さんはすでに僕の活動の大半を知っておられて、インターホンを押すと、いつも見てますよと、声をかけていただいた。
お花屋さんが廃棄する花の苗を、引き取ってきては1つ50円で無人販売しているのですが、そのことも知っていただいていて、いつも行きたいんだけど、少し距離があるから行けないのよねと、おっしゃっていた。
そちらの Instagram ももしよければお願いします。
この前だしていたテラコッタなんか、本当に行きたかったんだけど、と言うことを娘と話していたそうだ。
年末の、あの伝説のマンションの4階から、クレーンを使って、湯船ほどもあるようなプランターを降ろした仕事のこともご存知でした。
はっきり言ってめちゃくちゃ嬉しいです。
コーナンで購入してきたらしいこの土嚢袋の中には、ふるわれたあとの鉢底石が入っていて、今回はそれを回収する仕事だった。
鉢底石の回収料金3、000円
東大阪市までの交通費2000円
合計5000円
事前にお伝えしていたよりもだいぶ安くなったので、え、これでいいの、という感じだったが、これで大丈夫です。
いつも応援していただいてありがとうございます。という感じです。
2025年5月13日
実験の第1段階は成功といったところだろうか。
土の上に竹炭を10cm ぐらいの厚みで敷き詰めて、その上に竹チップを敷き詰める、これも厚さ10cm ぐらい。これをひとつの畝とする。
そのウネに野菜の苗がすっぽり入るような穴を開けて、苗を入れて、また、竹炭と竹チップで苗のまわりを覆っていく。
その時、なんと苗の根っこは土に触れていない。
現代農業をやっている人にとっては、意味不明な試みだと思う。現代農業をやってこなかった僕でさえ、半信半疑の部分があった。
そんな心の中のもう一方の部分で、この方法でも行けるんじゃないかな、と考えている自分がいた。すなわち苗の根っこを土につけなくても、植物はの根っこは活着すると考える自分がいた。
その理由をここに記しておこうと思う。
竹炭と竹チップによるウネをぼくが作ったのは、今年の冬から春にかけて、2月頃から作り始めて4月の下旬頃までたくさんのウネを作った。
(このウネの中にどれほどの炭素が固定されたのか、という話はまたの機会にしようと思う。)
1本の畝を作って、1週間か2週間ぐらい経った頃に僕は毎回、こんなことをしていた。畝の中に指を入れてまずは竹チップをかき分けて、竹チップを書き分けていると竹炭が出てくる、その竹炭もかき分けようとするのだが、竹炭をかき分ける前に、すでに竹炭がぐっしょりと濡れていることに気づく。
現代農業で言うところの、いわゆるマルチがうまく機能しているのがこの時点で確認できる。
現代農業で言うところのマルチとは、ウネ全体を長い1枚の黒色のビニールで覆うことだ、長いものなら50m とか100 M のものもある。貸し農園程度の大きさのウネであれば、10m とか20m とかそんな短さになる。
幅はと言えば、1m から1.5m ぐらいだろうか。
田舎道を車なんかで走っていると、畑の中に黒いビニールが規則的に並べられているような光景を見たことがあるという人は多いと思う。
それがマルチだ。
自然農や自然栽培といったやり方の中にもマルチという言葉があるが、それはビニールではなくて、ビニールの代わりに草や竹チップや、材木のチップを使ったりする。数年後にはミミズやもぐら、その他土壌微生物に分解されて、土に戻っていくものを使う。
使うものは違っても、効果効能は現代農業であれ自然農であれ変わらない。マルチの効果を挙げるとこんな感じだろうか。
▼保湿
▼遮光
▼雑草抑制
現代農業にはなくて自然農だけで、重宝する役割というのもあげてみると、
▼土壌微生物の活性化
現代農業においては、化学肥料を使用するため、土壌微生物の役割はあまりない。しかし、自然農においては、土壌微生物の役割はなくてはならない1つの要素だ。
根っこは土壌微生物を介して、養分を受け取るからだ。化学肥料を使わないうちの畑では土壌微生物は特別VIP待遇で接しなければいけない。
根っこと土の間に土壌微生物がいて、土壌微生物が養分を根っこに渡している。簡単に言えばそういうことだが、土壌に関する本や植物に関する本を読んでも、 土壌微生物がどのように養分を受け渡しているのかということは書かれていない。
どの本にも書かれているのは、
▼かなり複雑なやり取りをしている、
▼まだ解明されていない。
ということだ。
ここからは少しふざけたように聞こえるかもしれないが、僕が想像している土の中の世界をご覧いただこうと思う。
大阪に住む僕(植物)が、
横浜にあるジュース(養分)を買うために、
Amazon (土壌微生物 A)でポチって、
横浜の横須賀運送(土壌微生物 B)が、
トラック(土壌微生物C)を使って、
集配センター(土壌微生物D)に持ち込み、
JR貨物(土壌微生物 E)に乗せて、
植物が養分を得るというところまではこんな感じだろうか、いや、もっと複雑に違いない、会社のなかには実際に荷物に関わる人もいれば、営業もいるし総務もいる。もっとたくさんの人が関わってるはずだ。
そして物語はまだ終わっていない。
料金を支払わなければ。
僕は Amazon に料金(糖)を支払い、
Amazon はトラック業者や集配センターやJR貨物に運賃(糖)を支払う
ジュース(養分)を飲んだ僕は成長し、
Amazon は運賃(糖)を運送各社に支払う。
Amazon や運送各社は、経済成長し株価が上がる。
▼おそらくこれ以上に複雑だ▼
なぜなら、土壌微生物の一生は20秒から60秒程度と言われている。その間に食べて食べられ、生まれては死んで、排泄しその中からまた生まれる。
土の中の養分が、根っこに届けられるまでには、おそらく何世代もの交代がある。もうこれ以降はメンインブラックの世界に突入するので、ネットフリックスで各自ご確認いただきたい。ウィルスミスとトミーリージョーンズの痛快近未来アクションをお楽しみください。
2025年5月12日
雑草の草刈りというのは、現代農業においても現代社会においても、なかなかの問題のように思う。
農業をしていると、ウネの間に生える雑草や、畦の雑草を草刈りする回数というのは、減らせば減らすほどいいものなのだろうと考えていた。
でも、もしかしたらそうでもないのかもしれない、と感じた話を今日は作文しようと思う。
4月から5月にかけて、春の雑草が最盛期を迎える。これはあまり知られていないが、春の雑草が最盛期を迎えてから、夏の雑草が生えてくるまで、少しだけ雑草が落ち着く時期がある。
雑草が生え変わる時期なのだろう。
雑草が生え変わり、夏の雑草が生い茂り、6月に入って、梅雨前線が北上し始める頃、まずは1度目の草刈りをしていた。
そして2度目は、梅雨が明ける直前、数週間雨が降らなくなる直前に草刈りをする。
そうすることによって、初夏に草刈りをする回数が、たったの2回に抑えられる。これはかなりの省力化だと思っていた。
ただ、最近気づいたのは、この初夏の時期に草刈りを3回以上とたくさんした場所は、なぜかイネ科の雑草が多いことだ。
なるほど、草刈りの回数が多いと、地面が露出している時間が長くなる。そうすると、根っこが浅い雑草、シソ科の雑草とか、キク科の雑草などは、乾燥にやられてしまうのかもしれない。
うってかわってイネ科の雑草は、地面奥深くに根っこを進める。途中で切れてしまうのでわからないが、地下1m ほどの根っこを張るイネ科の植物もあると聞く。
イネ科の雑草は奥深くから水分を吸い上げられるので、乾燥に強いのだ。
乾燥に強いだけではない、 イネ科の雑草はいわば、地中奥深くから地上の高さまで、水分を循環しているポンプと言える。地中と地上で夏の温度差はとても大きくなる。イネ科植物の体内は土の奥深くの温度だからひんやりしている、熱帯夜との温度差によってイネ科の植物にはたくさんの朝露がつく。結露の原理だ。
夏の朝、何週間も雨が降っていない状態の畑に足を踏み入れて、イネ科の雑草が旺盛に生い茂っている場所に来ると、土はぐしゃぐしゃに濡れていて、踏み入れた長靴は、濡れていない部分がないほどになる。
もしかすると、今まで初夏に雑草の草刈りを2回していたところを、3回以上にすると、水やりをしなくても、乾燥に強い農地になるかもしれない。
ただ、そこでもやはり多様性は大事で、農地の全てがイネ科の雑草になってしまうと、元も子もない、やる場所とやらない場所を決めて、植物に多様性を持たせるのは、ウイルスから人類が身を守るために、一番大切なことだと思う。
農薬ゼロ、化学肥料ゼロで耕作をするということはこういった試行錯誤に邁進することだとぼくは思う。
2025年5月12日
10年くらい前のある日僕は、ゴールド免許を取ろうと考えた。
そしてゴールド免許を取った。
8年ほど前に、 最後の交通違反である駐車違反をした。
そこからはものすごい安全運転になった。
ゴールド免許を取った後、いろんな人からラッキーだねと言われるが、これはラッキーではない。1つの技術だ。
このままずっとゴールド免許を保持する目標を持っている。とりあえず50歳になるまではゴールド免許を死守するつもりだ。
その中で培った技術を、言葉にしていこうと思う。
そしていつかそれを1つの本にできればいいかと思う。
今日はその本のプロローグの部分を作文してみようと思う。
それでは参ります。
ゴールド免許のとり方 プロローグ
本書を手にとっていただきありがとうございます。毎年3万 km 以上を仕事のために運転している、私と共に安全運転とは何かを考え、ゴールド免許を取り、日本から交通事故を1件でも少なくするよう頑張りましょう。
ゴールド免許は取ろうと思わなければ取ることができません。ペーパードライバーならまだしも、 毎日仕事で運転をするような人々にとっては、 ゴールド免許は取ろうと思わなければ取れないものです。
ゴールド免許の取り方講習を様々な受講生に行ってきた経験では、皆さん運転をする時に注意をすれば、そして安全運転をすれば、ゴールド免許を取ることができると考えている人が多いと思います。
でもそれは違います。
ゴールド免許とは人生そのものです。
例えば自分が安全運転をしてゴールド免許を取ろうと取り組んでいても、助手席に座っているご家族、友人、同僚がそれを認めてくれない人であれば、ゴールド免許を取ることができても、それを長い間保持することはできません。
あなたが運転している時に、助手席に座っている人が、1分1秒でも先に進みたいと考える人間なら運転していても落ち着かないですよね。
助手席に座っている人が、隣の車に抜かされることをよく思わない人であれば、安全運転をしているあなたは落ち着かないことでしょう。助手席の人が何か言ったかどうかに関わらずです。
あなたの周りにいる人たちが、ゴールド免許を取ることや、交通事故を減らすことに賛同してくれる人でなければ、ゴールド免許は取れないのです。
例えば、あなたが営業車を運転していて、会社からはずっと急かされるような状況に置かれていたとしましょう。そんな状況ではゴールド免許は取れませんし、落ち着いた人生を楽しむこともできません。そんな会社はやめてしまえ。
▼▼▼
ゴールド免許を取るということは、ルールを守っているというただそれだけのことです。
ルールという言葉は、律という言葉に置き換えられます。
律という言葉を考える時に、私の頭にはいつも礼という言葉がよぎります。
律と礼はどちらが先にこの地球上に存在したのだろうか。
数万年前、まだ人類が狩猟採集を行っていた時代、そこには礼があって律はなかっただろうと思います。
紀元前2000年頃になって、やっとハンムラビ法典などの律が出来上がってきます。
それは紛争や戦争が起こり始めたからだろうと想像することができますが、人間が礼を忘れて、争い合ったことから律ができたと認識しています。
すなわち、ルールを守った上で、挨拶や会釈などの礼を欠かさないこと、これこそが争いのない世界への第一歩だと考えています。
これを令和の現代で体現するのは、とても難しいと感じます。
人口は減少の一途をたどり、そのおかげで経済が上向くことはありません、経済が上向くことを前提とした社会は歪みが生じ、人々に矛盾を感じさせ、人々はどういう態度をとって生きればいいのか迷う。全員が眉間にシワを寄せている。
そんな中で笑顔で機嫌よく挨拶をしたり、会釈をしているだけで、文句を言われる。令和はすでにそういう時代に突入している。
そんな中で自分だけが安全運転をして、他の人に道を譲り、 歩行者優先を徹底し、危険がある時は徐行していたら、ただの笑い者になるだけかもしれない。
はっきりとここで自問自答しておこう、笑い者になったとしても、ゴールド免許を取りたいか?
たとえ笑い者になったとしても、自分の寿命の最終日、そこでゴールドな人生だったと思いたいか?
そうこの本は、ただゴールド免許の取り方を説明しているだけではない、死の直前になってゴールドな人生だったと考えていただくための本です。
ゴールド免許をとるという動作の中には、人生を豊かにするための様々なキーワードが散りばめられている。それをこの本の中で、1つ1つ紡いでいきます。
2025年5月11日
今回の黄砂は5月9日や10日に日本にやってきた、でも僕の目や鼻は何も反応しなかった。
もともと花粉症持ちではない。
畑で終日働いていても、花粉を感じることはほとんどない。
でも黄砂がやってくる時は、それほど反応しないにしても、目の下のまつ毛当たりが一瞬ピリッとしたりして、ああ黄砂が来たのだなと教えてくれる。
しかしゴールデンウィーク明けのこの黄砂に対して、僕の目や鼻は全く反応しなかった。それどころか、僕は朝早くから仕事のためにトラックに乗って、寝屋川市や枚方市や高槻市など北摂方面で仕事をしていた。
トラックに乗ってる間も、 気温は高すぎず低すぎず、気持ちがいいので、窓を開けながら走っていた。
黄砂がきていたと知ったのは、今日5月11日だ。朝起きると、家族が咳をしたりくしゃみをしてる、大丈夫かと問うと黄砂だから仕方ないと返答してきた。
なるほど、黄砂が来ていたのか。
ちょっと驚きだった。
いつもなら体で感じる。黄砂。
今回は全くどうともなかった。
嬉しい変化ながら、 でもどうしてだろうと思いを巡らせてみると、1つ思い当たる節があった。
それはゴールデンウィーク中に行った、 止血作業だ。
以前から試してみたかった、土がついたまま止血作業するということにトライしてみたのだ。
あまりに傷が大きくて、流れ出る血液の量が多すぎると、トライする気にはならなかったのだが、今回の傷は相手が刃物ではなくて、乾いた竹で切ってしまった小さな傷なのでトライするためのハードルは低かった。
農作業の合間に負った傷は、親指の傷で、それほど深くもなく、竹の鋭い部分で切れたような感じだった。
(竹チップを使うとこういう問題もあるのだなというのはいい経験になった。)
傷はそれほど深くなく、傷を負ったその日の晩には、すでに血は止まりキズ自体も塞がっていたと思う。
傷が塞がった後、少しだけその部分の体温が上がっている感じはあった、すなわち炎症が起こっていたのだろう。土がついている傷の上からそのまま絆創膏を貼ったので、炎症するのは当たり前だろうと考えていたが、炎症自体は想像していたほどひどくなかった。少しその部分が温かくなったなと感じていた時間は、1時間から2時間程度だったように思う。
▼5月5日切り傷発生
▼5月7日絆創膏とれる
▼5月10日黄砂襲来
といったようなタイムテーブルだろうか。
土の中には少なく見積もって5億種類の土壌微生物、細菌、ウイルスがいる とされている。(そのう、人間に危害のある細菌やウイルスはたったの50種類)
どういう風に見積もればいいのかさっぱりわからないが、適当に見積もって、僕の親指の傷には数万種類の土壌微生物がいたに違いない。
それを僕は絆創膏で閉じ込めたのだ、絆創膏の脱脂綿の部分には、通気口のようなものがあるので、絆創膏に閉じ込められた土壌微生物は、 そこで少しの間は生きていたのだと思う。
生きていたと言っても、土壌微生物の一生は短いので、 30秒から60秒程度の間に、生まれては死に、食べては食べられ、排泄物からまた生まれる、そんなような環境を僕の親指の上で作り出していたのにちがいない。
傷をふさぎ、血液を無事止めることができた僕の体は、その日の晩に免疫力を発揮し、傷口付近の土の中にいる、微生物や細菌、ウイルスを駆逐していったんだろうと思う。
これがまさに正常な免疫の活動なのではないだろうか。
▼▼▼
アレルギー反応とは、 免疫の暴走だと聞いたことがある。清潔になった環境で暮らしていると、免疫が活躍する場所がなくなるので、免疫が暴走し始めて、反応しなくてもいい花粉や、小麦、牛乳、黄砂などに反応する。
江戸時代の人たちが黄砂のためにくしゃみが止まらなかった、なんていう話は聞いたことがない。
もしもこの考えが合っているのであれば、免疫が活躍する場所を意図的に作ってはどうだろうか、とずっと考えていた。
そしてそれにトライしたのが今回の、
【土ごと止血する】
だ。
その実験結果は、どちらかと言うとポジティブだった、黄砂に全く反応しなかったからだ。
なるほど。
この方向で合っているのかもしれない。
そうとわかれば次は、絆創膏の脱脂綿の部分に土をつけて、全然傷のないところに貼ってみよう。
少しの間つけていても、何も問題が起こらないことは明白だが、まずは自分の体で実験してみようと思う。
▼傷に近いところで貼ってみたり、
▼日光の当たらないお腹の部分に貼ってみたり、
▼ほくろやシミのあるところで貼ってみたり、
かねてから僕は、アレルギー反応は手のひらには起こりにくいと感じていた。手のひらだけではなく、足の裏もだ。
これはなぜか、 まだ人間が洋服を着ていなかった時代、靴を履いていなかった時代 、手のひらや足の裏は、外界に接することが多い体の部位だった。
これは僕のド素人の仮説だが、手のひらや足の裏では、アレルギー反応は暴走しにくいんじゃないだろうか。
そのことを考えてみると、土をつけた絆創膏は手のひらや足の裏にも貼ってみることにしよう。
そしてそれがうまくいったなと感じたら、次は花粉症の人や皮膚の炎症に悩まされている人などに試してみよう。 怒られるだろうか。笑
乞うご期待。
2025年5月9日
ウェブサイトで集客している人はいまどれくらいいるんだろうか。
先ほど Google のジェミニに教えてもらったところ、現在でもGoogle マップを使った地域密着型の業種はGoogle で集客しているとのことだった、でもそれはおそらく Google マップの検索窓を使用した検索なのではないかと思う。
その他にもウェブサイトで集客している業種としては、EC サイトや旅行などのサービスを行う会社、ということがわかった。
確かに EC サイトや旅行のサービスについては、僕でもそのウェブサイトを開いたことがある。
ただし、それはかなり大きな企業ではないだろうか。しかもそれはGoogle マップ上での検索ではないと思う。
そういった大きな企業はGoogle マップ経由で、集客を行うことをあまりないように思う。Google マップ経由で集客を行うのは、レストランとか美容室とか、個人でやっているような会社がほとんどだろう。
業種にはよると思うが、そこに下克上のヒントが隠されているように思う。
小さな商店や、レストランや美容室は、Google マップで検索され、ほとんどの客はGoogle マップ上の口コミを閲覧して、お店を決めるだけだろう。
でもその中には、 ウェブサイトにも一応飛んでおくという客がいるはずだ。
小さな商店やレストランや美容室が、毎日ウェブサイトを更新しているだろうか、いや、していないと思う。
今はInstagram やX、 tiktokなどで集客に重きを置いてるんじゃないだろうか。
しかし、既にそこはレッドオーシャンと化している。
そこでもし、自分でウェブサイトを更新する知識や技術があるのであれば、自分のウェブサイトを毎日更新するというのは1つの戦略だと思う。
なにせウェブサイトは更新すればするほど、Google の評価が高くなる。もちろん、それはユーザーにとって有益かどうかがポイントになってくるが、毎日何かしら、お店で感じたことや勉強したことは必ずあるはずだ。
それをこと細かく、ブログなどにして更新し続けていれば、それは独り勝ちも甚だしい。
水道の修理や、大工さん、小さな釣具屋さん、古書店、考え出せばきりがないが、ウェブサイトの更新を毎日することで勝ち組になれる業種というのは結構あるんじゃないだろうか。
毎日ブログを書いて、更新するだけで、ウェブサイトへの訪問者や掲載順位、だけでなく表示回数もかなり増えることうけあいだ。
僕はまさに今これに取り組んでいる。
2025年5月8日
この動画では中年の男が薄いモザイクもなくカメラの前で、アスパラガスを最初から最後まで咀嚼する様子が赤裸々に映し出されます。そのため、この映像は40 R 指定です。40歳以下の全ての方は、この映像の視聴を中止してください。
感動詞メインのため、あー!とか、おーう!とか刺激的な音声が含まれています。
そのため40歳以上であったとしても、人生経験が少なくストレス耐性があまりないとご自身で判断される場合は、 視聴を今すぐ中止してください。
▼▼▼
みなさんこんにちは、感動詞メインでお届けする、試食シリーズ、アスパラガス編でございます。
ところで、無農薬という言葉の定義をご存知でしょうか、スーパーや市場で無農薬野菜と書かれていると、誰でも魅力を感じますよね。
この日本において無農薬という言葉は、 その野菜を栽培して収穫するまでの間、 農薬を使わないという意味です。
だからこれは勝手な想像ですが、無農薬野菜を栽培する前、収穫した後、その畑では除草剤などの農薬が使われていると思います。
雑草の暴力的な威力を考えるとき、おそらくそうだろうなと思います。
その無農薬野菜を栽培する畝(ウネ)の近くには農地の境界があって、そこにはあぜ道があると思います。そのあぜ道にももちろん雑草は生えると思うのですが、そこでは除草剤は使われていないのでしょうか。
これ以上は憶測になりますので、皆さんのご想像にお任せします。
はっきり言って僕は、そういう部分でも農薬を使いたくありませんでした。だから20年前から、全く農薬を使わないやり方を研究してきました。あぜ道からどれくらいの距離で畝を立てれば、草刈がしやすいのか。
そして、
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕しもせず(不耕起栽培)
▼水やりもしない
というやり方で作物が収穫できるようになった今、無農薬という言葉を使いたくないのです。だから農薬ゼロとしています。
栽培期間以外は農薬を使っていると思われたくないからです。
▼▼▼
化学肥料を使うと、農薬を使わなければいけません。余った栄養分で虫が発生するからです。
農薬以上に問題なのは化学肥料です。アンモニウムを精製する技術が、 他のどんなものに転用できるか一度調べてみてください。
そして農薬や化学肥料以上に問題だと思うのが、耕すことです。
え、農薬の方が問題じゃないの、と思う方もいらっしゃるかもしれません、でも、この20年間でいろんなことを経験したり、勉強したりした中で、一番問題だと思うのは耕すことです。
それはなぜかと言うと、耕すということは、将来その農地でとれる野菜を前借りしているだけにすぎないからです。
MMF 理論において、国債の発行が問題だと考える方がいらっしゃれば、その問題と耕すことの問題の本質は全く同じかもしれません。
僕はこの20年間で、 耕さずに野菜を栽培する方法も研究してきました。その方法で農業をしていると、この動画でちょうどアスパラが出てくる場面のように、土は露出しません。
畑のそばに立っていても、土の様子を見ようと思ったら、鎌でその辺りの雑草を削って、その下にある腐食をかき分けて、やっと見えてきます。
不耕起栽培でやると、こういうふうな農地になります。
2025年5月7日
今日の駐車場には目ぼしいものはございません。
売れ残るだろうなと思っていた中古の駄鉢と、これまた売れ残るだろうなと思っていた、縁だけが怪しく紫色に光る無駄に縦長の植木鉢があります。
どなたか物好きな方、いらっしゃいませんでしょうか。
写真にも写っていますが、黒色の土嚢袋の中には、中古の鉢底石が入っています。
写真では中身が見えないので、なかなか売れ行きは悪いですが、しつこく置いてやろうと思います。
中古の鉢底石は次々に出てきますので、もし大量に欲しい方がいらっしゃったら、ご連絡ください。めちゃめちゃお買い得で、まだまだ使える鉢底石が手に入ります。
2025年5月7日
今日の園芸用土回収は、大阪府池田市での仕事でした。
マンションの最上階にお住まいの方で、その最上階のお部屋の隣には、テラスがあります。そこのテラスは西向きで、夏になると西日がものすごいんだそう。
プランター10個、土嚢袋10袋くらいの量で、交通費も合わせて18,600円でした。作業前にご自身で一階までお持ちいただいたので、作業費はかからず安くなりました。
作業前に見た感じ、綺麗に分別されてるように感じたので、この見積もり金額をそのままお伝えしました。
でも実際は、 どのう袋の中はビニール袋の劣化してビリビリになったものがたくさん入っており、危うく値上がりしそうだったのですが、ご夫婦ともにあまりにいい感じで、こちらの作業しやすいように動いていただけるし、終始笑顔でしたので、 そのままの金額で行くことに決めました。
次回もお願いしますとのことだったので、次回はゴミを取り除いていただくように指摘させていただきました。
おそらく次は今年の秋頃とのことだったので、劣化していることはないでしょう。
これでまたリピーターを1人ゲットしました。
ガーデニングのあとの土の捨て方がわからない!という人はご連絡ください。
かなんな農園 川崎康裕
2025年5月7日
はじめまして、川崎康裕と申します。
土の回収についてお問合せいただき、ありがとうございます。
写真を拝見しました。
まずは質問事項からですが、
▼週末も対応しております。
▼見積もり金額について、かなりざっくりになってしまい申し訳ないのですが、
2万円〜5万円税作業費交通費込みくらいかなと想像します。
土の状態や、鉢底石の状態が未確認のためかなり保守的な金額にしております。
▼マンションとのことですので、1階エントランスまでお持ちいただけるかどうかで作業費が増減するのが大きな要因です。作業日当日、1階まで運ぶことできそうですか?
もし、事前にくわしい金額が知りたいときは、通りすがりに豊中市を訪問できるときに、無料で見積もりをしてOKなら後日実施ということもできます。
一度に全て処分するということは、お引っ越しか大規模修繕でしょうか?
ご返信おまちしております。
2025年5月6日
花の苗1つ50円をご覧いただきありがとうございます。
いつも質問されるようなことを、ここにまとめておこうと思います。
▼最新の入荷情報▼
まずは最新の入荷情報ですが、曜日と大体の時間を、Google マップの最新情報の欄を利用して配信しております。
Google マップで、『花の苗1つ50円』と検索してみてください。
Instagram や、LINE のオープンチャットを利用して最新情報の予定を配信していたこともあるのですが、そこで僕が感じたのは、本当に届けたい人に届いていないという問題でした。
その問題を解決するために、今では Google マップという静かなSNSを利用しています。
自動で情報が届かないシステムです。
手動で情報が届くシステムです。
Google マップで最新情報を配信することにも、問題はあるかもしれませんが、少しこれでやってみて、結果を見て考えようと思います。
▼発送▼
▼取り置き▼
大変申し訳ありませんが、発送や取り置きは、基本的にやっておりません。販売価格が安いため、それらをやっていると赤字になってしまうからです。
遠方の人には、やきもきさせてしまう結果になっていますが、 今のところ解決策が見つかっておらず、どうにもできません。すみません。
▼お金以外で川崎を応援する方法▼
▼アルミ缶編▼
発送や取り置きは、基本的にできないのですが、ものすごく応援してくれる人や、自発的に花の苗を整理してくれたり、駐車場を掃除してくれたりしてくれる人には、 花の苗や綺麗なテラコッタを届けたいという気持ちが湧いてきて、ときどきこんなのありますけど、いりませんか?とメッセージすることがあります。
毎月1日に、飲料用のアルミ缶を回収させていただいております。僕の活動を応援したいと思う人が時々います。
でも今の日本でお金に余裕のある人はそういません。
その人が自家消費した飲料のアルミ缶を、1ヶ月に1回回収させていただき、それを僕が金属屋さんに持って行き、お金にかえます。
飲料缶のみでお願いします、ご厚意で缶詰を入れていただく方がいらっしゃるのですが、逆に手間が増えてしまいます。
ペットボトルなどほかのゴミは厳禁です。
消費した飲料缶を、一度水洗いし、乾燥させて、ビニール袋などの容器で保管ください。
それを川崎が回収しに伺います。
毎月1日ですが、ご都合によって日程を変更したり、時間帯を決めておいたりすることができます。
非対面でももちろん川崎は対応できますが、毎月1回、顔を合わせることで、川崎はその人に、親近感を持ち、花の苗を持ってきたいなとか、綺麗なテラコッタが入ったら連絡しようかなとか考え始めます。
▼お金以外で川崎を応援する方法▼
▼ブログを読む編▼
川崎はド素人ですが、一応、自分のウェブサイトをコーディングしております。
かなんな農園、と検索していただければ、素人感満載のウェブサイトが出てくると思います。
そのウェブサイトの事業概要のページに、ブログを掲載しています。
あなたのスマートフォンで、そのブログを読んでいただければ、Google 大先生の中で、ウェブサイトの評価が高くなります。
ブログの部分を開いていただくだけでも、川崎にとってはありがたいのですが。
でも川崎は毎日作文を練習しているので、もし読んでいただければ、ものすごい嬉しい上に、あの記事読んだよと一言メッセージいただくだけで有頂天になります。
かなんな農園 川崎康裕
2025年5月5日
手洗いが発明されたのは、1800年代ヨーロッパ、 ルイパスツールさんという人が、ある病院で発明しました。
その病院では産婦人科があり、その産婦人科では産婦が産褥熱という感染症にかかることが多かったのです。
解剖室から他の医師が、産婦人科に応援に来る際、手洗いをしていないことが原因で、感染症を引き起こしていることに気づきました。
石鹸やアルコールを使う現代風の手洗いというのは、 1800年代ヨーロッパで発明されたと言えます。
当時のヨーロッパでは、手洗いをしないことが感染症のもとになる、ということを信じてもらえず、手洗いが発明されてからも、それが一般的に根付いていくのにはかなりの時間がかかったそうです。
正しいことを言えば、批判されるのは今も昔も変わらないようです。
あのコペルニクスの地動説でさえ、初めは受け入れられなかったのですから、当然かもしれません。
▼▼▼
現代風の手洗いが発明されたのは中世ヨーロッパかもしれませんが、日本において手洗いというものが広まっていったのは、医学とは全く別の、神道の儀式としてでした。
神社で誰もがやったことのある、いわゆるチョウズ(手水)です。
昔の偉い人が、日本書紀という本を使って、色々な神話と共に、 疫病が流行らないように、手洗いという優れものを日本に広めてくれたのです。
日本書紀と神道が日本人に及ぼした影響は大きいです。
どこぞの天皇かは存じあげませんが、ありがとうございます。日本国民を代表して、勝手にお礼申し上げます。
▼▼▼
さて、2025年。
僕たちが生きる現代社会では、手洗いが少し過剰になっていると感じます。
コロナ禍を経ても、ただただウイルスを怖がるだけで、正しい対処法は世に広まりませんでした。
僕たちが立つ土の中には、少なくとも5億種類以上の土壌微生物がいると考えられています、その中で僕たち人間に危害を及ぼす最近やウイルスは、およそ50種類。たったの50種類。
ボツリヌス菌
ぶどう球菌
などド素人の僕でも知っているような、毒性のある細菌は、かなりの少数派です。
少数派の毒性のある細菌が、他の様々な微生物に囲まれている時、毒性のある細菌は発生と消滅を繰り返しています。
それはなぜか。その他の様々な微生物の中に天敵がいて、毒性のある細菌を殺すからです。
アルコール耐性のある毒性細菌を、僕たちは手洗いすることとアルコールを噴射させることで解決しようとしています。
その結果、毒性細菌は生き残り、その他の常在菌はアルコールにやられてしまいます。
人類がもし絶滅するとすれば、それは恐竜の出現ではなく、エイリアンの襲来でもなく、ゾンビの発生でもない。
コロナ禍で僕たちが感じたのは、人類がもし絶滅するとすれば、それは細菌の仕業だということだ。
そしてもし人類が絶滅した時、原因は何かと問われたら、コロナウイルスではないような気がする。
原因は、人類が失敗から学ぶことを忘れ、進化を怠ったからということになると思う。その時たまたま隣にいたのが、コロナウイルスだったというだけなのではないだろうか。
手洗いは日本書紀に書いてあるとおり、手水だけでいいんじゃないだろうか、昔の偉い天皇さんは石鹸のことやアルコールのことは書かなかった。
ぼくは日本書紀のやりかたでいきたい。
2025年5月4日
今年は桑の実が取れそうだ。
昨年は何かのウイルスにやられたのか、全く収穫ができなかった、こんなに綺麗な葉っぱも生えていなかった、木そのものがやられてしまうのかなと思うくらい、 幹には傷がたくさんあった。
今年のこの葉っぱの綺麗な感じと、果実の力強さを見ると、おそらく収穫まで行くだろうという感じがする。
収穫している時に、 夕暮れが近づいて暗くて見えなくなって、収穫を途中で諦めるくらい大量の桑の実ができた2年前のようになってほしいと思う。
ただ、昨年のように木がウイルスにやられてしまうのであれば、やられてしまえばいいと考えている。自力で復活することのできない木は遅かれ早かれ倒れてしまうのだから。
果実がもしできても、鳥に全て食べられてしまうのであれば、食べられたらいいと思う。
虫がやってきて果実に虫がたかって、収穫できないのなら、 虫に全て食べられればいいと思う。
何かのウイルスがやってきて 、葉っぱが茶色になったり、幹にヒビが入ったりするようであれば、その木はウイルスにやられてしまえばいいと思う。
植物は本来、フィトケミカルという物質を体内に充満させて、鳥や虫やウイルスや細菌から身を守る。
ポリフェノールや、アントシアニンという言葉を使えば、ああ、それかと納得できる人もいるのではないだろうか。
植物が自分の体を守るための物質のことを、フィトケミカルという。
例えば青虫が、ニョロニョロとやってきて、ブロッコリーの葉っぱをかじり始めたとする。
するとブロッコリーはその青虫が消化できないフィトケミカルを体内に充満させて、青虫に全ての葉っぱを食べられないように防いでいる。
ところが、化学肥料を使っていると、植物はこの自分を守る能力を身につけられない。だから農薬が必要になってくる。すなわち、化学肥料と農薬はセットなのだ。
かと言って、有機的な肥料だけで栽培していると強い植物が作れるかと言うと、そんなことは絶対にない。それほど植物の世界は生易しくないし、簡単でもない。
その複雑の世界を支えているのが、目に見えない細菌やウイルスなどの、土壌微生物だ。最近では糸状菌や放線菌という名前で知られている。しかし、この世界の研究はまだまだ始まったばかりで、まだ見つかっていない土壌微生物は数億種類以上いるだろうと言われている。
そんな世界だから、なぜ去年の桑の木が調子を崩したのか、 僕にはわからない。
おそらくウイルスだろうということは分かる(幹の状態から)が、どういうウイルスが関わっていて、どういうフィトケミカルが足りなかったのか、これを説明するのは不可能だ。
だから僕にできることは、
▼弱い木は放っておく。
▼植物がフィトケミカルを作りやすい環境を作る。
▼鳥や虫やウイルスを毛嫌いしない。
植物がフィトケミカルを作りやすい環境とはどんなものか。それは街づくりにも似ている気がする。ちょっとふざけていきましょう。
◯ホテルを作る(竹炭は土壌微生物の住処になります。)
◯レストランを作る(オガクズや米ぬか、竹チップなどの有機物は土壌微生物の餌になります。)
◯冷暖房完備(どれほど、たくさんの土壌美生物がいたとしても、夏の暑さで地面が乾いてしまうと土壌微生物はいなくなります。竹チップで土の表面を覆い、水分の蒸発を防ぎます。)
2025年5月4日
今日はゴールデンウィーク。
兵庫県三田市に帰省して、家族はどこかに出かけた。
僕はモンスターと言う本を読んでいる。百田尚樹著。
百田尚樹さんのストーリーにはいつも引きつけられる、永遠のゼロから始まり、たくさんの著書を読ませていただいた。
今モンスターという本の100ページぐらいを読んでいる。この100ページぐらいの間で、主人公の顔がどれほどブサイクで ブスなのかということを、 嫌と言うほど読まされた。
途中何度か本を閉じかけたが、なんとか100ページまでたどり着いた。
ここからは本を閉じずに済みそうだ、というのも、物語が明らかに動き始めたからだ。どうやらこの女性が何かをし始めるようだ。
物語の動き始めた瞬間の文章はこんな感じだった。
『その時、私の心に黒い何かが生まれた。』
『やってはいけないこととわかりながらも、その黒い、何かが心の中から去ることはなかった。』
ぎよえー、と僕は心の中で叫んだ。
ホラーは嫌いなのだ。
サスペンスも、人が殺されたりする描写が多すぎると、僕は本を閉じてしまう。
物語の中でも普通の部分が僕は特に大好きだ。
平和主義なのかもしれない。
人と話しながらご飯を食べるような場面だったり、自転車を漕いでいたり、改札を通り抜けて階段を上がっていたり、キッチンでサンドイッチを作っていたり、それを暖かい初夏の日に公園で食べていたり。
だいぶ昔の漫画で、じゃりン子チエという漫画があったが、どうでもいい内容の会話をし
ながら、ただお好み焼きを食べているシーン
なんて最高だった。
川のせせらぎが聞こえてきそうな描写や、部屋の中に日光が差し込んできているときのゆっくりした時間の流れが感じられるような描写はたまらない。
暖炉のなかに燃えている火が、少しずつ小さくなっていく描写なんてどうだろう。冬の寒い日に読んでみたくなるんじゃないだろうか。
おそらくそんな物語は売れないんだろう。
村上春樹さんが書く本の中には、そういった描写がたくさん出てくるから僕は大好きだ。海辺のカフカという物語には、一人の綺麗な女性が出てくる。
1人の綺麗な女性が出てくるだけでは、その女性が持つ雰囲気までは表現できないのではないかと思う。
その女性とは何も関係のないところで、 爽やかな風が葉っぱを揺らしていたり、海辺の近くの丘でやわらかな波の音が聞こえてくる、全く人の性格とは関係のないところで、そういう描写が挟まれる。
なのに読者は、その爽やかさややわらかさを登場人物の雰囲気のように捉えて、そうとは言われていないのに、心の中で 人格が形成されていく。
小説、というよりも、
文学、という感じだ。
心の中で登場人物の人格が形成されていく、静かな時間が僕は好きだ。
それなのにこのモンスターと言う本は、全く違うところから僕の心を掴んで離さない。全く違うところとは何だろうか、偽善、矛盾、同情、まだその正体は分からないが、読んだ後にそれが明らかになってるのかどうか、今の僕には分からない。
2025年5月3日
今日はゴールデンウィーク。5月3日土曜日。
現在午後3時。
畑から早めに帰り、花の苗を仕入れて駐車場に置いて、帰宅すると意外と早かった。今日から兵庫県に帰省します。
長い距離を運転したので、少し疲れを感じ、横になっていた。
すると、次女がいつも遊んでいるスペースに、1人で遊びにきた。
屋上に向かうための、階段の下にあるスペースで、雨が降るとそこには一定の場所にだけ水滴が落ちる。
その水滴を次女は缶詰にためる。缶詰に水が溜まっていく時、音が鳴るのだが、次女はその音の変化を楽しんでいる。
今日は行楽日和なので、雨は降らないが、次女は何か筆のようなものを使って、階段のステップに水をつけて、水滴が落ちるようにしていた。
僕はその様子を、網戸の内側から見たり聞いたりしていた。
次女はぼくに気づいていない。
百田尚樹さんが書いたモンスターという物語を、読んでいる時に次女はそのスペースにやってきた。
モンスターという物語は、1人の女の人が主人公で、その人がある街でフランス料理のお店を開くというところから、ストーリーは始まる。
モンスターを感じるような、変わった風景はその物語の序盤には出てこない、ただ、何かその主人公の女の人が、心の中に何かを秘めているという部分だけが、のどかな日常とともに綴られていく。
そんな時次女がサンダルを履く音がして、テクテクとやってきた。
なんだか独り言を口にしている。
可愛すぎる。
歌ってるような独り言だ。
干してあるタオルを、なんだか顔に擦り付けてるみたいな動きをしている。何をしてるのだ。
それからまた缶詰の位置を変えたりしている。
とても可愛い。
お腹のあたりが温もる。幸せを感じる。
主人公の女性が持つ秘密がなんなのかを知らない僕は、これから始まるモンスターの大活躍のことも全く知らず、これが幸せなのかもなんて考えてみたりする。
色々な本に幸せという言葉が出てくるが、それを総括してみると、どうやら今僕が感じているこの幸せが、人間が持つ最高の幸せなのだ。
僕はそう思う。
そんな僕にもあらゆる本能やあらゆる欲が備わっている。
結婚した女性以外の女性と、たくさん性欲を満たしたいと、獣のような考えを持つこともある。おそらくは全ての男性が持っている悩みを、 僕も持つことがある。
しかしおそらく、 その欲求を満たしたところで、この幸せには到達できないように思う。
欲求を満足させることと、幸せとは全く別のものなのだと、さっき理解できた。
次女のところにおばあちゃんがやってきて、何か言っている。
次女はこう言った。『シュッシュ?』
『シュッシュってなに?』
水滴を作るのに、次女はスプレーのようなものを使っていたのだろうか、スプレーはおばあちゃんのものだったのだろうか、よくわからないが、そんな場面ですら和む。
欲求や、 幸せとは違う次元のところで、僕には成し遂げたい何かがある。
地球環境がよくなるなら、命を投げ打ってもいいと考えるほどの、 変態だ。
ただそれを成し遂げたところで、先ほど僕が感じた幸せに到達できるかといえば、それは違うと思う。
じゃあ欲求とか夢とか言うのは何なのだ、自分の体の中から湧き出てくる、泉のような存在。
自分の夢を達成するためには、最近ではモチベーションのようなことを考えない。やる気はコンコンと内側から出てくるからだ。
目の前に食べ物があるのを、食べるためにモチベーションを気にする必要がないように、自分の夢を達成するためにモチベーションを全く必要ないのだ。
でもそれが幸せに直結しないとすると、欲求と夢の境界線がわからなくなってくる。
百田尚樹さんが書いたこのモンスターという本を読んでみて、その境界線のことについて書かれているか、気にしながら読んでみようと思う。
2025年5月2日
女王蜂のお目覚めです。
蜂と蛇だけは一生慣れることはありません。
僕の祖先は、おそらく蜂と蛇に嫌と言うほどやられてきたんだと思います。
例年、 草刈りをしていると、前方の草の中に紛れていて蛇を殺してしまいます。死んでいるくせに蛇は僕のお腹の中をゾクゾクさせます。
無礼なことをしていると思いながら、蛇の死体をそのままにしています。戻ってきてあとで見てみると、鳥が持っていったのか、蛇の死体は消えています。
こうやって作文していて気づいたのですが、そうだ。僕はすでに狩猟免許を持っている。狩猟の期間以外は有害鳥獣の申請をしておいて、 蛇の死体で鳥を誘って、作物を食べている鳥を罠にかけようかと思います。
いやいや、こんなことを書きたいのではないのです。
今日は蜂についてです。
今日は5月2日、まだまだ寒い日のある春の1日です。初夏と言うにはまだまだ緑は淡く、空には白い雲が多すぎます。
そんな春のある日、女王蜂は目覚めます。 おそらくは、僕の管理する農地のどこかの木にとっておきの、暖かい寝床があって、そこで、彼女は11月頃から眠っていたんだと思います。
大きさは既に、僕の親指ぐらいにはなっていて、もう何回くらいの冬を越したのでしょう。今年も大量の卵を産み付けて、僕に恐怖を提供してくれるのだろうと思います。
地面に巣を作られてはたまらないので、今年も草刈りだけはしっかりやろうと思います。
もう少し暖かくなる頃には、この女王蜂も縦横無尽に動き回り、どこに巣を作ろうか考え始めるだろうと思います。
それが始まる5月下旬から6月にかけて、もうこの農地に隙はありませんとばかりに、草刈りしてやろうと思います。
でも僕はスズメバチや蛇を、全滅させて追い出してやろうなんて考えていません。
せっかく
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕しもせず
▼水やりもしない
という地球に優しい農業をしていたとしても、生物の多様性をないがしろにするのは、コロナを体験した人間がやることではないと感じています。
コロナで僕が体験したこと、それは食物連鎖のピラミッドの頂上に立っている人間の数が大きくなりすぎて、ピラミッドの形が歪んでしまった結果、それを補正しようとする何かの存在でした。
映画の中でそれは、ゾンビとして描かれることが多いように思います。
僕にとってコロナ禍で見た人々の行動はまさしくゾンビでした。マスクをしていない人間に向けられるドロリとした視線。コロナ禍でも希望を失わずに明るく振る舞った人間に対して向けられるドロリとした視線。
サーベルタイガーや、マンモス、スズメバチ、蛇、同じホモであるネアンデルタール人でさえ。僕たちはぼくたちに脅威を与える生き物を殺しまくってきた、その結果、僕たちは目に見えない細菌やウイルスに、脅かされている。
僕はこのようにコロナ禍をとらえている。
だから僕は、僕の農場内で出会う恐怖のことを調べて理解し、命を奪われない程度に、命を奪わない程度に、共存できる方法を模索していく。
2025年5月2日
ここの駐車場に置くものは全て1つ50円なので、こんなもの売れるのかなと思いながらも、置いてしまうものが今までにもいくつかあった。
その代表格がこのたぬきだ。
おそらくはこのコは信楽焼のタヌキで、このコがかぶっていたであろう傘はすでにない。
傘を被せる時に、何かを引っ掛けるための穴が、このコの後頭部にはある、おそらくはその穴に傘を引っ掛けた後、紐のようなもので落ちないように固定するための、もう1つの穴が右腕のあたりにあった。
見るからに欠品している。
こういうものを欲しがる人というのは、おそらくものすごくこういった類のものを、集めたがる人なんじゃないかなと勝手に想像している。
そしてその勝手な想像は、勝手な心配へと移り変わっていく。
その人が男性だったとして、奥さんがいたとする。 奥さんはそんなご主人にうんざりしているはずだ。あのたぬきを持ち帰った男性に、奥さんがまずかける言葉はどんなんだろうか。
▼あんたまた
▼またそんなん
▼返してき
どれも関西弁になってしまうのは、僕の偏見だろうか。
そしてどんどん自分たちの居住スペースがガラクタで埋まっていく、
▼古くてまだ使えるもの、
▼修理したらまだ使えるもの、
▼まだまだ現役で働くけども、すでにもううちの中にたくさんあるもの。
ガラクタで埋まっている家を見つけると、うわと思ってしまうが、そんな家主と話をしたりしている時は、なぜかいつも安らぎを感じる。
そう、悪いやつではないのだ。
髪はボサボサで、
服はよれていて、
やけに笑顔で、
大体そういうやつを僕は大好きになってしまう。
全てのものに神は宿ると考えて、たくさんのものを家の中にしまい込んでるんだろうか。人間らしくていいと思う。
きっと今頃、あの子は、何か傘をかぶせられて、どこかの軒先に立っているんだと思う。
2025年5月1日
僕の体からは無限に元気が溢れ出てくる。それは山の中の泉のように、コンコンと湧き出てくる。そのために、日々運動したり、栄養のあるものを食べたりしているから当然かもしれないが。
僕はその元気を、少しでも他人に分け与えることができたらなとよく考える。
その方法がグータッチだ。
ハグができればなおさらいい。
魂と呼ばれるものが、 僕たちの体の中にあるのなら、その魂の形とは体の形なんじゃないかなと思う。
だからグータッチをすれば、かすかに魂と魂が触れ合って、心のどこかで安心することができる。
グッドライフという本に書いてあった、僕たち人間は、孤独を感じると、ものすごいストレスにさらされる。
1万年前から進化していない僕たちの脳は、孤独になると肉食獣から自分の身を一人で守らなければいけないため、常に緊張状態になり、眠りは浅くなる。いつでも飛び起きなければいけないからだ。
そんなストレス状況に晒されている人を見たら、これからも迷わず、グータッチをしていこうと思う。グータッチを甘く見てはいけない。
グータッチをすると、なぜか身体がほのかに温かくなる。
あまりお酒は強くないのに、昨日たくさんお酒を飲んだ。それに加えて今日も、お酒を飲まなければいけない予定がある。
グッドライフという本を読んでいる。会いたいけど、会っていない人には、今すぐ会っておけ
とのことだったので、今たくさんの人に会っている。
会いたいと思ってた人に、会って色々な話を聞くのはやはりいいし、元気になる。
それとは逆に、 僕に会ってくれた人に元気を与えられることができているか、さっき少し気になった。
というのは、先ほど僕はトラックで駐車場に帰ってきた。その時に1人の女性が、花の苗1つ50円の場所
その女性とは既に、連絡先も交換していて、顔も覚えているような状態だった。
今までも立ち話をしたようなことは何回もあったが、あまり深くまで、話をしたことはなかった。
最近の LINE のオープンチャットでは、誰も現状をシェアしてくれなくなった。そのことを2人で嘆いていた。
そんな話から、どういう流れか、彼女の身の上話へと移っていった。
今は離婚していて、子供と暮らしていること、子供が小さかった頃にアルコール依存症の夫から逃げたこと、その夫はどれだけひどかったか、そういうことを話してくれた。
おそらくは殴られたこともたくさんあるんだろうと思う、表情は明るいにも関わらず、深い憎しみが刻んだシワが、眉間の辺りに寄っていた。
振り絞った声で、私は鬱なのです、と話してくださった時は、同情の気持ちが湧いてきて、何か少しでも役に立つことができないだろうかと考えてしまった。
相手が男なら、構わずにハグをするだろう。
でも、さすがに女性にはハグすることはできないし、心についた傷を広げてしまうことにもなりかねない。
そんな時僕はよく、グータッチをする。
2025年4月30日
今日は4月最後の日。
朝方にジョギングをした時はなかなか気温が低くて寒かったが、日中は気温が上がって作業がしやすくて良かった。
園芸用の土の回収、今日は東大阪での仕事でした。
お客さんの家の隣の敷地には大きな立体駐車場があって、おそらくその駐車場もお客さんの持ち物だろう、そういうことも相まって、合計金額はものすごい高くなった。
嘘です。
お客さんがお金をたくさん持っているとか、お金を持っていないとか、考えて見積もりしていると見積もりに迫力がなくなるので、全然加味していない。
合計金額は5万1100円と、なかなか高くなったが、 それ以上の仕事はしてきたと思う。
2025年4月29日
最近僕はグッドライフという名前の本を読んでいる。
この本の冒頭にはまず結論が書かれている。
その結論とは、良い人生を送りたいなら最も大切なものは人間関係だ。という結論だ。
その結論はこの本の第1章の初めの方に書かれているので、 その後この本を読み進める理由とは何なのかということを考えながら、読んでいると 。
明らかにこの本にハマっていっている自分に気づく。
例えば今読んでいるのは第4章、ソーシャルフィットネスという章だ。
社会的なつながりは、あなたの人生をより良くするよ、ということを書いてくれている部分になる。
それを説明するために、この章では孤独という言葉がたくさん出てくる。孤独を感じていると人は長生きできないし、病気になるし、ストレスをたくさん感じるのだ。
なんとなくそれを理解できる。
でもその理由はと問われると、明確に答えることはできない。
そんな自分に、納得できるように説明してくれている部分があったので、そこを作文していこうと思う。
ヒントは生物学的なルーツにある、という言葉からその説明は始まっている。
5万年前、 ホモサピエンスが単独行動するのはとても危険だった。
川のほとりの部族を離れ、1人で行動している時はサバイバルモードになるんだそうだ。
ストレスホルモンが増え、睡眠が浅くなる。それは肉食動物が近づいてきた時にいつでも飛び起きられるような脳の仕組みになっているからだ。
だから夜も覚醒している時間が多くなる。
これは他の本で読んだことだが、僕たちホモサピエンスの脳は、1万年前からほとんど進化していない。
ということは、大学を卒業し、サラリーマンになって一人暮らしを始めて、家族から遠く離れて、友達もいない、仕事もうまくない、といった状況の場合、栄養たくさん取って、夜はぐっすりと眠らなければいけないのに、孤独を感じているが故に、眠りは浅くなるのだ。
ここで問題なのは何だろう。
▼家族から離れることだろうか。
▼友達を作れないことだろうか。
▼仕事がうまくいけばいいのだろうか。
どれも違うように思う、現代社会では1人前の大人になることというのは、 独立することという意味の言葉で置き換えられる。
そこが実は問題の根本なんじゃないだろうか。
独立する、という言葉は1人で立つということを意味する。
でも、このグッドライフという素晴らしい。本の中では、1人で立つこと自体がホモサピエンスにとってはストレスになる、と書かれている。
立派な大人になるということは、1人で孤独の中でも戦えること、みたいに少し勘違いしていた節が、僕にでもある。
1人になっても、なんでもできるようになることが立派な大人になること、と勘違いしていることが、この問題の根本なのかもしれない。
そういう風に考えていくと、現代社会はストレス社会という風に言われているが、それを作っているきっかけは、僕たちの中にあるということだ。
色々な社会問題を考える時、時間をかけて考えた後の結論が、自分たちの中にある時、単に根深いと感じるよりも難しい何かをそこに感じてしまう。
2025年4月28日
毎日作文をしていると、ついでだから何か本を書いてしまおうという気になってくる。
これまで研究してきた農業のやり方について書いてみたいな、と思うことはよくある。
でも、最近では他にもいろんな本をかけるんじゃないかなと言う気がしてきた。
これだけたくさんの本を読んでいる人自体、おそらく10% を切るだろう。
その10% の中で、毎日何か作文をしている人というのはもっと数値が減ると思う。
ビジネスの基本は誰もしていないことをやるにつきるので、もうすでにこの低い確率のなかで、自分しかやっていないだろうと思うことについて書く時は、それはもう勝つ確率のある時だと思う。
先ほど思いついたのは、運転についてだ。車の運転。
僕は毎日トラックを運転している、運送業ではなくて、自分の事業のためにトラックを運転している。
年間3万 km は走るだろうか。長距離運転手を除けば、一般人としてはかなり走っている方だと思う。
それくらい運転をしるにもかかわらず、ぼくは実はゴールド免許だ。
これほど毎日運転している人間で、 ゴールド免許の人を僕は見たことがない。
ゴールド免許の人、それはすなわち運転をしない人なのだと友達の中国人も話していた。
僕はゴールド免許を取得することを狙っていた。取ろうという目標を立てて、 それにはどうしたらいいかを考え、行動し 、ゴールド免許を取得したのだ。
ただ単に、ぼーっと運転しているだけでは、ゴールド免許は取れないだろう。そのゴールド免許の取り方を、1つの本にまとめてみたらどうかなというアイデアだ。
本の題名は、 『ゴールド免許の取得方法』でどうだろう。
せっかくゴールド免許の取得のために、色々調べたり、考えたりすることはあるのに、それを文字にしていないだけで、全て僕の心の中にしまわれてしまう。
言わば、誰も知らない、僕の心の中にだけしまわれてある、ゴールド免許の取り方だ。これを文章にしておかないのはもったいないと思った。
例えば、他の人の運転を見ては、その車の動きからその運転者がどういう状況なのか、急いでいるのか急いでいないのか、目的地はどの方向なのか、スマホを手に持っているのかいないのか。
そういった類のことを、数多く考えてきた、運転者だけではない、車自体のことも調べることがある、または標識のことや、近くに学校があるのかどうかなど。
ある時、このように考えたことがある。
交通事故を増やす運転があるのなら、交通事故を減らす運転もあるはず。
交通事故を減らす運転とは何なのかとずっと考えてきた、ゴールド免許をとろうと考えたのは15年ほど前だったろうか、それほどの長い時間、交通事故を減らす運転とは何なのか考えてきた。
その全てを作文し、ゴールド免許の取り方を全ての運転者に伝えて行こうと思う。
2025年4月27日
今日のお昼ご飯はぼくがつくることになった、妻が仕事のため不在なので、自分と長女と次女が食べるお昼ご飯をつくることになった。
前回は得意の簡単すき焼き風にしてかなり人気があった、長女と次女だけでなく、祖父と祖母も食べてくれたのでとても嬉しかった。
自分がつくった料理を人がおいしく食べているという名前の幸せはあると思う。
前回の簡単すき焼き風をつくったときに長女が、つぎはトマトソースパスタにしてほしいと言っていたのを思い出し、今日のお昼ご飯はトマトソースパスタにした。
ぼくがつくるトマトソースパスタは、たしかにまあおいしいのだが、めちゃくちゃおいしいというところまではいかない。なぜだろう。いつもそれは疑問だった。しかしぼくには料理に関する知識や技術がほとんどない。
でもなぜか料理をするのが大好きなので、いろいろなウェブサイトからトマトソースパスタをおいしくするコツのようなものを調べた。
そこには、言外においしいトマトソースパスタをつくるのなら、お肉かアンチョビを使って、あとはシンプルに味付けしろと言われているように感じた。
なるほど、たしかにいままでツナをいれようとしたり、バジルをいれようとしたりして、無駄に手間をかけていたのかもしれない。こういうときにど素人のシェフができる解決法は、これと決めたレシピをそのレシピ通りに分量などもそのままやるだ。
午前11時頃から買い出しにでかけて、トマトの缶詰とベーコンを買ってきた。
白ワインは日本酒にかえても大丈夫と書いてあったので、いつもぼくが夜に飲んでいる日本酒を大さじ4杯コップにいれて、スプーンに少し残った日本酒をペロリとなめたのはだれにも言わなかった。
フライパンのうえで、オリーブオイルをあたためて、フライパンが熱くなったところで、切っておいたベーコンとにんにくを投入した。じゅわんという音がするかと思いきや、思うほどフライパンは熱くなかったのか、ベーコンはフニャリとフライパンのうえに落ちたあと、しばらくしたあとじゅわーという音を立て始めた。
となりにイタリアンのシェフが立っていたら、激怒されるのかもしれないが、今はいない、大丈夫だ。
ベーコンがカリカリになるまで炒めるつもりが、焼き色がつくまえに油とベーコンが戦闘をはじめてしまった、こちらにも流れ弾がとんできて熱いの熱ないのて、フライパンを向こう側に傾けてどうにかできるかと思ったけど、流れ弾はどんどん激しくなるばかり。
さきほど用意しておいた日本酒を入れる。じゅわん。
この瞬間、ものすごいいい香りが立ちこめる。流れ弾は飛んでこなくなった。
いままでぼくが足りなかったのはここなのかもと考えはじめた。いままではツナをいれて、炒めたあとオリーブオイルを入れていただけだったから、味に奥行きがでなかったのかもしれない。
にんにくとベーコンを日本酒で煮込むような感じになり、そこへホールトマトをにぎりつぶしながら入れていった。
この時点で、いつもよりおいしい匂いはしていて、最終的に成功する予感はしていた。
パスタを茹でて、それを湯切りし、それをどさっとフライパンのトマトソースのなかに放り込む。
パスタを挟む便利なトングみたいなやつがどこにあるのか知らないので、さいばしが折れるんじゃないかと思うくらいの力をいれて、フライパンのうえのパスタをかき混ぜる。
重い。
それをお皿に入れるときもこれまた重い。
次女が隣にきて、目を光らせている。お腹がすいているようだ。
長女を呼んでくるように伝えて、そのあいだにさいばしでフライパンからトマトソースパスタをお皿に移動する。さいばしは最後まで折れずにがんばってくれた。
お皿にいれたトマトソースパスタのうえにチーズをのせて、チーズを溶かすためにレンジのなかにいれて30秒くらい待つ。
そのころには長女も次女も席について待っている。
次女のぶんができて、
長女のぶんができて、
自分のぶんがレンジからでてくるころには長女も次女も食べ始めていた。
二人とも親指をたてて、もぐもぐと食べている。この瞬間がたまらない。
ぼくのトマトソースパスタはすこしレベルアップした。
2025年4月26日
カスタマーハラスメントに関する法律が施行されたと思っていたのですが、Google の AI ジェミニに聞くと、そんなものはありませんとのことでした。
いやでも、コンビニのレジの近くにはカスハラについての何かが書かれたチラシが張り出されている。
そのチラシには、無理な要求や暴言を吐いた時には処罰されますよ、というような文言が書かれているので、僕は AI に聞く、その方法が良くなかったのかなと反省しています。
カスハラ法なるものが施行されてから、 ちょっと身の回りで異変があるのを感じる。
それは、道行く人々の中に、何かブツブツものを言いながら歩いていたり、あるいはもっと大きな声で明らかに文句ととれるようなことを話しているというか、叫んでいるような人が増えたことだ。
明らかに増えたと感じる。
この前は、大阪市内のある交差点で、右折のために停車している車の中で、何やらぶつぶつと文句を言っている人がいて、高級車のオープンカーが横を通り過ぎたと見るや、そのドライバーに向かって何かを叫んでいた。
無論その高級車のオープンカーのドライバーは、何も気づかず、颯爽と過ぎ去っていたのだが。
交差点で右折待ちをして何かを叫んでいたおじさんは、次は自転車で颯爽と走っている人に向かって何かを叫んでいた。
自転車で走っている人はそれに気づいたのか、気づいてないのか、僕には分からなかった。顔は向こうを向いていたし、何かに反応するわけでもなかったからだ。
でも、自転車の男性の方は、体の硬直具合から言って、もしかしたら気づいていたかもしれず、それを無視したのかもしれない。そんな感じだった。
その状況を見ていて僕が感じたのは、カスハラ法というルールができて、今までどこかのスタッフに八つ当たりして、憂さ晴らしをしていたくだらない人間たちが、憂さを晴らすことができなくなって、それで道行く人に当たり散らかしてるのではないかな、そんなことを感じた。
カスハラ法ができたからといって、地球上にあるイライラの総数が減るわけではない。ただ、そのイライラのはけ口が変わっただけなのだ。
今までどこかのコンビニの歯向かうことができないスタッフに、イライラをぶつけていた人はカスハラ法ができたことによって、次は誰にそのイライラをぶつけるのだろうか。
道行く人か、それとも家族にあたるのか、そうなったらDV の被害に合ってる人たちは、もしかするともっとひどい被害に遭うのかもしれない。
そういう風に考えると、イライラのはけ口を変えることよりも、イライラの総数を減らすことをどうにかしなければいけないことがわかってくる。
イライラの総数を減らすにはどうしたらいいのか、お金をばらまくのか、いや、違うと思う。
経済を良くするのか、いや、経済はもう良くならない。人口が増えない限り。
そもそもイライラはどうやって生み出されるのだろう。
この作文を始めた時は、イライラがどうやって生み出されるのかどうか?なんて考えてもいなかった。
ただ、書くということを続けていたら、自分でも思ってもみなかった疑問が、自分の中から湧いて出てきた、これだから作文はやめられない。
明日からはイライラはどこから来るのか、ということについて考えながら日常生活を過ごしていこうと思う。
2025年4月25日
僕には最近できた友達がいる。
彼らは中国人のご夫婦で、1人の息子さんがいる。
うちの奥さんと、その中国人の奥さんはかなり仲が良くて、カタコトの日本語でいろんな話をしているようだ。
朝に子供たちを幼稚園に送ってから、2人でパン屋さんに行ってコーヒーを飲んだりしている。
なぜ仲が良くなったのか僕には分からないし、彼らも言葉にはできないようだ。うちの奥さんが誰かと友達になって、仲良くしているのを見るとこちらも嬉しくなる。
中国人の家族が、同じ大阪市内で引っ越しをしなければいけないので、今日は僕のトラックを空にして引っ越しの手伝いをしてきた。
朝、家を出る時にうちの奥さんが言うには、あそこのご夫婦は本当に面白くて、いつもずっと喧嘩しているような口調でコミュニケーションをとる、また面白いシーンがあったら教えてね。と。
日本人がはたから見ているとまさに喧嘩しているようで、今までも中国人のご主人とは、うちの奥さんは気が荒くて、すぐ怒ってはまくし立ててくるよ、みたいなことを冗談にして笑っていたことがある。
はっきり言って僕にはそれが冗談なのかどうか、よくわからない。
彼らのコミュニケーションは全て中国語で行われるので、何を話しているのか聞き取るのは部分的であっても不可能だ。しかもものすごい高速。
今日の引っ越しでトラックに乗せた大きなものとしては、冷蔵庫、ベッド、椅子、本棚がある。
その全ての大きなものと、こまごまとしたものとの間には緩衝材として、物を宅配便で送る時によく使う、いわゆるプチプチと言われるものをたくさん使用した。
荷物を乗せる時にはプチプチをたくさん使用し、移動した後、荷物を降ろす時にはプチプチを外して、それを1つの袋にまとめていった。
荷物をトラックからたくさんおろして、プチプチが満タンに入った袋を、奥さんがこれも部屋に持ってあがった方がいいのかなと判断して、掴んで持って行こうとした。
その時僕はとっさに、いやいや、その袋は今日の晩にまた使うからこのトラックの上に置いておこうよ、と言った意味の英語を伝えた。
すると彼女は、僕の方に一瞥をくれたあと、ポイッとトラックの荷台の上にそれを入れた。
というよりも投げ入れた。
というよりも放った、と言った方が正しいか。
それを見たぼくは、あわわわわ、怖い!!みたいな表現を、英語と表情と身振り手振りで、伝えてみた。
するとそれを見たご主人が、めちゃくちゃ嬉しそうに近寄ってきて、英語で話してくれた。
その英語を日本語に、
その表情を関西弁に直すとこんな感じになる。
『せやろせやろ、これが通常やで、怒ってないと思ったらあかんで、 彼女は怒ってるで。』
三人でめちゃくちゃ笑った。
2025年4月24日
『川崎のこと、もうちょっと応援したいんだけど』という人向けに書き始めました。
実際に何をしたらいいのかてっとり早く知りたい!という人はこの文章の最後まで飛んでください、まとめてあります。
それではまいります。
僕は今44歳で、 20代の半ば頃からこの事業をやってきました。花の苗のことを始めたのはこの3年か4年ぐらいの話ですが、それ以外のことは若かりし頃からコツコツと続けてきました。
それはまさに1つの山に登っているような感覚です。地球環境をよくするという名前の山です。
でもその山道では、人に出会うことがありません。地球環境という山の頂上を本気で目指しているのは、どうやら他にいないようです。ケガも多いし、体力も必要だからだと思います。
他の人たちは全員、現代社会という山を登っています。
同じ山登りの話をしても昨日のような齟齬ができてしまいます。その溝を取り除くことはどうやら不可能で、そこではいつも寂しさを覚えます。
あそこまで書いてしまったので、ちょうどいいかと思って書き始めているのですが。
あそこまで読んだ人の中には、これはマジで川崎のことを応援しなくちゃ、と思った人も多少いらっしゃるのではないでしょうか。そういう人たちと繋がり、応援してもらい、現在地を知ってもらう、というのが重要だと常々考えてきました。
ここで少し話はとびます。
僕は子供達にサッカーを教えていたことがあります。サッカーは大好きです。
でもその反面、少年少女または、中学生や高校生のスポーツの世界が良くない部分を持っていることにも気づいていました。
その問題意識という点で、慶應義塾高校野球部監督の森林貴彦さんが書かれた、thinking basaballという本には、その問題点が余すところなく書かれていて、すべてに頷くことができます。
その問題点についてかなり端折って要約してみると、『いきすぎたビジネス化』になると思います。
高校野球のシーンでも、勝たなければ監督として残れないのです。評価の仕方が間違えていて、甲子園で勝った数を評価の対象とするのではなく、何人のプロ野球選手を輩出したかを評価の基準にすべきだ、ということは森林監督が何度もその著書の中で書かれていることです。
それがいきすぎたビジネス化をとめる手段になるのです。
少年サッカーのチームの良し悪しを、どういう風に評価すべきかというのは、ぼくにはまだ分かりませんが、勝つチームに子供たちが集まるというのが最大の問題、というところまでは明確に理解できます。
サッカーチームのコーチは、勝つための一番の近道を子供達にああしろこうしろと指示し始めます、そうして自分で考えないプレーヤーを量産し、社会に送り出し、毎年数万人がうつ病になる一助となります。
いやいや、んなことあらへんで、と思う人は森林監督の著書を読んでみてください。
そうやってチームが勝てるようになると、状況を敏感に察知した子供たちがどういうふうな態度にでるかは、誰もが想像できることではないでしょうか。
それについてぼくはずっと考えていました。
その結論をこれまた要約してみると、
愛情をこめて『おまえもう明日から来なくていいぞ』と言える状態が理想、ということになるでしょうか。
そのためには、チーム運営費のすべてが月謝(現金)という状態ではダメなのだというのがぼくの結論です。
▼現金で月謝をもらっちゃダメ、
▼応援してくれる人からは多くもらう、
▼お金がなくてもサッカーチームに入れる。
この3点を川崎efcというにわかサッカーチームで実現するために、アルミ缶で運営費を回収するというやり方をしていました。
チームに所属する少年のご家庭で消費したビール缶や炭酸飲料缶を、月に1回トラックで回収し、それをぼくが金属屋さんにもっていく、というやり方でした。
いまは子供たちが大きくなったので、サッカーチームはしていませんが、ぼくのことを個人的に応援してくれている方や、地域の自治会の人がアルミ缶を集めて、ぼくの事業を応援してくれています。
ちなみに自治会の人たちからいただいたアルミ缶で発生した収入は、半分ずつ分けています。その半分を自治会の人たちは自分たちの活動費として使っているのです。これがとても喜ばれています。
例えば、
▼ママさんバレー
▼ゲートボールクラブ
▼老人会
など、地域でささやかに活動しているコミュニティにとっては、最高の現金収入になります。一度ご自身が籍をおいているコミュニティに、こんなんあるらしいデー、と話してみてください。3ヶ月に1回、みんなで飲みに行くぐらいの金額になるかもしれません。
そんなアルミ缶方式を、花の苗1つ50円でもやってみようかと考えています。
無理にとは言いません、ちょっと応援してやろうかなという人が、試しに3ヶ月だけやってめんどくさいからやめる、という感じでも全然構いません。
また、へそくりを作りたい人大募集です。笑
廃棄物処理法上、ゴミステーションに廃棄されたアルミ缶を持ち去ることは、違法になりますが、有価物としてアルミ缶を人に譲るのは法律上、何も問題がないことを確認しています。
【【アルミ缶で寄付】】
【日程】
毎月1日(雨天のときは事前に延期を連絡します。)
【場所】
▼時間を決めた上で玄関先。
▼時間を決めた上でいつもの駐車場。
【要領】
▼飲料缶のみ(ビールや炭酸飲料)。
▼水洗い1回。
▼踏んづけてペシャンコにしていただくと、川崎は喜びますが、踏んづけなくても大丈夫です。
▼非対面のときは、保管してある場所を事前にお知らせください。
▼半分ほしいor半分いらない、を事前にお知らせください。(重量を測らなければいけないため)
【注意事項】
▼アルミ製であっても缶詰はいれないでください。飲料缶のみです。
▼ペットボトルなどが入っていると、川崎は首根っこをつかまれて怒鳴りつけられます。
▼大量になる場合は半月に一度訪問する場合もあります。
2025年4月23日
おはようございます。かなんな農園の川崎康裕です。いつも花の苗一つ50円を応援していただきありがとうございます。
駐車場でお会いした際には、応援されているのだとヒシヒシと感じます。と言うのは、あの駐車場に来られるお客さんは、ほとんど全員が女性なのですが、トラックから降りてきた男に対して挨拶をするだけでも、少し勇気がいるのかなと勝手に想像しています、それだけではなく笑顔でいつもありがとうございますと、伝えてくれたりします。
感謝感激です。
この前駐車場でお会いした女性なんかは、まっすぐに目を見てくるところがとても印象的で、『川崎おまえマジで頑張れ』と言われているような気がしました。
マジ頑張ります。
せっかく応援していただいてるので、その応援を少しだけ集客に利用させていただこうと思っていて、すこし変更したい点があります。
【変更後】
▼入荷の日程をGoogle マップの最新情報で配信する。
▼入荷したことをオープンチャットで配信する。
▼平日の駐車場をInstagram で配信する。
【変更したところ】
入荷の日程がいつになるのか、これからは Google マップの最新情報の欄で配信していこうと思います。
▼▼▼
ここからは、これをやることによって、川崎がどういう風に喜んで、川崎にとってどういう利益があるのか、説明していこうと思います。
ご興味のある方だけお読みください。
あまり派手なことを好まない川崎は、SNS で派手な言葉を使ったり、本来の意味とは違うような言葉を使ったりするのを嫌います。
いわゆる、釣り、という行為に対してうんざりしているのは僕だけではないと思います。
派手な SNS もありますが、一方で静かな SNS もあると考えています。
静かな SNS の代表がGoogle マップです。地図アプリは派手な映像や、派手な言葉とは無縁の世界です。
駐車場でお会いする女性に話を聞いてみると、Google マップを見てきましたという人はほぼ半分ぐらいいらっしゃいます。
あとの半分にオープンチャットと Instagram があります。
そしてこの Google マップに力を入れている、会社やお店はあまり見かけません。
そのため、花を入荷する日程をGoogle マップで僕が配信し、皆さんが花の入荷日程をGoogle マップで確認することで、Google 大先生が『お、こいつ人気やんけ』ということで評価を高くしてくれます。
すると、 誰かが Google マップで花屋と調べた時に、表示される回数が増えたり、大きく表示されたりするのです。
話をまとめますね。
花の入荷日程をGoogle マップの最新情報で確認するという行為自体が、川崎への応援になります。
慣れるまでお手数ですが、日本中の廃棄苗を東住吉区に集めるためと思ってお付き合いください。
▼▼▼
上記のように、Google マップに力を入れる戦略のことを、MEOと言いますが、それをやってみようと思ったのは、オープンチャットがあまり機能していないという実感もあるからです。
まだ利用者が20人30人くらいだった時は、利用者さん同士の繋がりももう少し濃かったように感じます。
はじめの方から参加いただいてる方には、同じように感じている人もいるのではないでしょうか。
でもそれは、需要がまだまだ少なくて、供給が大きすぎたことによると考えられます。『まだまだこんなに残ってるよ、こんなにいい花があるよ。』と伝え合うには最高のオープンチャットでした。
最近では、需要が供給を上回ってるような気がします。だからこそ新しい入荷先が増えて喜んでいたのですから。
駐車場に来てくれるお客さんが増えたことで、 入荷したらその場で、ほとんどのめぼしい花が売れて行ってしまう、こんな状況ではお客さん同士が、和気アイアイと在庫の確認をし合うという理由がないのです。
お客さん同士の和気藹々が好きな僕は、機能しなくなったオープンチャット自体 やめてしまって、お客さん同士が、連絡先を交換し合わなければ、入荷した花の情報や、現在の駐車場の状態が確認できないようなふうにしようかなと考えています。
そうすることで、挨拶をしない人や、人とのつながりに温かくない人、花の苗を分け合うことができない人などは自然にすみに追いやられていくでしょうし、温かい人たち同士がつながるきっかけになるのではないかと思います。
ただ、もう少しオープンチャットはそのままにしておこうと思います。また何かに役立つこともあるかもしれませんので。
そして、最後に『できたらでいいんで』のお願いです。いつもオープンチャットに在庫情報の写真を投稿してくださる、e34さんやエコさんやリンゴさん(ごめん、これ以上思い出せない。)、そのオープンチャットに投稿していただく写真を、Google マップの写真の欄に投稿していただけないでしょうか。
もしできたらで本当に構いません、もししていただけるなら、何か高級な観葉植物や花の苗が入った時はお礼に取り置きしようと思います。
ん?
いま、、
なにか聞こえたような、
テレパシー?
そんなんのために応援してるんじゃない?
大変失礼いたしました。
2025年4月21日
竹チップにはなぜこんなにも黒カビが生えないのか、不思議で仕方がない。
畑にまいておいた竹チップには、黒カビがほとんどつかない。全然と言ってもいいほどだ。その代わりに、白カビがびっしり生えている。
それはなぜなのか?
AIに聞いてみても、合点の行く答えはあまり得られない。ただ、抗菌性があるだとか、殺菌成分があるだとか、ケイ酸がいいんだとか。どれもあまりしっくりこない。
抗菌性があったり、 殺菌成分があるのなら、白カビも生えないだろうと思う。
ここではいま流行りの、 糸状菌という言葉は使わないことにしておく。白カビも黒カビも糸状菌だからだ。
ちなみに全ての菌の95% は糸状菌だ。あとの5% は放線菌やその他ということになる。
今日も畑で作業している時に、竹チップに白カビがびっしりついているのに気づいた。やはり僕はその理由が気になる。
そこでトラックに乗って帰り道、様々な方向からジェミニに質問してみた。
その中で、お、と思うような答えがあった。
竹チップには抗菌性があるという、いつもの答えの後に、だから竹林の中では、動物の死体は腐りにくいのです。と書かれていた。
なんだか妙に納得できた。
僕がいつも何かに納得できたと思う時は、自分の説明がうまくいかない部分に、訂正が加えられた時だ。
抗菌性だとか、殺菌成分だとか、色々話した後にこれからはこういう説明を加えることができる、『竹林のなかでは、動物の死骸は腐りにくいよ。』これだけで大きな一歩だ。
ここまで説明できるのなら、次のような説明も成り立つような気がする。
それは動植物が死んだ後、水分の多く含まれている状態のところに発生するのが黒カビで、その黒カビは発生した後、生きたり死んだり、または合体(シンビオジェネシス)したりしながら、食べたり、出したりを繰り返して、徐々に徐々にその生活の中で水分を蒸発させていく。
徐々に水分が蒸発していく間に、毛や皮膚、タンパク質などの高分子化合物も分解されて、アミノ酸などの少分子化合物になっていくのだろうと思う。
ごめんなさい、先ほど高分子化合物のことを勉強したばっかりで、どうしても使いたかったのです。わけわかりませんよね。すみません。
高分子化合物というのは、たくさんの分子が集まってできたもの、という意味です。アミノ酸がたくさん繋がってできるのがタンパク質です。
すみません、脇道にそれました。話を戻しましょう。
そして水分が少なくなってきたら、次は白カビの登場。
髪の毛や皮膚や内臓が分解されて水分がなくなり始めたところで、白カビが登場し、その中にある栄養を、他の植物に受け渡す役割を担っている。
こういう風に考えると、ちょっとした遊び心のあるあの考え方『竹は神様に、温暖化を止めて来いと命令されている。』という考え方は、あながち間違いではないのかも、などと考えてしまう。
竹の幹自体は、竹林の中で枯れても、ほとんどがそのまま立っている。なぜなら彼らは支え合っているからだ。しかも今日勉強したことによると、枝や葉っぱも腐りにくいときた。幹や枝や葉っぱに溜め込んだ炭素を必死で固定しているようにぼくには見える。
温暖化がこれ以上進むと、木材(リグニン
)を分解する酵素(白色腐朽菌)が活躍しなくなって、樹木が枯れても朽ち果てないようになっていくとぼくは勝手に仮説をたてている。
でも、それはあながち間違いではないのではないだろうか。
竹が腐りにくいという現象が、1つの証明なようにも思う。だから竹というのは神様の命令で1年で10m も伸びたりするんじゃないだろうか。
そうならないためにも、冬には竹炭を焼きまくり、春には竹チップを畑に巻きまくろうと思う。この方法で温暖化を止められるか、実験してみようと思う。
この農法で作物を栽培すると、水や空気はキレイになっていくだろう。それに加えて温暖化もとめられるとなっては、ぼくの心はドキドキワクワクでとまらない。
2025年4月19日
タラの芽を初めて収穫しました。
いつも作業している竹林の、何百回と通っている通路の、自分の足から30cmほどのところで発見しました。
タラの芽と言われるものが、自然に生えているということを知らなかった時は、気づきもしなかったタラの芽が、そこにはありました。
ぼくが知らずに伐採していたらしく、地面付近で切られたあとがあり、その切られた部分の少し下から他の枝を伸ばしていました。
おちゃのこサイサイとでも言わんばかりの 表情で、そこにスタンドアップなさってました。
樹木の強さ、奥ゆかしさ、というのは無言にあると思う。
例えばペットとして、犬を飼っていたとした場合、彼らは本当に痛かったりする時に、ただキャンと言ったりする。
人間のように不平不満を述べない、ルールだとか、 自分の気持ちだとか、いまにも泣き出しそうな顔で叫んだりする。そして、僕らはうんざりする。
でも木は叫ばない。
この竹林にある竹も、どんなに強風に煽られようが、叫ぶことはない。
その竹のそばには、以前倒れたのであろう桜の木が横になっている。その桜の木は死んでいるのではなく、中が空洞になってしまったような幹を通して、栄養と水分をしっかり運んでいるらしく、 何本もの新しい枝を生やしている。
それも全て無言でだ。
おそらくは倒れた時も無言だっただろう。
新しい枝が生えてきた時も無言だっただろう。
僕が樹木に対して畏敬の念を抱くのは、静けさや無言から発せられる、何かに圧倒されるからだ。
2025年4月17日
耕作放棄地をどうにかしようという考えは、僕らが初めから持っていた目標の1つだ。
耕作放棄地を畑に変えていく過程というのは簡単ではない。
特に10年とか15年とか放置されていた耕作放棄地は、そこで野菜が栽培できるようになるまで何年もかかる。
アカガシワの根強さは、1度耕作放棄地に取り組んだことのある人なら分かっていただけると思う。
葛の強さも半端ない。
ススキはどうだろう、燃やしても燃やしても翌年元気に生えてくる。
そんな耕作放棄地に対しての考え方で間違っている部分が1つあると思う。
それは『1年でかっこいい畑にしなければいけない』という考えだ。
なぜか人は、耕作放棄地と言うと、翌年には綺麗な土が全部露出している、現代農業のための農地にしなければいけないと考えてしまいます。
これは間違いだ。
3年から4年をかけて、少しずつ雑木や雑草の勢いを弱めていくのがいいと思う。
その過程で、様々な果樹を植えていくというのが僕たちのやり方だ。
おそらくこの大阪という土地では、身をつけないであろうりんごや梨も植えたりしている。
もちろんその他の、柑橘系や、イチジク、柿、栗などは植えているが、多様性を確保する観点で、身をつけないであろうりんごやなしも植えているのである。
そうやってダメ元で植えた梨が、花をつけた。かなり元気そうな花だ。葉っぱもいい色をしている。
梨というのは本来、乾燥した砂丘などで栽培される果樹なので、実をつけたところで、おそらくあのみずみずしさは再現できないと思う。
でも、この花の色、葉っぱの色、幹の色、全てが元気そうで、何か期待せずにはいられない。
この梨がうまくいったら、耕作放棄地を畑に戻していくスピードはどれだけ上がるだろうか、ワクワクドキドキが止まらない。
2025年4月16日
何度も声を上げて喜んでおりますが、はっきり言って本当に嬉しいのです。
農薬を使わず(栽培期間だけでなくずっと使いません。)
化学肥料を使わず(有機肥料もほとんど使いません。)
耕しもせず、水やりもしない、というやり方はなかなか難しく、野菜でも果樹でも収穫に至るまでは相当の時間が必要です。
それはなぜかと言うと、自分の頭の中にある誤った知識が、誤った農作業をさせるからです。
例えば、現代農業では植物と植物は土の中で栄養の取り合いをして、いわば喧嘩のような状態を作り出していると認識しています。
それは理科の授業でも同じではないでしょうか。
でもおそらくそれは100% 間違えています。
土や植物に関して学校で教わったことの大半は、僕が大人になって畑で見て感じたこととは真逆の事が多いのです。
20代の中盤からこの農業を始めて、現在は44歳。その間の15年間ぐらいは野菜も果樹もほとんど無収穫でした。
野菜も果樹も無収穫だった時、それはどんな時間だったかと尋ねられたら、自分の頭の中の誤った認識を、時間をかけて訂正していた時間とでも答えるでしょうか。
そういう風に時間をかけてできた梅なので、それはもう嬉しくて嬉しくてたまりません。
今年2025年は販売することはできないかもしれません、だって家で食べきれないほどの梅干しを作りたいからです。笑
でも来年2026年からはきっと販売したいと思います。
ほかの農薬ゼロ野菜もバンバン販売していこうと思います。
自然農や自然栽培という言葉が生まれ、近年では菌ちゃん農法というものを頑張って広めているおじいちゃんも出てきました。
でも僕の目から見ると、まだ『自分で食べるものを栽培する』という枠から抜け出せていないと思います。
やればやるほど水が綺麗になる農法。
やればやるほど空気が綺麗になる農法。
やればやるほど地面の中に炭素(竹炭)が固定されていく農法。
やればやるほど温暖化が進まなくなる農法。
誰がどこに住んでいても、自分が食べるものを栽培できる農法。
すなわち、難民になって他国に逃れようとも、そこで栽培できる農法。
そうなれば戦争が起こった地域では人々が簡単に逃げられるようになるのではないでしょうか。
すなわち、戦争が盛り上がらなくなる農法。
これを僕は模索していく。
2025年4月15日
販売できるかもシリーズ第1弾は、さくらんぼです。
この木は、河南町5号地に3年ほど前から植わっているものです。
相棒が精魂を込めて育てているものです。
精魂を込めて育てている、と言うと現代農業しか知らない人にとっては、トラクターを使ったり、草刈りを頑張ったり、肥料をたくさんあげたり、農薬をたくさんあげたり、を想像すると思いますが、うちの畑だけでは違います。
▼農薬ゼロ
▼化学肥料ゼロ
▼耕しもせず
▼水やりもしない
という決まりごとの中で、大きく成長していった木なのです。
このやり方で育てていると、夏場の暑さに耐えられず枯れていく木や、雑草の高さに勝てなかった木ももちろんあって、半分とは言わないまでも、枯れて行く木はたくさんあります。
でもそれが自然だと考えています。
大きくなれない木は、助けないというのが自然だと思います。
人間の力でどうにかしようとしてしまうと、どうしても農薬の方向へ行ってしまったり、化学肥料の方向へ行ってしまったり、はたまた耕すと言う方向に行ってしまったりします。
●●●
今年はこのさくらんぼの木から、たくさんさくらんぼを収穫することができるかもしれません。
家に持ち帰って、栄養満点で農薬ゼロのさくらんぼを子供たちに食べさせるのは、1つの夢です。
でも一方で、日本人全員を健康にするという途方もない夢もあります。
たくさんとれたら、できるだけ販売する方に回そうと思ってます。
ポリフェノールやアントシアニンなどのフィットケミカルを満載したこのさくらんぼを、『体にいいものを食べたい』と欲する人々にたくさん販売することができれば、どれほど幸せだろうかと思う。
ただ利益が出るということが幸せなのではなくて、この農法で作物を収穫することができれば、それは地球の水や空気がその分綺麗になっていっているということにほかならない。
冬の間にたくさん作る竹炭は、どれほどの温室効果ガスを固定できているだろうか。
この農法で稼げば稼ぐほど、僕が冬に作る。竹炭は大量になっていく。そうなれば、どれほどの炭素を土の中に埋めることができているだろうか。
そう考えるだけでワクワクしてくる、僕は変態なのだ。僕は地球環境が良くなることを想像するとワクワクドキドキしてくる変態なのだ。
人々が健康になるということは、僕にとっても幸せだが、それよりも幸せなのは地球の水が空気が土が森が、綺麗になっていくことだ。
死ぬまで邁進し続けようと思う。
2025年4月14日
今回訪問する酵素風呂のお店屋さんは、向こうから電話してきてくれたとはいえ、やりたいことがすでにこちらにはあって、それを貯めさせてもらうという点では、初めての訪問は成功させたい。
まず状況をさらっと説明すると、酵素風呂とか米ぬか入浴お店からは、定期的に使い終わった後の米ぬかや、檜木などのおがくずが出てくる。
電話をいただくその感じから察するに、彼らはそのゴミを有料で引き取ってもらっている、背景があるように思う。
そこで、今回のミーティングは下記のように進めていこうと思う。
【方針】
▼まずはお店の出費を0にする方法を考えたい。
▼それが成功したら、この米ぬかで収益化する方法を模索していきたい。
【そのための方策】
当該米ぬかとヒノキの混合物を肥料として販売する方法を見つける。
【注意点】
米ぬかとヒノキの混合物を、袋に入れるという従来の手間以上の手間は増やさないようにする。
【質問したいこと】
▼当日、分析表を見たい。
▼cn比の数値。
▼フランチャイズ?
▼混合する過程
▼温度変化
2025年4月11日
なんでこんなことをやり始めたか。
なんで竹で作った支柱を頑丈にしたかったのか。
それは放置竹林というあまり知られていない社会問題の脅威を知っていて、それを解決したかったからだ。
竹を生かして収益化することができれば、その社会問題は霧散すると思う。でもそれはとても難しいことだ。
社会問題というのははっきり言ってその当事者になってみないと、本質までは見えてこないと思う。
例えば、保育士の給料が低いということは、なんとなく僕にもわかっている、でもそれがなぜ解決に至らないのか、分かっていない。それはその問題の本質を知らないからだと思う。
例えば、US スチールという会社を新日本製鉄という日本の会社が買収しようとしていた。それに対してバイデン元大統領も反対し、トランプ大統領もそれに反対した。投資という形にしたらどうなの?という結論に至ったようだ。
こういうところまでは、なんとなく聞き知っているが、なぜ買収に至らなかったのか、アメリカ人の感情としてはどうなのか、またその大統領の感情としてはどうなのか、みたいな本質の部分までは理解できていない。
まるで地球のようなものだと思う、外側は木や土や水や大気で覆われている。誰もが知ってることだと思う。でもその中心はどのようなもので構成されているのか、さっぱり分からない。
マグマなのだろうか、それとも硬い金属のようなものなのだろうか。それとも僕たちが見たこともないような重力を発するような何かが、地球の中心に存在しているのかもしれない。
つまり、本質を理解していないということだと思う。
地球の中心が何でできているのか、僕には分からないが、竹林が放置されるとどういう問題が引き起こされるのか、そのスピードはどれぐらいで、どれほどの人たちが迷惑を被ることになるのか、ぼくはそれを緻密に計算することができる。
本質を理解しているからだ。
この社会問題を解決するには、やはりビジネスの力を借りるしかないと思う。
竹を使って何か収益を出すのだ。
竹林を使って何か収益を出すのだ。
▼タケカゴ
▼竹炭
▼竹チップ
▼竹に関連したワークショップ
この他にもこまごましたことで、本当にたくさんのことにトライしている、全ては竹林を使って収益を上げるためだ。
自治体の補助金を使ってとか、ボランティアの力を使ってとか、そういったものでは。社会問題は解決しない。
いつの時でも社会問題というのはビジネスの力を利用してでないと、解決できないものなのだ。
坂本龍馬さんが、瀬戸内海で海運業を営むかたわら、船を操る技術を日本人に習得させ、それを海軍力につなげたように。お金の集まるところ、収益が生まれるところでしか、社会問題を解決できない。
まさかそんな大それたことを僕ができるようになるとは思ってもいない、ただ、当事者で本質を知っているから、何かにトライしたいだけだ。
数年後、同じような志を持った若者が同じようなことにトライしようとした時、それはもう試したよ、ダメだったよ。という1つの指標になればいいと思う。
ああ、ダメだったんだとその若者は理解し、僕が手をつけられなかった他のことにトライできる、そのときのステップになればいいと思う。
●●●
竹の中にはケイ酸がたくさん含まれている、ケイ酸という物質は『土の元』と呼ばれるほど、土と近い関係にある。
おそらくはそのケイ酸が多く含まれているために、竹を地面に突き刺して支柱にしたところで、1年足らずでバキバキに折れてしまうのだろうと思う。
一方で、建材の業界や竹籠の業界では、ケイ酸を竹から抜くために、油抜きという工程が一般的だ。竹を火で炙ると、ケイ酸が表に浮き出てきてそれを拭き取ると綺麗な緑色になり、建材としても役に立つくらい頑丈になる。
竹のしなやかさは残しながら、頑丈な1つの建材として使われるのだ。
ただ、火で炙って油抜きをしてケイ酸をうまく抜き取ることができたとしても、それを使う場所は畑であり、 そこにはもちろん夏場は高温で 雨もたくさん降り、湿気もたくさんある。土の中は有機物を分解しようと企んでいる、土壌微生物でいっぱいなのだ。そんな中で火で炙っただけの竹が支柱が5年ももつだろうか。
5年も持つのかはっきり言ってわからない、
でも今まで1年しか持たなかった竹の支柱が2年持つようになるかもしれないし、3年持つようになるかもしれない。
もしそれを体験することができれば、その時、こうやればもっといけるんじゃない?みたいなアイデアが生まれるかもしれない。
収益化まではかなり遠い道のりだが、難しいゲームほどやっていて楽しいと思う、難しいゲームほどやり続けていると、周りに誰もいなくなることに気づくことがある。
ビジネス的に言うと、そこからがブルーオーシャンだ。
2025年4月10日
先日の園芸用土回収は宝塚市での仕事でした。
3月の上旬頃には初めての問い合わせを受けていたお客さんで、4月に入ってからやっと訪問することができました。
というのも、このお客さんは個人からの注文ではなくて、法人としての注文でした。そのため、一度トラックを空っぽにしなければいけないほど、大量な園芸用土の回収となりました。
この会社は、スーパーに花の苗や生花をおろして管理する会社で、関西地方では結構人気の主婦にはよく名前を知られているようなスーパーマーケットと、取引しているような会社なのです。
その会社に初めて訪問した3月の上旬頃、社長と担当の人が面会してくださり、ずっと探し求めていたと言われて嬉しくなった川崎です。
その川崎は一方では廃棄直前の花の苗をいただいてきて、1つ50円で販売するという事業をしております。
この会社でも、枯れそうな花の苗を廃棄しなければいけないけれども、うまく廃棄できる方法がないという問題がありました。その部分も問題解決できるということで、川崎に問い合わせがありました。
おかげでかなんな農園の川崎としては、
▼花の苗の入荷先が増えた。
▼園芸用土回収の定期的な注文が受注できた。
ということになります。
ものすごいいい出会いでした。
ただ、初めてということもあり、園芸用土の保存のしかたには改善点があるかなと思いました。写真にもあるように、園芸用のストラップや花札などの、一般ゴミが混ざっていたり、土の中に雨水が溜まってしまっている状況のものもたくさんありました。
そのため、金額はこのように高くなりました。
園芸用土の回収料金3万6900円
宝塚市までの交通費2,000円
合計3万8900円
それなりの量を回収したので、こんな金額でも喜んでいただけたとは思いますが、ゴミが入っていなかったり、水分が抜けていたりすると、もっと安くなったと思います。
園芸用の土の捨て方がわからないという人はご連絡ください。
かなんな農園 川崎康裕
2025年4月6日
耕作放棄地をどうにかしようと、頑張ったことのある人にはおなじみの雑木かもしれないが、この名前も知らない雑木が畑の中で支柱として役に立つことができるのか、実験していこうと思う。
この雑木が何ていう名前なのかを調べるのは後回しにするとして。
まずはこの雑木を、
▼1m ぐらいの長さに切ってみる。
▼それを火で炙って焦げ目をつける。
▼畑に突きさす。
やることはこれだけだ。
この雑木が、何かの役に立たせることはできないかと思って、この実験に取り組んでみた。
畑で支柱として使えることがわかれば、多少なりともこの雑木が収益化につながることになる。
おそらくこの雑木にたいして、こんな実験をした人は過去にもたくさんいただろう、そしてこの実験もおそらくは失敗に終わるだろう。
過去にトライした人が、役に立たないと証明したから、現代の日本で使われていないんだと思う。
役に立たないと証明できたことを、後の人が見て、ああ、これはダメなんだと認識できる何かがあればいいと思い、こんな動画を作ってみた。
これからもほんの些細な実験を動画にして、文章にして残していこうと思う。
2025年4月5日
今年もこの竹林でどれほどの炭素を固定できただろうか。
そう思うだけでこの農法をやっている意味を感じられる。
僕は今まで、 自分で食べる野菜を栽培することだけを考えてきたわけではない。
自分で食べる野菜を自給自足するという考え
はいつも2番目だ。
一番目にはいつも、地球環境を良くする農法、収穫すれば収穫するほど水が綺麗になっていく農法、稼げば稼ぐほど空気が綺麗になっていく農法、について考えてきた。
それだけではない、社会問題として認識されていない、耕作放棄地の問題や、工作法基地に放置されているマルチビニルの問題、それらを解決するための農法をずっと考えてきた。
それらを解決するためには、1人で広大な土地を管理できなければいけない。その方法をずっと考えてきた。
そしてその方法で、最近では野菜がたくさん収穫できるようになってきた。
ミニトマトが初めて鈴なりになっているのを見た時は、畑のそばで涙を流した。
あともう少し。
死ぬほど収穫できるようになって、水や空気をきれいにしていきたいと思う。
2025年4月2日
写真撮影していただいたお礼をなにかしたいと思い、作文を始めました。
2025年3月19日次女の謝恩会を撮影していただいたのが、まりさん、Mari family photographerさんでした。
温かい表情の写真をフラッシュなしで撮影してくださいました。
お礼をしたいと思った理由、月並みなものであればいくらでもあるのですが、一番大きな理由だけをあげるとすると、それは
『写真で心が揺さぶられたのは初めてかもしれないから』になると思います。
この文章を書いている著者は、当該写真の左側に写っている44歳の男性です。その隣に移っているのは著者の長女です。
なぜ心が揺さぶられたのかと言うと、著者自身、自分のなかにあった悩みに気づかされたというところが大きいと思います。
その悩みというのは著者とその長女との関係です。
かと言って、仲が悪いというわけでは全くないのです。どちらかといえば、仲はいい方で昔から2人でどこかへ遊びに行ったりすることもあったような仲なのです。
長女と朝から車に乗って、海に出かけて、2人で泳ぎながら、海底から次々と出てくるヤドカリを手に取ってはしゃいだのはいい思い出です。
ブランコが好きな長女を近くの公園に連れて行った回数は、かぞえきれません。
95% はものすごく仲良くはしゃぎ、残りの5% は烈火のごとく叱る。そんなような子育てでした。決して甘やかしたわけではありません。
烈火の如く叱って、 泣いている我が子を抱きしめる、こんな子育てでした。
そんな長女も12歳になり、この春から中学2年生になります。大人の女性と少女の間を行ったり来たりしているような感覚をうけます。
大人の女性として接しなければいけないと思うので、もう2人で海に泳ぎに行ったり、朝から晩までブランコで遊んだりすることはもうないかなと思います。
それが寂しいという感じはありません。
それが成長というものだと思います。むしろ誇らしいです。
そうやって少しずつ長女と、距離ができて行きます。大人としての距離です。
2025年4月3日
今回の土回収は東大阪市での仕事でした。
3月の初めぐらいに連絡をいただいていたのに、実施したのは4月になってからでした。本当に申し訳ない。
というのも、竹炭と竹チップを大量に作らなければならず、気温と天気の安定していたのも相まって、全然日程が開けられませんでした。
今回の土は、園芸用の土というよりもどちらかといえば真砂土よりの土でした。
土嚢袋に入れられていて、根っこや砂利はすでに完璧に分別されているような状態でした。
そのおかげでスムーズに回収することができました。
園芸用の土の捨て方がわからない、という人はご連絡ください。
2025年3月28日
今回の実験では成功しないということが分かっていたけども、やはり成功しないという結果が得られた。
生の米ぬかとコーヒーカスを混ぜて、その中に種子を入れることで発芽するかどうかを試したが、発芽はしなかった。
今回の種子はキヌサヤエンドウだった。
生の米ぬかというのは農業においてはとても重要な役割を果たしてくれる。
特に僕のような、無農薬、化学肥料なし、耕しもせず、水やりもしないという農業をやっている人にとっては特に重要だ。
でも種子を発芽させるという意味では、生の米ぬかでは役に立たないと思う。
ここからは何のデータにも基づいてない、ただの僕の仮説だけども、種子の発芽には土壌微生物が関わっているんじゃないかと考えている。
通常発芽というのは、
▼温度
▼水分
▼日光もしくは影
が必要だというのは農業の定説だ。
でも最後の最後のドアの鍵を開けるのは糸状菌などの土壌微生物なんじゃないかとにらんでいる。
ものすごい倍率の顕微鏡が必要なので、これを検証するのはとても難しいけれども。
そういう仮説を持ちながら、最近では竹炭を作ったり、竹チップを作ったり農作業をしている。
●●なぜこんな実験をしているのかというと
今ほかの実験で、竹炭と竹チップだけで畝が作られるのかどうかという実験をしている。その実験で
うまくいくというデータが取れれば、次はおそらく苗を植えるという作業がものすごく大変になってくる。
苗を植えるためには、まずは竹チップをかき分けて、竹炭のところまで到達しなければいけない
。
その際、竹チップを手でかき分けて苗を植えるという作業はかなり面倒な作業なのだ。
そこで以前福岡さんが自然農のかたわらで、砂漠緑化を推進しようとしたやり方の中に、この種の蒔き方が本で紹介されていた。
福岡さんのやり方では土を丸めて団子にする。その中に種子を入れて砂漠にばらまいて砂漠が緑に覆われていく、そんな流れだった。
それを応用して、僕のやり方では、台所でよく出る
コーヒーカスと、どこでも気軽に手に入る米ぬかを利用して種子が発芽するのかどうかを実験していた。
ニンジンなどの好光性の種子では、団子に薄く種を貼り付けるだけ。
たとえばオクラなどの嫌光性の種子では、団子の中に深く種を埋め込んで、それを畑にまくだけで、種が発芽し根っこが活着するという方法を見つければ、たくさんのいいことが起こる。
▼竹チップを手で弄らなくても大丈夫。
▼そのおかげで収穫量アップ。
▼そうすると耕作放棄地がなくなっていくスピードもアップするだろう。
▼竹炭が大量に作られて、炭素固定につながる。地球温暖化のスピードが緩和されるだろう。
僕は農業通じて自分の食料を作りたいんではなくて、耕作放棄地をなくしたり、固定種を存続させたり、水や空気をきれいにしたり、地球温暖化を止めたり、ひいては戦争が盛り上がらない方法を見つけたいと思っている。
2025年3月27日
今日の園芸用土回収の仕事は守口市でした。
完璧にフルいにかけた園芸用の土だとのことで、お伺いした。ゴミなどはすべて取り除き、鉢底石などもすべてフルってあるはずだった。
でも中にはゴミがたくさん入っていた。
ゴミが入っていたせいで回収料はすこし高くなりました。
回収料4,000円
守口市までの交通費2,000円
合計6,000円
たかい!
こういうときのお客さんのタイプとして2種類があると思われる。
▼自分が用意したものではない。(家族が土の段取りをして、連絡してきたのが本人)
▼事実と違うことを伝えるのが普通になっている。
これ以降の文章は後者について書いていこうと思う。
たとえば到着時間をだれかに伝えなければいけないシーンを経験したことはありませんか?
そんなとき、ぼくは早めの時間を伝えるタイプだとか、わたしはすこし余裕を持って時間を伝えるタイプだとか、大げさに言えば事実でないことを言うタイプだと公言している人を見かけることがある。
僕はその人たちのことを嘘つきだとは呼べない。なぜなら彼らは誰かを騙そうとしているわけでもなければ、自分の利益を考えてるわけでもないからだ。
嘘というのとは違う。
でも彼らが言うように、彼らがタイプだというように、正しい表現をしないということが1つの体質になっているのだ。
このことが問題になる場面を考えてみよう。
1人のヤンキーがいたとする。
嬉しい時にはやべえと言う
楽しい時にはやべえという
怒っている時にもやべえという
悲しい時にもやべえという
本当に追い詰められていて、精神的に追い詰められていて、誰かに助けを求めたい時にもやべえという。
そして誰にも理解されていないと思いグレていく。
この理屈はあながち間違いではないと思う。
生きにくい生きにくいと言いながらみんなは暮らしているが、そう言っている人たちはほとんど全員が本当のことではないことを言う、体質ができてしまってるように思う。
僕の周りの友達で、本当のことを率直に自分の言葉で正しく表現できる人間はかなり少数派だが、そういう人間は生きにくいなんていわない。
国を代表する人が国会で、本当じゃないことを話し続けたツケがこんなところにまで浸透してきているのではないだろうか。
といっても、その国の問題を端的に簡潔に言葉にできている人はいない。
ぼくもそれを言葉にすることはできていないが、せめてもの抵抗のために、自分がなにか考えを持ったときは、その考えを明確に表現できているかどうかを監視し続けようと思う。
2025年3月21日
竹炭をウネ状になるように敷きつめる、竹炭は深いところで10cmくらいになる。 そのうえに竹チップを敷く。シュレッダーで5センチくらいに粉砕された竹の枝と葉っぱ。これを竹炭が隠れるように置いていく。 【実験1】 このウネで夏野菜の苗が活着するかどうか。 【実験2】 このウネで夏野菜の種が発芽し、活着するかどうか。 【実験3】 水やりなしで、夏を越えられるかどうか。 もし、この実験がうまくいくと、未来がこんなふうに変わります。 ▼耕作放棄地を減らすスピードが倍増する。 ▼放置竹林を管理するスピードが倍増する。 この実験を成功させたくてさせたくてたまらない川崎は、竹チップの枯れ具合を見て4月5月だけでなく、6月も竹チップをまいてやろうとたくらんでおります。
2025年3月5日
お肉は毎日食べたいくせに、ガゼルがライオンに食べられるところを見れば残酷だと思う。
どれほどの矛盾を孕んでいるのだろうと思い、ぼくはお肉を食べることをやめた。
自分で食べる肉を自分で狩り、さばき、焼いて、食べる。そこまでするのならお肉を食べる権利もあるというものだ、みたいなことを考えてぼくはお肉を食べることをやめた。(だれかにごちそうされたりしたら食べる。)
きのうはこの恐怖体験をしたベランダで仕事をしていた。あまりに汚いベランダで、引越し前だというのに室内にもゴミは散乱している有様で、この仕事はあまりやりたくなかった。やりたくないから見積もり金額はかなり高く設定し、断っていただこうと思っていたにもかかわらず、不意に受注してしまった。
はじめは高くて申し訳ないと思っていたのだが、このハトの兄弟を見つけてからは、こんな安くでいいのかとさえ思いはじめていた。
もちろん自分ちのベランダに鳩の巣があるなんて、お客さんのほうも寝耳に水だったようだ。そりゃこれだけ散らかってたら鳩の巣も見つからないだろうし、鳩も鳩とて巣をつくろうという気になるんじゃないかと思う。
見積もり金額には鳩の巣の処分なんてもちろん入っていないのだが、ぼくとしては最近では動物を狩るところを想像しながら生きているので、鳩の巣の撤去やそこに住んでいる鳩の兄弟をむんずと掴んで一階のエントランス付近まで持っていくことは簡単なことだった。
それよりも難儀だったのが、その鳩の兄弟を心底気色悪がり、拝むようにしてぼくにその仕事をなすりつけてきたお客さん親子だ。
ぼくにとってはおまえらのほうが気色悪い。
自分が気色悪いと思っているものの処理を、業者にさせるために拝み倒して、その業務に対しての報酬のことにはいっさい触れない。いくらか請求してやろうか、それともカッターナイフをだしてその場で止めをさしてやろうか、いろいろと考えてしまった。
そういうおまえらの首もとにはたぷんたぷんの脂肪が蓄えられているが、おそらくそこには豚肉や鶏肉、牛肉などが蓄えられているんだろう。
そんなおまえらみたいになりたくなくて、ぼくはお肉を食べるのをやめたのだ。
熊嵐という小説にでてくる熊専門の猟師が、最後のシーンで村長に罵声を浴びせるシーンがある。熊の肝はおまえに言われなくてもおれのものだ。命をかけて村を救った対価がこれっぽちかと暴言を吐く。リスクをとって誰もやらないことを命懸けてやっている人間の気持ちはおまえらにはわからない。
ごもっともと思うのはぼくだけだろうか。
2025年3月4日
ハトとかカラスの巣って見ないよなーってずっと考えていました。
彼らは公園で歩き回ったあと、どこに帰るんだろう。カラスは帰りながらカーカー鳴くもんですから、あーあいつら今帰ってんなーみたいな郷愁をただよわせることができる。
でも、ハトはどこに帰ってるんだろう。公園で地面をつつきまわしてホッホーしたあと、彼らはどこに帰っていくんだろう。カラスのように鳴いているのかもしれないが、おそらくホッホーの音量ではぼくたちの耳まで届かないんだろうと思う。
そんなだからハトが夕方じぶんの巣に帰っているところを目撃する人もいないし、ハトが帰宅していることに気づく人もいない。あたりまえだけどそこに郷愁は感じられない。ただ夜になったら彼らは忽然と姿を消しているのだ。
狩猟免許を取得してからというもの、鳥や獣の習性が身近なものになった。畑にいけばそこらじゅうに足跡があることを発見したのも狩猟免許をとってからだ。鳥や獣を見つけては彼らをとらえる方法やとらえたあと、どうやって止めをさすのが苦痛が少ないのだろうといったことをよく考えるようになった。
話をもどそう、そう。ハトだ。
ハトがどこからやってきて、どこに帰っていくのか知っている人は少ないと思う。その問いに対するアンサー動画を撮影してきた。彼らはここに帰ってきていたのだ。
ハトの巣はなにか植物の繊維のようなものを編んでつくられていた。簡単に風でとばないようにとつくられたものなのだろう、それを動かすときには巣を破壊する気持ちで向き合わないといけませんでした。簡単にひょいと持ち上がるものではありませんでした。
ハトの巣のなか、というか上というか、には二羽の子供が乗っています。大人になる少しまえの子供で体には白色や黄色の羽毛が残っています。はじめかれらを発見したときはまず第一に「なにこれ!」と口走ったあと、「え、生きてんの?」という疑問がくちをついてでてきました。それほど彼らは動きませんでした。微動だにしないので、首のあたりの羽毛が小刻みに震えているのを発見してやっと生きていることを確認できたほどです。
昨日ぼくは、東大阪市のマンションに訪問し園芸用土回収の仕事をしてきました。二週間ほどまえに見積もりのために訪問したとき、ぼくはここの仕事をあまりやりたくありませんでした。引越し前とはいえ、たばこの匂いが強烈なその部屋は乱雑で、「ここの主人は整理整頓ができません。」と語りかけてくるかのような部屋だった。そういう住人のばあい、園芸用の土や植木鉢の状態が良い場合はほとんどなく、土の上にはプラスチックが散乱していたりするのです。
そんな理由から、そのベランダでの仕事はぼくはあまりやりたくありませんでした。そんなときの常として、金額をかなり高くお伝えして、お断りいただくという流れにもっていったのですが、なんと受注してしまいました。
ああ、こんなに高くしてしまって申し訳ないなと思いながら作業を開始し、作業開始から2時間程度は金額をたかくしてしまった懺悔の気持ちを口にしながら枝や土と格闘していました。
作業開始から3時間ほど経過したときのことです。
そのあたりからぼくの口から懺悔の気持ちがほとばしることはなくなっていました。異常なほどにある鳥のフンがぼくをこれくらいの金額でよかったと思わせ始めていました。
そして、次の瞬間、
「見積もり金額高すぎた」の気持ちは、
「見積もり金額安すぎた」に激変しました。
そう、あの小鳩二羽を発見した瞬間でした。
このベランダをきれいにできる業者ほかにおるもんやったらでてきてみい。
という悪態大阪弁に変わっていました。
2025年3月2日
【実験】
コーヒーカスと米糠で種は発芽するのか(豆編)
【実験内容】
・キヌサヤの種を使う
・米糠に水分を含ませる
・コーヒーカスと米糠を混ぜる
・そのなかにキヌサヤの種を埋め込む
・ビンの蓋を裏返してそれを置く
・ビンの蓋は室内の暖かい場所に置いておく
・1日に二度ほどスポイトで水を含ませる
【実験時期】
2025年3月1日(日)から1週間程度
【実験の意義】
竹チップを施すようになった圃場で、竹チップの厚みがあることで、(種に触れさせるための)土を露出させる作業が煩雑になるため、事前に「種ボール」のようなものを用意しておき、それを雨天の前日に竹チップの上に撒く(好光性種子の場合)、もしくは竹チップの下に影になるように撒く(嫌光性種子の場合)ための実験。
圃場の土で種ボールを作ることも可能だが、圃場に土をとりにいく手間や、種ボールをつくったあとのトラック荷台での整理の手間を考えて、家のなかで無限にでてくる食物残渣であるコーヒーカスと米糠を利用して、手が汚れにくくそして土以上に粘りがあり種をホールドしてくれるものを探すための実験、
【予想】
この状態では発芽しない。
ただ、この状態で発芽してくれるとものすごい手間が少ない。植物が好む糸状菌(白カビ)を発生させるために、砂糖などの糖分を加えたりしておくと発芽の可能性はもっと高まるのではないかと思う。
2025年2月27日
竹炭と竹チップをたくさん積めば、そりゃウネみたいにはなるだろうと思う。
でもここで実験したいのは、そのウネで作物が育つのかということ、
もっと詳しく言うと、
▼排水性は確保できるのか
▼透水性は確保できるのか
▼農薬なし肥料なしで栽培できるのか
▼水やりなしで夏を越せるのか
このあたりを今年は実験していこうと思う。
▼▼▼なぜこの実験をするのか▼▼▼
ぼくの目標はこの農地で作物を栽培することだけではない。
大阪府内にあるすべての耕作放棄地を『ほんじゃ川崎たのんだで』と無茶ブリされても管理できるようなやり方を見つけたい。
なかなか途方もない目標のように思われるが、その先には地球環境を改善したり、戦争が盛り上がらなくなる方法を探しあてる、という達成困難な目標がある。
その間の説明はかなり端折らせていただくとして、この実験はその途方もない目標を達成するためには不可欠な実験だ。
毎日毎分このことについて考えているが、おそらく避けては通れない道だと思う。
▼▼▼この実験が成功すると何が起きるか▼
この実験が成功すると、耕作放棄地で栽培するために掘っていた溝を掘らなくて済むようになる。
言い換えると、耕作放棄地がなくなっていくスピードが3倍から5倍ほどスピードアップする。
かといってこの実験が成功したとしても、溝をまったく掘らなくていいというわけではないと思う。
▼セイタカアワダチソウ
▼クズ
▼笹
などの生命力の塊のような植物たちは、溝を掘ったりして根っこを切ってしまわないと太刀打ちできないことがあるからだ。
それでも、すべてのウネに対して溝を掘らなくてもよくなれば、3倍から5倍のペースで耕作放棄地をなくしていくことができるだろう。
そうなったら最高に嬉しくてチビってしまうだろう。
▼▼▼実験内容▼▼▼
富田林1号地の
7番目のウネ(溝なし)
8番目のウネ(溝なし)
を使用する。
竹炭を10cmくらい山盛りにしてウネとする。
その上に竹チップを撒く。(竹炭が見えなくなる程度)
そのウネで作物を栽培する。
エンドウマメ
ミニトマト
さつまいも
など、比較的栽培しやすい作物で始めはトライする。
▼疑問1
竹炭は間隙が大きすぎて、水分は上がってこられない。(毛細管現象ではあがってこられない。)
→土壌微生物が竹炭に棲むことによって、竹炭に水分が保持されるのかどうか。
▼疑問2
竹チップが分解される過程で、腐食が竹炭の間を埋めていくと予想するが、そのとおりとなるかどうか。
▼▼▼実験結果▼▼▼
実験結果がでるまでには数ヶ月要すると思われる。
2025年7月頃には第一弾のご報告ができるものと思う。
マニアックな実験に興味のあるみなさまがたにおかれましては、ヨダレを垂らしながら報告をお待ちください。
2025年1月17日
菌ちゃん農法のための竹チップを一緒につくりませんか?
菌ちゃん農法をやりたいけど、有機物が手に入らないという人に向けて書いております。
都会に住む人には想像しにくいかもしれませんが、竹という植物は田舎ではたいへん嫌われております。笑
一年で10メートルとか伸びるうえに、地下に伸びた根っこを切るのは至難の技なのです。
というわけで、田舎では嫌われている竹を菌ちゃん農法で逆手にとりませんか?
竹をのこぎりで切り、枝をナタで落とし、枝の部分をシュレダーにかけてチップにします。幹の部分は寝かして整列させておきます、これは翌年竹炭にするために1年間ねかせます。
シュレッダーにかけてチップにした枝と葉っぱの部分を持ち帰っていただきますので、ゴミ袋をご持参ください。
ぼくが作業をすると10分間で1本の竹を処理することができますが、はじめてワークショップに来られるかたにとっては10分間は少し早すぎると思います。それでも一緒に作業をしていたら20分に1本くらいは処理できるようになると思います。
朝から昼すぎまで真剣にやってゴミ袋10個分くらい持って帰られる人もいます。
10袋もあれば、家庭菜園や貸し農園で菌ちゃん農法をやっているあなたの畝もほとんどカバーできるのではないでしょうか。
お友達と一緒に参加したりすると、楽しさが増すのか、最終的に持って帰っていただくゴミ袋の数は増えます。
また、お子様連れも大歓迎です。竹林のなかで遊ぶ子供は一日中飽きることはありません。
▼切った竹の株の上に立ってみたり、
▼そこからジャンプしてみたり、
▼倒れた竹の上を歩いてみたり、
▼枯れた竹で火遊びをしてみたり、
無限の遊び道具が竹林にはあります。
女性や子供をお連れになるときは、事前に教えてください。その日は竹林のなかでも、公共施設が近くにあってトイレに行きやすい、そこに自動販売機もある、そんな竹林を選ぼうと思います。
【日程】2025年
2月2日(日)
2月9日(日)
2月11日(祝)
2月16日(日)
3月は未定
【時間】
午前9時集合
午前10時開始
午後14時解散
早退遅刻可
【持ち物】
お弁当
軍手または皮手袋
ゴミ袋(竹チップを持ち帰るため)
のこぎり(あれば)
ナタ(あれば)
枝切りばさみ(あれば)
キャンプ用のイス(あれば)
【お申し込み】
かなんな農園 川崎康裕
ケータイ090―3941−7360
2025年1月8日
きのうの土回収の仕事は、大阪市内での作業でした。 合計で8万円超えの大きめな仕事でした。 量が多かったと言うよりも、ひとつひとつが大きなプランターで、一番大きなものをトラックに載せるときには、プランターに入ったままでは一人で荷台の高さまで上げることができないので、いったんその場で横に寝かし、超大型植木鉢の底から伸ばされた根をタガネで切り、土と根っこの塊をプランターのなかから出して、すこしずつ土をけずり、けずってはトラックに載せてはまたけずりという作業を繰り返し、両手で持ち上がる程度の重さになったころを見計らって、全身の筋肉をフル動員してトラックの荷台にあげました。 ガーデニング好きのおばあちゃんは高齢のため、お世話できる範囲が限られてくるのでしょう。玄関先の植木鉢をかなりスッキリさせてきました。 おばあちゃんはすべての植木鉢に鉢底石を敷き、そのなかに少しずつ木炭をまぜて使っておられました。こういうやり方を見ると、ああこの人は本当に園芸を愛していたのだな、と思ったりします。 土のなかに炭があると植物に元気が湧くことを経験から知っていたのでしょう。 園芸用土の捨て方がわからない、という人からのメッセージをお待ちしております。 かなんな農園 川崎康裕
2025年1月4日
今日書くのは、初夢で正夢の物語。
つい6時間前にあったことを、ぼくは初夢として見てしまった。
起きたときには汗だくだった。
この場合、夢占いはどうなるのだろう。
1月3日(金)の晩に一人で飲んでいたぼくは、その飲んでいた居酒屋で思いがけずM夫妻に出会った。
ぼくが小学校でサッカーを教えていたころからの友人で、二人とも本当によくしてくれている。このままこの二人のことについて書いてしまおうかと思うくらい彼らとは仲良くさせていただいている。
でも今日は夢のお話。
夢はなぜか会計のシーンから始まる。
23時頃だったろうか、ぼくはもうそのときには普段飲まないくらいの量のお酒を飲んでいて、酩酊していた。
10、000円程度の伝票を示され、ぼくとM奥さんはおたがい割り勘の構えで迎えていた。酩酊しているぼくにはアホみたいな声で、半分は5,000円やなというナレーションが聞こえてきた。おそらく夢だからそういうナレーションがつくこともあるのだろう。
しかし、M奥さんは3,000円を手にしている。
ナレーションは問う。
彼女がなんで3,000円持ってるか知らへんやろ。
え?
夢って問いかけられるものなのでしょうか。おかしいな〜とか思っていたら、ここのあたりから冷や汗が流れ始める。
そう、あほなりに気づき始めたのだ。
おれが飲んだの5,000円以上やん、あわわ。
かなりさとい頭脳を持つあちらの奥さんは、ま、だいたい3,000円くらいのもんやろなと計算して3,000円を財布から出したんやん。
その横に立つ、1万割る2の頭脳を持つ男。酔っているからか、ぼんやりとことの成り行きを見つめているだけだ。そしてあろうことか、店員さんが男にお釣りの100円玉を渡したおかげで男はその100円玉をもらう流れになり、有頂天になっている。
ナレーションは言う。おい、おまえ、このバカ面を目にやきつけとけ。二度とこんな事件を起こさないために。
ナレーションは続く。しかもナレーションはちょっと声色を変えて続ける。あほな男の人、割り勘勝ちして、そのうえ100円玉で喜んだはるわ。
女性の声でちょっと京都訛り。
このあたりから汗は皮膚をつたいはじめる。
うわああああ、という声とともに夢は終わり、跳ね起きるぼく。
大阪といえど、シャツに汗がついていたら極寒だ。
朝四時にもなってないのだろう。真っ暗ななかパンツとシャツを着替え、トイレにいき、水道からでてくる水で喉をうるおす。回転のはじまっていない頭で考える。2,000円くらい返しにいこうか、いやそんなん野暮すぎるし、朝早すぎるし、あのナレーションこわいし、みたいなアイデアしかでてこない。
へんな唸り声をあげながらパンツ一丁で階段をあがり、汗でところどころ濡れている布団にもぐりこみ、男は呪文を唱え始めた。
嫌わんといてくれ。
嫌わんといてくれ。
嫌わんといてくれ。
嫌わんといてくれ。
たのむ
嫌わんといてくれ。
嫌わんといてくれ。
そしてまた眠りに落ちていくのでした。
2024年12月28日
クリスマス12月25日
神戸クリスマスマーケット@ポートタワーでボランティアスタッフとして働く最後の日でした。
ボランティアスタッフという少し特異な立場で働いている、この部分は大丈夫なのかとか、運営スタッフの不安な表情とか、おっさんになったからこそ理解できるような心配な面が垣間見えたのだか、それを最終日に吹き飛ばしてくれたのがこの方々です。
彼らに白羽の矢をたてられて、ぼくは総料理長となり、総料理長のくせに何も知らないというネタで綾花さんと盛り上がる。
20歳くらい歳が離れた若者たちも、次第にこの総料理長コントに加わる。
総料理長のくせに焼きそば(賄い用)も作れないんですか?と揶揄されながら、初対面のボランティアスタッフが打ち解けていく。
これは綾花さんが、瞬時に『あ、このオッサンいじれる』と判断いただき、怒涛のイジリを開始してくれたおかげだろう。
ありがとう綾花さん。
そして、その関西人ノリに初めて接したんじゃないたろうかと思うサヤカちゃんという女性がいた、群馬県からはるばるボランティアスタッフのためだけに来た彼女は当初、総料理長ネタにドギマギしているように見えた。
▼あの人めっちゃ総料理長ってイジってるけど大丈夫なの?
▼わたしがイジったら激怒される?
彼女の気持ちとしてはこんなところか。
たしかに20も歳の離れたオッサンをイジリ倒す現場に加勢するには、経験が必要かもしれない。
そんな彼女が輪のなかに入れるキッカケになったのはソウタくんだろう。
関西で生まれ育った彼もまだ大学生だが、関西人のノリには慣れている。たくさん話すほうではないが、彼の強みは『ヘラヘラっと笑って和ませる』だ。
彼がヘラヘラっと笑うと、口元になんだか愛嬌がうまれる、それに気づいたときにはもうすでに彼の術中にハマっている。
▼綾花さんが総料理長をイジる。
▼総料理長がアホみたいなことを言う。
▼ソウタくんがヘラヘラっと笑う。
▼サヤカちゃんが1cm前にでてくる。
▼綾花さんが総料理長をイジる。
この繰り返しのみで僕たちは仲良くなっていった。午後3時には自分たちのことをチームと呼んでいたように記憶している。
記憶はそのあたりから徐々に薄れはじめる。
食べ物類が猛スピードで売れ始めたのだ。
○ソーセージ以外なにもできない総料理長。
○会計以外なにもできないソウタくん。
○チキンからシチューなんでもこなすサヤカちゃん。
○フライドポテトとフライドチキンのマスターと化した綾花さん。
女性二人がいなければ、成立しなかっただろう、役に立たない男性の日本代表として礼を述べたい。おーきに。
飲まず食わず、休憩なし。
20時30分までチームはそれぞれの持ち場を守り続けた。
ブレーカーが落ちたり、
フライヤーに電源がこなかったり、
シチューが鍋で独立運動を起こしたり、
それでもぼくらは大した事故もなくボランティアスタッフというものを全うできたと思う。
この物語には登場しなかったリーダー(総料理長じゃないほうの)や、サンタクロースや、運営チームの人たちもいた。
その人たちも登場させると一冊の本になっちゃうから、ここでは割愛させてください。
感情を販売する回転寿司屋さんがあったとして、お皿のうえに乗っている『楽しさ』『焦り』ときには『笑い』なんかをお腹いっぱい食べて、何が美味しかったかと問われても、ちょっと一言では伝えきれない、そんな1日だった。
2024年12月24日
昨日は神戸クリスマスマーケット@ポートタワーのボランティアスタッフをしに行ってきました。
クリスマスマーケットなるキラキラした催しに出向くのは初めてで、もちろんそこでスタッフとして働くのも初めてのことでした。
西野さんのサロン記事にたびたび登場する人たちにも会えたりして、終始なごやかにボランティアスタッフとして過ごせました。
その初めてのボランティアスタッフの思い出を楽しい思い出に変えてくれたのは、当日初めて会ったコタローくんでした。
清掃の当番にあてられたぼくとコタローくんは、それほど忙しいでもない清掃の仕事をこなしながら、たくさんの話をしました。
ぼくよりも20歳ほど年下の彼は、なにかスポーツをしていたらしく、厚着のサンタルックからも筋肉隆々なのがわかるくらいごつい体をしていました。
なにかスポーツしてたの?と聞くと、
そうなんですけどね、当てられたことないんですよー。おおまかなジャンルでは当たるかもしれませんが。というヒントまでいただいたので、出会ってすぐのときはこの会話で盛り上がった。
「おおまかな」とのことなので、陸上!と答えたけど当たらず、答えは水泳だった。しかもその種目は聞いたことはあれど、観戦したことはないような種目。
でも20も離れている若者との会話の入口としては上出来だったと思う。
この水泳トークが終わる頃には、ぼくたちはざっくりとしたプロフィールを認識できていたと思う。
社会人1年目、
バカではない、
賢くて、
自分を追い込むこともできる、
なにか自分で始めたいと考えている。
そんな彼だから西野亮廣エンタメ研究所に入ったのだろう。
一応こちらも起業している身だから、なにか羅針盤のような言葉を放つことができればいいのだけれど、彼の現在地はよく知らないため、慎重に言葉を選んで話そうと考えた。
起業したいという人に対して、ほぼ毎回思うことは、「コツコツ努力する」という素地がなければ無理だよ、それができない人には無理だよ、あきらめたほうがいい。こんなことを考えながら当たり障りなく話すことが多い。
でもコタローくんはどうやらそんな感じではなさそう。
なにか彼の将来のヒントになるようなことを話せたらいいなと思いながらも、当方としては突拍子もないことをやっているのは百も承知なので、突拍子もないヒントだけは与えぬよう気をつけながら、たくさんのことを話した。
たくさんのことを話しながら、クリスマスマーケットのお客さんに足元注意を促したり、フードやドリンクに並んだお客さんの列を整理したりした、そこにいるだれもが笑顔で楽しげで、彼も爽やかな笑顔ではなしてくれる、いつしかぼくたちは惹かれあっていった、いやいやちがう、間違えた、ラブストーリーと間違えた。
クリスマスマーケットの明るい照明に照らされて、爽やかに笑う彼の笑顔には、現状に満足していない鋭い男性ホルモンも垣間見える。
彼は言う。好きなことじゃないとだめなんだと思う。
好きなことをやったうえで結果論として、成功があるように感じる。
でもその好きなことが何なのかわからない。
多くの若者が抱く疑問に彼も悩まされていた。
ごめんやけど、ぼくにはその疑問に対する解決策は持ち合わせていない。
ぼくのなかには、幼いころから持っているやりたいことがあって、それは44歳になる現在でもまったく変わらない。源泉のようなものがぼくの体のなかにはある。
どうやら他の人にはその源泉がないようだ。
でもひとつかれの疑問にヒントすることができるとすれば、ぼくは税理士法人で働いているとき、その仕事が自分に合っていないと思いながら続けていた、いまでもそれは100%自分に合っていないと言い切れる。でもその仕事を続けながら、税理士試験のための勉強を続けた。
簿記論や財務諸表論、法人税法、所得税法、相続税法などほかにもたくさんの科目があるが、そのなかの消費税法という科目を勉強するためにクラスに通っていたある晩、ぼくはいまのこの事業を思いつき、その日からずっと続けてきた。
この消費税法もじつはぼくは勉強するのがいやでいやで仕方がなかった。
学校の勉強も嫌いだった、なにかの試験のために勉強するというのが大嫌いなのだ。
その嫌いで嫌いでしかたのないものに、ぼくは毎晩取り組んで、いまではあのとき簿記論や消費税法を学んでおいて本当によかったと一方の頭で考えながら、もう片方の頭では試験勉強のことはいまでも毛嫌いしている。
人はいやでいやでしかたのないものに取り組んでいるときに、本当に自分がやりたいことは何なのか理解するんじゃないだろうか。と思う。
自分のなかで本当に価値のあるものにそこで初めて気づくんじゃないだろうか。
日本酒のコップを横に置きながら、音楽を流して書いているおっさんの戯言だと思って読んでくれたら幸いです。
でも、
戦争はどうだろう。
この場合は戦場になるだろうか。
銃を撃って、見たこともない話したこともない人を撃つ。たくさん。
これを好む人はいるだろうか。
戦場こそ、いやでいやで仕方がないことをやる現場に思える。
なにか政治的な理由で戦争を起こそうとした人でさえ、戦場にでるのは真っ平ごめんなはずだ。
そんないやでいやで仕方がないことをやっているから、やらされているから人は、
家族といるだけで十分だったことを思い出したり、
愛している人の笑顔を思い出したり、
自分がほんとうはやりたかったことをそのとき思い出すんじゃないだろうか。
ういっく。酔ってきたな。
2024年12月19日
園芸用の土を回収するときにする質問
土の量とか質に関する質問はもちろんたくさんしたりするのですが、今日はちょっと変わった質問についての話です。
それは、
殺虫剤を使ってますか?(アトピーの人に対して、もしくはアトピーの子供がいる親に対して。)
お子さんがアトピーだったりしますか?(殺虫剤をよく使う人に対して。)
これはもう百回以上繰り返してきた質問なので、相手がどう答えるかはすでにわかっていることが多い。
すなわち、
殺虫剤(除草剤含む)をよく使う家庭の子供はほとんど全員がアトピーだ。
そして、
アトピーの子供を持つ両親は、父親か母親かどちらかが殺虫剤を大好きということが多い。
もうすこしつっこんだ話をすると、殺虫剤を使うということは、彼らは虫が嫌いなのだ大嫌いなのだ。だから必要以上に殺虫剤をまくし、どう考えても子供が触るような土の上にじかに殺虫剤をまいたりしている。
虫が嫌いなことを誇るかのように話し、殺虫剤を大量にまいているのことに何の抵抗も感じていない。
虫を殺す薬が、人間の体には良いとでも考えているのだろうか、不思議でならない。
そんな彼らでもアトピーになった我が子を愛し、なぜアトピーになったのか、その原因はと考え、やれハウスダストだとかダニがよくないんだとかテレビで勉強してきては、せっせと掃除に励み、掃除のあとには除菌し、腸内フローラのものになる善玉菌を皆殺しにしている。
こういうにまとめてみると、問題は殺虫剤を使うことではなくて、正しい情報のとりかたを知らないこと、になるのかもしれない。
最近では、川崎は殺虫剤好きの人に出会うとやさしい言葉なんて使わない。
2024年12月17日
なにかの理由で花屋さんが廃棄しなければいけなくなった花の苗を引き取ってきて、一つ50円で販売しております。
東住吉区内のとある駐車場で花の苗をじか置きするという暴挙にでております。
その駐車場の区画では、ギリギリまで花の苗を前に出して置いていましたが、来月1月中旬頃まですこし奥まったところに置くことに決めました、この写真のように。
他の人のことを考えて、溝の上までトレーを動かしてくれる人もいるかもしれませんが、もしそうなっていたら奥まったところへ戻しておいてやってもらえないでしょうか。よろしくお願いします。
そのとある駐車場の奥にあるマンションにはある一人の若者が住んでおり、その男はそのマンションにたった一つだけ備え付けられてある駐車場を借りています。
花の苗を見にこられた人なら、あーあれかとわかるような場所にあります。
その男は軽自動車に乗っていました。見るからに古い感じの軽自動車です。たまに彼女をつれて晩御飯にでもいくのでしょうか、助手席に彼女をのせてでていきます。
一度、ぼくが盛大に花の苗を私道に置いていたところ、「出るけど大丈夫?」と声をかけてくれました。やさしいじゃない。おそらくはガテン系だと思われるその風貌は男前で、筋肉質で痩せている感じ、眼光するどく、危険が伴う現場で働いているのだろうと思わせる緊張感を漂わせている。
嫌いじゃない。
もともと体を使って働くガテン系と呼ばれる男どもをぼくは嫌いじゃない。考え方にすじが通っていることが多いからだ。学校の勉強には弱いのかもしれないが、ホワイトカラーと呼ばれる人たちよりも好きなことが多い。
なにより、そういうガテン系のやつらにめっぽう好かれるというのもある。
そんなおり、駐車場に置いているトレーが割れているのを発見するようになった。回数にして、2回か3回だったと思う。11月初旬頃だっただろうか。
それは明らかに車に踏まれたようなあとでした。
軽自動車のあいつかなと思い、奥の駐車場をのぞいてみると、そこには軽自動車はなく、グレーのハイエースが停まっていた。
あいつはもういなくなったのかと思いながら、トレーが割れたことはそのまま問題先延ばしに。
そして先週の12月初旬のある日、ガテン系の彼がマンションからでてきて、そのハイエースに乗り込み、やはりまた彼女をのせて晩御飯にいくところへ、ぼくが駐車場に帰ってたのです。
あわわわ。
でていこうとするハイエースを手でとめて、彼に話しかけると彼はハイエースから降りてきました。降りてくるのもまた潔くていいですよね。
でも、あわわわ。
トレー動かした?と聞くと、
「動かした」とのこと。
やっぱりね、この車だと出入りするのに邪魔だもんね、何回か踏んだでしょ?と聞くと、
「いや踏んでない」とのこと。あきらかに悪いことしましたという顔をしながらの、いや踏んでない、にぼくはOKとだけ返して、そりゃそうだよね、この尋問形式でこんな質問されちゃ、ぼくでもいや踏んでないと答えるだろうと思いました。
そりゃこのハイエースの大きさだと、ここからでるのはかなり無理があると思うから、ぼくの区画の上を通ってもらってかまわない、どれくらい奥に置いておいたらいい?
「今のこの状態がベスト」とのこと。
OKわかった、でもこれっていつまで続くの?と聞くと、
「あと1ヶ月。この車も買ったし、1月中旬に引っ越しすることになったから」とのこと。
淡々とした彼の状況説明に脚色していくと、おそらく彼はガテン系の仕事である程度一人前になって、彼女と結婚することに決めて、少し小さめの家を購入し、そこに移り住むのが2025年1月中旬なんじゃないだろうか。
ぼくは本当に人を見る目がないとつくづく思う、だからこの見当ははずれているだろう。
でもひとつだけ頼りにしている「人の見方」がある、それは第三者を介して人を見る、ということだ。この場合、彼のほうをみるのではなくて、彼女のほうを見たりする。
このときの彼女はハイエースの助手席に座っていた。
▼扉が開いているから、シルエットは見える。
▼顔はこちらを向いている。
▼表情までは読めない。
▼感情は抑えられていて、動かない。
▼こちらの会話は聞こえているのかどうか不明。
こういうとき、彼女や奥さんが出てきて代わりに話し出す、みたいなこともよくあると思う。それはおそらく、彼氏やご主人に任せておくと自分たちに不利な状況になったり、損失を被ることが経験則として知っていて、我慢できずにアナウンスなしでバッター交代という流れになるのだろうと思う。
何度でも言うが、ぼくには人を瞬時に見分ける能力がまったくない。
このときの彼女の挙動についても、認識間違いは多数あろうと思う。
ぼくの目には、彼女は彼氏を信頼していているように見えた。でも、相手は知らない男なので心配でジッとこちらを見ている。そんなふうに見えた。
契約している土地を他人に自由に往来させるというのは、ちょっとあり得ない話だと思う。
でも、
彼に限って、
あと1ヶ月に限って、
この駐車場に限って、
彼が往来してもいいとぼくは感じた。
ぼくはこれが人情だと思っている。
人情を実行に移すときは契約するのと似ているといつも感じる。
▼甲と乙
▼契約期間
▼契約内容
▼破棄条項
のようなものだ。
人情味のない世の中になってきたと考えることもよくあるが、かえって人情のある人間、すなわち一本すじが通った人間が際立つようになってきたようにも思える。
そういうふうな人間になっているかと自戒しながら、死ぬまで努力しようと思う。
そして命つきて、運良く天国にいくことができたなら、そこにいるであろう江戸っ子の先輩に迎えられて、こう言わしめたら本望だろう。
あんた粋だねえ。
2024年12月9日
ぼくはじつは枚方市生まれなのですが、
それのおかげか、枚方市からはたくさんの注文をいただいている。
これが縁というものだろうか。
注文の数が少なくてピンチのときなんてのは個人事業をやっているかぎりだれもが経験することだとおもうが、そんなときにもなぜか枚方市からの問い合わせだけは途絶えなかったりする。
不思議だ。
今回もその枚方市からの注文でした。
公式LINEのアカウントのほうへいただいた、初めての問い合わせは誰がどう読んでも外国人の名前でした。
英語のほうがいいですか?
日本語のままでいいですか?
と問いかけると、
Let’s go with English!!とのこと。
写真を送ってきてくれたので、だいたいの金額を伝えて、いざ訪問。
外国人のご主人には会うことはできませんでしたが、日本人の奥さんといろいろ話すことができました。
小さな赤ちゃんが、12月冷たい風に吹かれて泣いてしまいましましたが、最後はたいへん感謝していただきました。
野菜を育てようとしたけど、あまりうまくいかず、もうやめてしまおうとのこと。
このときに無料で回収した、長方形のプランターや不織布のプランターはすでに、もらい手がついて、今ごろ土が入って活躍しているころでしょうか。
このプランター類の無料回収をいたく喜んでくださったご主人は、帰宅後メールをくださいました。
Great. I’m glad they are getting used rather than just thrown away.
Thanks for running such a sustainable business.
2024年12月6日
今日は枚方市で数件の土回収をしてきました。
そのなかの一件がとあるマンションでの土回収の仕事でした。
お問い合わせをいただいたときから、けっこう頻繁に情報をくださる方で、なにも言わないうちから写真をメールしてきたりする女性。
その正体は、かーなーり優柔不断な人でした!笑
たくさんの確認メールは、自分の中でいろいろな心配事や不安をつくりだして、それを自分のなかで時間をかけて解決するための確認メールだったのだと感じました。
こういうふうに書くと、あたかもぼくがその女性を非難するかのように聞こえるかもしれないが、そんなことはまったくない。
なぜなら彼女には一つの大きな武器があるのだ。
それは一番最後にでてくる笑顔だ。
その笑顔は、会話の区切りの一番最後にしかでてこない。
数少ないその笑顔がでてきた瞬間、ぼくはすべて報われたような気になる。
その笑顔をするとき、彼女の前歯がすこしだけ顔を覗かせる。なぜだかわからないが、前歯の2本だけが顔をのぞかせる。どういう仕組みだろう。
人によっては悪口になるかもしれないが、ビーバーが笑ってるような感じだ。
ビーバーに会ったことはないが、川に自分の巣を作るときに木をかじっていて、数秒間、周囲を確認する、命の脅威が迫っていないか確認する、そして自分が安全だということを確認すると、すこし安堵する。
ぼくの想像のなかで、その安堵した瞬間の顔に彼女の笑顔は酷似している。
重ねて言うが、彼女は優柔不断で、自分がもう一回部屋に戻って追加の土を持ってくるかどうかすらも、存分に迷う。
これ以上の困りごとはないぞと言わんばかりに眉間にシワを寄せて、周囲の時間のことなどお構いなく、脳を集中させてありったけの時間を使う。
やっとのことで、部屋に戻ることを決意して、部屋に戻る。
じつは、ぼくはこの部屋に戻ろうとする瞬間を目撃していない。
彼女の眉間にシワが寄りはじめて3秒くらいたったころ、だめだこりゃ、ということで自分の作業に邁進していたからだ。
あんなのに付き合ってたら時間がいくらあっても足りない、嫌いな人ではないが、ぼくもぼくの時間を無駄にはしたくないのだ。
彼女が一階のエントランスに追加の園芸用土を持ってきたころには、ぼくははじめにご依頼いただいた分の作業を終えていた。
おそらく彼女は部屋に戻る間も、部屋に戻ってからもたくさんの悩み事を想像し、時間をふんだんに使ってきたのだろう。
そこまで想像しているぼく自身、すでに彼女の術中にはまっているのかもしれない。
追加の土を持って一階エントランスに現れた彼女は、ここでまたこの土を本当に回収してもらっていいものかどうか、はー困った、みたいなことを始めた。
ぼくは言ったよ。
もーえーやろ。
もちろん笑顔で言ったけど、はよしてくださる?と言いました。ごめんやで。あまりに遅いもんで。ビーバーというか、このときはナマケモノだった。
いろいろながなが悩んだあと彼女はこういった。もういいや、全部お願いします。ニコッ。(ここであの前歯が2本現れる)
若い女性ではない、髪の毛にも白髪が混じっている、オシャレに気をつかっているふうにも思えない。
でもそんなことはどうでもいい。あの笑顔に出会えたんだから。
はっきり言って、あと5分は早く帰路につけたろうと思う。
でもそんなことはもうでもいい。あの笑顔に出会えたんだから。
最後の最後、別れるときには、彼女は『またお願いしますね』というのも悩んでいた、ついにぼくがその場を離れるまでに、またお願いしますね、とは言わなかった。
ぼくがそのマンション群を離れて、さてお昼ご飯たべようかなと思い始めたころ、メールが来た。
『今日はありがとうございました、またお願いしますね。』
早よ言わんかい、とツッコミながら、ぼくの顔はほっこり和んでいた。あのビーバーの笑顔を想像したからだ。
この写真のもので税交通費込み5,500円でした。ここからまた彼女は追加していくのだが。笑
2024年12月2日
今日は藤井寺市で土回収の仕事がありました。
園芸好きだったお母さんが高齢のため施設に入られたとのことで、その娘さんから依頼がありました。
はじめ、電話がかかってきたときから、ものすごい応援してくれている感はあったのですが、今日いってみると、ものすごい応援してくれました、ありがとう。
自然農や、共生農法、木村さんの自然栽培の話をしたあと、いろいろな話をすることができました。
ガーデニングの話から竹炭の話に移ったあたりで、『うちの社長の庭が竹でえらいこっちゃ』とのこと、
すかさず放置竹林を探していることを伝えて、名刺をお渡ししました。
放置竹林が見つかるかもしれないということと、応援してくれている人に名刺を渡すことができ、そのうえ連絡をいただけることまでとりつけられました。
一期一会に感謝。
もっと出会いを大切にしていこ。
園芸用土の処分のしかたがわからない人はDMください。
かなんな農園 川崎康裕
本当は18千円くらいのところ、25千円いただきました。無駄にせぬようがんばります。
2024年11月30日
最近、中国人の家族と仲良くなった。
そんじょそこらの仲良くなった、ではない。
一緒に食事にいって、笑いが絶えないくらい仲良くなった。
はっきり言ってぼくは中国人が大好きだ。
気遣いの中に、遠慮のなさが同居しているあの感じが好きでたまらない。
一番最初の食事はジョリーパスタだった。いわずとしれたファミリーイタリアンだったが、本当に楽しかった。
二回目の食事が昨日、
中国人家族が住むあたりにある本格中華のお店だった、本格中華どころか、中国人が中国語で営業しているお店で、お店のなかに入るとあれは八角の匂いなのだろうか、中国に旅行したときのような匂いがする。
香港にいったときには、レストランのそばに立っていると漂ってきたあの匂いだ。ぼくはあれが好きでたまらない。
中国人の奥さんのほうは紛れもないアジアンビューティーだ、日本人にももちろんきれいな人はたくさんいるが、話す雰囲気は良い意味でぜんぜんちがう。
ご主人のほうは、紛れもない金持ちで、彼が行う仕事の関係で来春からタワーマンションに移り住むという。根掘り葉掘りいろいろな質問をしていくと、たくさん仕事のことについて教えてくれる。
いわゆる会社員ではなくて、個人事業主なのだが、彼に聞くまでそんな仕事があることすら知らなかった。稼ぐ力は半端ない。
かれはぼくにもっと働かなくてはいけないんじゃない?とことあるごとに言ってくるが、いつかぼくのやっていることを知ってもらったときに逆に言ってやろうと思う、すべての時間を稼ぐことに使っていたら、それで稼げなくなったときに途方にくれるよ、ぼくが竹炭を焼いたり、狩猟のために時間を費やすのは、このグローバルで流れの速い社会のなかで、生き残るための術なのだと。
でもこれは自分で考えた事業を自分一人の力で切り拓いたことのある人にしか通じないことなのかもしれない。そしてそんな人がほかにあまりいないこともよく知っているつもりだ。
ご主人、いつもおごってくれてありがとう。
2024年11月28日
今日はぼくからある知人への手紙というかメールというか、を作文していこうと思う。
これを書き終えてから、送信するかどうかを決めようと思うので、はじめから変名でいきます。
久田さんへ
いつもぼくに関わってくれてありがとうございます。
久田さんには一年前くらいから、ずっと謝らないとな〜と思っておりました。
謝る?
という感じかなと思います。
すみません、突然。
今月、畑に伺ったときのことも謝らなければいけません。
というのは、畑にお伺いしたとき、畑にいらっしゃった他のおじちゃんたちが手伝おうとしてくれたのに、ぼくは無下に断ってしまいました。
久田さんもご存じの通り、ぼくはいま巨大な目標に向かって進んでいます。ですが一歩一歩進んでいくと、意外と進めることに気付かされます。死ぬまでに到達できないだろうと考えていた場所が少し近づいたようにも感じる今日この頃です。
ぼくが言う一歩一歩すすんでいくというは、なかなか面倒な作業も含まれます、ビジネスや勉強といったことだけでなく、頭のかたい田舎のおっちゃんたちに頭を下げて、笑顔をふりまく作業、我慢や忍耐も含まれます。
我慢や忍耐ができるのは、ぼくが真剣だからです。
文字通り死ぬほど真剣です。
街を歩いていても、ぼくほど真剣に生きている人を見かけません。
真剣に生きているとはどういうことなのかというと、遠い将来のことまで考えている、と言い換えることができるかもしれません。
ビジネスとしての
1年後
3年後
5年後
10年後
子供たちが生きる
50年後
100年後
300年後
地球としての
500年後
1000年後
1万年後
ぼくはいつも遠い未来のことを考えてしまいます。
ぼくが死んだあと、人類はどう生きるか、そのときの地球の状態は、そのためにいまやめるべきことはなんだろう、とかそういうことです。
やめるべきことは戦争にちがいありません。
戦争が起こらなくするのは不可能だけど、戦争が盛り上がらなくなるようにするのは可能なんじゃないかと、最近は思います。
そういうことを真剣に考えて実現する道はどこかと頭の中で考えるのですが、そんなぼくも現代を生きています。
トラックのなかでそういうことを考え、
久田さんの畑の近くでトラックから降りる、
そんな感じです。
そこで出会う人たちは、現代を思いおもいに生きています。
思いおもいにぼくのことを手伝おうとしてくれるし、ブルーシートの上の土のう袋をトラックからおろしてくれようともします。
あの安物のぼろぼろのブルーシートも、かれらにとってはただのぼろぼろのブルーシートだろうと思いますが、ぼくにとってはやぶれないように大切に使って、できるだけ出費しないように、そろそろと使ってきたものなのです。
だれも考えたことのないビジネスを形にして収益化していくという作業は、こういう地道な節約でなりたっています。
いままでもたくさんの人たちがぼくの作業を手伝うために善意で集まってきてくれましたが、道具の扱い方のあまりの雑さに、
うーん、やっぱりうまく書けないですね。
またなにかの機会にこの作文にトライしようと思います。
要するに、笑
手伝ってくれてるのに、無下に断ってごめんやで、というところです。
2024年11月26日
昨日は神戸市東灘区のお客さんを訪問してきた。
園芸用土の回収のために訪問した先は4階だてマンションの4階部分、エレベーターはなし。
おそらくこのお客さんはこのマンション自体を保有しており、なにかの理由で、ほかに引っ越しすることが決まっていた。かなりのお金持ちで、かなり広い屋上のようなベランダ部分に、庭を演出するためのたくさんのものがある。
その大部分を占める超大型(浴槽になりそうな)のプランターのなかにはぎっしりと土がつまっており、土だけでなくけっこう大きな幹に成長してしまった植物が鎮座しておられます。
これはなかなか大変な仕事になりそうで、エレベーターもないことからクレーンを手配しなければいけないのは間違いなくて、しかも今回は、電線がクレーンの邪魔をしそうなので、重量屋さんも手配しなければいけなくなりそう。クレーンの設置場所によっては道路使用許可を警察署に届けなければいけないし、そうなると警備員の手配も必要になってくる。
しかも、納期は12月中旬ときた。
今日は11月26日(火)。
おもしれえ、やってやろうじゃねえの。
明日は予定を変更して、神戸市周辺の重量屋さんを訪問して、見積もりをしてもらおうと思う。
土の回収料金は10万円をゆうに超えると思うが、クレーンや重量屋さんの料金を含めると50万円くらいかかるんじゃないだろうか。
仕事になるかどうかはわからないけど、とりあえずすべての金額を見積もりして、お客さんに検討していただける状態までもっていこうと思います。
がんばろ。
2024年11月23日
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2024年11月23日(土)
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7年前くらいのこと、ぼくはお肉を食べなくなった。
以前から持っていた自分の中の矛盾もきっかけといえばきっかけだが、ビーガンの人たちにたてつづけに出会ったというのが大きい。
お肉食べないということを続けてこられたのは、「体に合ってる」というのがやはり一番大きい。
以前は1ヶ月のうち数回、口内炎をおこしていたが、いまではぜんぜん口内炎はなくなった。
お肉を食べなくなったことで、悪い影響は思い当たらない。
すこし家族に面倒な思いをさせているかな、くらい。
そもそも自分のなかにあった矛盾とは、
▼お肉はおいしくて、もっと食べたくなる。
▼youtubeでライオンがガゼルを狩る映像を見ると、しっかり残酷だと思っちゃう。
おいおい、よく言うな川崎よ。とぼくは思うのだ。
川崎が食べてるそのお肉もしっかり数日前に苦痛をもって屠殺されている、しかもその数分まえにはアドレナリン全開になるほどの死への恐怖があったはずだ。
そのいかにも現代的良い子ちゃんの矛盾のお風呂に肩までつかっているのが嫌で、ぼくはお肉を食べるのをやめた。
いつかお肉を食べることがあるなら、涙を流しながら、ゲロを吐きながら、自分が持つナイフで、とどめをさした命の肉体をいただこうと思う。
▼▼▼
ところでぼくは農業をしている。
ある日、さつまいもがきれいに誰かに盗まれていたことがある。
盗まれたと錯覚するほどきれいな痕跡で、猪だと気づいたのは足跡が残っていたからだ。
そのときに気づいた、この日本に広がる広大な耕作放棄地を普通の農地に変えていくためには狩猟を学ぶことは避けて通れない。
狩猟だけでなく、酪農の知識も必要だろうと思う。
でもまずは狩猟からだ。酪農はおそらく人と一緒じゃないとできないだろう。
畑にくる猪すらも収益に変えていかなければ、ビジネスとして勝つことはできないだろうし。
ビジネスに勝つことができなければ、才能も集まってこない。才能が集まらなければ社会を変えることなんてとうてできないだろう。
まずは今シーズンに罠猟から始めてみる。
2024年11月9日
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2024年11月9日(土)
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今週は狩猟免許の勉強と渋柿を干す作業にいそがしかった。
河南町5号地の畑にはじめから植わっていた渋柿の木は年々収穫高が増えて、今年の秋は150個程度を収穫できた。
それの一部をジップロックにいれて焼酎漬けにし、甘い柿に変身させていく以外の100個以上は柿はすべて干し柿にした。
空き時間を利用して干し柿にしていくこの作業は好きでたまらない。
柿の皮をむいていく作業は愛おしくてたまらない。
スポーツ刈りになった柿たちがうちのベランダで家族を癒している。
とまあ、最高の作業をしつつ、11月10日(日)には狩猟免許を受験するので、そのための勉強も欠かさずやってきた。
落ち着かない受験勉強になったが、銃の取り扱いの部分以外はだいぶ完璧になった。
明日の朝、起きてジョギングして受験会場に向かう前に、銃の取り扱いの部分を完璧にしていこうと思う。
隙間時間をそんな形で忙殺されながら、今週のなかばにぼくは一人で道を歩いていた。急いで帰ってすこしでも勉強しようと思っていたからだ。
そんなとき、むこうから自転車にのった男性がむかってきた。
ゆっくりゆっくりと自転車を進ませながら、その男性はスマホで何かを見て、笑いをこらえている。楽しそうに笑っている。楽しすぎて声がでそうになるのを我慢しているため、眉毛は八の字になり、口はパンパンになっている。
今月から自転車に乗りながらのスマホには罰金が課される法律が施行されたというのに、その男性はそんなことおかまいなしだ。
でもぼくはその男性を見て、幸せな気分になった。あの男性が通り過ぎたあと、あの顔を思い出すとブッと吹き出した。
いままで急いで帰ろうと歩度をはやめていたけど、そんなことどうでもよくなった。
法律のことをどうでもいいなんて考えたことはないけど、ぼくは明らかにあの男性の笑顔を楽しんだ。
しかもちょっとリラックスして、気分転換までしてしまった。
ありがとうおっちゃん。
明日、狩猟免許うかってきます。
2024年11月1日
狩猟免許取得のための勉強と準備を行いました。
2024年10月28日
ハロウィンの廃棄物問題について考えました。